遥か遠くに来たけれど
あれから随分と経ってしまった。
悲しいことにあの茶会の日へと巻き戻され、あれよあれよという間にミランダとの婚約が決定し、せめてなにか行動をともがいた結果留学に出ることになってしまった。
特に目的があったわけでもなく、もっと見分を広げたいという漠然とした私の要望が通ってしまった。国と通う先の学園は指定されたが、どういうわけか私は呆気なく国外に放り出され自由を手に入れてしまったのである。いや、どうしようこれ。
きっかけという程ではないがこのループに至る前に兄上と話したことが引っ掛かっており、兄上の婚約者殿の住まうアフダル王国に付いて話を伺ったのがことの始まりだったと思う。
異国の姫であるジャンナ姫と兄上は仲睦まじく、まぁ、例の女性向けシミュレーションゲームの攻略対象とそのルートで出てくるライバルであると言えば美醜の程は理解してもらえると思う。
兄上たちのルートは確かリリース後しばらく経ってから追加された。シナリオは例に洩れず全スキップだったので覚えていないが、栗栖祐一の脳内フォルダにショップ店員のお姉さんに次いで多く収められていると言えばジャンナ姫の容姿に付いても察してくれ。
褐色で蠱惑的。異国情緒あふれる瑞々しい肌にメリハリのある豊満なスタイル。胸派ではないが良い物をお持ちでと言いたくなる。健康的でとても良い。
話が反れたな。何が言いたかったかというと、私の留学先として指定されたのが兄上の婚約者殿のいるアフダル王国なのだ。
雨季が少なく僅かな緑と砂に包まれた国は交易と人材派遣で成り立っている。簡単に行ってしまえば移り住むにはそれなりに厳しい環境なのだ、ジャンナ姫が後ろ盾になってくれるとは言え。
だから本当は、私の後ろに控えてくれている気心の知れたこのメイドにも本国に残って、可能なら家庭を持つなり別の道を見つけるなりしてほしかったんだが世の中そう私の思う通りには行ってくれないらしい。
「私としては君にも幸せになってほしかったんだがな、メアリ」
「貴方に仕えるのが私の幸せですから」
幼い頃から傍に仕えてくれたメアリは贔屓目もあるがとても優秀だ。だが、私に使えていたせいで些か婚期を逃してしまっているきらいがある。
もう一人のメイドのアンと共に、本国を出る前に「手当も出すから、良い人がいたら家庭に入りなさいよ」と言ったのだが。こんなところにまで付いて来てしまうなんて、もう少し自分自身のことも考えてやりなさいよ。
というかアンの方が手当の件を聞いた二週間後に「相手引っかけてきたので結婚式出てください」と言ってきたのにはつい笑ってしまった。アイツは本当に勢いで生きてる。その向こう見ずさは見ていて気持ちがいい。
こうしている間もメアリは幼いころから変わらない澄ました横顔をしている。目元がきつく見えることを本人は気にしているようだが、それはそれで凛としていて美しい。
砂とスパイスと他にも何か色々な物が混ざった匂いがするこの国に付いたのはつい数日前だったりする。先に送っておいた荷物がすでに解かれた学生寮は恐らく本国にあるどの学園の寮よりも良い造りをしているのだろう。
というのもアフダルにある高等教育機関は多くの留学生を受け入れている。人が集まるからこその見栄もあるだろうが、事実人の流通で収入を得ている国なので異人種間の交流が生まれる所には国を挙げて力を入れているということだろうか。
まぁともあれ、これから通う学園と、今回のことで世話になった二つ上の先輩になるジャンナ姫への挨拶も済んでしまった。要するに手持無沙汰というやつである。
■
「ようこそ我が国へ。歓迎いたしますわ、クリス様」
「お久しぶりです、ジャンナ姫。歓迎していただきありがとうございます」
「そうかしこまらないでくださいまし。わたくしがあの人の弟君を歓待するのは当然のことですわ」
そう言って笑った兄上の婚約者殿はとても楽しそうだった。アフダルの王家は兄弟が多いことでも有名だが、彼女は殊更年下の兄弟に構うのが好きらしい。
その上で今回は婚約者の弟が自分の国に留学に来るというのを随分と楽しみにしてくれていたそうだ。ありがたい限りである。
「あの方からは色んな機会を与えて欲しいと伺っておりますわ」
「兄上がそんなことを?」
「ええ。お兄さんぶった子供みたいな顔して話に来ましたのよ?」
未来の姉君は心底可笑しそうにクスクスと笑っている。私としては兄上がそんなに自分のことを気にするのか、というのが疑問である。いや、元よりお優しく聡明な方なのできっと私のわがままを気にかけてくださったのだろう。
はっきり言って私と兄上は普段ほとんど話さない。幼い頃はその限りではなかったが、そもそも住んでいた場所ですら王城と離宮で違ったし、お忙しい方だから物理的に距離と時間の壁がある。
今回のことだって偶然兄上とお話する機会が得られたから繋がった留学なのだ。たまたま父上に呼ばれ登城した際に兄上に会い、近況を問われたのでもっと様々なことを見聞きしたい旨を話した結果今がある。
兄上がその話を父上に通してくださり、私を外に出したい王妃殿下が後押ししてくださった。まぁ、願ったり叶ったりだな。
「あら、その様子ですともしかしてあの方ご家族にもかっこつけてますの?」
よく笑うお姫様だ。大人っぽい容姿に反してころころと表情の変わる様子は実に可愛らしい。
兄上はとても落ち着いた人だからジャンナ姫のこういうところに惹かれているのかもしれない。未来の兄夫婦が仲睦まじいのは良いことだ。
「かっこつけて、ですか……?」
「ええ。あの方喋るとボロが出るからクールなキャラで行くなんて言って無口を気取ってますのよ? もうわたくし面白くって面白くて」
兄上への憧れが崩れた気がするのだがそんなこと知ったことではないとばかりにジャンナ姫は、私の知らない兄上のあれやこれやを教えてくれた。本当に仲がよろしいようで。
ただ珍味のサソリ料理を食べて腹を下した話や、伝統舞踊の女性の際どい衣装に釘付けだった話などは聞きたくなかった。いや、これをお互いに許しているのだから当人共に懐や愛情が深いと受け取ればいいのだろうか。
■
と、まぁそんなことをジャンナ姫と和やかに話したのがつい数日前である。
やることがない。メアリの入れてくれた紅茶に手を付けつつ、週明けから通う学園の教材を開いてみたが今一集中しれない。
そのままぼんやりと活字を眺める作業を続けていると、何やら楽しそうな声がする。ああ、そうだ。確か続々とやってくる生徒に向けて露店が寮の近くまで広がっているんだったか。今日は天気もいいからさぞ賑わっていることだろう。
「賑やかだな」
「露店ですね。様々な国の特産品を取り扱っているそうですよ」
なるほど、それは面白そうだ。昨日市場の方も覗いてみたが見たこともない物や、本国では見られない骨董などが並んでいた。どうやらメアリも珍しい物好きだったらしく心なしか楽しそうにしており、早くもこの国のことが気に入ったらしい。
私も非常に興味深かったし、足を運んでみようか。メアリが何か気に入った物があれば買ってやるのもいいだろう。
昨日見に行った時は洋裁が出来るからか装飾品よりは民族織物の方に惹かれているようだったが、果たして彼女のお眼鏡に適うものはあるだろうか。
「一緒に見に行くか?」
「よろしいのですか?」
いつもより少しだけ嬉しそうな声色にこっちまで楽しくなってくる。相変わらず澄ました顔をしているが心なしうきうきしているのが見て取れる。
悪くないな、と。正直本国にいた頃とも、前回前々回の繰り返しとも違う展開に胸が躍る。ミランダとの関係は相変わらずなんとも言えないがこちらの学園に通っている間暗いは先延ばしにしてしまってもいいだろう。
期待はある。留学の件が通った時点で彼女との婚約も一旦保留となっているのだ。上手くいけばループから抜け出すきっかけになるかもしれない。そして物理的な距離を置いてしまえばミランダ自身も冷静になってくれるんじゃなかろうか。
そんなことを考えながら手にしていた教材を閉じる。寮に備え付けられているソファーから立ち上げればメアリが手早く出かける用意をしてくれてた。
窓の外からは賑やかな声と眩しいほどの太陽の光が入り込んでくる。深く息を吸い込めばあの、砂とスパイスと他にも何か色々な物が混ざった匂いがした。