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下の下には俺(した)がいる  作者: サクラソウ
2章『落ちこぼれ魔術師の序列決定戦』
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15『戦闘開始』

 煌々とした眼光がゆっくりと振り返り、相対する響を視界に映す。

 鼻を鳴らし、不機嫌を表して、


「キィィィィイ――ッ!!」


 この場では三度目となる雄たけびには、これまでとは違って苛立ちの色が垣間見えた。響を、敵とまではいかなくとも、鬱陶しい相手として認識したようだ。


「好都合……!」


 ふてぶてしい笑みを浮かべて、響はひとりボヤく。

 なるほど、力の差は歴然だ。こちらの魔術は効かず、対して大猿の攻撃はそのおよそすべてが致命となり得る。瑠璃の逃亡の判断は間違っていない。どころか、立ち向かおうとしている響の方がおかしいくらいだ。

 即デッドだと、そう言われたのも納得がいく。


 だが、


「力の差があるのはいつも通り」


 響が相対する相手は常に格上。魔術の能力では決して敵わないような者ばかりだ。そんな差をものともせず、響は勝利を重ねてきた。一度は万全ではなかったのにもかかわらず、強敵といって差し支えない人物相手に白星を勝ち取ったのだ。


「それに、やっぱり先輩ほどじゃない」


 もし魔獣の相手をするのが響ではなく奏が相手であれば、すでに大猿の命はないだろう。それこそ、騒ぎの正体を確認しに行ったあの場で瞬殺されてお終いだ。

 つまりはその程度の魔獣ということ。時間稼ぎ程度、自分ならばどうとでもできる。そう判断するのと、大猿が動き出すのとはほとんど同時だった。


 大猿が跳躍。先ほどと同じ要領で響との間にあった三歩の距離を詰めにかかる。単純にぶつかられただけでも、質量差に押し負けて潰されるのは明白。防御魔術の心得がない響には、回避以外に似選択肢がない。


 大猿が三度目の跳躍に入る。それと同時に、魔術を発動する。


木よ(wood)


 蔦が再び走って、吹き抜けを突っ切る。渾身の力をそぎこんだ結果、二階にある手すりに絡まったそれは、大猿の膂力にはかなわずとも、人ひとり支える程度の強度はある。蔦を引き寄せて地面から足を離し――直後、響のいた空間に猛威が衝突した。

 ズシンと地面が揺れるような感覚。単純な押しつぶしからして、もし回避できていなければ、ひき肉になっていてもおかしくない威力。


「でも、見える分だけマシ……!」


 呟く響は蔦にぶら下がったままの大勢で、着地する大猿に火球を発射。額に命中。大猿がわずかにのけぞった隙を見て、階下に着地して避難民とは反対方向に走り出す。

 肌の露出されている額ならば、体毛でおおわれている胴体とは違い多少の効果はあるようだ。


 それに安堵しつつ、響はのけぞった大猿が体勢を立て直し、全力疾走で離脱を測る響を視界に収めたのを見た。突然邪魔をしてきて、挙句に尻尾を巻いて逃げる相手を前にして、理性なき魔獣が見逃せるはずがない。


 狂ったように鳴き声を上げて地面を踏み鳴らす大猿。蹴りつけその反動で跳躍。響の疾走を上回る初速は、空けたはずの距離を即座に無にする。だが――


木よ(wood)!」


 響が取った回避行動は先ほどと同様、吹き抜けに向かって蔦を伸ばし、即席のロープとするもの。再び眼下を大猿が通り過ぎ床に激突する。その着地のタイミングを狙って、響の火魔術は大猿を襲う。


 次に命中したのは額をズレて首元へ。動きを停滞させるには足りず、蔦にぶら下がっている響は格好の的だ。

 大猿は着地の衝撃をものともせずに再跳躍。響を掴んで引きずり降ろそうと手を伸ばし、その手は空気以外に何も掴むことはできなかった。大猿の攻撃を予測していた響は、寸前蔦から手を離し、階下へと着地している。そして再び全力疾走。戦闘の舞台はもう少し離しておきたい。


「にしても、単純な攻撃しかしてこないな……」


 今のところ響が目の当たりにした大猿の攻撃は跳躍することによっての体当たりや踏みつぶし。それと握りつぶしだろうか。

 どれも基本的に単発で、直線的なものばかり。知能は低く、同じ回避を二度使っても対策をしてこない愚鈍。脅威度の低さ故、魔術を使ってくるようなこともなく、猿の外見に似合わないほど単調。今の響には余裕すらある。


 背後から迫る大質量を感じ取り、横っ飛びに転がる。響のいた空間を大猿が駆け抜け――転がりざまに投げたタロットから砂が射出された。砂煙に真正面から突っ込んだ大猿に、自身の目を守るすべはない。

 普段ならば数度の牽制を経て何とか成功する目つぶしが、あっさりと決まった。


「キィィィィイ……ッ!?」


 声を上げる大猿。しかし止まらない。

 起き上がる響に狙いを定めたと思えば、何の迷いもなく跳躍。剛腕を降りかざす構え。

 すぐには動き出せないと踏んでいた響は、その挙動に目をむく。まずい、と咄嗟にホルダーに手を伸ばし、高速回転する頭でやり過ごす方法を検討――。


 ――横合いから走る蔦が響の足をからめとり転倒させると、その勢いのままに引きづった。


「いたっ、痛いっ」


 背中で、散乱していたガラスを踏みつぶし、その中一つが腕を浅く切るのに顔をしかめながら、響が抗議の視線を上げる。

 すると、何もない空間だと思っていた場所には、ここにいないはずの人物がいる。


「小熊さん!?」


「はい、みんな大好きルリさんです。危なかったですねー。もう、目を潰したくらいじゃ止まりませんよ。臭いとか音とか、そういうので動きますから、アレ。目を誤魔化せば何とかなるなら、私だって最初から響さんの言うことには乗ってましたしね」


「危なくはなかったよ。防ごうと思えば防げた」


 再び蔦のロープで頭上に逃げるもよし、魔術で牽制しつつ下がるもよし。

 どれも間一髪になろうが、躱せないことはなかった。今のは、単に予想外に正確な急襲を受けて驚いただけだ。

 そんな言い訳じみた言葉に瑠璃は「そうですかー」と軽くいなす。そこに多少の不満を感じつつ、それ以前に瑠璃がこの場にいることの不自然さに気づいた。


「逃げたんじゃなかったの?」


「うーん、逃げようと思ったんですけどねー。やっぱりヒビキさんが魔獣とどう戦うのか気になりまして。そもそも私がヒビキさんに興味を持ったのって面白い戦い方するからですし。そこは見なきゃ損でしょう?」


「ああ、そう。残念だけど見てもあまり面白くないよ。大猿、そんなに強敵じゃないか、らぁッ!」


「わっと!?」


 大猿が悠長に会話をしているところを見逃すはずがない。跳躍が必要ない距離に二人がいることに気がついた魔獣は、両方まとめて潰そうと拳を振り下ろした。

 世界を狙えるどころか凌駕するストレートがうなりを上げて地面を穿った。

 咄嗟に瑠璃を抱えて転がりださなければ、まとめてひき肉だったろう。


 いい匂いがしたり、柔らかかったりと、そういった感触が服越しにも分かるが、今はそれどころではないと強引に思考をシャットアウト。なるべく響が下になるように地面を転がって離脱すると手を離した。


「小熊さん、大丈夫!?」


「え、ええ」


 起き上がって安否確認。外傷はなし。床に転がったガラスに切られてもいないようだ。

 ひとまずそう安堵するが、瑠璃の様子がいまいちおかしい。見れば、頬を少しだけ赤く染め、恥ずかしそうに視線を逸らしながら、


「あれですね。ヒビキさんって真面目そうな顔して、強引だったり、結構いい身体したりしてるんですね……。ちょっとキュンとしました」


「今言うことそれ!?」


 豪胆なのか、馬鹿なのか。おそらく後者。


 何を萌えているのかとツッコみを入れたい気持ちはあれど、そうも言ってられない。

 身をひねる挙動で飛んでくる裏拳を、再度瑠璃を抱えながら回避し、起き上がりざまに顔面に鉄球を打ち込む。ひるむ間に作戦会議。


「小熊さん、あいつの攻撃走りながら避けたりとかできる?」


「え? あ、えっと、無理ですね。可愛い瑠璃さんはそういう暑苦しいの出来ません」


「じゃあ俺が前衛するから、小熊さんは援護お願い」


 短く告げて、響は魔獣に向かってタロット投擲。投げたのは二枚。

 一枚は魔獣の側面から火球を浴びせ、もう一方は火球の発射地点にに石を転がした。

 未だに目つぶしの効いている大猿は、音を聞いてそちら側に二人がいるとでも思ったのだろうか。首を向けると駆け出し。すぐ近くにあった壁にぶち当たった。


「よし、今のうちに最初にあいつを見つけたところに行こう。二人で戦うんなら、ここだとちょっと狭い」


「は、はあ。どうして私もがっつり参加することになってるのか分からないですけど、後衛なら逃げたいときに逃げられますし構いませんよ」


「さらっと見捨てる宣言しなかった今? 嫌なら別にいいよ。別に俺一人でも何とかなるから」


「ルリさん、構わないって言いましたー。人の話はちゃんと聞いてください」


 君にだけは言われたくないよという言葉は飲み込んで、響と瑠璃はそろって同じ方向――最初に大猿を発見した地点を目指す。

 今の場所とて狭いわけではないが、前衛と後衛に分けて戦うにはいささか勝手が悪い。大猿が駆けだしてすぐに壁に衝突したことからもそれは歴然だ。


 走り出して数秒、背後から迫ってくる圧力がある。

 どうやら大猿が、自身の追っていた石の転がる音が囮だと気がついたようだ。騙されたという認識まで届いているとは思えないが、追ってくる怒気は相当なもの。

 だが、すでに距離を取っていた二人には簡単に追いつけない。

 数秒間全力疾走を続け。


 ――最初の騒ぎが起こった場所。腰を抜かしていた数人はすでに逃げ、負傷者も回収されたその場所にたどり着いた。

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