女王蜂は希う
幼い頃から綺麗な物が好きだった。皆が私に笑いかけてくれて、いつだって世界はきらきらしていた。
あの日もそう。暖かな日差しと柔らかいバラの香り。さわやかな風に揺れる美しい赤金色の御髪。男の子に向かってそう言うのは可笑しなことかもしれないけれど、とても綺麗だと思ったの。
一目で心を奪われた。この人とずっと一緒にいられたらなんて素敵なんだろうって、もっと世界が美しくなるんじゃないかって思ったの。
あの頃の私はとても夢見がちで、なんだって出来る気がしていた。クリス様のお心が遠い所にあっても、いつかは私のことを見てくださると。綺麗で優しい日々がずっと続いていくのだと。
でも実際にはそんなことはなくて、どれほど追いすがってもあの人が私を見ることはなく。クリス様の心に住むあの子をずっと羨んでいた。
ああ、ダメね。あの人が愛してくれなくても構わないと決めたのに。どんな風に思われても、私にしか向けられないクリス様が見られるならそれでいいと。
きっとこれも前回の繰り返しが一番初めの時とよく似ていたからね。クリス様のお心が遠のいて、あの子が傍で笑っていた。それだけでどうしようもないほど苦しくなった。嫌われてもいい、憎まれてもいい。でも、他の誰かの傍で笑う姿は見たくなかった。
ゆっくりと深呼吸して目を開ける。
暖かな日差しと柔らかいバラの香り。目の前に広がる色とりどりのフルーツやケーキたち。その向こうに私の愛しい人がいる。
何度も繰り返した光景。初めは戸惑いもしたけれど、同時にもう一度クリス様に会えることが嬉しくもあった。
何度も繰り返して色んなクリス様を見てきた。その度にあの人への思い出胸がいっぱいになる。好きです。愛しています。愛さなくていいので、その視線を私にください。私を見てください。
私と同じ年の頃の貴族の少女たちに囲まれているクリス様を見つめる。今回はどんなお顔を見せてくださるのかしら。時間の許す限り、この繰り返しが続く限り、何度でも私は。
今日の為に用意された見目美しいお菓子たちを他所に座っていた椅子から立ち上がる。ふわふわしたドレスの裾を揺らせば、きらきらした世界の住人に仲間入り。
今回の繰り返しがどんなものになろうと、この時だけは綺麗なまま。素敵なことに溢れた世界を生きていられる。
「わたくし、ミランダ・ホーネットと申します」
恋をしました。美しい赤金色の御髪に、優し気な碧の瞳に。
愛しています。嫌悪に染まる双眸も、困惑に満ちた表情も。
何度も繰り返して、何度も貴方を愛して、何度も貴方の前で死んで。何度も何度も何度も。貴方と一緒になることはなかった。どんなに繰り返しても愛されないなんて、これはもう運命の様なものでしょう?
わかっていました。知っていました。けれど。クリス様が初めて私を見る時と、私が死ぬ姿をクリス様が見る時だけは幸せだったの。
「ケーキなどもたくさんあるからぜひ楽しんでくれ」
まだ幼いせいか少し舌足らずだけれど、王子様の見本みたいな、きっと他の子にもしているような完璧で綺麗な笑顔のまま貴方は言葉を紡ぐ。
私に言っているはずなのに、私に向けられていないような空々しい言葉を聞くたびにどうしようもなく苦しくて、どうしようもなく愛おしく感じる。
きっと、きっと。今回も私が貴方の心に触れることはない。貴方はただ、優しいだけ。私のことなんて愛してはいない。けれど私はクリス様を愛している。愛しているから、繰り返す。
この繰り返しの果てに何があるかなんてわからない。意味なんてないのかもしれない。でも本当は何もいらないの。貴方の傍にいられるなら。貴方が見ていてくれるなら。
笑顔を崩すことなく去っていくクリス様を見送る。一度でもあの人が振り返ってくれたらなんて、都合のいい夢は見ないことにした。叶わない願いを抱え続けるなんて虚しいだけだもの。
小さく息を吸って、吐き出す。大丈夫。私はまだ綺麗なまま、きらきらした世界にいる。優しい世界の住人で、なんだって出来る。フリルのあしらわれたドレスの裾を揺らす。下がりかけていた口角をもう少しだけ上げる。
どうせなら楽しまなくちゃ。だって今の私はどこにでもいる夢見がちな貴族の娘で、まるで自分が世界の中心にいるような心地なんだもの。そして何より、私はクリス様を愛している。それだけで十分じゃない。
ああ、どうかこの繰り返しが末永く続きますように。交わらない運命が永遠でありますように。
不毛だなんて笑わないでくださいな。夢見がちな娘が運命を信じて追いすがるなんて、どこにでもある話しでしょう? それもきらきらした王子様だなんて、恋も知らない娘の初恋には本当によくある話。
めかし込んだ少女たちと色とりどりのケーキたちの脇をすり抜け少しだけ奥まった赤バラの生垣の隅へと向かう。少しだけ顔色を悪くしたあの人がいた。
幼い頃のクリス様は難しいお立場ということもあって良く体調を崩されていた。きっと今日も心労が祟ってということだろう。警備をしていた騎士に声を掛けて置き、水の入ったグラスをあの人の所まで運ぶ。
暖かな日差しと柔らかいバラの香り。さわやかな風に揺れる美しい赤金色の御髪。
そう。私の運命はいつもここから始まる。