1『冬』
色づいた葉もすべて落ちきり、次の年の養分として土に蓄えられた頃。
枝ばかりになった木が、外気の冷たさを加速させる季節において、暖房器具というのは必須の家電だろう。着こめばそれなりに冷気をシャットアウトできるとしても、快適に過ごす上では暖房をつけないという選択肢はない。
そんな一二月下旬の気候にあって、冷暖房のうちどちらも完備していない、隙間風の吹き込むボロ屋で訓練するのは自殺行為に思えたものだが。
「熱っ!」
迫りくる炎の壁から発せられる熱気にさらされて菖蒲響はのけぞった。
大きく転がって炎の範囲から逃れると、起き上がる勢いでホルダーを解放。タロットを数枚ばら撒いて、水の元素を生成する。
序列決定戦から二カ月と少し。たゆまぬ努力の成果で、当初と比べれば生成可能な元素の量はいくらか増えたものの、けた外れの魔力が込められた炎の壁には完全に無意味。
紅蓮の炎は、その威力にも速度にもいささかの衰えも見せず、ギリギリ退避した響をかすめて、訓練場の壁にぶち当たると結界にダメージを与えた。
「だから言ってるじゃないですかヒビキさん。相殺とか、威力を削るとか、勝とうとか、一〇〇年早いって」
「前二つはともかく、最後のは一〇〇年も待ってられないんだけど」
サイドポニーを揺らしながら、整った顔でさらりと酷いことを言うのは小熊瑠璃だ。
軽口を叩く彼女は、駆ける響に並走し、追従してくる炎の猛威から逃れようと必死になっている。もっとも、表情からは真剣さというものが全く感じられないのだが。
そんな瑠璃の軽口に、炎の向こうから声が飛んできた。
「そうだよ瑠璃。僕と響が戦ったら、勝敗は五分五分だと思う。もしかしたら僕の方が分が悪いということもあるかもしれない。一〇〇年と言わず、今すぐにでも彼は勝利をつかむだろう」
「過大評価だ!」
むしろ、きちんと準備した上で、万全の状態で相対してなお、勝率は七対三で響が不利だ。
現在、響と瑠璃の二人を同時に相手取ってまったく揺るがない、一学年最強の少年。炎に隠れて直接確認はできないが、柔和な笑みを浮かべているであろうことは想像に難くない。
倉橋陽介は、炎をまったく緩めることなどせずに、自身の言葉を否定した響に、
「君のその謙遜は、ある種自信のなさと言えるものだよ。もう少し自分の実力を把握してもらいたいものだ。序列戦の時のようになってもらっては困るけどね」
「そのセリフの前半、そっくりそのまま返すよ! どう考えても俺より陽介の方が強いだろ!」
「強いかどうかと、勝てるかどうかは別だろう? よく言っているじゃないか」
「……っ!」
言葉を止めたのは、大真面目な雰囲気が伝わってきたからでも、図星を突かれたからでもない。単に、迫ってきていた炎に追いつかれただけだ。
脅威を感じると同時、飛びずさって咄嗟に躱す響。だが、毎日のトレーニングで鍛えられた響ができることが、そのまま瑠璃のできることではない。
「――っ!」
判断間に合わず、すぐ背中にまで迫っていた炎の濁流に飲み込まれる瑠璃。その矮躯が灼熱に咀嚼され、燃え移る火炎に身を焦がされていく――。
「こわっ。ヨースケさん怖いです。こんなに可愛いルリさんがピンチなのに、何の躊躇いもなしですか。なんて鬼畜っ」
咀嚼されたように見えた瑠璃の影は刹那で掻き消え、代わりに響からだいぶ離れたところ――炎の裏側から抗議の声が上がっていた。
幻影。
平均以下の実力しか持たない瑠璃が、唯一得意な魔術だ。本人談だが、すでにプロのレベルを凌駕しているらしい。
「瑠璃ともなれば、そう簡単に僕の魔術を食らうということもないはずだからね。幻影を使っているのだろうと、そう判断しただけのことだよ」
「ヨースケさんのその判断は、あまり信用ならないんですけど。過大評価しすぎですから」
軽口をたたきながらも、攻撃の手は止まらない。炎は依然迫ってくるし、瑠璃も魔術を放っている。響もただ逃げ回るだけでなく、隙間を縫って炎の裏側へ。隠れていた陽介を視界にとらえると、手をかざし魔力を込めた。
「火よ」
「おっと……!」
直前まで、瑠璃の魔術に対処していた陽介の反応は数瞬遅れる。それでもギリギリ防ぎきるところは、さすが一学年最強と言ったところか。
そうしね奇襲を躱された響に、陽介はお返しとばかりに、またも炎を繰り出そうとし――。
パンッと、手と手を打ち付ける音が響いた。
「はい、そこまで!」
透き通るような声が放たれると同時、響に迫っていた炎の壁が、突如現れた超質量の水によって消火される。
桁外れの魔力を内包していた炎が、それを凌駕する力に押し負けた結果だ。
そんな芸当ができるのは、この場に一人しかいない。
学園最強の名を二年生でありながらほしいままにする少女――佐倉・S・奏の魔術だ。
すでに並のプロすら越えた陽介の魔術を、赤子の手をひねるように打ち消してみせる。何度見ても、その実力には畏怖の念しか浮かばない。
だが奏は、その事を誇るでもなく、それどころか何とも思っていない表情で、
「さて、休憩にしましょう」
と、嘯いた。
* * *
第三訓練場は季節関係なく常に人気だ。そして第二訓練場も、じかに外気にさらされる環境でありながら、直射日光の恩恵でそれほどまでに体感温度は低くない。よって、夏場とは違い冬場は比較的人気がある。
そんな中、ここ第一訓練場は冬に最も人気がなくなる。理由は単純なもので、寒いからだ。
それもただ寒いだけではない。何故か第一訓練場内は、外よりも寒いのだ。ほとんど人が出入りしないせいで、冷やされた空気がそのまま残っているのでは、とは奏の論である。
誰も好き好んで外よりも寒い場所で訓練する気など起きるはずもないというのは理解できるが、寒いかというとそんな感じは全然しない。
あれだけの質量の炎が展開されていたのだ。消火されたとはいえ、上がった室温が簡単に下がるわけでもない。
訓練場内は過ごしやすい気温にまで上がっているし、走り回った響としては少々暑いくらいだ。
パタパタと訓練着をはためかせて空気を送り込みながら水分補給。酷使した筋肉をほぐして疲れが残らないようにといつものケアをする。
「ありがとね、響くんの訓練に付き合ってくれて」
入念にマッサージする響の横。訓練場に設けられた観客席の一角で、奏がそう言うのが聞こえる。
それは響が言うセリフなのではないのかと手を止め顔を上げるが、友人二人に意に介した様子はない。瑠璃などは、いつもと変わらぬテンションで、
「いえいえー、ついでとはいえ、学園最強さんに訓練を付けてもらえるなんてかなーり光栄なことですから」
と空気を読んだ返しをしたかと思えば、少々嗜虐的な色を瞳に宿す。
「それに美人さんですしね」
「私、そんなこと言われたってもう取り乱したりしないんだからね」
「えー、つまらないですねー」
「つ、つまらない……?」
知り合ってからの二か月間、そう多くはないとはいえ顔を合わせるたびに同じやり口でからかっていたのだ。いかな奏と言えど多少は慣れたようだった。
そうはいってもまだ耳が赤いのは見えるし、瑠璃が言ったテキトーなことにいちいち傷ついたりしてるのだが。
「瑠璃、あまり年長者をからかうものではないよ」
少々おふざけが過ぎると、瑠璃を諫めるのは陽介だ。
ここ数カ月、何度も見て来た光景なだけに、もはや止めるのにもこなれてきた様子の一学年最強は、叱られ唇を尖らせて拗ねる瑠璃を目の端に、奏を正面から見据える。
「――とはいえ、僕にとっても光栄なことであることは言うまでもありません。お礼を言うのであれば、こちらの方でもありますから」
「でも君は、私が教えなくても何の心配もないだろうけどね」
事実、陽介の魔力量はすでに魔術師のそれをも超えている。技術の方だけが追いついていないとはいえ、単純な力押しでも魔術大会を勝ち抜けるだけの実力があるだろう。
そんな奏の評価に、しかし陽介は首を振る。
「いえ、佐倉先輩のような実力者に教えてもらう。その経験は何にも代えられないものだと、そう思います」
「う、うん。そんなに大したものじゃないよ……?」
「謙遜されることはありません。僕のように実技だけの人間にも分かりやすい説明には、かなり助けてもらっています」
「そ、そう。ありがとう……」
「ヨースケさん、学園最強さんが照れてます。恥じらってます。結構本気で嬉しそうです。私とやってること大して違わないです」
「そうかな? 僕はただ事実を述べただけなんだけど……」
「これは本気で言ってますねー。性質が悪いですねー。将来刺されても知りませんよ?」
「うん? 気を付けることにするよ」
無意識に奏をほめちぎった陽介は何も分かってない顔。ついさっき自分が諫めたのと同じことをしているとは、夢にも思っていない様子だった。
当の奏も若干顔が赤い。瑠璃にからかい倒されていたおかげで、訓練場の隅に引きこもらないでくれたのが不幸中の幸いだ。
「それに、佐倉先輩だけでなく、響にも学ぶ面は多くあります。一緒に訓練させてもらえるのは、単純に僕にとってもプラスです」
「ルリさん的には、学ぶものはないですけど。むしろ、たまに幻影が荒いのが気になるなーみたいな」
「君のものと比べてはならないだろう。響が全力で励んだ成果だ。馬鹿にしてはならない」
「馬鹿にはしてませんよ? でもルリさん、幻影にはソムリエでありたいんです……」
「……すまない。何を言っているのかよく分からない」
ノリに任せてテキトーなことを嘯く瑠璃に、陽介は真面目に受け止めて困り顔。
常に真面目なせいでからかいにくい陽介をからかうすべを身に着けたようで、困惑する美丈夫にご満悦な瑠璃だが、笑い声は別のところから起こった。
「ふ、ふふっ」
口元に手を当て、肩を震わせる奏を、陽介と瑠璃は会話をやめて仰ぎ見る。
「ふふっ。ごめんね。面白くて。二人みたいな子が、響くんと仲良くしてくれてよかったって思ったの」
「奏さんは俺の母親ですか……」
友人を家に招いたとき、母親が言いそうなセリフをさらりと言われ、それまで傍観していた響が反射的にツッコんだ。
別にダメではない。ダメではないが、この感じは何なのか。
「師匠なんだから、このくらいはしないとでしょ?」
何も分かっていない様子の師に、響は小さく嘆息する。
――負い目がなくなったのがよほど大きかったのか、響を弟子にした理由を話してからの奏はずっとこの調子である。
頭をなでる等のスキンシップが増え、メールの内容が事務的なものから雑談を交えたものに進化し体調確認まで入る始末。
春花が紋章術の評判が回復していないことに気がついた際は、響の知らないところで交渉して説得してしまっていたレベルだ。本日の訓練に瑠璃と陽介を誘ったのも奏で、響は直前まで何も聞かされたいなかった。
弟子入りした当初の、メールも最低限のころは、奏がいかにクールに振る舞おうとしていたのかが分かる。出来ていなかったが。
あまりに過保護。好感を抱いている相手から気にかけてもらえるのは悪い気はしないし、むしろ素直に嬉しいのだが、この段階までくると首をひねりたくなってくる。
微妙な反応の響に、友人二人は温かいまなざしだ。
「ま、こんなに面白いものが見られるなら、いくらでも仲良くしますけどねー」
「むしろ、僕の方が仲良くしてもらっていますから」
「その返し、狙ってない?」
母親にそんなことを言われた場合の模範的な答えに、もはや何か作為的なものを感じる。実は予行演習とかしていたのではないだろうか。
そうして雑談に興じるのは、もう珍しいことではない。
いつも静かだった訓練に他の声が加えられ、心なしか華やかになっている。
――魔術大会、その二週間前の一幕だった。
次は火曜日です。




