8『警戒』
瑠璃の警告を受けて、響は考えられる可能性について検討した。
隼人の性格から考えて、直接的な手段に打って出る可能性が高い。
数日前の襲撃が良い例だ。七月の騒動の時も、隼人は直接手を下した。
その傾向から考えて、搦め手はほぼないだろう。であるならば、直接的な襲撃が考えられる。
加えて隼人が呟いていた内容から、次の試合に影響の出る形で仕掛けてくるはずだ。もっとも、響が七月の件のようにいたぶられた場合、試合そのものへの出場ができなくなるわけだが。
ともあれ、取り得る手段が直接攻撃で、試合に影響を与えるという条件ならば、かなり限定して考えられる。
例えば響に大怪我をさせる。もしくは著しく消耗させる、などだろうか。
怪我は治癒魔術である程度のものならすぐに治せてしまう。取られる手段が怪我だろうが消耗だろうが、襲撃があるのは試合当日から試合直前までだろう。
もちろん、大怪我をさせてくるのであれば前日でも構わないが、そもそも直接攻撃に限定されているのであれば、対策は容易だ。キュルリンによる護衛を継続してもらうだけでいい。学園最強ーー魔術師としても上位の実力を持つ奏の使い魔だ。護衛としてこれ以上ないほどの安心感で、ほとんどの場合で過剰戦力だ。
それに念を入れる意味で追加できるのは、常にタロットを携帯しておく程度だ。
といっても、ホルダーを常時装備しているわけにもいかない。投擲可能なようにそれなりの強度が必要なタロットは、厚めの紙が使用されている。枚数を合わせれば結構な荷物だ。日常生活に邪魔になる以上、携帯するのは十数枚。戦闘を主眼に置いたものではなく、逃亡に焦点を合わせた用途とする。
これで充分以上の対策はできているだろう。想定外の事態があったとしても対応可能だと考えられる。
しかし、これはあくまで学園内に限っての話。
ないとは思うが隼人のことだ。登校中や下校中を狙われているとも限らない。
さしもの奏も、学外に範囲を広げてまでキュルリンを護衛につける魔力的余裕はないらしい。使い魔に供給する魔力だが、これが意外と馬鹿にならないのだ。学内とはいえそれなりの距離は離れられるのは、ひとえに奏の実力あってこそだ。
だったら自分が帰りも送ると豪語する奏の過保護な主張を思いとどまらせ、登下校中は響の自衛に任されることとなった。
どちらにしろ、仕掛けてくるのは当日の午前から試合直前に間違いないだろうが。できる限りの用心に越したことはない。
警告があった日。いじけた奏を元に戻し、それからこういった対策が話し合われた。
前回の襲撃を受けた段階で、すでにキュルリンの護衛はついていたので、主に意識確認と強化に収まったが。
――そうして数日が過ぎ、序列決定戦三回戦目。その当日になった。
それと同時に、隼人からの襲撃の可能性が最も高い日でもある。正確に言うのであれば、この日まで何もなかったというのなら、必然的に今日に何かがあるということである。
響としては、毒気がそがれるなりして思いとどまっていてくれた方が好都合で有難いのだが、隼人に限ってそれはないだろう。
試合時間が被った奏と分かれ、第二訓練場に向かった。
護衛のキュルリンだが、主の試合には参加せず、引き続き響についている。曰く「いてくれた方がうれしいけど、いなくても負けないから」とのことだ。三回戦も教師が相手だったはずなのに、この余裕。しかも事実だから何も言い返せない。
「実際、先輩に勝てるのなんて、実際のところ大魔術師くらいなんじゃないのかな……」
魔術師の中でも吐出した能力を持つ者。生来の才があり、なおかつ血のにじむような努力を重ねなければ至ることができないと言われている、魔術師の最高峰。
その希少さは並ではなく、その人数は日本全国を見渡しても二ケタに届かない。
実際に目にしたのは一度きり。一〇年前の魔獣災害で、今にも命の灯が消えてしまいそうだった響を助けた魔術師だ。
かなり前の記憶で、さらに朦朧とした意識で見た光景なのでいまいち判断には自信がないが、奏の実力はその領域の一歩手前といった風に見える。端的に言って、学生レベルどころか人間としても屈指。なぜ魔術学園に通っているのか。
「キュルッ」
人間離れした師のことに思いを巡らせていると、傍らで光が生じて弾ける。現れた紺色の毛玉が、咎めるような声を出して我に返った。
「ああ、そうだね。余計なこと考えてる場合じゃないか」
言っていることは分からなくとも、言いたいことの方向性ならば多少は分かる。
今のは、試合を前にしさらに隼人の襲撃があるかもしれない状況下において、思考を別のところに割く響に待ったをかけたのだろう。
反省を口に出すと、キュルリンは満足そうに頷いて再び霊体化する。そのためだけに実体化するとは、主に似て過保護である。
しばらく歩いて試合会場――訓練場に到着した。
通路を通って、すでに入るのは三回目となる控え室に入った。その際、扉を開けた瞬間にあるかもしれない奇襲には警戒する。
控え室の中に先客はいなかった。響の試合までにはあと三試合ある。
選手はここで着替えることになっているので、先客がいないということは響の前に試合があるのは女子だろう。当然ながら、更衣室としても使われる控え室は男女別だ。
いささか早く着いた気もするが、シミュレーションの確認、用意などを考えるとちょうどいいくらいだ。ただでさえ今回は違うことに意識が割かれたせいで、相手の研究が前と比べると甘い。あくまで、前と比べると、だが。二回戦での研究量は過剰とも取れる量だっただけに、比較対象としては向かないだろうか。
ひとまず着替えなければ何も始まらない。
響は鍵付きのロッカーを開け、中身を取り出す。訓練着とホルダー。それにベルトだ。ホルダーにあらかじめ準備しておいたタロットが充分入っているのを確認し、着替えに取り掛かり、
「……?」
ノックの音に動きを止め、扉を訝しむように見た。
脱ぎかけてた制服を再度着て、キュルリンが実体化するのを待ってから扉の向こうに声をかける。
「どうぞ」
「失礼します。――菖蒲響さん、先生が呼んでます」
扉を開けて顔をのぞかせたのは腕章をつけた男子生徒。
彼は浮遊するキュルリンを見て目を丸くしたのち、気を取り直して用件を伝えた。
警戒していた襲撃ではないことに肩の力を抜いて、それから響は今の呼び出しで気になった部分を質問する。
「先生ってどの先生?」
真っ先に思い浮かぶのは美里。次に春花だが、紋章術講師に関して言えば人など使わず、すべて紋章術でなんとかしてしまいそうだ。となれば、消去法で美里ということになる。
男子生徒も頷き肯定。
「急ぎの用ってことです。保健室にいると」
「保健室?」
今の時間、美里は第三訓練場にいるはずだ。もしかしたら響の試合に合わせてここまでくるかもしれない。
だが保健室とは想定外。そもそも響を緊急で呼び出す要件が分からない。それが目の前の男子に聞いたところで晴れるものでもないのは明白。
――というより、このタイミングでの不自然な呼び出しともなればどういうことなのかは分かる。つまり、隼人の襲撃の計画か何かだろう。
ここまで試合が間近に迫った状況。怪我や消耗、はたまた足止めすることによっての不戦敗。
行けばこの辺りの罠が待ち構えていることは想像に難くない。行くことは危険。しかし、
「分かりました」
響は男子生徒にうなずいて、出した荷物をすべてロッカーに詰め直すと鍵を閉めた。
今の想像はあくまで邪推の域。呼び出しは本物で、隼人は思い直して襲撃をしない可能性もゼロではない。
そして呼び出しが本物で、もし行かなかったとなれば、後が怖い。
ここから保健室までは短くない距離があるが、走れば充分余裕をもって戻ってこられるはずだ。キュルリンも護衛にいることだし、武力行使なら問題はない
判断し、控え室を飛び出す。持久走の要領で軽く流す程度に、しかし速度は殺し過ぎないように駆けた。
不意打ちがありそうな場所は警戒し、実体化したキュルリンが先行する。そんな軍隊のような、用心深すぎるような行群を達成し、
「――柳川先生? 今は第三訓練場でしょう?」
序列決定戦中保健室に割り当てられた教員が、当然のことのように聞くが否や、響は回れ右した。
これで罠は決定した。あとはそれを乗り越えれば響の勝ちだ。
行き以上に周囲を警戒して行群――。
「――あれ?」
最大の警戒をもっての往復だったからなのか、隼人は姿を現すことはなかった。
拍子抜けした思いで呟き、宙に浮くキュルリンと顔を見合わせる。キュルリンも響同様、予想外の事態に戸惑っているようだ。
だが、時間は響たちの事情を鑑みないで過ぎていく。響の試合まであと一試合。すぐに準備しなければならない。
急ぐ響は控え室の前まで来ると、そのまま無警戒に開け放つ――ようなことはせず、最後まで警戒心を持った上で開け放った。やはり何もない。
何もないに越したことはなかったのだが、これだけ警戒した以上、何かあってくれなければつり合いが取れないと思うのは人情。とはいえ安堵する気持ちも本物で、これでようやく試合に全霊を注ぐことができる。
瑠璃は嘘を言ったのだろうか。だとしたら何故こうも意味のない嘘を。
あっけらかんとした表情で、面白そうだからと返ってきそうだ。
そんな思考に脳を使って中に入り、はたと気づく。控え室内に満ちる臭い――異臭に。
それが普段から嗅ぎなれてきた臭いだと気づき、響は顔をしかめる。――何故ここで。
だが、そう緩慢に動く脳に反して、心はこの事態がどういうことなのか瞬間的に把握できている。
もう一歩踏み出し、部屋の全体が視界に入ったと同時、響は想像が正しかったことを認識した。
控え室に満ちる臭いの正体。独特な焦げ臭さ。
焦げ臭さ、すなわち火――火魔術。
その発生源である、響の荷物が収納されていたロッカーは力づくでこじ開けられ、炭のついた扉がプスプスと音を立てていた。




