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ままならないものだ


 詰まりそうになる息を出来る限りゆっくりと吐き出す。

 あれから私が呆けている間にミランダは医者の元へ運ばれ、私自身も馬車に押し込まれていつの間にか自室へと連れ戻されてしまった。何かしら問いただされた気がするが正直あまり覚えていない。

 どういうわけかもたらされたインターバルに何とか混乱した頭を落ち着かせようと画策する。いっそのこと早く巻き戻ってくれと思うものの、また同じようなことを繰り返すのかという諦観もある。

 まだ胸の内がざわざわする。慣れたいとは思わないが、こういうのは心臓に悪いからやめて欲しい。


 閉め切った自室はいつぞやに引き籠った時と同様に重苦しい空気に満ちている。無論。実際にはそんなこともなく、ただ私が勝手に苦しくなっているだけなんだろうが。

 ただ呼吸をしているだけにも関わらず腹の底に何か重い物がずっしりと居座っている。


 良くないとはわかりつつもミランダに対する疑問や困惑が色を変えつつあるのを感じた。そもそも何故、私が彼女のループに巻き込まれなくてはならなかったのか。

 少なくとも、先の九十数回は何も知らずに過ごしていたのだ。繰り返していると知らなければ、もう少しだけ心穏やかに過ごすことが出来たのではないか。彼女が繰り返さなければこんな不毛なことを考えなくても良かったのではないか。

 彼女を拒絶出来たら、ずっと楽なんだろうな。ただ、そうして捨て置いてしまうには彼女との時間は長すぎた。もう少しで百に届くほど繰り返しの中で彼女の心に淀みが出来てしまったのだろう。今の私と同じように。


 このままなんとも形容しがたい感情を抱えた日々が続いていくのなら、ミランダに対するほの暗い感情の名前を見つけることが出来るだろう。だが、そうはならない予感がある。

 多分、もうすぐだ。もうすぐあの音がする。そしてまた、あの日に巻き戻る。そんな確信めいたものがあった。


 何がきっかけでミランダを中心としたループが巻き起こっているのかはわからない。案外彼女も原理なんてわかっていないのかもしれない。それでも抜け出すことなくループをし続けるのは彼女がこの繰り返しを良しとしているからで。

 ミランダは私に強い感情を持っている。それが別の物であったならこんなことにはならなかったこんなことにはならなかったかもしれない。だが、彼女の中にあったそれは愛情だった。

 例えそうと取れない程に変色してしまっていても、彼女が愛しているというのならそれは紛れもなく愛情なのだろう。それを私が受け取れるかは別としてだ。

 親愛の感情はあった。けれど愛情は抱いていなかった。きっとこれが私と彼女の決定的な差異なのだろう。

 不意にノックの音が響く。訪れる者なんて限られている。けれどこの陰鬱な私の部屋に押し入って来たのは気心の知れた使用人たちではなかった。


「窓ぐらい開けたらどうだ?」


 俺とは違う髪色の、俺よりもずっと優秀な、よく似た顔の作りの人がそこにいる。


「兄上……」

「ミランダ嬢のことは聞いた。事故、だそうだな」


 ええ、そうですよ。私とミランダが故意に起こした事故です。今頃父上を始めとするお偉方で話し合いをしている頃だろう。難しい話を何時間も繰り返して、世間的にも事故として処理する為に。彼女の両親たちに納得してもらうための言い訳を捏ね回しているんだ。

 このまま時間が進むなら廃嫡なりなんなり、追って沙汰を言い渡されるのだろうが悲しいことにその未来を歩めそうにない。まぁ、罰があれば、彼女を嫌いになれれば、一瞬にして心が晴れるのかと問われればそうではないのだが。

 浅く息を吐く。肺の中の濁った空気と共にこのえも言えぬ感情も吐き出してしまえればいいのに。


「どうすればよかったのでしょうか」

「事故後の対応か? それともそれ以前の彼女に対して?」

「どちらも、です」


 ゆっくりとした足取りで兄上が私の隣に腰を下ろした。この人をフリッツ兄さんと名前で呼べたのは本当に短い期間だけだった。ミランダと出会う頃にはもう色々と聞きたくないものが聞こえ始めていたし、その頃から次第に疎遠になっていったような気もする。

 私の赤みを帯びた金髪とは違う、父上と同じ美しい銀色。手に入らない物に嫉妬めいた憧憬を抱いたこともあったがそれもまた幼き日も思い出だ。


 同じ状況でも、この人ならうまくやれたんじゃないのか。これは兄上にも兄上の婚約者殿にも、そしてミランダにも失礼だとわかっていながら、そんな不毛なことばかり浮かんでは消える。

 昔から兄上は頭が良かった。言葉は少なかったがいつも的確で、周りとの交流がほとんどない私にも聞こえてくるほど誉れ高い人だった。

 この人なら、私には出せない答えも簡単に出してしまえるんじゃないだろうか。


「お前は少し真面目に考えすぎる」


 真面目に、と言われても困る。物心つく頃には既にこういう性分だった。それは栗栖祐一の記憶を思い出してからも性格が一変するということはなかったのだ。

 私自身は充分ゆとりをもって堅苦しくないように振舞って来たし、何をもって真面目というのかはわからないがそれなりに明朗快活に生きてきたつもりだ。

 でもそれが原因だというのなら、私にはどうしようもないのかもしれない。


「しばらく王都を離れるといい。そうだな……アフダルに行くのはどうだ?」

「それは追放ということで?」

「そうじゃないさ」


 あまり変わらない気がする。とにかく、アフダルといえば兄上の婚約者殿の国だ。これは兄上の監視下に置かれるということだろうか。

 父上や兄上がお決めになったなら、それに従うだけだ。ただ、惜しむらくはその未来を私自身が歩めないだろうということだけ。

 肺に詰まった息を吐き出す。視線を上げた先には、今一何を考えているのかわからない顔の兄上が私を見ていた。


「兄上」


 ぐるぐると息の詰まることばかりを考える羽目になったが、兄上と言葉を交わす機会が与えられたのなら、このインターバルも悪い物ではなかったのかもしれない。それでもあまりいいものとは胸を張って言えないのだが。

 ゆっくりと、音が消えていく感覚がする。どうやら今回はここまでのようだ。

 迷いはある。わからないことの方が多すぎる。あまり好ましくない感情だって消化できないままだ。何もかも置いていけるほどの勇気もない。それでも時間は待ってはくれないらしい。


 誰からも愛された、誰よりも優れた兄が静かにそこに腰を下ろしている。

 私はこの人とは違う。この人のようにはなれない。けれど、私自身もずっとこの人に憧れていた。

 兄上のようになれたら。兄上と、どこかの誰かのようになんでもないことを語らえるような関係になれたなら。

 気が滅入っているんだろうな。我ながら随分とロマンチックこと考える。


「ありがとうございます」


 バツリと、時間が戻る音がした。


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