明文工芸団乙班
班室に入った私は、一番前の教官席から二番目の席に座った。部屋の前の電子黒板にはデジタル時計と「規律と技術で世界に名を轟かせよう。万歳連邦軍団。」という私達の工芸団の標語が映しだされていた。時刻は9時48分を指している。
私は授業への準備を始めた。自分のパネルを机の上に浮かせる。私は左利きなので、少しだけ机の中央から左寄りにパネルを置くことで、パネルへの入力速度が上がる。
「起立!!」
班長の号令が響いた。9時50分になったのだ。私は急いで立ち上がり、手の中指を体の中央線に合わせるように努力し、背筋を伸ばす。
「斉唱!!」
「規律と技術で世界に名を轟かせよう!万歳連邦軍団!!」
冬の朝に壁の隙間からひょっこり生えている霜柱のように、ビンビンと体を張った私達は大声で叫ぶ。もちろん、右手をグーの形にして上に突き上げるのも忘れない。
私は工芸団とは何処もこのようなものだと思っていたが、初等部時代の友人に話を聞くとどうやらここまで党の方針にべったりなのは、私達の工芸団ぐらいのものらしく、他団では私達の団を「党員養成団」と読んでいるらしい。
確かに、私達の団は他団と比べて、卒団後に党に入る人が多く、あながちそういった役割が無いとも言えない。
「着席!!」
皆が一斉にやかましく音を立てて席に座る。この音を立てる座り方も党の方針なんだろうか?
明文工芸団は先にも言ったように、この国随一の工芸団である。また、工芸団属飛行技術研究所は世界でもトップを走る飛行技術研究を行っており、現在、世界中で使われている昇降機構を創りだしたのもこの研究所であると言われている。(言われている。と言ったのは、これが四百年以上前の話しであり、確かな情報とは言いがたいからだ)
また、私の属する乙班というのは、飛行技術訓練を主に行う、いわゆる運転手養成の班だ。その他にも、昇降技術部の甲班や建築技術部の丙班などがある。
しかし、全く予想できる通り、運転手というのは世間的に危険な仕事だとされており、就職先も軍ぐらいしか無いことから、ほとんど人気がない。先も言ったように、全班員でたったの20人だ。班員が349人の甲班、230人の丙班と比べるとその差は圧倒的だ。
私は望んで運転手になるべく乙班に入ってきたのだが、そうでない人がほとんどだ。つまり、取り敢えず明文に入りたいがために、もっとも競争率の低い乙班に入ったという人だ。
そういう人は一目見て分かる。なぜなら、全く運転が下手なのだ。頭でっかちと言ったら失礼かも知れないが、そう言われても仕方が無いほどだ。自動運転制御が無いとすぐにふらつく。
望んで入ったと思えるのは、私と、私の隣の席。教官席の隣に座っている南曾九ぐらいだろう。
訓練を終えると私達はヘトヘトになって帰っていく。甲班や丙班の人達がニコニコと談笑しながら帰路に着くのとは大違いだ。また、元々才能の無い生徒が多く居るため、私達乙班の半分以上は毎日居残りで訓練という始末である。もちろん、私は直帰なわけだが。
今日は珍しく、垂直競争で南曾九に勝てた。訓練機のメンテナンスに差があったと南曾九は私にぼやいていたが、私はそうは思わなかった。南曾九は今日生理だったのだ。
毎月定期的に訪れる私の勝利を心の底で楽しみにしていた。なんとなく卑怯な気がするので、あまり表立って喜ばないことにはしていたが。
ちょっと早めに書いてしまった。暇っていいなぁ。