行き先の決まっている
さて。つい先日何がどうしてそうなったのかわからないが幼少期の頃へと巻き戻ってしまったわけなのだが、本当にどうしたものか……。
オマケとばかりに思い出した前世の記憶とやらはあまり役に立ちそうにない。
前世は女性のある部位に並々ならぬ情熱を注ぐ男だったらしく、正直思い出そうとするとミランダの日記とは別の種類の精神的にダメージをうけることになるので出来れば封印しておきたいかぎりだ。
一先ず方針を決めよう。何がどうしてどうなればいいのか、逆にどうなるのが最悪かさえ定めておけば今度どうなるかはわからないが行動は起こしやすいはずだ。
未だ自分の状況を完全に納得したわけではないが、私自身の記憶の中にある通りにミランダが凶行に走るという事態は避けたい。
いくら彼女があの怪文書にしたためられた通り悪逆の限りを尽くしていたとしても、一度は婚約者だったんだ。彼女が婚約者としてよくしてくれたことも、彼女自身の努力も、私が一番得知っている。
だというのに、どうしてああなってしまったというのか。
例の日記はどこかに消え失せてしまったのであの時読んだきりの記憶に頼るしかないが、ミランダはあのバラ園でのお茶会から自分が死ぬまでを何度も繰り返していると記していた。
何がきっかけでループなどという現象が起きたのかはわからないが、彼女が死ぬ原因は須く私だ。私にはあの茶会の日に戻る前の人生の記憶と栗栖祐一という男だった時の記憶しかないので何とも言い難いが、何かしらの掛け違いがあったのだと思いたい。
いや、まぁ正直なところ私が彼女の日記に書かれていた通りよそ見をしないとは限らない。ミランダは良き伴侶になるだろうが、なんというかこう、私はもう少し健康的な方が好みなんだ。こういう所が原因だと言われてしまえばそれまでなのだが。
ただけして。けっして、ミランダに魅力がないわけではない。ただ私としては引き締まってる方がいいというだけで。例えるならそう、学生時代何かと縁のあったアリス嬢の様な。
ああそうだ。今思い出したのだが彼女があのソーシャルゲームの主人公だった気がする。栗栖祐一は胸部にしか執着がない男だったので思い出すのが遅れたが、辺境伯の遺児として親戚筋に引き取られた奔放な少女、という設定だったと思う。
初めの攻略対象は私を含めた五人で後々キャラを追加していくという触れ込みにも関わらず、途中でシナリオライターが飛んだりシステムバグが多く緊急メンテが多かったり。よく九ヶ月持ったな。
それでも絵はよかったんだよ絵は。ミランダが赤バラならアリス嬢はピンクのチューリップを背負ったスチルが多くて、当時はそこまで惹かれなかったが私のイベントで手に入るスチルで披露された彼女のおみ足は程よく引き締まり美しかった。
……話が反れたな。とにかく。私もミランダもお互い良き友人、良きパートナーとなろうと努力していたのは事実だ。いっそのこと彼女と婚約を結ばないという手もあるが、その際の決定権は父上にあるからなぁ。
ミランダの特殊な嗜好がどうであれ、大本の彼女の望んでいたことは私との日々なのだろう? ならばそれを目指して行けば彼女は国賊にはならないし、国も兄上の未来も安泰だ。
最終的な私の目標は今も昔も変わらない、いずれ王位を継ぐ兄上が治政が安寧であればそれでいい。彼女もそれに賛同してくれていると思ったんだが、世の中そうも上手くいかないらしい。
そんなことを考えていたら不意にノックが響いた。
今日の予定が済んだから「部屋で本を読んでいる」と言って自室に引きこもっていたのだが何かあっただろうか。とはいえ私の部屋に来るものなど限られているのだが。
「お茶とお手紙をお持ちしました」
「ああ、入れ」
「失礼します」
ソファーに預け切っていた体を少し起こして入室を促せば使用人のパトリックとメイドのメアリが連れだって入ってくる。
手紙、手紙か。あのバラ園での茶会以来、参加した令嬢たちからの手紙がいくつも届いている。婚約者候補を決めるための物だったし、私が送ったメッセージカードの返礼とはいえ皆律儀ないいお嬢さんだ。
手書きとは言え参加者全員にほぼ同じ内容のメッセージカードを送ったことが心苦しくなるくらいには。
「お勉強ですかな?」
「周辺国の歴史をな。まぁ、早々に目が疲れて切り上げたんだが」
「おやおや」
目の前のローテーブルに投げ出した比較的子供向けの歴史書の背表紙を指で叩けば、パトリックが可笑しそうに笑った。
別に小難しい本が読めないわけではないが、齢六つの子供が読むには些か不自然に映るだろうという配慮でしかない。ただミランダの日記を読んで以来、開いた本を閉じる行為に些か構えてしまうという後遺症を抱える羽目になるとは思いもしなかったが。
「教師たちもクリス様は非常に覚えがいいと申しておりました」
「この年にしてはというやつだ。私なんて兄上に比べたらまだまだだよ」
隣で紅茶を注ぐ物静かなメイドとは対照的に老齢の使用人は割とおしゃべりな質だ。本人曰くこのような性格になったのは年を重ねてからだと言うが、正直この頃の私は彼のおしゃべりな気質に救われていたと言ってもいい。
現状正当な王位継承者である兄上と、側室が生んだ私は所謂微妙な立場というやつだからな。見たくもない大人のあれやこれやにはよく疲弊させられたものだ。私にとっては兄上は兄上だし含むところなど無いというのに。
とにかくだ。私が十六の時に年齢を理由に退職したが、為になる話から夕食の献立までそれまで培ってきた話術を用いて彼は私の気を紛らわせてくれた。特に『近衛騎士団ネコ大捜査線』や『宮廷魔術師捕物五番勝負』などは何度も聞きせがんだ覚えがある。
「早く父上と兄上のお力になれるようになりたいものだ」
「ふむ。その陛下からお手紙を預かっております」
にこりと微笑んだパトリックから薄い封筒を受け取る。
父上からの手紙とは珍しいと思う反面、なんとなく中身について想像が付いてしまう。あのお茶会から早数日。中に書かれているのはきっとそういうことだろう。
渡された手紙に目を通せば、思っていた通りの内容が父上の字で記されていた。やっぱりこうなるよな。
「まだ内定ではあるが、ミランダ嬢との婚約が決まった」
「それはそれは。おめでとうございます」
パトリックの祝辞を他所にたった数行書かれただけの白い便箋をテーブルに放ってメアリの入れてくれた紅茶に口を付ける。
近い内にミランダとの婚約を発表するから何かあるなら言いなさいよと。わざわざそれだけのことを上質な便箋を用いて告知せずとも構わないのに律儀な人だ。
「父上が決めたことなら異論はないというのに」
ミランダと婚約するということはわかっていたし、大まかな今後の方針も決まっている。ミランダが死ぬ原因にならない。よき伴侶となる。可能な限り脇見をしない。
これさえ守って、彼女の動向に注意しておけば酷いことにはならないだろう。三つめの判定が些かシビアかもしれないが私なら出来るさ。
紅茶の香りを楽しみながら息を吐き出す。頭の片隅でこれでは栗栖祐一のことをどうこう言えないのではと思ったが、はしたないとわかりつつカップの中の液体を一気に飲み干すことでその考えを呑み込んだ。