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赤く染まる

 息を吐く。ずっと座りっぱなしだったことによる中途半端な疲労と、あれやこれやと考えたせいの気疲れとで肩が重い。

 ああ、随分と長い間待たせてしまった。すっかり日も傾いて西日に照らされる廊下を心持ち早足で突き進む。目指しているのは生徒会室よりも一段階下にある空き教室。待っていなくていいと何度か話したのだが、結局そこで待っていると彼女に押し切られてしまった。

 後数メートル。その先の扉を挟んだ向こう側に彼女、ミランダが待っている。私との時間を作ろうとしてくれているもわかるし、いつかの彼女と同じ様に私を待っている間に三階の教室から眺める景色が好きだと言っていたのもきっと本心だろう。

 何度も夕焼けに染まる放課後の廊下を歩き、何度も決意して言い損ねた言葉を今日こそは話さなくては。


 半場強制的に指名された生徒会の仕事は、慣れていても疲れは出るし時間も取られる。余計なことを考えたくない時には有り難いがあまり時間のない今の私にとっては本音を言うとやりたくない仕事というやつである。

 けれどそれでも、半年後に迎える学園の卒業前までにはきちんとミランダと今後のことを話しておかなければいけない。何度だってタイミングはあった。だがまた繰り返してしまうんじゃないかと、つい臆病者の自分が顔を出してしまうのだ。


 そうして何度も先送りにして、何度も決意し直して、今ここにいる。自分で言うのも何だが、ミランダはこんなどうしようもない男のどこが良かったんだろうと思う。

 ゆっくりと、時間をかけて深呼吸しなおし、木製の、適度に使い込まれたさほど重たくもない扉をもったいぶって開ける。その先で、彼女は静かに本を読んでいた。

 夕日よりも赤い瞳がこちらに向けられ、柔らかく細められる。いつかと同じ空き教室。遠くに聞こえる静かな雑踏。まるで世界に二人だけになったかのような錯覚がする。


「待たせてすまないね」

「いえ、こうしているのもとても楽しいですから」


 彼女は、私に何を求めているのだろうか。

 かつての私は彼女のことを全く考えていなかった。円滑な国の運営のため、民の生活を守るため、自分たちはそのための歯車に過ぎないのだと、なんの話し合いもせずに彼女もきっとそう考えているだろうと決めつけた。

 綺麗で立派な言葉ばかりを並べ立てて、ミランダがこの政略結婚にどんな思いで挑んでいたのか聞きもしなかった。


「少し……話しがしたいんだが、時間は大丈夫かな?」


 彼女の肩が小さく跳ねた。見るからに強張った様子になんとも言えない気持ちになる。私にとってのトリガーが彼女の死なら、ミランダにとってのその予兆は私のこの言葉なのかもしれない。

 つい先ほど扉の反対側で繰り返したばかりの深呼吸を行う。緊張を解すためだけに意味もなく二、三歩足を動かして彼女の隣を通り過ぎてみる。教室の奥に広がる窓の外では世界が夕日に染まっていた。

 ゆっくりと振り返る。ミランダの様子を見ながら慎重に言葉を選ぶ。置物のように固まった彼女が私の言葉を待っている。


 正直な話まだどうすればいいのかは分かっていない。ただ漠然とこのままは良くないという感覚から動き出し大した成長もせずに今この場に挑んでいる。

 そんな私にも一つだけ決めたことがあった。何度も繰り返して、何度も目の前で失って、何度も悩んだ。その原因は全てミランダで、彼女の言葉も行動も何もかもが理解出来なくて。それでも彼女を嫌うことが出来なくて。

 ならばもう。嫌いになれないのなら、愛してしまおうと決めたんだ。


「私たちの今後について」


 自分の吐き出した息使いが妙に耳に残る。嫌いになれずいつまでも悶々と悩み続けるくらいなら、いっそのことミランダを愛してしまった方が私の精神的にも優しいのではないかと。我がことながら考えが飛躍しているなぁ。

 しょうがないじゃないか。私を見る彼女の赤バラの瞳を美しいと思ってしまったんだから。どれだけ繰り返しても、その感想だけは変わらなかった。もうずっと遠い記憶となったが、初めてミランダと出会ったあの赤バラのお茶会でもそう感じていたのだから。

 吐き出す息に音を乗せる。止まった時間を動かすように言葉を紡ぐ。


「学園を卒業したら、近いうちに私は君の家に婿入りすることになるだろう? その前にもう少しだけ君と話をしておきたいんだ」


 夕日に照らされたミランダの長い髪が普段とは違う赤みを帯びた輝きを放つ。伸びた

影の隙間で彼女が少し身動ぎした。


「君と、きちんと夫婦になるために」


 口から出してしまえばそれはただの言葉になる。けれどそれを放つためだけにこれほどまでに胆力がいるとは思わなかった。まだまだ話さなければいけないことの方が多いというのに。

 小さく息をのむ音がした。影が揺れる。この後のミランダがとるだろう行動が手に取るようにわかってしまいなんだか可笑しくなった。

 教室の奥側、窓の方向は私自身が塞いでいる。彼女が走り出すとしたら廊下の方だ。扉が閉まっているから多少のタイムラグは出来るだろうが今回は果たして。いつでも踏み込めるようにして手を伸ばす。


「ごめんなさい」


 弾かれたように彼女が走り出した。掴み損ねた手のひらを握り込み、床に敷き詰められた薄い木の板を力いっぱい蹴る。

 夕日に煌めく金色の髪と制服のスカートをはためかせ、およそその容姿からは想像できないくらい乱暴に扉を開け放ち廊下に飛び出した。さぁ、追いかけっこの始まりだ。


 謝りながら駆けだしたその横顔を忘れないように瞼の裏に焼き付けておく。夕日とは違う赤に染まった横顔をどれほど待ちわびたことか。

 反応的には悪い感じはしない。こちらの一挙一動に照れているのだろうというのはわかる。わかるのだが。なんだ、ごめんなさいって。

 謝られてところでこちらはもう止まれないし止まるつもりもない。君が始めたんだろう? 私も君に対する責任はとるから君も最後まで責任を持ってくれ。


 つんのめりそうになりながらこちらに靡く金糸の髪を追いかける。何度腕を伸ばしても届きそうで届かない。確かに運動はそこまで好きな方ではないが、私もそれなりに動けるはずなんだが……。

 いやそれにしても本当に足が早いな。健脚か? 好みのタイプだが今はやめてくれ。


「待って、ミランダ!」


 叫ぶように呼ぶが、彼女は振り返らない。

 都合のいい場所を見つけたのかミランダが窓に手を掛けた。ああクソ、結局こうなるのか。中途半端な大きさの空気の塊を無理矢理喉の奥に押し込んで思い切り廊下を蹴る。どうしてこういう時に限って堅い革靴や動きにくい制服なんだ。

 細く華奢な手が乱暴に窓を開け放ち、身軽な動作でスカートを翻して窓の外に消える。良く征服とかいう動きにくい衣装であそこまで動けるものだ。関心なんてしてやらないがな。

 もうすぐあの音がなってしまう。世界が巻き戻るあの音が。一瞬が、永遠のように長く感じる。落ちていく彼女が私を見上げた。その表情は驚いたような困惑したような。私もそうだが、君も大概言葉が足りていないぞ。次は絶対に逃がさないからな。


 窓から身を乗り出して伸ばした腕は、彼女の指に触れ、掴むことなく空を掻いた。


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