閑寂に著す
パトリックを通して帰って来た紙切れになんとも言えないため息を吐く。
わかっていたことではあるのだが、父上からの手紙の返事は変わらず上質の紙に簡素な文面が綴られているだけだった。素っ気なくも感じるが、返事が来ただけありがたい方だろう。
机の上に豪奢な装飾と王家の印が描かれた便箋を机の上に放り出して伸びをすれば、いつの間にか固まっていた筋肉がほぐれていくのがなんとなくわかる。こうなるとは予想出来ていたんだが、それでも無駄に緊張してしまった。
今一度便箋の中の文字列に視線を落とす。短い文章は随分と荒れていて、走り書きだ。余程忙しかったのだろう。
格式ある便箋にただの二、三言だけ綴られているのは些か紙の無駄使いの気がする。いっそ短文だけならカードで返してくれてもいいんだが、一応息子としてきちんとした対応を取っているという体裁なのか、父上からの手紙はこういった物が多い。
結局今回の繰り返しの中でも、父上と直接話をする機会を逃している。
何度繰り返しても時折こうした短い文面の手紙が来て決定が告げられるだけだ。関係の希薄さは否めないが、まぁ何というか、送られてくる手紙はどれほど短くても直筆なので気にはかけてくれているのだろう。
だから、今回は私から手紙を送った。内容はミランダのことだ。
別に彼女との婚約に何か不満があったわけでもないし、むしろ前向きに考えている。ただ、これからミランダと話す上で彼女に婚約を続ける意思がなくなってしまった場合、彼女の立場を守ってもらえるようにと頼んだだけだ。
私は、これから彼女の願いを否定する。
何度決意しても胃の奥がズシリと重くなる感覚にはなれなくて嫌になる。急に苦しくなった腹部をさすりながら応急手当にもならない息を吐き出した。
ミランダのことを嫌っているわけではないし、傷つけたいわけではない。むしろ惚れているからこそ不健全な繰り返しをやめて欲しいと思っている。それが彼女の心を傷つけることになっても、ずっと繰り返し続けるよりはいいはずだ。
対して性能がいいわけでもない思考回路を回して考える。
どうして彼女は繰り返し続けることを選んだんだろうか。
何がきっかけで巻き戻る力が発言したのかはわからないが、その力の発動条件を握っているのは間違いなくミランダ自身だ。「私を見て欲しい」と、望んでいるのは「停滞」だと、彼女は言っていてた。
時間は流れる物だ、止まらないからこそ惜しまれる。流れをせき止めてしまっては淀んでしまう。それはきっと水の流れであっても時の流れであっても同じこと。淀みに浸り続ければあとは汚染されるばかりだ。土壌も、精神も。
幾重にも上る繰り返しの中で患った彼女の精神を浄化できるのかと問われれば断言はできない。けれどせめて健全な方向へと示すくらいは、可能なら彼女を支えていくことくらいはさせて欲しい。
もちろん、この考えが一方通行であるという自覚はある。だからこそ彼女ときちんと話し合う機会を探しているのだが、相変わらずこちらの言動に注視されていて今一踏み込めないでいる。
最近に至っては愛想笑いで別の話題にすり替えられて、照れた顔一つも見せてはくれない鉄壁のガードモードに入ってしまった。
前回の繰り返しの内に押し切れなかったのが本当に惜しまれる。まぁその状態でもできなかった過去があるので、何を言ってもないもの強請りのごねにしかならないのだが。
これ以上うだうだと言っていても仕方がない、出来ることを考えよう。
私はどうしたいのか、ミランダときちんと話をしなければならない。何に付いて、彼女が続けている繰り返しに付いて。果たして、どこまで話を聞いてくれるだろうか。
何度も繰り返したように突然ミランダが走り出さないとも限らない。どういうことかというとまず彼女を捕まえておく必要があるわけだ。足早いんだよなぁ、ミランダ。
そうした上でやっと話し合うための準備が終わる。つまり、未だスタートラインにすら立てていない現状だ。
説得、できるだろうか。いや、やらないとな。
確かにフラットに窓の外へと飛び出すほどアグレッシブな面もあるが、基本的にはどこにでもいる気遣い上手な令嬢なのだ、話し合って、それで解決できると信じたい。その上で袂を分かつことになるならばそれは仕方のないことだ。
分かれた時、彼女が不利にならないように父に手紙で取り計らってもらった。だから後は私が彼女と話すだけなのだ。話して、それで分かり合えるか否か。
結局、一方通行だなぁ。独善的とも言える。
ただ私が良かれと思ってやろうとしているだけで、ミランダにとってはきっとありがた迷惑なことなんだろう
だって彼女は好んでこの繰り返しを受け入れていた。望んで巻き戻っていたんだ。
それを壊そうとしているのだから嫌われたって仕方がない、出来れば嫌われたくはないけど。好きだから、傷ついてほしくない、危険なことはしてほしくない、自分でもお前が言うなと思うけど、それでもそう思ってしまったんだから仕方がない。
愛していると認めてしまったから。
ゆっくりと息を吐く。
何度も繰り返した方法で心を落ち着かせれば、放り出した便箋がカサリと音を立てて揺れた。
彼女と話をしよう。何度もそう考えて、きっかけを作ろうとして、話しかけては踏み込み切れず今に至る。出来れば学園を卒業するまでには何とかしなければと焦り、早い方がいいと思いつつももう最高学年になってしまった。
机の上に置いていた父上からの手紙を封筒に入れなおして引き出しの中に仕舞い込む。話しを、しなければ。何度もミランダを否定する覚悟をする。
そうして何度も踏み切れずに引き延ばしてきた。今までだって気付かないうちに何度も苦しめてきたくせに、いざ自分の意思でとなると二の足を踏むのだからどうしようもない。
我がごとながら本当に呆れてしまう。都合のいいことばかり考えて、碌に理解もしようとしなかったくせに、いざ自分から動かなければならない状況になると被害者ぶって言い訳を連ねる。
閉めた引き出しを一撫でして立ち上がる。今だってこうして彼女に話をするのを、今日と明日、それから明後日くらいは急がなくていいかと考えているのだから。
本当に、どうしようもない男だ。