9『三回戦』
「…………」
沈黙し、破壊されたロッカーを呆然と眺める。
控え室の中に人はおらず、ただ焦げた臭いだけが立ち込めていた。
壊されているのは響の荷物が入っていたところだけ。他は無事で、犯人の意図が透けて見える。
ロッカーに入っていたはずの荷物のすべてが燃やされているわけではない。訓練着や鞄といったものは、煤けているものの問題はない。ただ、ホルダーにしまっておいたはずのタロットだけがどこにも見当たらなかった。
――やられた。
直接の襲撃しかありえないと侮った結果だ。
もちろん、こういった遠回しな事態にも対策は打っておいた。ロッカーに鍵をかけることは忘れなかったし、それがどこかしらに置いておくだけよりはるかに用心した行いであることは間違いない。
用心としては充分。単純に、隼人がやりそうなラインを読み違えていた。
響を控え室の外に誘導したうえでの犯行。外に出ていたのがせいぜい一〇分程度だということを考えると、かなりの早業である。一年生で、決してもろくはない物質を破壊せしめるなど、平均レベルではできまい。
黒くなったロッカーの扉は歪に凹んでおり、何度も魔術を叩き込まれたことを物語っていた。
「キュル……」
愕然と声を漏らす使い魔。その響の中には、役目を全うできなかった不甲斐さのようなものが感じられて、
「大丈夫。なんとかするよ」
力強く、空元気なようなものではあったけれど、響は無理やりに意識を変えて冷静になる。
ひとまずの現状把握は終了。起こってしまったものはしょうがない。対応策を考えなければ。
タロットを、また一から準備し直す――これは時間がかかりすぎる。
では、春花の元まで行って紋章を分けてもらうことは――そもそもの性質から言って、春花の紋章を響は使えない。
即座に浮かんだ二つの案は、浮かんだのと同じ程度の時間で却下される。
モニターでは、響の一つ前に当たる試合の決着がそろそろつきそうだということを知らせてくる。時間的余裕は少しもない。
有効な対策は何一つない。あったとしても、もう打つ暇がない。
タロットはあらかた全滅。ポケットに入れていた逃亡用のもの数枚が無事なだけ。その他、体力魔力共に
平常通り。ただし新しい魔術は未だ習得に至っていない。単純に戦力が割かれる事態。どうしようもない。
「菖蒲選手、早く準備してください……なんですかこれ」
半開きになっていた扉から腕章をつけた男子生徒が顔をのぞかせ、中の惨状を目にに響に疑いの視線を向けてくる。
隼人とグルという可能性も考えていたのだが、単純に利用されただけというのがその反応から読み取れた。そんな男子生徒にかぶりを振って、
「俺の魔術にこんなこと出来る威力はないよ。外に出てる間に誰かにやられたんだ」
「ああ、なるほど……」
それで納得されてしまうのが辛いところだが、もう本格的に時間がない。
後始末はその男子生徒ーー不満そうだったーーに頼んで大急ぎで訓練着に着替え、控え室を後にする。
小走りで通路を走っていると、フィールドに出る扉の前に人影があった。
「よお、”落ちこぼれ”。顔色が悪いんじゃねえか?」
「キュルゥ……!」
ニヤニヤと、さも愉快そうに口の端を釣り上げる隼人は、響を見下す視線で見る。
横でキュルリンが威嚇するのを感じながら、響は意識的に表情と声音を制御し、
「……もっと簡単に、真正面から仕掛けてくると思ってたよ」
「ああ? 何言ってんだかわからねえなぁ。んなアブねーの侍らせてんだろうが。それなのにこの俺がそんな馬鹿な真似するとでも思ってんのかよ。頭まで雑魚だなぁ。もう生きてる意味ねぇんじゃねえか?」
「今までの行いを振り返って言ってほしいよ。本当に」
「そりゃテメーの方だろうがよ。今まで生き残ってられたのは、俺が手加減して本気を出さなかったからだ。自覚しろよ」
「無茶苦茶だ」
わけの分からない理屈を持ち出す隼人。ついこの間まで殺意を煮えたぎらせていたその表情は、一学期、響を馬鹿にしていた時のものに戻っている。よほど一杯食わせられたことがうれしかったのだろうか。
「俺が言えた義理じゃないけど、卑怯なことするもんだね」
「ちゃんと管理してなかったのが悪いに決まってんだろ」
「そうだね。その通りだ」
油断はしていなかった。考えも巡らせた。セキュリティ的には問題ないレベルの警戒だったはずだが、単純に隼人の行動が響の予想の上をいっただけだ。
「まさか、学校のロッカーを破壊するとまでは思わなかったよ」
「はっ! 負け惜しみにしか聞こえねぇな、”落ちこぼれ”。あの紙っぺらがなけりゃ、テメーは何もできねぇだろうが」
「…………」
半分事実だ。
響の最大の武器は奇抜な戦術、不意打ちや目くらましなどを用いて真正面からはぶつからないことにある。その戦い方において、紋章術はかなり大きい役割を占めているのだ。
何もできない、というほどではないが、戦力は大幅に削られる。
キュルリンが傍らにいるおかげでいまは戦闘に発展していないが、もしいなかったら、ここでしかけられ、響はフィールドに足を踏み入れる事すら叶わなかっただろう。
ギリギリで掴んだ勝利。タロットがなくなってしまえば響に勝ち目はなくなる。
「――でも、俺はこの試合も負けるつもりはないよ」
「だから、負け惜しみにしか聞こえねーって言ってんだろ、雑魚が。無様に逃げまわる様を見させてもらうぜ」
性根の腐った笑みの横を通り過ぎ、響はフィールドへの扉を開けた。キュルリンが送り出す視線を向けてくるのが背中に感じられる。
こんな奸計に負けたくない。それには試合に勝つしかない。
もしかしたら負けるかもしれない。目標に届かず、あっさりと敗退する可能性の方が圧倒的に高い。不安がないかと問われれば、首を横に振るだろう。自信を持てと言われながら、こんな状況では難しい。
それでも、勝つという意思だけでは誰にも負けない。
勝つということはすでに決めたことだから。
それだけは決定事項。それならば、やることは変わらない。
三度目となる景色を視界に収めながら、響は扉をくぐった。
* * *
隼人の破壊を免れたタロットの種類――土元素、金元素、木元素、それぞれ二枚ずつ。砂を生成放出する術式、鉄球を生成し射出する術式、蔦を生成し縄とする術式の三種類だ。
今回の相手は、笹原という男子生徒。
単純な魔術力では平均をやすやすと越える隼人に迫り、隼人と比べて冷静に慎重に戦うタイプ。
危うく負けかけた相手に近い実力に、挑発の効果のほどに期待できない性格。響の勝利パターンが通用しにくい相手――端的に言って強敵だ。
状況を鑑みて、いよいよ紋章術に制限がついてしまったことが悔やまれる。
枚数も二ケタには届かず心もとない。あるだけマシだが、依然、戦術をしくじれば次の手が狭まる。
充分以上のストックをもって試合に臨んでいた前回までとは打って変わって、開始前からリミッターを付けられているようなものだ。
そして何より、事前に組み立てていた戦術のうち、大部分は使えなくなってしまった。
なるべく少ない手数で、かつ効果的な戦術を求めている現在、牽制を乱用するようなものは使いたくても使えないのだ。だからこそ、タロットを使用するのであれば、確実な手段として用いなければならない。少なくとも無駄に使ってしまうのは論外だ。
自分が今出来る戦術を組み立て、円形のフィールド反対側に位置する相手に通用しそうなものをピックアップ。
ピンチに反して頭は冷静で、危機に対して高速回転してくれる。もっとも即席の策にどれほど期待できるか。
『――これより、三回戦第五試合を開始します』
思考の海に沈みそうな頭が、会場に反響する司会の声で引き上げられる。
戦略を練るのは大いに結構。だが、本番は目前。それだけに集中するのはいただけない。
――ブザーが鳴る。
普段なら挑発で冷静さを奪うところ。しかし今回はその工程を省き即座に行動する。
「し――っ!」
疾走。生成、飛来した石をいつもの通りに地を蹴って躱す。
狙いのそれたそれは、着弾した地面をえぐり衝撃で砂を巻き起こす。直撃していたら骨が折れてもおかしくない。
直撃した際の物理的ダメージを想定し、背中を冷たいものが流れるも、奏に比べれば拙いものだと恐怖を振り払う。
術式を編んで掌から魔力を流し込む――。
「水よ!」
発射したのは水元素。顔ほどの大きさのある水塊が、風を切って突き進む。
対する笹原の反応は素早い。土魔術の軌道を変え、真っ向からぶつける形でこれを相殺――魔力でも魔術の性質でも響の分が悪く、あっさり水球を叩き潰した石がそのまま突っ込んでくる。
飛び込むように避ける響。選んだ魔術のミスとしか思えない攻防。しかしこれはミスではない。
すでに投擲しておいたタロットが笹原を襲う。
――土
放射状に巻かれた砂。生成された量は少なくとも、至近で放たれ目に入れば視覚は使い物にならなくなる。入らなくとも、目を逸らさせることが出来る。
魔術発動までの刹那、防御では間に合わないと悟った笹原は大きくバックステップ。砂煙の射程範囲からかろうじて逸れる。
だが砂煙を通した延長線上、死角に位置する響の行動までは把握できない。
二枚目のタロット。砂煙を迂回するように回り込むそれは、笹原の側方を狙う。金元素発動。当たりどころによれば、意識を刈り取る一撃。
しかし、ここまでお膳立てされた牽制を見れば、次に本命の攻撃が来ることは容易に想定できる。慎重派の笹原ともなれば、充分対処できる程度の奇襲。
果たして、打ち出された鉄球は金属音を響かせて、地面からせり上がった土壁に進路を阻まれた。元素の生成、それも壁を作るなど、隼人クラスの天才だ。
――それでも、”落ちこぼれ”が勝てないとは限らない。
最初の攻防はほんの小手調べ。響と相対した時、どういった戦い方をするか見極めるためのものだ。その落ち付いた対応はまさに期待通り。
分析しながらも響の足は止まらない。攻撃を躱しながら、頭を高速回転させて戦術を練っていく。
飛来した投石を、隼人戦を踏襲する形で回避。膠着状態を作り出すが、今回の相手は隼人のようにただ撃つだけしか能のない相手ではない。
「――木よ」
土元素に混じって唱えられた詠唱が、木元素を作り出し指向性を持たす。
響の走る直線上の地面から、蔦が一束出現し、拘束しようと手を伸ばしてくる。
早く、そして丈夫な魔術。響の遅く弱い魔術行使ではレジスト不能。ならば躱すのみ。
一束だった蔦は、掌を広げるような形でもって響を包み込もうとする。即座に進路を変えることも、止まることもできない響は、そのままの速度で拘束に突っ込み、
「火よ!」
一か所に向かって手をかざして魔術を放出。簡単に燃やされてはくれないが、すり抜ける程度の隙間は出来上がった。飛び込み前転の要領で身を回し、地面からの衝撃を吸収して素早く起き上がる。
目論見が外れた笹原は焦りを見せず、能面のまま攻撃の手を止めない。変わらず飛んでくる石を、すぐさま駆けだして身をかすらせるにとどめ――。
「ぅっ!」
先ほど響を拘束しかかった蔦。その足元に半ばまで刺さったタロットから鉄球が発射される。短く声を上げた笹原はすぐさま迎撃の体勢。投石が鉄球にぶち当たり、甲高い音を響かせて響の魔術が惜し負けるも、土魔術の軌道は逸らした。
弾かれた鉄球は進路を変えて地面に突き刺さり、役目を果たせず魔力の粒に代わる。その最中――走る蔦が笹原の足をからめとった。鉄球に張り付けていたタロットが、今術式を起動させたのだ。
不意を突かれたように、能面にわずかな焦りをのぞかせつつ、笹原はやはり落ち着いた対応。火元素を打ち込んで、響の貧弱な魔術を焼き払う。
完全に攻撃を潰され、残りのタロットもわずか二枚。だがこれでいい。
たたらを踏んで慌てて顔を上げる笹原の眼前、さらに投擲されたタロットが迫っている。元素は土、狙いは顔面。だが一歩遅い。
タロットが発動する刹那の前、手を振り上げる笹原が呪文を詠唱、襲い掛かる砂に対してぶつける。
一瞬で生み出されたにもかかわらず、その物量は砂の数倍。水は放射状に巻かれて砂を包み込むと、それ以上の拡散を許さず見事に封じてのけた。
――それが隙となる。
残りタロット一枚。もはや打つ手などたかが知れている響は、魔術三つを使って稼いだ時間で、笹原の後ろまで回り込んでいる。残りの距離三メートルを詰めるだけ。それさえできれば響の勝ちはほぼ揺るがない。
足音に気付いて、笹原が振り向く。響を視認するまでわずか一瞬。間合いを詰めるのがあと一歩間に合わない。その一瞬を引き延ばすべく、響は最後のタロットを使う。
「ぐっ……!」
木元素――蔦がのたくり、再度笹原の足元へと伸びる。笹原の視線が下に向き、足りない時間を稼いだ。
――勝った。
タイミングは完璧。迎撃、回避、防御、すべてが手遅れの好機。
「金よ――っ!」
一回戦と同じ、顎を狙った一撃が放たれた。




