王都にて、宵を食む
無事に仕事を終えた俺たちは、この国の中枢を担う大都市――王都の繁華街へとやって来ていた。
王都は俺が住んでいる町から馬車でだいたい7時間ほどかかる。既に日は沈んでおり、含有する魔力によって輝く魔石灯の光に街は明るく彩られていた。
俺の町は田舎だが、別に畑と小川しかないようなド田舎ってわけじゃない。少なくとも万能職がつどう集会所を設立されるレベルで賑わってはいる。
けれど、やはり国の要である王都の栄えっぷりは段違いだ。喧騒は絶えず、夜なのに昼と変わらないくらい明るくて、人も物も大盛り上がり。眠らない街とはまさにこんな光景を指すのだろう。
「というわけでー、シヴァンの万能職デビューと初仕事成功のお祝いを始めたいと思いまーす! いえーい! ほらほらグラス持って! あっデモンちゃんはオレンジ果実水ね」
報酬を受け取って最初に足を運んだのは、街中の小さな大衆居酒屋だ。名目は今アーシャが言った通り。
記念すべき日なのでパーッと贅沢したかったのだが、お高い店だとざっと今回の報酬の3倍はかかるので泣く泣く断念した次第である。
しかし色とりどりの一品料理とドリンクが並べられたテーブルは、それはそれで見応えのある光景だ。店中に充満する肉と魚の香ばしい匂いが嫌でも食欲を掻き立て、前置きなんてすっ飛ばして料理を味わいたくなってくる。
「ありがと。しっかし今回はアーシャに色々と助けられちまったな。リーズナブルな酒場で申し訳ないが、今日は好きなだけ食ってくれ」
「え? いやいやいいわよ。私が強引に誘ったんだから」
「それでもアーシャが実戦の手解きをしてくれたのは大きかったからな。それにデモンが迷惑かけちまった分のお詫びも済んでない」
「かーっ。相変わらずのお人好しね、アンタちょっと人が良すぎ。そんなんじゃ悪い奴に鴨にされるわよ。万能職も善人ばかりじゃないんだからね」
と言って、アーシャは自分の手元のグラスを手に取った。
「じゃあこれ一杯分奢って」
「ええ……そんなのでいいのか?」
「というか私が発端なんだから奢られる理由皆無なんだけど。でもそれじゃアンタ納得しないんでしょ? だからこれでチャラ。はい、この話は終わり! 料理が冷めないうちに食べちゃいましょ。デモンちゃんもお腹空いてるでしょうし」
「美味である」
「もう食ってるしこいつ……」
ちょっと目を離した隙に、既に鶏肉の串焼きを小動物のようにもちもち頬張っていた。どこにいっても唯我独尊ぶりはブレない小悪魔モドキである。
デモンは家の内装やら服といった装飾系にはこだわりを持ってるみたいなんだが、どうも食べ物に関しては無頓着な性格らしい。事実、一度も食事に文句を言ってきたことは無い。むしろ何でも口にするレベルで、幼い容姿に反する健啖家っぷりは見ていて気持ちがいいくらいだ。
「じゃあ気を取り直しまして。はい、カンパーイ!」
かくして始まった小さな祝宴は、明日の仕事もあるということで、お互いほろ酔いになる程度の時間でお開きとなった。
といっても、アーシャのやつが尋常じゃなく飲むので一般人の『ほろ酔い程度』には収まらない長丁場ではあったんだが。
回収して貰わなかったらテーブルにエールジョッキで城が作れそうなくらい飲んでおいて仄かに火照る程度とは、あまり酒に強くない俺からすれば異次元の領域である。
「ッはぁー、食べた食べた。明日から太らないようトレーニング増やさないといけないわコレ」
「食べるに関してはデモンの方が食ってただろ……アレで飲んでないってどんな肝臓してるんだ」
「メイクリーの人間は訓練のせいで物凄く酔い辛いのよ。これでも私は酔う方。ウチの兄貴とかお姉ちゃんなんか、酒蔵潰すくらい飲んだって顔色一つ変えないわ」
それは本当に人間か?
いや、むしろそんな超人でなければ、一等級や二等級をぞくぞく輩出する名家の後継は務まらないのかもしれないな。
「シヴァン」
誰も知らないメイクリー家の裏事情に戦慄していると、アーシャが俺に向かって何かを放り投げた。
慌てながら両手でしっかりと受け止める。手を開けば、そこには見たことも無いキューブが収まっていた。
およそ5㎝ほどの正方形。僅かな水色を湛えているが、対面の景色を透かして拝むことが出来る程度には透明だった。
不思議な材質だ。なんだろう、水晶だろうか? 幽かな魔力を感じるから、魔鉱石の類を加工して作られたものなのかもしれない。
「それね、フォトンパスって言う魔法道具。お姉ちゃんが作ったの」
「へぇ? 綺麗だな、しかも随分高そうだ。何に使うんだ?」
「凄いのよこれ。キューブが独自に出してる魔力波長を別のキューブに登録しておけば、例え世界の果てまで離れていてもその場で話が出来る道具なの」
と言いながら、アーシャは懐からもうひとつ同じキューブを取り出した。あちらは幽かに赤みを帯びている。きっとキューブを見分けるための色付けなのだろう。
アーシャはフォトンパスという透明の箱へ魔力を流すと、「あー」とキューブに向かって声を当てた。すると、俺が持っている箱からアーシャの声が寸分違わず再生されたではないか。
しかも顔がキューブの中に映っている。顔を上げてアーシャを見ると、同じ笑顔を浮かべていた。リアルタイムで音声と映像を届けてるってワケか?
「お? おお? 凄いな、どうなってるんだコレ?」
「ビックリでしょー。私も最初驚いたわ。なんでも魔女の水晶玉や鏡の技術を基に作ったらしいけど」
「遠隔で使える通信アイテムか。しかもこんなにコンパクトとは、こりゃ便利そうだ。アーシャの姉貴は天才だな」
「性格さえマトモならホントに完璧な人なんだけどね……変態クソ兄貴よりは遥かにマシだけど」
ボソッとフォトンパスから穏やかじゃない単語が聞こえた気がする。意外と集音性能は高いらしい。街の雑音は聞こえてこないから不思議なもんだ。
「そのフォトン・パス、アンタにあげるわ」
「え?」
「この道具、試験運用中なの。色々調整するためにデータが欲しいんだって。だからシヴァンにも協力して欲しいの。頼める?」
「そういうことなら構わないが」
「ありがと。ああ使い方だけど、魔力を流しながら相手の名前を思い浮かべれば繋がるわ。通信を切る時は魔力を流すのを止めるだけ。魔力量もほんの少しで構わないから。簡単でしょ?」
「了解。今度使ってみる」
「探索とか行く時は連絡してよー」
じゃあねー、と手を振りながら去っていくアーシャ。俺も応じて手を振り返し、今日の宿へ足を運ぼうと踵を返した。
と、デモンからシャツの端を握り締められて動きを止める。下を見ると、『どこに行く余を背負え』と人を殺してそうなハイパー眼力で訴えていたので、大人しく抱き上げて肩車した。なんだか本当にデフォルトになりつつあるなこのフォーメーション。
「小僧」
「ん? なんだデモン」
「さっきの箱を寄越せ」
夜道を悠々と歩いていると、頭上のデモンがペチペチと頭を叩きながらそう訴えてきた。断ったら今度こそ毛を毟られそうなので、素直に懐から取り出し手渡す。
「ほれ。割れやすそうな道具なんだから壊すなよ」
「心配するな。その逆だ」
いまいち真意の見えない答えを返してくるデモン。疑問符を浮かべていると、もう満足したのかフォトンパスを返してきた。
再び沈黙が生まれる。しばらくはそのまま歩いていたが、人の気配が薄くなってきたところで、なんとなく寂しくなって声を掛けた。
「なぁ、デモン」
「なんだ」
「スケルトンと戦う時に思ったんだけどさ、もし戦うのが苦手だったなら言ってくれ。次からはなるべく戦闘しなくて済みそうな仕事を選ぶからさ」
「……」
「俺はお前と仲良くなりたい。んで、気持ちよく仕事がしたい。だからデモンが嫌がるような事はしたくないんだ。ああ、荒事以外にも嫌なことがあったら言ってくれよ? 善処できるよう努力するから」
「たわけが、心配など千年早い。貴様は余の選んだ契約者だろう。ならばそれに相応しく、ただ傲慢不遜に願みを告げよ。それを受諾するかは知らんが、斯様な配慮など無為と知れ」
いつもと変わらない、幼さ特有の甲高さと不思議な威厳が入り混じった声でデモンは言った。
けれどそう言う割には、スケルトンのとき加勢してくれなかったよなー。つまるところ、願いを聴きはするけど別に叶えるかどうかは分からないってことか。気難しいヤツだ。
にしても、『余の選んだ契約者』か。普段の態度はどうあれ、こいつは俺を選んで召喚に応じてくれたってことだよな。召喚は魂の同調で選ばれるから、別にデモンが俺を嫌いってことは無いんだろう。多分、誰に対してもこうなんだ。
そう考えると、今はこんなデコボコ関係でもいいかと思えてくる。時間をかけてゆっくり信頼を得るとしよう。
「……小僧。貴様にひとつ教えておく」
宿の看板が見えてきたところで、デモンは神妙な声で告げた。
「本来、余は食事も睡眠も必要としない。だが今の余には必要不可欠だ。何故だか分かるか?」
「え? あー、子供だから?」
「中らずと雖ども遠からずだな。40点」
「全然当たってねえじゃねーか!」
「起因はする。しかし肉体が最たる原因ではないということだ」
「……というと?」
「余は魔力を内部で貯蓄している。一欠片も使用しておらん。放出もだ。故に、本来ならば魔力で補える疲労の解消や肉体の維持が出来ておらんのだ。だから睡眠や食事を必要とする」
……ん? え、いやマジで?
魔力を貯めてるって、つまるところ『人類類似種』の特有器官である炉心に凝縮してあるって事だろうか。
でも炉心に貯蓄できる量には限界がある。そもそも炉心の貯蓄能力はあくまで副次的なものであって、本来はエネルギーを産出するための臓器だ。貯蔵器官ではない。
魔力が放出できなくなったせいで過剰貯留が発生し、メルトダウンを起こしてしまう『人類類似種』特有の病気があるくらいだ。
それを貯蓄って、小悪魔の亜種であるデモンにとっては大事じゃないか? 炉心の生産能力をさておき、強度は魔物の位に比例するんだから、いくらケツアルカトルの胃石を持ってくるような訳の分からない奴でも小悪魔はかなり脆弱なはずだぞ。
おいおい、今からでも病院行った方が、
「今抱いている思考は無用の長物だぞ、小僧」
「いやでも、魔力を出してないって大変なことだぞ!? 確かにデモンからは全然魔力を感じないし、これはただ弱すぎて分からないだけかと思ってたが、そういうことなら早く処置しないと! 体が内側から溶けて死んじまうよ!」
「……まさか貴様、未だに余を小悪魔だと……いや、いい。本題はそこではない」
「いででででで耳を引っ張るな耳を!」
子供の悪戯みたいにグイグイ引っ張り回される。どうやら本当に的外れな推測らしい。こいつがこんな風に弄ってくる時は心の底から不服な時だけなのだ。
「人の話を聞け、小僧。病の心配は不要である。よいな?」
「わ、分かったよ」
「話を戻すぞ。余は故あって魔力の貯蓄をせねばならん。即ち魔法の類を一切行使できぬということだ。それは何時如何なる時であっても変わらぬ」
「……理由を聞いても?」
「そのうち理解できる。今は余を信じよ」
……うーん。そこまで言うなら、まぁ信じるしかないよなぁ。無理に聞くのもなんだし。
なにせデモンが始めて言ったお願いだ。要求ではなくお願い。信頼してくれと頼まれたなら、こいつの召喚士として応えずにはいられないだろう。とりあえず俺は納得して、この件に関する言及は止めることにした。
「小僧。余は魔力に関わる全ての事柄で貴様の力にはなれん」
俺の髪を玩具みたいに弄りながら、どこか頼もしく感じさせる力強さを声色に纏わせて彼女は言った。
「だがもし……もし貴様の手に負えぬほどの重荷が降りかかってきたその時は、迷わず我が力を頼るがよい。我が至高の御名に懸け、貴様に降りかかる火の粉を粉砕すると約束しよう。…………それを忘れるな、シヴァン」