12『屈しない』
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「が――っ!?」
肺から空気が押し出され、乾いた呻きとなって空中へと放たれる。
咄嗟に、二メートルほど転がって威力を散らそうと試みるが、所詮は練習し始めて一カ月半の技術。充分すぎるほどのダメージが、魔術の命中した箇所――腹に蓄積された。
襲ってくる猛烈な吐き気をこらえつつ、響は床に手をついてなんとか上体だけ起こすと、
「参っ……」
「火よ」
「ご……っ」
今度は、体重を支えていた腕が弾かれる。支えを失った体は地面に叩きつけられた。受け身も取れなかったせいでその威力の大半を受けた腕に至っては、捻れたような激痛が走るのみで動かない。
隼人は未だ戦意の衰えぬ瞳で、愉悦に浸るように一歩一歩、歩を進めてくる。
これはまずい。すぐに戦う意思のないことを伝えなければ。
「……降参。俺の負けだって……」
「あー? 聞こえねえなぁ。はきはき喋れよ”落ちこぼれ”がっ!」
三度、魔術が放たれる。
「ぅああっ!」
次に打ち据えたのは右足。しかも入射角が直角に近く、魔術と地面とのサンドイッチで衝撃が逃れる場所がない。肉体が破壊されるような錯覚を味わい悲鳴を上げる。
意味が分からない。今の状況は何なのか。どうして自分は、降参することを認めてもらえず、意味もなく攻撃を加えられているのだろうか。
痛みで白熱した思考は、疑問で溢れかえっている。これはまずい。これはおかしいと、心が叫んでいる。ではどうすればいいのか――。
四度、魔術が放たれる。
片手と、腹筋や背筋を活かして、一つの手と一つの足で強引に体を持ち上げようとしたその瞬間、掬い上げるような衝撃が肩をとらえる。
大きくのけぞらされ、それどころかうつ伏せだったのをひっくり返す勢いで撃ち込まれたそれは、またも響を数メートル吹き飛ばした。すでに相当のダメージを蓄積している響に受け身など望むべくもない。背中からまともに地面に激突し、頭こそ守ったものの打ち据えられた全身が軋んだ。
「おーい、菖蒲ぇ。降参しなくていいのかよー? 偉く丈夫じゃねえか。仕方ねえなあ、俺も本気で叩き込むしかねぇか?」
「だか、ら。降参だって……」
「聞こえねえっつの!」
仰向けに転がる響に炎の猛威。
ロクに狙いも定められていないそれは、先に受けたものを上回る威力。それが数発、響をとらえて弾く、弾く、弾く。
痛い。苦しい。辛い。
視界が明滅するような激痛に悲鳴を上げ、響はなすすべがない。
痛みに、苦しみに、熱に、その身を晒すだけ。
「ああ、うぜえな。脆いんだよ。いちいち動くなっつの。――木よ」
木の元素。
響が生成してみせた物とは太さからして違う蔦が、響を取り囲むように伸びる。
それは仰向けに倒れる響の四肢に巻きつき、地面に縫い付けるための処置だ。
そうして動きを封じられて、視界が広く開けて、初めて気づく。
――集まった野次馬が、隼人と同じ瞳をしていることを。
目の前で展開されている光景に、愉悦を感じている。"落ちこぼれ"に攻撃が加わるたび歓声が上がる。「もっとやれ!」と、そう煽り立てる者までいる始末。
事ここに至れば、混乱のさなかにあった響も状況が理解できた。
――これは見世物だ。
弱者を嬲り痛めつけ、その様子を愉しむショーなのだ。降参すればすぐに終わるなんて、甘い考えを持った自分を呪いたい。
隼人は最初から、こちらの降参を受け入れるつもりなんてない。
「があああぁっ!」
足を穿たれる。
腕を潰される。顔が、胸が、腹が、腰が、次々と暴威に晒される。
熱い。痛い。苦しい。辛い。
縛られたせいで悶えることも出来ずに、響は悲鳴を上げ続ける。
「おいおい、さっさと参ったって言えよ。格の違いは分かったろ?」
「……ま、い……」
「聞こえねーよ」
一度攻撃をやめて慈悲を見せたかと思えば、それすらあっさり握りつぶして攻撃をやめない。
――ああ、情けない、情けない。才能のない自分が情けない。
――ああ、情けない、情けない。こうなることを予測できなかった自分が情けない。
――ああ、情けない、情けない。情けないはずなのに、だが胸の奥のこの感情はなんだろう。
次第に意識が遠くなる。もう自分の身体がどういう状況にあるのかも分からない。
明滅する視界はだんだんと白みがかって、見えなくなっていく。
自分の上げる悲鳴が遠くなる。激しい痛みがかすれていく。意識が、薄くなっていく。
「――趣味が悪い!」
皮肉げな色の代わりに怒りを宿した声音が、訓練場内へ響いた。
享楽の笑みを浮かべた隼人は、攻撃の手を止めるとその声の方へ顔を向け、声の主を認識した途端、苦々しく表情を歪める。
倒れる響も霞んだ視界を動かし、ぼんやりとした思考でその人物を認めた。
「せ、んせ、い……?」
「まだ意識があるとは、丈夫なものだが、無理をして声を上げるのは感心しない。大人しくしていたまえ」
相変わらず容赦のない物言いに、響は苦笑しようとし、走った痛みに顔を引きつらせる。
そんな怪我人を息をついて憂いてみせる美里は、ツカツカと歩いて響の傍へ。
「治癒」
片手ではなく両手を使っての魔術行使。常の数倍の大きさを誇る魔術陣が出現し、特大の癒しを施す。
美里は治療行為を行いながら、悄然となる周囲をねめつけ、
「ここは古代ローマのコロッセオか? 人が人を痛ぶる様を、物見気分で見物、しかも明らかに行き過ぎても止めないだと? 言っておくが、これは退学や停学の問題ではなく、刑事罰に問われても文句の言えない問題だぞ」
冷静な物言いだが、よく通る声で紡ぎ出される言葉には怒りが込められている。
「特に新垣隼人。貴様は一番問題だ。倒れ伏した相手に向かって魔術を連打など、狂っているとしか思えない」
「知らねーよ。ちゃんと降参すりゃあ止めてたっつの。止めてねぇってことは、そこの"落ちこぼれ"が生意気にも白旗掲げなかったのがいけねぇんだろうが」
「……この後に及んで反省の色がないとは、貴様の精神にはほとほと呆れるな。なるほど、説教は大して意味がないらしい」
憎々しげに吐き棄てると、それきり美里は隼人に一瞥もくれない。
隼人も隼人で、地面を蹴りつけると不機嫌そうに去っていく。止めようにも、美里は響の治療が優先と判断。対応はある程度回復してからだ。
ひとまず、響の安全は確保された。
ここまで広範囲かつ大きな怪我となると、美里とて即座に完治させることは不可能だろうが、治らなくはないだろう。
安堵と癒しの光に身を委ねながら、意識を手放していく響は、
「まったく、こんな状況なのだから、出てきたところで疑う者などいるはずもなかろうに……」
小さく紡がれた美里の声を聞いた気がした。
* * *
――魔術学園に入ってから、この感覚を味わうのはこれで二度目。
だが前回のそれと比して、今回の響の目覚めは最悪だった。頭は痛むし全身が軋む。皮膚がヒリヒリと痛み、感覚が遠い。
ゆっくりと瞼を開けて白い天井を確認した響は、自分が訓練場ではなく保健室に運ばれたということを確認した。
「…………」
肘をついて上体を起こし、自分の体を視野に入れる。
訓練着は脱がされ、上半身は裸。だが、皮膚が見える箇所はあまりない。ほとんどが包帯や湿布に覆われているのだ。
「……いっ」
試しに肩を回してみて、内側から来る痛みにその挙動を止める。
随分マシになったが、完治したというわけではないようだ。美里が半端な治療を施すとも思えないから、ここらが限界だったのだろう。
「というか、よく生きてたな……」
全身打撲で死亡、でもおかしくはない。もちろん隼人に悪意はあれど、殺意があったとは思わないが。
それでも、見ていた生徒のうち誰かは止めに入って欲しかったと思うのが人情だ。いくら"落ちこぼれ"といえど、ここまで不干渉を貫かれると思うところもある。と、
「……?」
不意に胸の内側に生じた感情に戸惑う。
この感情自体は、日常的に付き合っているものだ。だが、向けられた場所が違う。
それがゆえに響は困惑し、その理由を探ろうと考えを巡らすと、
「キュルウゥッ!」
「痛いっ!?」
仕切りになっているカーテンの隙間から、紺色の毛玉が宙を滑空して突っ込んできた。
それなりの威力で砲弾と化したキュルリンは、響のみぞおちを正確に撃ち抜き悶絶させる。
「キュ、キュルウゥ……! キュルル!」
「ごめ、ん……何言ってるのか、分からない……」
必死に何かを訴えようとするキュルリンを、響は腹を抑えて窘めた。心配してくれる気持ちはなんとなく分かるが、細かいセリフまで判別できないのが辛いところだ。
痛みと困惑に微妙な顔を作っていると、カーテンが開いて一人の少女が顔をのぞかせる。
「『ご、ごめん。それより具合は?』だって」
「佐倉先輩……」
師の名を呼び、響は申し訳なさそうに顔をそらす。
だが奏は宙に浮くキュルリンを捕まえて、
「もうキュルリン。あんな風に突進しちゃダメでしょ。菖蒲くん、今怪我してるんだから。それに突然飛び出すのもダメ。私びっくりしちゃったんだからね?」
「キュルウゥッ」
「私だって心配だったけど、保健室では静かに。これ常識」
「キュルウ……」
珍しく申し訳なさそうに小さくなるキュルリン。その様子に満足したのか、奏は頷くと近くにあった椅子を引っ張りそこに腰掛けた。
「さて、菖蒲くん。改めて聞くけど、具合はどう? どこか痛かったり、苦しかったりしない?」
「苦しいってほどじゃないですけど、全身がちょこちょこ痛いです。こんなにグルグル巻かれてますしね」
腕を掲げて包帯に囲まれた現状を報告。ミイラ男、というほどではないが、今の響はそれなりに重傷に見える。
「というか、先生ってどこに行ったんですか? 見当たりませんけど……」
過失が完全に相手方にあったとしても、多少の説教は欠かさない美里のことだ。目覚めたと知れば即座に駆け付け、嫌味の一つでも言いそうなものだが。
「うん、今はちょっと緊急の職員会議に行ってるわ。今回みたいに大事になるとどうしてもね。生徒一人一人に対する罰とか、対応とかいろいろ。二時間半くらいずっとやってる」
「二時間半……? あれ、そういえば俺ってどのくらい寝てたんですか? やけに静かだなとは思いましたけど……」
「三時間と少し。もうちょっと寝てるかもって思ったけど、意外と早い回復でほっとしたわ。打撲に火傷に切り傷、骨にヒビも入ってたんだから。柳川先生の治療に感謝しないとね」
「そう、ですか……」
美里の治癒能力がどの程度のレベルなのか知らないが、怪我の程度を考えると相当なものなのだろう。
響自身、三時間も気絶していたのは初めての経験だ。騒動は放課後に起こったので、今はだいたい夜の七時といったところか。
「あれ? だったら先輩、どうして学校に残っているんですか?」
魔術学園の最終下校時刻は一般の高校よりも長く八時ジャスト。まだ学校内にいられる時間ではあるが、そもそもここまで長く居残る生徒は数少ない。最近の響たちでも六時過ぎには校門をくぐる。
響が口にした疑問に、奏は言いにくそうに視線を逸らす。
「弟子の安否を心配するのは当然でしょ?」
「それはそうですけど」
「あと、謝らないとだったから」
「はい?」
予想外な言葉が出てきて、素っ頓狂な声を上げる響。
そんな弟子の反応には取り合わず、奏は頭を下げると、
「ごめんなさいね。私が助けに行ければ良かったんだけど、君と私の関係がバレるわけにはいかなくて……。結果、先生に頼ることになっちゃった」
「え、と……?」
「もっと早く助けるべきだったはずなのに、こんなにボロボロになっちゃって……」
「ちょっ、待ってください。あの、先輩が先生を呼んだって聞こえるんですけど」
焦る響に奏は首をかしげてから、
「え? ええ、そうなの。菖蒲くんが一向に来なかったから、ちょっと探しにね? 第三訓練場の方が騒がしかったから見に行ったの」
「…………」
そこで、響が痛ぶられるところを見つけたらしい。
奏は申し訳なさそうな表情で、視線を下に落として続ける。
「どうしようって思った。助けるのは当たり前なんだけど、私が助けるのか、先生を呼びに行くのかって」
奏の知名度と実力があれば、何も恐れることなく止めに入ることはできた。仮に数人が反抗してきたとしても、奏であれば赤子の首をひねるようにたやすく撃破できただろう。だから彼女が迷ったのはそこではない。
「もし今飛び出したら、師弟関係のことがバレるかもしれない。勝率が下がるって考えて、出るに出られなかった。先生に頼った」
「…………」
「すぐに助けなくて、ごめんなさい」
再び頭を下げる奏。確かに、早く助けてもらうに越したことはなかっただろう。だがそう考えても、奏を責めようとは思わなかった。奏に怒りが湧いてくるはずがなかった。
だって奏は、助けようと美里を呼んできてくれた。
だから、響の内にくすぶるこの怒りは、奏に向けられたものではない。
「いいですよ、先輩」
口から出た自分の声が、存外落ち着いていることに響は内心で驚く。
「先輩は柳川先生を連れてきてくれたんですから。早く止められても、治せる人がいなかったら意味ありませんよ。だから先輩は謝る必要なんてないんです」
奏が顔を上げる。その表情は未だに申し訳なさそうで、響の表情を視界に納めたとたん相貌が見開かれる。
響の内にくすぶるこの怒りは、奏に対して向けられたものではない。
散々そうだったように、響自身に向けられたものでもない。
――この怒りは、隼人に、あの場にいながら止めようとしなかった者に向けられている。
弱者を嬲り、いたぶるあの空間は決して許されるべきものではない。
あんなものに愉悦を感じるのは間違っている。
あの高笑いが、嘲笑が、暴言が、耳に残って仕方がない。
「先輩は謝る必要なんてないんです。そうじゃなくて、俺を鍛えてくれればそれでいいんですから」
――あの十年前の魔獣大災害の、理由なき暴威が走り抜け、理不尽に命が燃え尽き、弱者が虐げられていく光景を知っているから。そこから救い出してくれた背中を知っているから。
あんなものに屈したくはない。あんな理不尽に、理由のない暴力に、弱者をいたぶる行いに心を折られるわけにはいかない。
屈するわけにはいかないから、だからまずは強くならなければならない。
響はまっすぐに、奏の瞳をのぞき込んで、その想いを口にする。
「九月の序列決定戦、絶対に勝ちます。勝ってみせます。だからこれからも、よろしくお願いします」
「勝てると思っているのか」と、ある講師は言った。
響は「頑張る」と返した。
違う、そうではない。
頑張るのは前提条件。大事なのは頑張る頑張らないなどではなく、無論、勝てるか勝てないかでもない。
――”勝つ”のだ。
響の、あるいは豪胆とも取れる決意を、気合を受け止めて、奏は小さく口の端をゆがめた。
そして響に負けず劣らずまっすぐな瞳で、
「ええ、任せて」
弟子の気持ちにこたえるように、師の懐の深さを見せつけた。




