今を生きる学生へ。
あなたはこんなこと考えたことありませんか?
あの時に戻りたいなぁ、って。
例えば授業中、中学校の頃から苦手な英語の時間、高校に入ってからはもっと実用的な英語を教えられるから中学校の頃よりずっと難しい。そして、ふと、頭をよぎった。
こんなに英語ができないとか、中学生からやり直したいなぁ─そう考えても時間が戻ることはない。
もしかしたら、百年後くらいにタイムマシンとかできて、過去に行けたりするんじゃないか?とか考えるけど、そんなことを考えてるときにも、時間は刻一刻と迫って、追い抜いていく。
社会に出て、会社に勤めて、いろんな会社員とデスクを横に並べて、パソコンにひたすらカタカタと文字の羅列が出来ていく。
昼の休憩の時に、たまには贅沢しようと考えて買った1000円の弁当を食べながら、思う。
こんなんじゃなかったよなぁ。
私の夢はもっときらびやかで、明るく輝いてて、『できる』って感じの社会人だった気がする。
小学生とか、中学生の時に、あの○○高校に行って、それで、あの○×大学の××科に行って、社会に出たらこんな職業に就きたいなぁとかあれこれ考えて過ごして、だけど、その進路に行く様な努力をあまりせずに、成績は中の下からいいときで、中の中より少し上。
んで、気がついたら、自分の思ってた高校とは違う高校に行ってて、受験して、何とか二流大学に合格して。
高校時代に、さほど他人と仲良くしていたわけではなかったけど、大学に行ったら和気あいあいとした、どんちゃん騒ぎな大学生になるのかなとか、サークルどこにしようかなとか。
いざ大学生になると、対人スキルにあまりステ振りしてないから、広くもないし、深くもない交遊関係ができて、はっきり言ってキョロ充以下のたち位置みたいな。
だけど、なんだかんだで大学生になってから始めたバイトの仲間たちとかと、呑みに行ったりとかして、気がついたら社会に出て今のような生活になった。
毎晩毎晩、ブルーライトによる目の疲れを指でほぐしながら、携帯のメモ帳に書いてある、不足品を出来るだけ安いやつを見つけて補充して、チラシに書いてあった特価商品と惣菜を買って家に帰る。
そして、予約して炊けた炊飯器のご飯をよそって、惣菜と一緒に食べる。
そんな日暮に私はこんなのがあったらいいなと、異世界転移、転生モノをみながら考えていた。
それは一種の願望であり、叶うことのない夢だ。
なぜ人はファンタジーを求めるのか、それは恐らく何処かしら自分がこうなりたいと願う気持ちを和らげて、過去の頑張らなかった自分に対しての逃避だと思う。
だから、学生である諸君。
けして、小説を読むなとは言っていない、というか私としてはがっつりといけと言いたい。
だが、夢見る前に、夢を夢で終わらさないために、勉強という、学生の時にはわからない大切なものと、その今過ぎ去っている今、その両方が分かる前にあの頃に戻りたいと、十年後二十年後、思う前に少しでも机に向かって、一つ深呼吸をする。そして、やり残したその一枚のプリントを一問一問分からなくても、解くんだ。
努力に勝る天才なしという言葉の通り、きっと、その一枚のプリントから始めた努力が実を結んで、あなたの将来を変える、一筋の光明になることを──
悔いのない、あの時こうすればよかったという事にならないということをあなたに望む。
上手く纏めれていないこんな小説を閲覧下さり誠にありがとうございました。
私自身、あの頃に戻りたいとか、週に一回以上は考えていたりします。
その大半は中学や高校の初期の頃に戻りたいと思っております。
それはやはり、やり残した事があったからではないかと思います。
この小説を読んでいる皆様もこのような思考に陥らないために、日々、コツコツと少しでもいいので、勉強をすることをお勧めします。




