初召喚すなわち奴隷契約
遂にこの日がやってきた。
「それではシヴァン・ルーデンシオ、前へ」
名を呼ばれ、眼前に広がる巨大な魔方陣へと歩み出す。
召喚獣を呼ぶために用意された特別術式、『魔獣招来円環』の領域へと。
俺ことシヴァン・ルーデンシオは、つい先日召喚士認定試験に合格し、晴れて召喚の権利を獲得したの卵である。
今日は何を隠そう、待ちに待った初召喚の実践日なのだ!
憧れを見出してからはや10年。凡人の俺が名門星屑ヶ原学院へ入学し、血の滲むような勉強を重ね、けど2回も試験に落っこちて、それでも諦めずに頑張り続けてようやく辿り着いたスタートラインを今、こうして踏みしめられている。底の知れない感慨深さが、まるで岩盤の底から湧いて出る湯泉のように溢れ出てきた。
ああ、ここまで来るのに長かった。本当に本当に長かった。今までの毎日が久遠にすら感じるようだ。
澄まし顔で歩いてるつもりだが、正直もう内心ボロ泣き。乙女みたいに両手で顔を覆って泣き崩れて「あたし遂にやったのね!」ってやりてーよ。『涙は触媒になるんですよ』って補佐の人に言われたら鼻水とセットで無限に垂れ流せる自信がある。
だがしかし、感極まって咽び泣くにはまだ早い。まだ召喚獣を――召喚士としてのパートナーを呼び出す召喚の儀を行っていないからだ。泣くのは相棒を呼んでからで十分である。
「そこで止まりなさい」
声に応じて足を止める。位置としては召喚獣が顕現する陣の中央、核の手前だ。ここで呪文を唱えつつ魔力を流せば、俺の魂を見染めた魔物が異界より現れ契約を交わすことが出来るのだ。
そして召喚された魔物は、召喚士人生における唯一無二のパートナーとなる。ひゃっほう。
「では、手順通りに詠唱を始めてください」
「はい」
手をかざす。掌に魔力を集中させ、陣の核へ注ぎ込むようなイメージと共に力を流す。
陣と魂の共鳴が始まる。魔方陣の路を血管に、魔力を血潮に、核を心臓に見立て、胸の内の魂を映し異邦の民を呼び寄せる。
細々とした蜘蛛の糸を手繰るように、慎重に、慎重に。
「『誓約を語る。今は遥か英霊の御名、彼かの偉業の下に忠義を捧ぐ』
右手が熱を帯びていくのが分かる。自分とは違う生命、別次元の存在と縁が結ばれていくのを実感する。
陣が星の瞬きを灯し、拍動の如き明滅を刻む。それはまるで巨大な卵が孵化しようとしているかのようだった。
「『清廉を示す。誠を示す。異邦の友よ、我が魂に応えたまえ』」
うーん、この香ばしいワードの嵐よ。遥か昔、恐ろしい魔王を倒した勇者一行の偉大な召喚士に基づいた由緒正しい呪文らしいけど、やっぱ恥ずかしいものは恥ずかしい。
だがしかし、これでいい! これで俺の悲願は達成されたも同然なのだから!
ほうら魔方陣がバチバチしてきたぞ。異界の彼方にある『幻世領域ファンタジア』から俺に応えてくれた召喚獣がやってくるぞ。
ああ、どんなやつが来るんだろうなぁ。やっぱドラゴンが良いな、王道的にカッコイイ。ペガサスとかモテそうだな、人気だし。セイレーンやエルフだって捨てがたい、可愛いは正義。
まぁなんでも良いさ、俺は選り好みしたりはしない。例えスライムであろうとも! 今日この日から、このシヴァン・ルーデンシオの栄えある召喚士人生が幕を開けるのだ!
「召喚術式成功を確認。総員、召喚獣の暴走に備えなさい!」
お付きの人の高らかな指示と同時に、突如として陣の核から膨大な煙幕が放たれた。
一夜にして森を焼き殺す大火事のような灰の煙は、しかし息苦しいものでも目を突くものでもなく、爆発的な勢いを伴って会場全体を包み込んでいく。
「ぶふぉっ!? な、なんだこの煙ぬわあああああああっ!?」
突風が起こる。ドラゴンブレスを彷彿させる甚大な風圧を一身に受けた俺は、さながら春一番に攫われる牧草ブロックのようにごろごろと吹き飛ばされてしまった。
なんとか体勢を整え、這いつくばるように前を向く。
その時だった。時計の針が高速で回転するようなチッチッチッチッという音が染み渡るように響き渡ったかと思えば、充満した煙が竜巻のような指向性を持ち始め、ぐるぐると陣の核を蹂躙し始めたのである。
やがて、硝煙の竜は嘘のようにあっさりと姿を消した。
「いづづ……いったい、何がッ」
まるで大嵐が過ぎ去った後のような静けさが会場を支配する。俺は油の無くなったブリキさながらにゆっくりと立ち上がって、陣の中央を注視した。
「……お、女の子?」
視界に映ったのは、小さな小さな子供だった。
どういうわけか滅茶苦茶に破壊されてしまった魔方陣の核に佇む、黒髪に紅のグラデーションが混じったロングヘアーの女の子。パッと見普通の子供だが、うすぼんやりとした青色の輪郭が超常の気配を漂わせ、本能が『人間ではない』と教えてくれる。
人型ではある。きっと『人類類似種』の一種だろう。
黒い髪と小柄な体躯からして小悪魔だろうか? いや、角も翼も見当たらないからきっと違う。じゃあ小天使か? これも違うな、頭上に円環も無いし、同じく翼が無い。
というか特徴が無い。漆器のような黒と炎を彷彿させる赤が入り混じった長ーい髪と簡素な薄着一枚しか見当たるポイントがまるで無いんだ。髪色からして人間じゃないのは確かだが、それ以外はどこからどう見たってごく普通の子供である。
なんだこいつ、全然分からない。これまで記録されている召喚獣の文献は片っ端から頭に叩き込んでいるつもりだったが、持ち前の知識と合致する存在が脳ミソから引きずり出せなかった。得意分野だっただけにちょっと凹む。
てことは、もしかしたら新種なのかもしれないな。だとしたらラッキーだ。召喚士としての功績を初っ端から積めたどころか、俺の俺による俺だけの召喚獣を召喚できたってことだか――――
「おい小僧」
――ら?
「貴様が余の契約主か? 答えよ」
幼女とは思えない、とんでもねぇドスの効いたお言葉がやってきた。
それはさながら言葉の槍だった。耳に声が届いた瞬間、マジで鼓膜ごと脳髄をブチ抜かれたかと錯覚した。声色は可愛らしい暖色なのに、纏う語気はもはや百戦錬磨のオーガである。この場にか弱い子犬がいたら迷わず尻尾を巻いてお腹を見せちまいそうな『圧』があった。というか俺がそうしそうだった。
それにしてもなにこの幼女、眼力半端ないんですけど!?
視線だけで人を殺せそうな眼差しだった。起動前のゴーレムみたいに眼を瞑ってたと思ったら、謎ガールはいきなり瞼をひん剥いてこっちを凝視してきたのである。
しかも三白眼とかいう次元じゃない。四白眼のパッチリオラオラお目目だ。莢膜と黒目の色彩が完全に逆転しているさまは、まるで宇宙の闇に浮かぶ最果ての恒星の様な名状し難き深淵を湛える瞳だった。
「なにを呆けている。この余が貴様へ問うておるのだ。疾く答えを示せ、貴様が余の契約主か?」
「は、はい! そうであります!!」
脊髄反射的に返事を返す。 腕を組みながら満足そうに頷く四白眼ロリ。
「うむ、苦しゅうない。では今この時より、貴様を余の直属の僕とする。光栄を胸に抱き感涙に咽ぶことを許そう」
……え? しもべ?
俺『の』じゃなくて、俺『が』しもべ?
「して、名をなんと――ああいや、よい。知っている。シヴァン・ルーデンシオだな」
「はい! 左様で!」
「では、これからの働きに期待しているぞ。小僧」
小さいおててが差し出される。柔らかくてプニプニしてそうな子供の手だ。
握手のつもりらしい。俺は特に何も考えず、彼女の手に収まりそうな指を一つ差し出して痛て痛ててて痛でででででででで何この幼女握力つッッよアカン折れちゃう折れちゃう!?
「む。力の加減を間違えたか。許せ、コントロールが難しいのだ」
「お、おふぁい」
「気を取り直そう。改めてよろしく頼む。余を存分に楽しませるのだ、マイマスター」
傲慢不遜に謳いながら、小さく胸を膨らませる推定8才児。
……………………………なんか、俺の想像してた召喚と全然違うんですけど!?