良く晴れた空の下
「少し、話をしないか?」
咄嗟に出た言葉に少しだけ後悔する。いや、話しかけたことにではない。話しかける前に話す内容を考えておかなかったことに、だ。
何か話したいことがあったわけではなく、だからと言って彼女を見つけたから声を掛けたという理由でもない。もっと自分勝手な、彼女との時間を増やせば何かしらと助かる方法が増えるのでは、という自己保身を優先したものだ。
あまり褒められた行動理由ではないというのはわかっている。それでも現状をどうにかしたくての行動なのだから多少は目を瞑ってもらえないだろうか。
「いや、話と言っても大したことじゃないだが」
「ええ、かまいませんよ」
どうだろう? と伺えばミランダはおかしそうに笑って頷いた。
燦々と輝く太陽の下に彼女を連れ出し、先ほどまで友人たちと屯していたベンチへと向かう。気を利かしてくれたのかはわからないが二人の姿は見当たらない。悪いが暫しの間、この中庭は二人で占領させてもらおう。
ぽつりぽつりと、内容のない話をする。互いの受けている授業内容とか、友人たちとの会話といった取り留めのない話だ。
彼女とは今回も曖昧な関係を続けている。婚約者という間柄ではあるものの、いつかのように甘い言葉を囁き合う関係にもなれず、かと言って前回のように離れることも出来ず。何にもなれない関係を変えるにはどうすればいいのだろうか。
ミランダは何を望んでいるんだろうか。私は、どうなりたいのだろうか。
何度も何度もループを続けたということは彼女はこの繰り返しを止めたくないのかもしれない。けれどこのままは、良くないと思う。
ではこの状況をどうすれば変えられるか。何故ループが起こっているのかは今のところ原因がわからないから置いておこう。だが、今まで何度も失敗してきた私でもループの起点となるミランダの自死を止めることくらいは出来ないだろうか。
というか、止めるべきなのだ。私の精神衛生上にも良くないし、何度もそういうことを繰り返すなどミランダにとっても良くないに決まっている。
ではその為に何をすればいいのか、何を話せばいいのか。……わからない。だが、わからないなら最初から聞いてしまえばいい。
「君は今後どうしたい?」
私は、この繰り返しを終わらせた方がいいと思っている。例えそれをミランダが望まずとも、このまま不毛な繰り返しを続けるよりも他にいい道が見つけられるかもしれない。
レノックスにはもう少し踏み込めと言われた。アンには話をする様にと言われた。兄上には真面目に考えすぎるのだと。
伝えるべきことを伝えず、一人で考えるから答えが出ないのだというのなら、答えを聞くくらいしか先に進む方法がない。
「どう、と言いますと?」
「このまま婚約者として婚姻を結ぶのか、何か別になりたいものがあるのか」
婚姻を結び平穏な家庭を求めるのか、目標を持ちそこに向かいたいのか。それだけでもわかれば解決の糸口になるのではないか。ミランダがどちらを選んだとて協力は惜しまないし力になりたいとは思っている。
正直に言えばループに付いて、私が記憶を保持していることを彼女に伝える勇気はまだない。完全な棚上げであるとはわかっているが、この状況を何とかしたいと思っていることだけは本心だ。
彼女は何も応えない。予想外の問いかけに戸惑っているのか、答えあぐねているのか。だが答えがわかれば、彼女の望みがわかればきっと事態は好転する。だって私は結局ミランダを嫌いにはなれないのだから。
そうだ。私はミランダを嫌いにはなれなかった。目の前で自死を繰り返されても、築き上げたものを台無しにされても。思うところはあるなどと言いながら結局彼女を嫌いになるつもりもなかったのだ。
最初からそうだった。いい所探しと言われればそれまでだが、私が彼女のいい所しか見たくなかったのだから仕方ないだろう。
「君の、望むことを教えてくれないか? ミランダ」
彼女のことは嫌いではない。むしろ、多分好ましいと感じている。だからこそ、もう繰り返すのはやめにして欲しい。
「私の、望むこと……」
「ああ。一緒にこれからのことを考えていきたいんだ」
少し眩しいくらいの日差しは時折吹く風に揺れる木の葉にさえぎられる。木漏れ日とはよく言ったもので木々の隙間から零れ落ちた光がミランダの金糸の髪の上できらきらと輝いた。
穏やかな昼下がり。次の授業へ向かう生徒たちの喧騒もどこか遠くに聞こえる。ああ、そろそろ授業時間か。
彼女の答えを聞きたい反面、藪蛇となりそうで怖い気もする。教室まで送ると伝え立ち上がれば彼女が、視線を落としながら何かを呟いた。
「……無理ですわ」
「それはどうして?」
「だって私が望んでいるのは永遠の停滞ですもの」
彼女が立ち上がった。声を掛ける間もなく走り出したミランダに呆気にとられる。
あれはきっとループに関係することだろう。私の事情を知らないまま話してくれるというのなら聞かない手はない。渡り廊下の方へ駆けて行くミランダの背中を追うべく、手入れの行き届いた背の低い芝の上を踏み込んだ。
停滞とは。滞り、捗らないこと。この繰り返しを永遠に彼女の言う停滞なのだろう。ぬるま湯の日常を続けるだけなら、わざわざ繰り返さなくてもいいはずだ。誰だって変化は怖いさ。私だってこの後彼女から聞き出す言葉で世界が変わるというんだから怖い。
彼女を追いかけながら考える。でもこのままは繰り返すのは彼女のためにも良くないと思うから。何より、私が好ましいと思っている女性が目の前で自死を選び続けるという世界が嫌だから。
「ミランダ」
ふと、彼女が足を止める。上がる息を整えつつ名前を呼んだ。
どうなることかと思った追いかけっこは渡り廊下を抜け本館へと続く大階段の前で終わった。止まってくれてよかった。
そこまで運動が得意ではないとは言え健全な男子学生が息が切れる程度のスピードの追いかけっこだったと言えばどのようなものか理解いただけるだろう。というかミランダが走るのが得意なんて初めて知ったぞ。
「愛しています。クリス様」
階段の前で彼女は笑う。その言葉を聞いた時、とてつもなく嫌な予感がした。
彼女の体が後方へと傾く。その先は階段だ。いつかの光景と重ねって見える。この手はきっと届かない。息が詰まるのを覚悟しながら必死になって腕を伸ばす。どうやらこの選択は彼女の希望には添わなかったらしい。
ほんの少しだけ触れた指先もむなしく、彼女の体は学園で一番勾配のある大階段の下へと吸い寄せられるように落ちていく。視界の端に僅かに映った生徒たちから悲鳴のようなものが上がるのが聞こえた。
愛しているというのならもう少しぐらい私の言葉に耳を傾けてくれ。きっと彼女の中でのみ完結する愛は、もう百に近い数ほど繰り返したあのバラの庭園へと帰っていくのだろう。そして私もまた。
バツリと、世界が巻き戻る音がした。