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陽の色を待つ


 大きく息を吐いてペンを転がす。

 カラコロと音を立てて机の上を移動したペンは長い間使っていたせいか体温が移って生ぬるくなっていた。

 今まで向き合っていた紙のインクが乾いたのを確認してから半分に折る。普段使いの物よりも数段上質な紙に変な緊張をして数枚無駄にしてしまった。まぁ後は、これをパトリックに渡して置けば彼が何とかしてくれるだろう。


 半分私室のように扱っている生徒会室で雑務のついでに私用を済ます。埋もれる、という程ではないがそれなりに積まれた紙の束との格闘は中々困難を極めるものだった。当分の間文字は見たくないが、そう上手くはいかないのだろうな。

 背面にある窓から差し込む光は赤く、作業を始めてから随分と時間が経ってしまったことが伺える。

 普段ならすでにミランダと共に下校している時間だが、今日は彼女も用事があるとかで遠慮なく生徒会室で居残りさせてもらった。

 おかげである程度雑務にしても私用にしても片付きはしたが、疲労感も一際大きく、一度に纏めて熟すものではないと改めて実感させられる。


 ずっと握り込んでいたからか少し痛む利き手の手のひらを開閉しつつ目頭を押さえた。目も疲れたが、妙に神経をすり減らしたから何か甘いものを腹の中に入れたい。いっそ熱い紅茶でもいい。

 尚いつも傍ですぐに用意してくれるメイドたちはいないし、時々差し入れにとミランダがくれる菓子もないのだが。

 別に甘いものが好きというわけでもないし、食べるのだってミランダと居る時か、時折ギルとレノの男三人でふざけてスイーツパーラーに行った時くらいだ。だからまぁ、うん。何か変な紐付けがされていそうだが、あまり気にしないようにしよう。


 赤く、夕日に染まった世界はいつも見ているはずなんだが、学内で見るとなんとなくそわそわする。少しだけ休憩してから帰ろうか。

 不意に廊下側の窓に影が横切った。


「あ、やっぱりいらっしゃった」


 がらりと扉が開いて少女が顔を覗かせる。

 肩にかかるくらいの長さに切りそろえられた淡い桃色の髪を揺らし、ヘーゼルの瞳が嬉しそうに細められた。人好きのする笑顔に自然と此方の頬も緩むのを感じる。

 彼女はこの世界の元になっているゲームの主人公だ。


「やぁアリス嬢、こんな時間にどうしたんだい?」

「今まで先生のお手伝いをしてたんですけど、もしかしたらクリス様もお仕事されてるのかなって」


 にこにこと花が綻ぶような笑顔で生徒会室に入って来た彼女になんとも言えない気分になる。

 アリス嬢は、いい子だ。お節介ともとられかねないところもあるが、誰かに気遣われるというのは有り難いことだ。そういう気持ちを向けられるのは嬉しいとは思う。ただ惜しむべきは、私は彼女の純粋な気持ちを受け止められない立場ということだ。

 アリス嬢は何処にでもいる普通の、少しだけ夢見がちなお嬢さんだ。そして私に向けるその瞳にはいつも憧れが乗っている。

 おとぎ話に出てくる王子様を見るような、酷く純粋な感情。そういう立ち振る舞いをして来た自覚はある。そういうものを求められてきたのだから。


 きっと彼女の純粋さは大切に育てられてきたのだろう。

 お気に入りの本を何度も繰り返し読むように、大切に大切に、胸の内で育ててきたのだろう。いつか、私ではない誰かと、その気持ちを育てられる日がくればいいと願っている。


「何か、私にお役に立てることはありませんか?」

「ありがとう、でも大丈夫だよ」


 少しだけ残念そうに眉を寄せたアリス嬢に胸が痛む。

 憧れの混じったそれは私に向けられるべきではない。私自身もまだ上手くつかみ切れていないものだから、言葉にするのは難しいがそれでも。アリス嬢の感情を受け取ることは出来ない。


「そろそろ帰るといい、私はもう少しだけ残るから」

「お手伝いしますよ?」

「だめだよ」


 純粋な子を拒絶するのは心が痛い。だがこれは彼女のためであり、ひいては私のためでもある。

 曇らせたくない花がある。いらぬ種をまきたくないというのもだ。


 本格的に日が落ちてしまう前に帰宅を促し、手を振る彼女に応じる。

 扉が完全に閉まるのを見届けてから大きく息を吐き出した。こういうのは、やっぱり苦手だ。

 私自身の性格がいい恰好をしたいというのもあるのだろうが、拒絶というのはする方もされる方も精神的に疲れるんだ。上手く折り合いを付けられるのなら構わないが、そうでないならあとはずるずると気持ちが落ち込んでいくだけになる。


 ああ、ここで止まっていてはだめだというのに、この様では先が思いやられる。

 夢見る少女の恋心を否定した。この後近い未来に、永遠を謳う女の愛を否定しないといけない。もしその結果彼女が今までとは違う行動をとったとして、彼女の永遠が壊れたとして、ミランダが私を拒絶したとしても。私は彼女の未来を守りたい。

 それは義務でも責任でもない。ただ私が、彼女のことを愛しているからそうしたいと思ったんだ。それくらいは彼女の願いを否定する代わりとして受け取ってほしい。


 窓の外の夕日を見る。

 朱に溶けた空。その中心に一際赤い、けれど私の好きな物とは少し違う赤がある。


 ミランダはもう帰宅しただろうか。

 ここ数回の繰り返しの中で、思っていた以上に彼女の澄ました笑顔以外を見たことがなかったと気付かされた。そしてもっと見たいとも。

 いい加減変わらない毎日を終わりにしよう。その先にはきっと、今まで私が見たことのなかったミランダの表情があるはずだ。そして叶うのならもっとちゃんと、彼女に笑いかけて欲しいと。


 子供の落書きみたいに直情的な未来予想図を後生大事に胸の内に仕舞い込んで軋む椅子から立ち上がる。

 ペン立ての中に納まったペンの金属部分が夕日に反射してきらりと光る。片付けるために触れたペンは既に熱が引いていて、少しだけひんやりとした。書類等をデスクの中に仕舞い込み、少しだけ伸びをする。ずっと同じ体勢をしていたからか、体がなんとなく重い。

 帰ろう。多分、もうアリス嬢も校舎を出ただろう、鉢合わせることもないはずだ。


 何か忘れ物はないかと確認しながら部屋を出る時にもう一度だけ室内を振り返る。

 眩しいくらいの日差しに少しだけ目を細めた。暮れ行く世界はどこまでも赤く、その中で一際目を引く夕日はとても綺麗だった。


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