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空を見て育った子供たちは。  作者: ポジ種→ハードゲイ。一発逆転マルウェア感染
3/3

就寝準備。

家に帰り着いた私は、朝のように七階のキッチンで食事を済ませ、部屋に戻ると、サイレンサーから夜の八時を知らせる音楽が鳴り響いた。私は、礼拝マットの上に正座をすると、七回の立位礼拝を繰り返し、親から送られてきた慈安寺院のマニ車をクルクル回した。マニ車に描かれた菩薩の絵がチラチラとこちらを見る。


私はそう熱心な仏教徒では無かったが、毎日のこの儀式だけは欠かなかった。ルーチンワークである。ルーチンワークというのは良いものだ。ルーチンワークのためなら、あの青年少女工芸団の制服さえ、少しは意味あるものに見えるのだ。


毎日続くレールに乗っかっていることを今日も確認できた私は、就寝に心地の良い程度の満足度を得た。


しかし、まだ寝るわけではない。もちろん、工芸団の課題が多くあるのだ。


今日の課題は、明日の簡易整備訓練のための予習課題であった。訓練書のフロートと昇降機構の簡易図を書き写すというなんともひねりもなく、遠回りにしか見えないものであった。このような仕組みは、やる気のない乙班の他班員でさえも分かりきっていることであり、毎日の課題をやるのは、ほとんどが教官による無慈悲な体力訓練に駆りだされるのを避けるためであった。


夜10時。課題を終えた私はパネルに向かい、ある運転手の動画を見ていた。


弘法獅子


私の憧れの運転手である弘法は、今日行われた舞台区運転技能大会で五位の結果であった。彼は既に六十歳を越えており、体力的にも限界に近い中での闘いだったのだろう。タイムでのランキングは二十位と厳しいものであった。


しかし、弘法の見せる運転舞技術は他の運転手を圧倒していた。弘法の舞技は一種舞技でも二種舞技であってもフロートの先からホイールの先まで、異常と言うべき洗練さを持っていた。無論、運転舞技術のランキングでは常に一位であった。


私が運転手を目指すきっかけとなったのも、この弘法であった。十の時に、たまたま地元で開かれた全国運転技能大会で、弘法を見た。当時の弘法は、全国二十三連優勝を逃して二年目であり、スピードが鈍ってきていた時代であったが、それでも、私をこの世界に魅了するだけの舞技術を持っていた。この時もスピードによる格付けで惜しくも三位という結果であったが、舞技術だけで言うと一位であった。


そして、今の私はというと、当時の弘法の足元にさえ及ばない程の実力しか無い。去年の青年少女安寧地区運転技能大会では三位という成績をあげたものの、それは、一重にスピードによる加点が多く、舞技術でのスコアは七位であった。


去年のトップは南曾九であった。去年の南曾九は圧倒的であった。スピードも舞技術も共に一位という成績で青年少女全国大会に向かい、全国でも5位という成績をあげた。(運転技能に興味を示す人は少ないため、大して有名には成らなかった。)


私はパネルをベットの脇の棚に置くと、既にじわじわ押し寄せていた眠気の波に身を任せるべく、ゆっくりと目を閉じた。

ちょっと、ブチッパ、だけ書きました。僕も眠いですね・・ブチッパ・・・・毎日眠いですね・・・・

書き忘れて、ブチッパ、いましたが、ブチッパ、感想をいただけ、ブチッパ、ると幸いです。

ブチッパ

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