6『熟成されていく怒り』
――ざわざわと沸く会場の中、新垣隼人だけが静かだった。
フィールドを見下ろし、期待していた結果とは真逆の光景を前にし、戸惑うでもなく静かに、だが確かに怒りを蓄積させていたのだ。
”落ちこぼれ”が勝利することなど認められない。認めたくない。あってはならない。
あんな卑怯な真似を平然とやってのけているのが気に食わない。偶然の産物。奇跡の結果。そんなものにすがって、それを自分の力だとでもいうように嘯く”落ちこぼれ”にいら立ちが募る。
順当にいけば、あの場に立っているのは自分だったはずだ。勝利の快感に酔いしれ、自身の才能をひけらかし、自分以外の愚図どもに格の違いを知らしめることができたはずなのに――。
「クソが。図に乗りやがって……!」
隼人とて、ただ暴力をふるうことが決して褒められた行いでないことは理解している。校舎の破壊も同様だ。
相手があのいけ好かない”落ちこぼれ”でさえなければ、こうまで感情を揺さぶられ激昂してなどいなかっただろう。
だが事実として相手は”落ちこぼれ”で、隼人に対して許されない罵倒をし、屈辱を与え、あまつさえ小馬鹿にした張本人なのである。
相対すれば制御が効かなくなり、ただひたすら”落ちこぼれ”をいたぶらなくては気がすまなくなる。だから隼人は、我慢に我慢を重ねているのだが、元が短気ゆえに簡単に怒りのダムは決壊してしまう。
それが二日前の出来事であり、あえなく失敗したあの襲撃である。
「本当、なんなんだよ」
吐き捨てるように言い放ち、隼人は苛立ちをあらわにした。
二日前――つまり一昨日のことで、隼人は相当な説教を受けた。訓練場でもないただの通路で魔術を行使すれば当然の報いである。幸い、連絡路には窓ガラスがなく、たかだか一年生の魔術の流れ弾で破壊されるものはなかったことだろう。
だが、隼人にとってそんなことは二の次でしかない。重要なのは、あれ以来どうにも響の周囲から危険な香りがすることだ。それが、ここまで怒りをため込みながら、隼人が二度目の襲撃を起こしていない理由だ。
理性を放棄しようとも、捨てきれない本能の部分が、今しかければただでは済まないことを鋭敏に察知していた。
だが、それによって自身に降りかかる危機を招かなくなったとしても、時間を経るごとに積み重ねられていく怒りは如何ともしがたい。
――どうにかして発散しなければ。
直接的な暴力に頼らず、”落ちこぼれ”に一泡吹かせることのできる方法。
隼人はそれを、決して働きの良いとは言えない頭で考え始めていた。
* * *
「大丈夫。耐えてる。耐えてるけど……ちょっと頭なでなでしてもいい?」
「なんでですか」
フィールドから戻った響を出迎えたのは、抱きつきそうなのを必死に堪え、しかし堪えきれなかった分の感情が漏れ出していた奏だ。
師の要求を照れくさいと却下。残念そうに顔をうつむける奏だが、その表情から隠し切れない安堵が見て取れた。試合の前は、一回戦と同じように心配していたし、気を揉んだのだろう。
視線をそこからずらせば、宙に浮いたキュルリンと目が合った。
カーバンクルは器用に頷き、それからくるりと回って、
「キュルッ!」
「うん、ありがとう」
相変わらず何を言っているのかは分からなかったが、「おめでとう」とかそんな意味だと解釈して礼を述べる。嬉しそうだったし、おそらく正解だろう。
「ドヤ顔キュルリン、可愛い……」
そんな使い魔を、不意に懐からカメラを取り出した主の首ったけぶりも相変わらず。勝利してきた弟子を放置して写真撮影を始める。フリーダムだった。何しに来たのか。
そんな光景も、一試合終えた後の気だるさには心地よいものなのだが。
「にしても、今回は綺麗に勝てたわよね。格好良かったわよ」
「そうですね。寝る間も惜しんで研究した甲斐がありましたよ。格好良かったかは知らないですけど」
事実、完全な奇襲と不意打ち。とどめまでの流れは完璧。かなり好調な勝利だった。
「炎に突っ込みもしなかったしね」
「それはさすがに、必要があるときにしかしませんよ……」
「私としては、危ないから控えてほしいんだけどね」
水元素で魔術的にダメージをカットしようと、蛮行の類であることは変わらない。響としても、出来る事ならあまりやりたくない戦法だ。
「でも、そうしないと勝てなかったりするときはしますよ」
それでも必要でさえあれば迷わないだろう。前回がまさにそうだったのだし。
肩をすくめる響に、奏は咎めるような視線。しかし邪道を突き進んで、ただ勝つことを考えろという教えをした身としては、強く止めることもできないのだろう。微妙な表情になる他なかった。
だが、それはあくまで奏とその使い魔であるキュルリンに限った話だ。
「――もうそんな戦法は用いるなと、そう言ったはずだが?」
「ぅおうっ!?」
背後からの声に飛び上がり、恐る恐る振り向くと白衣を羽織った中性的な美貌が目に入る。
柳川美里は、不満を込めた視線で響を射抜き、
「自ら怪我を負いに行こうとするその発想、私は非常に気に食わないものだ。被虐体質であることを責めはしないが、そうして無為に傷を増やす行いだけは見過ごせないな」
「被虐体質じゃないです」
不名誉な性癖を捏造されたのをを否定し、養護教諭に向き直る。美里はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「ていうか、どうして先生はここにいるんですか。持ち場は第三訓練場でしたよね?」
「君が怪我をすることは分かり切っていたからな。あらかじめ待機していただけだ」
「またですか……。今回はまともには食らってませんよ」
「まともではないが食らっているというわけか。距離を詰めた時に、肩をかすめたものがあっただろう。それ以降、君はそちら側の腕を使わなかったと見えたが、私の気のせいか?」
「…………」
図星を突かれて、響はバツが悪そうに視線を逸らす。
直撃さえなければ、致命的な事態にはなり得ないのが一年生のレベルだが、それでも当たり方が悪ければかすっただけでもダメージは通る。
観念して訓練着から肩部分を露出させて見れば、若干青くなった肌が顔をのぞかせた。美里が出張るほどの怪我ではないが、放置するには日常生活に支障が出る類だろう。
怪我を見て苦い顔をする奏と美里。美里に関して言えば、嘆息のオプション付きだった。
「まったく、つまらない見栄を張るな。素人の判断で、怪我を大したことがないと放置していて、取り返しがつかなくなることもあるんだぞ」
「これ、そんなに悪いんですか?」
「いや、これに関して言えばただの軽い打撲だ。君は丈夫だな」
「毎日鍛えてますからね……」
話しながら魔術を発動させる美里。治癒の術式に流し込まれた魔力が効力を持ち、傷に浸透して癒していく。
「だが頑丈とはいえ、限度があるのは身に染みて知っているだろう。防御くらいしてほしいものだ」
「それができたら苦労はしないんですって」
そもそも響が何故フィールドを駆けまわるような真似をしているのかといえば、攻撃を受けないために他ならない。反射で躱すには困難に過ぎる魔術を、狙いを定めさせないことでやり過ごすための戦略である。
防御の魔術――例えば土壁――などを扱えればその必要もないのだが、響の無才ではせいぜい細かい砂や土塊を作るのが精いっぱい。魔術と魔術をぶつけて相殺しようにも、威力で劣る上に構築速度が追いつかないため、現実的な対応とは言えないのだ。火球に水球をぶつけるような、相性的な問題が絡まなければとても無理である。
説明する響に、美里は眉間にしわを寄せ、それから奏に目をやり、
「そういう部分は、師である君が教えてしかるべきことなのではないのか? 相手の攻撃に対しての防御手段が、乏しいどころではないなど、育て方を間違っているとしか思えない」
「えっと、でもたぶん、これまでの時間を全部使っても、出来るようになってたかは怪しいですよ?」
「……躱す練習の方が現実的、ということか」
嘆息し、治療の終わった響の肩を叩く美里。
「だが、すべてを躱せるわけではないようだな」
「そりゃ、戦ってれば色々ありますし……。訓練の相手は先輩なので、本当に当たりそうなときは何とか軌道を逸らしたりしてくれてますけど」
「うん。頑張っちゃった」
手加減が下手くそで、響の相手をキュルリンに任せていたのは過去の話。
なんとか適正な手加減具合を身につけた奏は、今では放った後の魔術を重力操作で操る技術も身に着けていた。それで響の負傷率が大幅に激減したのはまさに頑張ったとしか言いようがない。
「それに今回は、ちゃんと当たったわけじゃないですし、たぶん当たっても大したことはなかったと思います」
隼人の魔術と比べても、斉藤の魔術は威力の上で劣っていた。おそらく構築速度に関しても。一回戦に比べれば楽な相手だ。結果がそれを物語っている。
もちろんこんなことを言えるのは、事前の研究量のたまものだが。
肩の怪我にしても、それなりに距離を詰めたうえで当たり方が悪かったからこそのものだ。怪我は避けられないだろうが、隼人のように致命的な事態になることはなかったと思う。
そう分析する響に、美里は苛立ち露わに視線を鋭くした。
「――この私の前で怪我を甘く見ると?」
「いえ、違います! ごめんなさい! ただ、今回は思ってたよりも楽だったなっていうだけで……!」
実際、今回は順調な勝利だ。
隼人との試合では危なげがありすぎて見ることの叶わなかった、序列二〇位以内への光明が示された気分とでも言おうか。
定めたはいいものの、いまいち現実感の持てなかった目標に、手が届くかもしれないといった、希望だ。
「……あながち、無理じゃないかもなって」
「菖蒲くん……」
薄く微笑む奏。弟子の意識の変化に頬を緩めて、
「無理じゃないのかも、じゃなくて、無理じゃないわよ。もっと自信を持って」
「ああ、はい。できればそうしたいんですけどね」
変化は嬉しいのだろうが、師の求めている場所はもう少し先だった。
響とてそうできるならばそうしたいのだが、今回の試合がそうだったように、不安からくる研究量の多さはどうしても変えられない。
それでも、出来るかもしれないと思い始めた。――それは、魔術学園に入学してから二か月間。成長の兆しがほとんど見えず、”落ちこぼれ”と呼ばれる生活で失った類のモノだった。




