砂糖菓子にはまだ遠く
ミランダとの婚約が決まった。
今回は彼女が中座してしまったのでどうなるかと少し不安に思っていたが、いつも通りの内定に些か何かしらの陰謀的なものを感じてしまう。どんなことをしていても最終的に同じような結末を繰り返している辺りミランダの力技の方が影響力が強い気もするが。
とにかく。今回もいつもと同じ様に彼女が婚約者として選ばれ、私の婿入りする未来が決まったわけだ。もちろん予定は未定であって、未だかつてその未来に辿り着いたことがないのだが。
まぁそんなことはさておきだ。現状、ちょっとヤバイ。いや。そんなに切羽詰まっているというわけでもないのだが、若干ミランダから距離を取られている。精神的なものではなく、物理的にだ。
ただ婚約者という立場上一目や外聞を気にしてか表立って態度には出していないものの、私を前にすると少し構えているように伺える。
今だってそうだ。婚約者として内定してから何回目かの顔合わせ。にこにこと笑顔で話を合わせてくれてはいるが、ふとした拍子に私が口を開くと一瞬肩が跳ねる時がある。そんなにか。
それ以外は特に私の目から見ても不自然なく振舞っているのだから、根っからのご令嬢が染みついているというかなんというか。
少しでもリラックスできるようにと、王宮の方ではなく私が普段過ごしている離宮の方の庭園に招待したのだがあまり効果は見られていない。
あちらほど華やかではないがそれでも充分目を楽しませる花が咲いている。天気もいいからぜひ外でと思ったのだがな。
しかしそこまで警戒されると少しなんとも言えない気分になる。
婚約が決まって初めての顔合わせの時は明らかに窓の方をちらちら確認していたし。流石に二連続で同じことを繰り返すのはちょっと嫌なので踏み込んだことを発言するのはやめたのだが、いつまでもこのままというわけにもいかず。
何度目かの交流を経て、不仲ではないがお互いに探り探りという関係が続いている。
だから今日こそは、という気持ちも少しあるのだ。今回室内ではなく庭園にあるテラスで会っているも、前回の飛び降りを経験した結果の予防策でもあるし。
ただ彼女の中では整合性は取れていても、私からすると割と突拍子もない行動でループをしようとするので十分注意して話を進めていきたい。
どんな本を読んだとか、家庭教師から学んだこととか。当たり障りのない話から始め、出来る限り慎重に、彼女の趣味嗜好の話しへとシフトさせていく。
事前にパトリックから人と仲良くなるにはどうするのがいいか聞いてきたのもあるが、前回の顔合わせの時よりも話の食いつきがいい。人当たりのいいパトリックに聞いておいて良かった。今後も「相手の好きなものの話を聞く」という手法は活用していきたい。
昔から求められる姿を振舞うのは得意だったからな。自分のことをどうこうするのが苦手なだけで決められた道を進むのは楽だから好き。
それだけではいけないことはわかってはいるけど。
私のことは置いておこう。前回、前々回の繰り返しを思い出してみるとミランダが起こしたあのループは逃避行動のようにも思える。
では逃がさないためにはどうすればいいか。今は警戒されているが、やはり物理的に距離を詰めて対応できるようにしておくのが現実的なのだろうか。
どの繰り返しも目の前で行われているから、物理的に邪魔をして止めることは可能ではあるのだ。単純に私の瞬発力と体力が見合っていないだけで。……体力付けるか。
「すみません、なんだか私ばかり話してしまって」
「いや、ミランダの話は楽しいよ。すっかり聞き入ってしまった」
ああ、いけない。また自分の世界に入り込んでいたな。だが実際のところ本当にミランダの話は面白い。思考の違いというのか私では気にならないことにも興味を引かれるようで、知っているはずのことでも新たな発見がある。
確かに通っていた学園でも成績はかなりいい方だったな。もし彼女が貴族の女性でなければ、学者になる未来もあったかもしれない。
そんなことを話していたらふと視界の端に珍しい人の姿を捉えた。
兄上だ。本当に珍しい。あの人がここに足を運ぶなんて何かあったのだろうか。
「話し中すまない」
「どうかされましたか?」
「しばらくの間、国元を離れることになったから顔を見ておこうと思ってな」
そういえばこの時期いつも兄上は一年程国外に出ているんだったか。こうして顔を見せに来てくれることこそ少ないが気にかけてくれているのは十分伝わっている。今だって無理に都合をつけてくれたんだろう。
いくつか前の繰り返しでついうっかり未来の兄上の婚約者殿にこの人が私にひた隠しにしていることを教えられてしまった。恐らく私がそれを知っているのは兄上にとっては不本意であるはずなので胸の内にしまっておく。
詳しく聞いたことはないがこの短期留学であの人に会うのだろう。褐色で蠱惑的な婚約者、というと内なる栗栖祐一が何やらざわつき出しそうになるがぐっとこらえる。
正直久しぶりにあの男のことを思い出した。思えば栗栖祐一のことを振り返る時はいつも現実逃避気味だった気もする。逃避行動をとることが少なくなったと喜ぶべきか、もう一人の自分とも言うべき相手を偲べなくなったことを悲しむべきか。
「紹介しますね。彼女はミランダ」
兄上の視線が私を通り過ぎた。それに倣ってすぐ傍に控えてくれていた婚約者を紹介すれば彼女はお手本のようなカテーシーを披露してくれる。
その姿を見てつい、口を開いた。この心境は魔が差した、とでも言うのかもしれない。
「美しいでしょう? 私の婚約者なんです」
少しだけ自慢をさせてくれ。これからも頑張るから見ててくれ。貴方ように立派にはなれないかもしれないがそれでも。そんなことが頭の中に浮かんでは消えた。
我ながら随分と都合のいい思考回路をしている。この人が私のことを憎からず思ってくれていると知って以来、そんなことを考えても許されるのではという甘えが出してしまう。ただ可笑しなことになるのが恐ろしく実際に口に出したことはないけれど。
兄が小さく笑った。一瞬のことだったからもしかしたら私がそう思いたかっただけのかもしれないが。
この後も何かしら用事があるという兄を見送る。多分ずっとこういう関係でありたいと願っていたんだ。私自身が勝手に諦めていただけで、叶うなら、どこにでもある普通の兄弟関係でありたいと。
そういう意味では私の中で考えを改めるきっかけになったミランダには感謝しなくてはならないな。
分かれて振り返る
もうすぐ日が傾き始める。いくら暖かな季節とは言え、夕暮れを迎えると肌寒くもなるだろう。帰り支度を促すためにもミランダを顧みれば、いつかと同じ表情をした彼女がそこにいる。
兄という一目があったから走り出すのは耐えてくれたのか、頬を上気させたまま固まっていた。色々と思うところはあるのだが、多分追撃すると二の舞になるということだけはわかる。
「大丈夫かい? 体調が悪いなら迎えを用意するが」
小さく頷いたミランダの肩を支えつつ離れた所に控えていたメアリに声を掛ける。これで馬車は回してもらえるだろう。
後は、まぁ。このタイミングでまた巻き戻されることのないように刺激しない程度に残り僅かとなった会話を楽しむくらいだろうか。
まだ少し落ち着かないのか必死に取り繕おうとしている姿は、うん。欲目もあるだろうが愛らしいと思う。
まだ本質的には何も解決はしていない。それでもだ。以前の繰り返しよりはずっとマシな、口先だけじゃない関係を築ける気がするんだ。その為にはまだまだ知らないことも、伝えきれていないこともある。時間なんていくらあっても足りないももので。
あの赤バラの庭園よりもずっと控えめなテラスに注ぐ光は、もうすぐ傾き始める。叶うなら、地平の彼方に沈みゆく日の歩みが少しでも緩慢なものであるようにと願う。