19『ありがとう』
「ん、ぁ……?」
目を開く。
視界いっぱいに保健室の見慣れた天井が飛び込んできて、自分が知らないうちに意識を失っていたことに気づく。そうして現状を理解する響を迎えたのは、
「響くんっ!」
「あがぁっ!?」
奏による熱い抱擁だった。
すでにあらかた治してくれていたようだが、完治というわけではない。包帯にぐるぐる巻きにされ、一カ月前の再現が成されている身体には、大して重くないとはいえ人ひとり分の重さに耐えきれるはずがない。
それが何の予兆もなくかかってくれば、当然絶叫を上げることになる。
「が、あぁぁぁあっ!? いた、痛い痛い。ちょっ、いたっ、痛い!?」
間近にある美しい双眸や、やたらといい香りのする髪、ついでに押し付けられた柔らかい感触がありながら、響は悲鳴を上げざるを得ない。嬉しい方ではなく。
負傷の名残がある肩に背中、足と胸が痛む。というより、火傷で全身くまなく悲鳴を上げていて、とてもではないが、役得などと喜んでいる場合ではなかった。
「キュルッ!」
「痛い!」
ついでに紺色の毛玉も参戦。空いている顔面に全身で抱きく衝撃。これがまた痛い。誰か助けて。
そうして悲鳴を上げる弟子には頓着せず、奏は抱きしめる力をより強くした。
「よかった……。よかった、勝てて……! よかったぁ……!」
「よくないわ馬鹿者」
「いたっ」
パコーンと小気味良い音がして、奏が声を上げる。
突然のことに、感極まっていた奏も目を丸くし振り返り、丸めた紙束を振るった人物を認めた。
「柳川先生……!」
「そうだ、私だ。君は馬鹿か。治療を施したとはいえ、完治には程遠い。夏休み前とは違って打撲は少なかったが、代わりに火傷が多かった。そんな風に飛びついていい状態ではない」
「先生、勝ちましたよ! 響くん勝ってくれました……!」
「興奮しすぎだ。私の話を聞け」
感極まって涙すら流しそうな勢いの奏は、美里の話を聞かずに感動を共有しようとするもバッサリと切り捨てられていた。
その様子をキュルリンの体の隙間から見、響は疑問をそのままに叩きつけた。
「あれ、先生って第三訓練場担当でしたよね?」
「君の事だからな。確実に怪我をすると踏んでいた。特に今回の相手は加減を知らん阿呆だ。迅速な対応のためにここでの待機を優先した。それだけのことだ」
「それで保健室まで?」
「相変わらず、怪我の程度が酷かったからな。私とて好き好んで現場を離れているわけではない」
本来の持ち場を離れた理由を、不機嫌あらわにそう並べ立る美里は、それから未だに響にひっついたままの奏を睨みつけた。
「だからすぐに退きたまえ。怪我が悪化したらどうしてくれる」
「は、はい」
圧に押されて、奏も渋々響の上から退く。
「使い魔もだ」
「キュルゥ」
往生際悪くも響の顔にしがみついたままだったキュルリンは、バツの悪そうな声を出して主と同じように渋々離れた。
それを見届け、美里は仰向けに倒れる響に詰め寄り、
「まったく、派手にやったものだ。いくつ火傷があるのか。炎に二度も突っ込むなど、正気の沙汰じゃない」
「いや、一回目はわざとじゃないですし、どっちも水を被りましたよ」
最後の攻防。隼人の背後にたどり着くまでの短い時間に、響は自分ができる中で最大出力の水元素を被っていた。最後の炎を耐えきれた要因は保険として行っておいたその行動だが、だとしても紙一重。順当にいけば倒れたのは隼人ではなく響になっていたはずである。
意識を保てたのはひとえに、意志の強さだろうか。
そんな風に自己分析する響に、美里は厳しい目を向ける。
「それでなんとかなると? 馬鹿じゃないのか? 奴の炎が粗く未熟で、維持できる時間が短かったからこの程度で済んでいるんだ。なるほど君の意表を突く戦い方は理解したが、炎に突っ込むなどもってのほかだ。今後このようなことは一切しないように」
「……まあ、なるべくは」
「なるべくは?」
「……できる限り控えます」
「そういう言い回しは、やめる意思がないということだと思うのだが……」
不満そうな養護教諭に、響は視線を合わせない。好き好んでやろうとは思わない、必要になったらためらわない程度の意志は持ち合わせている。
もっとも美里にとっては歓迎すべき意志ではないだろう。
響は顔を上げ、美里の後ろに付く師に目を向ける。
その表情は響を心配しつつも、勝利を喜び安堵する色が見て取れた。
「先輩」
響の呼びかけに、奏が気づく。
視線を向けてくるのをまっすぐに受け止め、それから頭を下げた。
「ありがとうございます。信じてやってきてよかったです」
それは嘘偽りのない感謝の言葉だ。
魔術師として常識外の方法で鍛えてくれた奏に捧げる言葉だ。
奏は微笑む。冷たい印象を一気に払拭する、人懐っこくも美しい笑みで。
「うぅん。私こそ、ありがとね」
「なんで先輩が、ありがとうって言うんですか」
「言うべきことだから、かしら。それに、私はそんなに大したことしてないの。ただ、選択肢を与えただけ。その与えた選択肢でああいう戦い方を生み出したのは、響くんなんだから」
「…………」
確かに、知識や体力、紋章術というマイナーな魔術。それらを戦術の礎として教えたのは奏だが、あくまでそれだけだ。
実践に用いるに当たって、奏は具体的な戦い方は示さなかった。
「それでも、俺が勝てたのは先輩のおかげです。ありがとうございます」
選択肢さえ示されなければ、きっと響は停滞していた。
いくら時間を割いて鍛錬しようと、響ほどの無才では、大した魔術を扱うことはできない。少なくとも、隼人に追いつくことはできなかった。
「えっと……」
「キュルッ」
頑なに感謝を捧げる響に奏は戸惑い、それを見ていられなかったキュルリンが助け舟を出す。
奏は使い魔に対して頷いて、それからさっきと同じ笑みを――少し恥ずかしそうに――響に向けて、
「どういたしまして」
そう、言ったのだった。
「――ところで、佐倉奏。君は先ほどから菖蒲響のことを名前で呼んでいるが、師弟の関係を越えたのか?」
「え?」
眉間にしわを寄せ、訝しむ奏。傍に浮くキュルリンに視線を移し、
「呼んでた?」
「キュル」
「嘘っ、気づかなかった!」
奏が素っ頓狂な声を上げて口を覆う。
それを尻目に、美里は呆れたように息を吐いたが、
「…………」
あまりに自然に呼ばれすぎていて、響もまったく気がついていなかったは、視界に入らなかった。
* * *
「…………」
美里の治療を受ける響に一言告げ、奏は控え室の扉を後ろ手に閉めた。
それから一つ深呼吸。昂ぶった感情を落ち着かせる。
正直、響の才能のなさを目の当たりにした時は、出来っこないとも思ったが。
それでもなんとか方法を模索し、全力で鍛えた甲斐があった。
響の勝利は素直に嬉しかった。それは事実だ。
だがそれよりも、奏での胸中で最も大きい部分を占めているのは安堵だ。それとも、期待と言ったほうがいいだろうか。
「さて、と」
親しみやすさのある、温和な表情をしまい、気を張った結果代わりに表層に現れるのは、魔術戦を行う際の凜とした顔。魔術師、佐倉・S・奏の表情だ。
控え室から少し離れ、階段の踊り場まで向かう。携帯を取り出し、連絡帳の中から目的の名前を探し当てる。
歓喜も安堵もこの時ばかりは押し込められていた。今からコールする相手は、そんな余分な感情を持って相対する事が叶わない。
「…………」
「キュル」
「……大丈夫よ」
傍の使い魔が、保護者然として心配する声を上げるが、それに短く答え、コール。
呼び出し音が数回鳴り、相手が出る。
『――――』
「忙しい中ごめんなさい。一応、報告をと思って」
『――――』
「今日から序列決定戦が始まったわ。ひとまずは一回戦目、私の弟子は勝ち上がった」
『――――』
「ええ」
『――――』
「……失礼します」
短い会話。まるで温度の感じられない通話が終了し、奏はため息をつく。
二回戦目も、同じことをしなければならないと考えると、今から多少の憂鬱を感じる。
「キュルゥ」
「ありがと、キュルリン」
自身を慮る使い魔に、奏は疲れたように微笑む。それから、また真剣な顔に戻って呟いた。
「響くんには、勝ってもらわないとね。響くん自身のためにも。そして――私のためにも」
これにて一章は終了。
七月二九日に二章を更新する予定です。時間はこれまでと変わらず、毎日更新できると思います。
それではしばらく、さようなら。
【追記】
もう一週間ください。詳細は活動報告まで。
二章は、八月五日に更新します。すみません。




