2『よく分からない少女』
新しい手札――魔術の訓練は、病み上がりということもあってスローペースで始まった。初日とはいえ、まったく使えるようになる気がしなかったものである。
二回戦目の対戦相手の研究は、シミュレーションと同様に空き時間を使って行われた。登下校時、授業の合間、昼休みなどだ。
二回戦まで残り二日の朝、響は端末に移した試合データをチェックしながら教室の扉を開けた。
扉の開く音に数人の生徒がこちらを向き、入ってきたのが"落ちこぼれ"だと分かると視線をそらされる。
先日は休んでいた隼人だけが、チラリと向けられた視線の中に並々ならぬ怒りを蓄えているのが分かったが、それも不服そうにそらされてしまう。
すでに何度も味わった光景。入学してから五ヶ月だ。多少思うところこそあれど、響とてもう慣れていた。
息を一つついて端にある席に座ると、視線は再び端末へ。時間を無駄にしないよう、相手の動きの癖を見抜くことに力を入れる。戦術を組み立てるのはそれからだ。
そうして最後まで観終わり、二週目に入ろうとした時だ。
「――そんなに真剣に、何を見てるんですか?」
「……っ!?」
不意に耳元で発せられた声に飛び上がった。
必死でポーカーフェイスを装い、狼狽を隠しながら振り向くと、息のかかるほど近くに白い肌がある。
整った顔立ちの少女だ。
長く伸ばされた髪を右側頭部で纏め肩まで垂らしている。大きく丸い双眸は響の手元にある端末に向かって開かれており、発せられた声が少女のものだということを物語っていた。
身につけている魔術学園の制服は校則通りに着こなされているが、少女が醸し出す明るくエネルギー溢れる雰囲気は隠し切れていない。
一見してクラスの中心人物然とした少女だが、響は見たことがない。胸元のリボンから同学年であることは分かるものの、同じクラスではないのだろう。当然、話したこともなかった。
接点など皆無。ましてや"落ちこぼれ"に話しかけることは基本的にタブーだ。それだけでかなり怪しいものだが、少女はこちらの心情を察することなく、
「あれ? これはもしやあれですか。次の試合相手の研究とか? 勤勉ですねぇ」
「…………」
珍しく嘲笑の色の見られない賛辞を受け、響は戸惑いどうしたらいいのか分からない。
押し黙る響に、少女はなおも畳み掛ける。
「そういえば、一昨日の試合も凄かったですもんね。直接は見られなかったですけど。炎に突っ込んだんでしょう? 人間業じゃないですよー。その度胸、素直に凄いと思います」
「あ、ありがとう……」
「まさかあの"落ちこぼれ"が勝つなんて、誰も思いもしなかったでしょうね。いやはや、大波乱が起きそうです。面白そうです」
「…………」
あくまで自分のペースで話し続ける少女。その様子から邪気は感じられない。
もっと言ってしまえば、大した目的がある様にも見えない。例えば隼人の様に、あからさまな悪意を持っている、などとは、特に。
気圧されていた響はいったん咳払い。強引に相手のペースに区切りをつけてから、まずは何を聞こうか視線を宙に彷徨わせ、
「……悪いんだけど、君、誰?」
「嫌ですねー、私ですよぅ。私。私ですとも」
「本当に誰!?」
斜め上の回答をされて再びペースを握られた。
予想外の答えだ。まさか名乗ってくれさえもしないとは思わなかった。
そうして頭を抱える響に、少女はカラカラと笑って、
「あははーっ。冗談ですよ、冗談。ルリさんのちょっとウィットなジョークです。そんなに困らないでくださいって」
「ああ、そう。……ルリさん?」
「はい、ルリさんですが?」
「それが、君の名前ってことでいいの?」
「ええ、そうです。小熊瑠璃といいます。気軽にルリさんって呼んでくれていいんですよ? なんなら愛情を込めてルリたんでも」
少女――瑠璃は言いながら、頬に手を当て首をかしげるあざといポーズ。
まさか初対面でその距離の詰め方ができるわけもなく、響は曖昧な表情で乾いた笑いを浮かべるだけだ。
瑠璃は響のリアクションの薄さにムッとし、ポーズを解いた。
「ちょっとは反応するとか、キュンとするとか、顔を赤らめるとか色々あると思うんですが」
「えっと、ごめん?」
「それで、私に自己紹介させておいて、あなたは名乗りもしないんですか? 武士の恥ですよ」
「それって背中の傷の話なんじゃ……」
「似た様なモノでしょう」
「だいぶ違うと思う」
いまいち掴みどころのない、というより軽いノリにどう接したらいいのか判断しかねながら、しかし響は求められた通りに自己紹介。
名前を口にし反応を伺うと、瑠璃は数度頷いていた。
「まあ、知ってましたけどね。"落ちこぼれ"の菖蒲響の名前は学園中に広がってます。スクールワイドです」
「じゃあなんで聞いたの」
「嫌ですねー、ヒビキさん。会話っていうのは言葉のキャッチボールなんですよ? 投げられたら投げ返すのが礼儀なんですから」
「君が投げ返してるの、たぶんよく似た別のボールだと思う」
「そうですよ?」
「自覚してるの!?」
礼儀はどこいった。
もはや瑠璃にペースを握られっぱなしの響。話が一向に進まない。
時計の針が無為に進んでいくのを感じて、研究に使う時間が減るのを危惧する。
「あ、でも木を隠すなら森の中って言いますし、そう考えるとよく似た何かって――」
「そ、それで。小熊さんは何しに来たの?」
話し続ける瑠璃を遮り、響は話を進めにかかる。
遮られて不機嫌になるかと思いきや、瑠璃はやれやれと首を横に振るだけで不満は漏らさず、代わりに口から出たのは訂正だ。
「もー、親しみを込めてルリさんって呼んでくださいよー。場合によってはルリちゃんでもいいですよ?」
「小熊さんは何しに来たのっ?」
完全にマイペースな瑠璃に、響は先ほどの問いを、語調を少し強くしてリピートした。
瑠璃はキョトンとし、それから手を合わせて笑みを浮かべた。
「なんか面白そうだったので」
「は……?」
「なんか面白そうだったので」
「…………」
響の真似してリピートする必要がどこにある。
またしても予想の斜め上の回答をされて、響は理解が追いつかない。
固まる響に、瑠璃は変わらず軽いテンションで、
「いやー、だって絶対に勝つと思ってなかった“落ちこぼれ”が勝ったんですよ? しかも見たことのない面白い戦い方するじゃないですか。これはもう話しかける以外に道はないじゃないですか。私面白いもの大好きですし」
「う、うん?」
「やっぱり新聞にも書いてあった通り、投げてた紙は紋章術なんですか? あんなマイナーなのをあんな風に使うなんて。まあ、他の人からしてみたら、あれを準備しておくよりも普通に魔術使った方が早いし楽だとは思いますが」
「…………」
「本当、生で見られなくて後悔の極みですよ。司会なんてほっぽり出せばよかったです」
「そう……」
マシンガントークとでも言えばいいのだろうか。
瑠璃の言葉は止まるところを知らず、相槌を打つのも一苦労。言いたいことをただ言ってるだけというような、まさしく面白いかどうかで喋っている印象だ。
そんな中にも、気になる単語が出てきて。さらにこの軽いノリに似た話方をどこかで聞いた記憶がある気がして、響は記憶の糸を紐解いた。
それほど昔ではない。というより、かなり最近だ。ここ三日以内のことであった気がする。はたしてこの声を聴いたのはどこだったか――。
思い当たる節を見つけて、響はなおも喋り続ける瑠璃を見た。
「――もしかして、先輩の試合の司会してた?」
「先輩?」
「あ、えっと、佐倉奏先輩のこと」
「ええ、はい。してましたよ。柳川先生、説得したはずなのに、二試合ぐらいしたらすぐにどこか行っちゃって、大変だったんですよねー」
「…………」
――その節はごめんなさい。先生は、俺の怪我を治すために抜け出しました。
響としては嬉しかった行動だが、間接的に迷惑をかけていた人物がいたことを知って思わず恐縮する。この少女のマイペースをも振り切って響の治療に向かう美里の信念も相当なものだが。
一人、美里の行動力に戦慄していると、瑠璃は「それにしても」と小首をかしげた。
「どうして私が司会してたって分かったんですか? ひそかに私に思いを寄せてたとか? まあ、ルリさん可愛いのでそれも分からなくはないんですがー」
「違うから!」
だいぶ前に、美里にも似たような疑惑をかけられた気がする。
ぶりっ子する瑠璃は確かに美少女と言われる類の容姿ではあるが、身近に日本人離れした美貌を知っているためいまいち反応に困る。
ひとまず否定し、その力強さに瑠璃はまたも不満げに顔をしかめた。
「なんですかね。この、『お前に興味ない』ってはっきり言われたような感じ。いえ、違うのは分かってたんですが、こう力強く言われるとなんか……」
「そ、それはごめん」
「いいんです。ルリさん、可愛いだけじゃなくて心も広いので。慈母のごときワイドな心は、些末なこと気にしません。謝ってください」
「今謝ったよね!?」
ついでに結構気にしていた。
自己評価よりもよほど心が狭い瑠璃に、何とか許しを請おうと平謝り。平身低頭謝意を述べる響に拗ねる彼女もとりあえずは機嫌を直してくれたらしい。
その間に始業の鐘が鳴り、研究の時間はなくなってしまったが。
鐘が鳴ると、違うクラスだという瑠璃は早々に教室から立ち去った。最後まで、何をしに来たのかよく分からない少女だった。
それでいて、“落ちこぼれ”を見下そうという意思が欠片も見当たらないのが厄介なところだ。どういった態度を取ればいいのか判断しかね、瑠璃のマイペースさも相まって終始、彼女のペースだったように思う。
とはいえ、悪意がないのであれば拒むこともない。彼女がどのクラスか分からない響には、積極的にかかわることができないが。
「ふう……」
時間に比して、多くの体力を失った響は一息つく。
それから、教卓で授業を始めようとしている教師を眺めながら、一つ疑問を抱いた。
あの少女――小熊瑠璃と話す際、彼女も響も周りの目を気にしていなかった。自然体に話した結果、それなりの声量は出ていたように思う。
“落ちこぼれ”が誰かと会話してるという事実が周囲に気付かれていないなんてことは可能性としては唾棄していいほど低く、だからこそ注目を集めていても何らおかしくない。否、注目を集めてしかるべきなのである。
――それなのに、なぜクラスメイトは誰一人として反応せず、何事もなかったかのようにしているのだろうか。
それだけが、のどに刺さった小骨のように引っかかった。
明日も同じ時間に更新します。




