バラは美しく香る
え、何。どういうこと?
走り去っていくミランダの後ろ姿に一瞬ドキリと心臓が跳ねたが、ドレスの色や周りの景色の違いを確認して安心する。いや、安心はしていいことではないんだが。
どうやらまた、あの茶会に巻き戻ってきたようだ。周囲には爽やかな風と赤いバラが美しく咲き誇っている。記憶の中と変わらない、いつもの始まりの風景だ。
見目麗しいバラと子供向けに少し背の低いテーブルと椅子が庭園に並べられている。テーブルの上には子供の好みそうな色取り取りのフルーツを使ったケーキたち。ふわりとしたドレスを身に纏う少女たちが代わる代わる挨拶に来る。
ああ、そうだ。一つだけいつもと違うところがある。
ミランダだ、彼女がいない。本来であれば、いつもの変わらない笑顔を携えてやってくるはずの幼い彼女はそそくさと庭園を去ってしまった。それ以外はいつもと変わらないのだが、私としては非常に大きな問題だ。
いや、だってそうだろう。前々回いざ話をしてやっとミランダの求めていることの一端が分かったと思ったらループ。続けざまに婚約が決まった直後に問いかけてそのままループしたんだぞ。これはもう異変に気が付いていると思っていいかもしれない。
というか、さっきのあれ何? もしかして私逃げられた? ミランダに? マジで言ってる? え、嘘だろ? 相手はあのミランダだぞ?
マジでどういうことだよ。愛を囁かれて、受け入れようとしたら二連続で投身だぜ?どうしろって言うんだ。
大きく息を吐き出せば隣にいた小さなレディが不思議そうに私を見た。ああ、失礼。見苦しいところを見せてしまったね。にこりと微笑みかければ花が開いたような笑顔が返される。幼女趣味はないが、小さな子はかわいらしいと思う。あくまで保護対象としてだが。
周りには挨拶をするために回って来る幼い令嬢たち。このお茶会は私の婚約者候補を集めている。と言ってもおおよそ決まっており相性を見るためのものでしかない。
だから今回もほぼミランダが婚約者になるだろうと睨んでいるのだが、え? 挨拶もそこそこに走り去られたんだけど、どうすればいいの。
なんとかしようと思って行動を起こしたらこれだよ。所謂これがお触り禁止というやつなのか。
冗談はさておき、連続で逃げられている現状は少しまずい気がしてならない。向こうは明らかに違和感を感じている。その上で守りに入られたら私には多分どうにもできない。ならどうすればいいのか。
どうもこうもないよなぁ。結局出来ることも少ないわけで。その中であの手を何とか掴まないといけない。ふわりと舞ったドレスとレース。そこから伸びる白い腕を何度も掴み損ねて、何度も金糸の髪が散らばった。
そういうことをまた経験したというのに、正直どういうわけか今回はループした後に感じる落胆が少ない。
むしろ、あれは行けるのではないかなどという不埒な考えが頭の中を渦巻いている。いや、確かに結果としてはループしてしまっているのだがあの反応は何とかなるのではと。
何故そんな考えに至ったのか。そんなこと決まっている。全部彼女が原因だ。
走り去ったミランダの姿を思い出す。いつもとは違いどことなく気もそぞろで、曇るという程ではないが笑顔もぎこちなかった。赤バラをそのまま映したような赤い双眸もこちらを伺うように見ていた。
その前の背中を思い出す。じわじわと紅葉する頬と驚いたように目を見開き固まっていた。切羽詰まった息遣いと、動揺を隠しきれないような表情。次いで弾かれたように立ち上がり駆けだしたまだ幼い横顔。
さらにその前の笑顔は少し苦しそうだった。いつものそつない微笑とは違い何かに耐えかねたような、胸を締め付けられるような「愛している」だった。あの時のミランダの表情と言ったら。
相変わらず美しい花々は庭園に咲いている。けれどそこに私の目を喜ばせる花は咲いていない。
ゆっくり息を吐く。今度は近くに居たご令嬢を驚かせるようなことはなかった。挨拶に来る少女たちも一先ず区切りがつき、辺りを見渡せば思い思いにこの茶会を楽しんでいる姿がある。でもそこに、彼女はいない。
ループを抜け出すだけなら、彼女の凶行から逃れるだけなら。今の状況は好都合なのだろう。でも、私にとってはそれだけではだめなんだ。
何度繰り返しても、何度目の前で崩れ落ちても。結局は嫌いになれなかった。今までずっとかくあるべきと決め込んで、あれやこれやと余計なことばかり考えて、肝心のミランダのことを何にも考えていなかった。
多分、そうだ。彼女は美しい。婚約者である贔屓目ももちろん入っているだろうが可愛いらしい女性であるとは思っている。そして私は、彼女に惚れている。多分。
ああそうだよ、そうだったよ! 私は最初から彼女に惚れていた! だが結局はこの婚約は家の都合だ。彼女の意思で選んだわけじゃない。国内の権力バランスを取るために大人たちの思惑で、都合の良かった彼女があてがわれただけだ。
だから私もそのように振舞った。元々向上心もなかったし権力にも興味がなかった。父上や兄上の治める国が安泰になるならそれでいいと、いらぬ争いの元になるのなら除籍でも都合のいい家に臣籍降下するのもいいと思っていた。
政略結婚とは家同士の取り決めであって、市井の者たちの様な愛を育む物ではない。だから婚約者も最低限険悪にならない程度の関係であればいいと。そういうものだと思っていた。
けれど、彼女を美しいと思ってしまった。
最初からミランダを嫌うことなど土台無理な話だったのだ。彼女の美しさが私のせいで曇るのが嫌で、向き合うことを拒否していた。そうあるべきと決め込んで耳をふさいでいたのは、見ないふりをしていたのは私の方だ。
ゆっくりと息を吸う。やめだやめ。もう少し話をするべきだとアンに言われたし、考えすぎだと兄上にも言われた。だめな所はもうすでに指摘された。その上で私が行動できるかどうかだ。
幸いと言っていいのかわからないが繰り返しは継続中だ。後は何度も取り損ねた手を掴むまで、この繰り返しを利用し返してやればいい。
暖かな日差しと爽やかな風。庭園には赤バラが美しく咲き誇っている。
いつかその花を手折る時まで。幾度その刺に傷つけられようとも。やってやろうじゃないか。