ぎゅうスキ!(2) トラックと魔法陣と牛と
修正しました。2017/02/05
閑静な住宅街。雲一つない青空。雀の鳴き声が聞こえる。
健康のためかジャージ姿の老人がジョギングをしている。オレンジ色のジャージの胸の部分に昭和という文字が書かれていた。季節は冬なのだろうか。
「ヒッ、ヒッ、フー…ヒッ、ヒッ、フー」
……呼吸がやけにラマーズ呼吸っぽい。
老人はそのまま走りすぎていった……
* * *
老人が走り去った平和な住宅街。赤い屋根の家のドアが開かれる。その家の玄関口でスーツ姿の男が食パンをくわえながら革靴を履こうとしている。
Yシャツの裾がはみ出していることからも、相当慌てているのだろう。
「武くーん。いってらっしゃーい」
「たけしくー、いってらーい」
家の中からだろうか、若い女性と子供の声がする。
男は頬を少し赤くし、急いでパンを口の中に詰め込む。照れくさそうに開いたドアから家に向かって微笑んだ。男の歳は30代半ばくらいだろうか。
「いってくるよ。あ……武君はやめてくれよ。香菜にはパパって呼んでもらいたいんだよ。」
男はちょっと困った顔してそう言った。
「パパー?……たけしくー!」
子供の声が聞こえると、男は満面の笑みを浮かべる。呼び名は武君が採用ようだが、良かったのか男よ。
「じゃあ、いってくる。」
男は再び出発の挨拶を交わすと身を翻し門を通り道路に出る。門には孤高田と書かれた表札が掲げられていた。
両開きの門戸は外に向けて開きっぱなしだ。
走る。男は走る。
走る。男は走る。
走る?男は走る?
走っている?男は走っているのか?
50mも走り終わらないうちに男は息切れ切れで歩いていた。年なんだろう。
オッサンはちょこっと走って、しばらく歩いてを繰り返す。
徐々に歩く距離が増えていく。
セットされた髪からアホ毛が徐々に飛び跳ねてくる。
オッサンは下り坂に差し掛かっていた。
オッサンはハァハァ言いながら微笑した。下り坂のほうが平地より楽だからと考えたのだろうか。
* * *
オッサンが下る坂の先には、3人の高校生が談笑しながら歩いていた。少女が2人と少年が1人だ。3人共同じ学校なのだろうか、おそろいの深い緑のブレザーを着ている。少女たちは緑と赤のチェックのスカートを、少年は黒のズボンを履いてる。
少女の一人は、薄紫がかった銀髪で腰まで伸びたロングヘアーをしている。肌は白くスレンダーな体型をしているようだ。冷静で寡黙そうな印象を受けた。美人である。
もう一人の少女は赤色のミディアムヘアーだ。髪を空いているのか、その毛先は軽そうに見える。肌は少し黄金色がかり女性らしい体型をしている。活発な印象を受けた。先の女性とはタイプが違うが美人である。
少年は金髪だった。染めているのだろうか。チャラそうな印象を受けた。
「あのねー……」「昨日さー……」
3人共笑顔で談笑している。他愛もない日常の会話なのだろう。
* * *
オッサンはハァハァ言いながら3人を追い抜いた。
「キャー」
少女達の黄色い声が挙がる。
オッサンが何事かと振り返ると、2人の少女は笑顔で子猫をなでていた。
赤髪の少女が猫の鳴き声をして子猫の興味をひこうとしている。
平和そうな場面に、オッサンはホッとした表情を浮かべる。
だが、オッサンの顔は徐々にこわばっていく。
膝と手も少し震えている。
大きく見開いたオッサンの視線の先には大型トラックがあった。
トラックはまるで坂を落ちるかのように、勢いよく向かってくる。
オッサンは固まっている。とっさのことで動けないのだろう。
その間に無情にもトラックはスピードを更に上げてオッサン達に近づいてくる。
薄紫がかった銀髪の少女が、オッサンの様子がおかしいことに気がついた。
少女はオッサンの視線の先を追う。
そして、猛スピードで突っ込んでくるトラックを目にして息を呑む。
「ッ……皆こっち!」
少女は叫ぶと同時に子猫を抱えて壁側に走る。
その先にはよく見ると小道があった。
何事かと振り返る2人の高校生。
2人は一瞥しただけで事を理解したのか、紫髪の少女の後を追い小道に急ぐ。
ついでにオッサンも何故か指示に従って小道に滑り込む。条件反射でついていっただけだろう。オッサンの位置だと逆側に逃げた方が早い。
* * *
トラックが壁にぶつかる。衝突場所は4人が避難した小道のすぐそばだった。
激しい衝撃音が鳴る。地面は揺れ、電柱はしなる。木々は葉を落とすと、その枝に止まっていた鳥たちは一斉に空へと逃げだした。
バンパーやダークグリルはひしゃげて折れ曲がり、フロントガラスやヘッドライトは粉々になり地面に散らばっている。遠くに転がるサイドミラー。バラバラと何かが崩れる音がするが、鳴り続けるクラクションの音がそれをかき消していた。
不安定な状態でバランスを保っていたリアドアが音を立てて倒れた。
遠くから人の悲鳴が聞こえる。何故か牛の鳴き声も聞こえる。
* * *
事故現場の側――オッサンは壁にもたれかかり呆けていた。……定番の転生トラックかと勘違いしたわ。間際らしい。
金髪の少年は2人の少女に守るかのように覆いかぶさっていた。背中にはホコリや何かの破片が乗っている。
少女たちは安全を確認するように辺りの様子を伺う。
高校生達はお互いの顔を見ると頷く。
少年は立ち上がると自らの側頭部をトントンと叩いていた。
少女2人は立ち上がり服についたホコリを払う。
紫髪の少女がかがみ、地面に何かの破片で文字を書く。
『ケガない?』
衝撃音で一時的に聴覚がおかしくなっていることを考慮しての行動だろうか。
赤髪の少女と金髪の少年は一度うなずき、自分の体を叩いたり触ったりしている。
キーーーン
―――不意に耳鳴りのような音がする。
続いて、世界から音が消える。
雑踏もクラクションの音も聞こえなくなる。
誰もそのことに気づいていないのだろうか。反応が見られない。
―――突然、光りだす高校生達の足元。
直径4メートルほどの魔法陣のような図形が突如現れた。
それは回転しながら地面から腿の高さまで浮かびあがる。
魔法陣を構成する様々な文様が、青く激しく発光しだす。
高校生達もあまりのことに思考が停止しているようだ。
オッサンはまだ呆けていた。
「離れて」
紫髪の少女がそう叫び、いち早くその場を離れようとする。
しかし聞こえていなかったのか赤髪の少女とぶつかり、2人は転んでしまう。
倒れた2人の元に駆け寄る金髪の少年。
オッサンは呆けたままである。
―――魔法陣から発される光は眼底まで暗ませるかのように強くなる。
高校生3人は腕で遮るが目を開けていられない。
刺すような眩しさに正気に戻ったのか、オッサンも高校生と同じポーズを取っている。
―――光は更に強くなり、世界のすべてが青一色になる。
* * *
―――しばらくした後、光が収まり世界に音が戻った。
雑踏も聞こえるようになる。
「救急車を呼んでー」「誰かこっちー」「避難したほうが良くないかー」「モォー」
人々の声が遠くに聞こえる。何故か牛の鳴き声も聞こえた。
何もかもが突然現れた静寂な時間の前に戻っていた
しかし、元に戻ったのは全てでなかった。
ほんの僅かな違いがあった。
それは、その場にいたはずの4人の人間がいなくなっていたことだった。