女王蜂の日記
私、ミランダ・ホーネットには運命の人がいます。
というのも我がルミエル王国の第二王子にして私の婚約者、クリス様その人です。
美しく聡明で、王位を継ぐ兄君を支えられるべく常に研鑽を怠らない敬愛すべきお方。その方が私の運命の人。
あの方と初めてお会いしたのは忘れもしません、六つなる年に王宮で開かれた王室主催のお茶会でのこと。赤いバラの咲き誇る庭園で、奇跡にも等しい出会いをしたのです。
当時から聡明さの片鱗を見せていたクリス様に、お茶会に集められた婚約者候補の令嬢たちは皆心を奪われているようでした。
そして私も、その中の一人でした。
幼いながらも、周りの貴族の娘たちと同じようにクリス様に恋をし、胸を焦がしておりました。
そんな時です。私があの方の婚約者となることが決まったのは。
まるで夢を見ているかの様な心地でした。
もちろん王位を継げないあの方が臣籍降下するにふさわしい爵位が、我がホーネット家にあったからに過ぎないことなどきちんと理解しております。
ですがそれでも、この上なく幸せなことだとあの時の私は思っていたのです。
ですが、どうでしょう?
婚約者になったというのにあの人の心には、既に別の誰かが住み着いていたのです。
それからは、来る日も来る日も。涙で枕を濡らさない日はありませんでした。
お話も聞いてもらえず、事務的に送られてくるだけのメッセージカードの頻度も遠のいて。
ただ、あの人に愛されたくて。あの人の心に住む女が憎くて憎くて仕方なかった。
その日、父に用事があり我が家へいらっしゃったクリス様に縋りついたのはそんな思いがあったからでしょう。
そう。初めは事故だったのです。
私を煩わしく思われたクリス様が腕を払い、その場所が階段で、私がバランスを崩し、たまたま打ち所が悪かった。ただそれだけのこと。
けれどその時のあの人のお顔と言ったら、もう……。はしたないとはわかっているのですが年頃の娘である私の口から語るべきではない程の高揚感と多幸感に満ち溢れていました。
クリス様が初めて私を殺した時、この人こそが私の運命の人であると強く感じたのです。
薄れゆく意識の中で嫌悪から困惑、動揺、に染まっていくあの人の表情を私はかみしめていました。
その後驚くことに目を開けるとあのお茶会の日に戻っていたのです。
可笑しなこともあるものだと過ごしていると、私は再びあの人の婚約者となり、あの人は私ではない少女に恋をし、そして私を殺しました。
今度は突き飛ばしたのではなく絞殺でした。
私がクリス様の思い人に強く当たったことが原因で口論になり、ついカっとなって手が出てしまった。というところでしょうか。
本当に、本当に幸せな時間でした。
私に何の興味も持たなかったあの人が私だけを見て、私にしか見せたことのないお顔で、私を嫌悪する。
思い出しただけで胸の高鳴りが抑えきれなくなるほどの気持ちをくれたあの人を運命の人と呼ばずしてなんと呼べばいいのでしょう。
不思議なことに死ぬとクリス様と出会ったあのお茶会の日に戻るようでした。
それから何度も何度もクリス様に殺してもらう月日を繰り返しました。その為ならなんだってできるのです。
何度も何度も、私は運命の人と幸せな時間を過ごしました。毎回時期も年齢もまちまちでしたが、クリス様はいつも私を殺してくださいました。
今回で94回目。
もう少しで100回に到達するけれど、記念すべき100回目はどう殺してくれるか今からとても楽しみです。
愛していますクリス様。
私の、運命の人。
◆
「なんだこれは」
つい先日処断したばかりの元婚約者の残した日記に目を通していたのだが、私はいつの間にか怪文書を読んでいたらしい。
何がどうしてこうなったのかわからない。理解が及ばない上に頭が酷く痛い。
元婚約者、ミランダ・ホーネットは国内に潜んでいた密売組織と繋がっていた。せめてもの情けと、私の勧めで毒杯を煽るようにと命じたが。我が元婚約者は、どうにも特殊な癖を持っていたらしい。
趣味嗜好は人それぞれと言いたいところだが、全く以て理解ができない。
彼女の言う通りそれなりに勉学に励んできたし思考だって柔軟な方だと自負していたが、どうにも頭を抱えざるを得ない。頭が痛い。頭痛ついでに何やらわけのわからない知識が頭の中を駆け巡った。
なんだ恋愛シミュレーションRPGって。なんだ駅のホームから押し出されて電車に轢かれるって。誰だ栗栖祐一って。
まさかミランダの残した怪文書を読んだせいで私まで頭が可笑しくなったのか?
本当に、最後まで厄介ごとを残してくれる。
一度冷静になるためにデスクの上に放置していた紅茶に手を伸ばす。
すっかり冷めていて風味がないそれを余計な思考と一緒に押し流して息を吐いた。
この日記にはミランダがどのようにして密売組織と関係を持ったかや、彼女の周りにいた貴族連中の汚職などが事細かに書かれている。これを元に国内の膿を一掃すれば兄上の王位は安泰だと思ったのだが、どうしてくれよう?
ここにきて飛んでもなくぶっ飛んだ頭の可笑しい話が出て来てこの日記の信憑性が地に落ちたし、ついでに私自身のことも信じられなくなってしまった。
視線を日記に落とせば、相変わらず読めるのに理解出来ない文字の羅列が続いている。これをしかるべき場所に提出したとして。ただの狂人の妄言として処理されるだけなのではないか。いや、確かに狂人なのだが。
無理をして好意的に解釈すれば、やり方はともかく私に気にかけて欲しくて悪事に手染めた、とも読めるのだが、その後がどうにも理解したくない。
運命、などという言葉で誤魔化しているがちょっと気持ちよくなってるし。
なんというか、日記を読んでいただけだというのに随分と疲れてしまった。一先ずミランダの運命云々は置いておこう。脳が理解を拒んでいる。
また後日。日を改めて余力のある時に考えようと日記を閉じた時だった。
不意に室内にも関わらずさわやかな風とバラの香りを感じた。
「あ、あのっ。わたくし、ミランダ・ホーネットと申します」
柔らかな金色の髪と赤バラをそのまま映したように美しい瞳の、まだ幼さの残る彼女がそこに立っている。
年のころは、五つか六つだろうか。まるで私たちが初めて出会った時の様な──。
いや待ってくれ。ミランダの日記には『月日を繰り返す』という一文があったが、これはまさか。
「お加減がすぐれないのですか? でしたら、ベンチの方に……」
どうやら私は彼女の『繰り返し』に巻き込まれたらしい。