赤バラのお茶会
「わたくし、ミランダ・ホーネットと申します」
柔らかな金色の髪と赤バラをそのまま映したように美しい瞳の、まだ幼さの残る少女が頬を赤らめながらそこにいる。
年のころは、五つか六つ。赤いバラが咲き誇る庭園で出会った彼女は間違いなく私の婚約者で。
いや、いやいやいや。待ってくれ。
今の今まで私は自室でミランダの残したそれこそ怪文書の様な日記を読んでいたはずだ。脳が理解を拒み思わず後回しにしようと閉じた手のひらサイズの日記は、いつの間にかどこかに行ってしまっている。
頭痛と一緒に色々わけのわからない知識も掘り返されたわけだが、これは一体どういうことだ。
「クリス様? お加減がすぐれないのですか? でしたら、ベンチの方に……」
「あ、ああ。いや、問題ないよ。ミランダ嬢」
ミランダの日記には『月日を繰り返す』という一文があったが、本当に『繰り返し』などというモノが存在し、よもやそれに巻き込まれてしまうとは。
彼女の日記に書かれていたことは本当だったということか。そんなことを考えている私自身の正気を疑う。
だってそうだろう。そんなありえないことを何度も繰り返したとあの日記には書いてあって、状況は違うが実は自分も似たような体験をしていたことを思い出すなんて。
「すまないが少し失礼するよ。ああ、ケーキなどもたくさんあるから君はぜひ楽しんでくれ」
まだ小さな少女であるミランダに断りを入れてその場を離れる。
あの純粋無垢そうなお嬢さんがいずれ国賊や悪女と呼ばれるようになるとは世の中わからないものである。
いや、茶会の日に戻るということならあのミランダは既に繰り返しているのか? 世は無常だな。
とりあえず状況を整理しよう。あまり受け入れがたいがミランダは『繰り返し』、所謂ループというやつをしていて私はそれに巻き込まれたらしい。
尚且つ、その弊害かはわからないが私がかつて栗栖祐一という人物で駅のホームから押し出されて電車に跳ねられたという所謂前世の記憶とやらを思い出してしまった。
そしてこれが一番理解に苦しむのだが今の私、クリス・リードは女性向け恋愛シミュレーションRPGに出てくる攻略対象であるということ。
本当に意味がわからない。ミランダの怪文書だけでも頭が痛いのに実は一度死んでゲームの世界に生き返っていましたなどと言われて、はいそうですかとなるわけがない。
というかだ。そもそもなんだ、女性向けって。栗栖祐一は男の筈だろう、せめて男性向けじゃないのか。
ショップ店員の巨乳のお姉さんが好みだったから始めたとかある意味健全かもしれないが、品行方正であれと育てられてきた私の前世がそんなのだったとか些か受け入れがたいものがあるぞ。
思い返すほどげんなりとするが現状を理解しないことには『繰り返し』やいずれ行われるミランダの凶行をどうこうすることもできない。
この世界の元のゲーム、『恋する乙女の花の色は』はよくあるスマホゲームだった。諸々の事情で九ヵ月ほどでサービス終了したが、ショップ店員のお姉さんがタイプでよく意味もなく胸部をタップし続けた覚えが……これは忘れよう。
他に何か思い出せることがないかと考えたが、ミランダが出てくる時のbgmは重厚で良かった気がするぐらいで後は女性の胸部しか覚えがない。ダメだあの男。
栗栖祐一は邪悪ではなかったが本能に忠実すぎる。奴の脳内フォルダにはミランダの胸部もあった。
確かに成長した彼女の胸部は豊満な方だとは思うし私も男なので多少理解はあるが、だからと言って自分の婚約者をそういう目で見られるのはいくら自分の前世と言え気分が良くない。
ああ、本当に頭が痛い。
ミランダの日記も大概だったが、自分の前世の奔放さに眩暈がする。些か女性の胸部への執着が強すぎないか? 他にも魅力的な部分があるだろう!
……少し落ち着こう。
色めき立つ少女たちを交わしてお茶会会場となっている庭を少し外れる。奥まったところまで行けばしばらくの間は休めるだろう。
悲しいかな前世の記憶に現状を打破できるような情報が掘り起こせそうにない。そういえば栗栖祐一はメインのストーリーは全部スキップ機能を使用していた。本っ当に、胸部にしか興味がなかったんだな、あの男。
一先ず思い出せる範囲で現状を紐解ける記憶はなさそうだ。むしろ繰り返す前の記憶の方が情報量多い気さえする。
このお茶会で初めてミランダと出会い、家の格も釣り合っていた上、両家共に乗り気であったから彼女が婚約者に選ばれた。無論父上がお決めになったのだから私はそれに従ったし、政略結婚であっても可能な限り良きパートナーとなりたかったんだがなぁ……。
ミランダの日記を読んだ限りこの国に不満があるようではなかった。実際あの日記に書かれていた者たちを吊り上げれば兄上の治政は安定する。まるで後に日記を手にするだろう私に使えと言っているかのように事細かに記されていた。
彼女は賢い女性だ。怪文書の様な日記に詳細に書きこまれた趣味嗜好には理解は出来ないが、本当に国を貶めるつもりなら証拠を残すようなことはしない。
殺されることに喜びを見出すことも、そう綴ったインクの乾かぬうちに愛をしたためる心理も私には些か理解が難しいが、きっとあの日記に書かれていたことはどれも彼女にとっての真実なのだろう。
私の記憶にあるミランダという女性は、いつも凛とした真っ直ぐな人だった。それが作られた姿であったとしても。
「あの、クリス様」
目頭を押さえ頭痛に耐えていると少女らしい高いソプラノが聞こえてきた。
いずれ美しく、そして私の記憶の中では国賊と呼ばれるまでに成長する幼き日の婚約者がそこにいる。
「どうしたのかな? ミランダ嬢」
「お水をいただいてまいりましたの。これできっと、お加減も良くなるかと」
どうしてこれがああなるんだろうなぁ。