表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
下の下には俺(した)がいる  作者: サクラソウ
3章『落ちこぼれ魔術師の魔術大会』
102/267

51『VSコドラ、決着』

 ――怖い。


 何故恐れないのか。相手は自分と比して二倍以上の体躯を誇る魔獣なのに。

 何故立ち向かうことができるのか。単騎では、到底敵うはずのない敵なのに。

 何故戦うことができるのか。何度も死に引き入れられそうになって、クラスメイトが目の前で魔獣の餌食になるのを見たのに。


 戦いが始まってから、穂香はずっと後衛にいる。

 否、それは後衛とも呼べない、ずっと後ろ。ほとんど傍観しているのと変わらない位置に、何をするでもなく立ち尽くしている。


 ただ怖かった。

 フィールドで、あの怪鳥に襲われて、危うく命を奪われる経験をして、怖くないはずがない。

 自分が敵わない圧倒的な脅威。どう足掻いたところで勝てるはずもない怪物を間近にして、穂香の心には恐怖が根付いてしまっている。


 これでも、一応は戦おうとしたのだ。

 響の配慮か、それとも役立たずだと認識されたのか、瑠璃とともに後衛に配置された穂香。足を震わせながらも、何とか援護しようと奮闘していた。

 事実、何度か攻撃もした。それでも、穂香の魔術力では、魔獣に傷をつけるには及ばない。


 それでも、まだ逃げずに立ち向かおうと己を奮い立たせていられるうちはよかった。

 だが、それも――それも、陽介が怪魚の餌食になった瞬間から揺らいでいる。


 死にかけこそすれ、死ぬことはない。まだ怪我人すら見たことのなかった穂花には、一学年最強と称され、事実として自分よりも遥か高みに位置する陽介が抜けたことは、恐怖を後押しする効果しかない。


 ――怖い。


 目の前で繰り広げられていく戦いを視界に収めながら、穂香の胸中を支配する思いはそれだけだった。


 それなのに、何故みんなは戦うことができるのか。


 穂香がいるのは瑠璃よりも後ろ。得意魔術からして全く前衛向きではない彼女の背後。

 だからこそ一人戦う彼女の姿はよく見える。


 目立たないながらも、懸命に幻影(phantom)を駆使し、二体の魔獣を制御する瑠璃は、穂花がこれまで目にしたことのない、張り詰めた表情だ。

 自分の行動如何(いかん)で、大熊と猪は戦線に復帰し、場合によっては一網打尽にされるという危機感がそうさせているのか。

 穂花には、できそうにない。


 振り返れば一心不乱に治療を続ける白衣の麗人が見える。

 多大なダメージを受けた生徒を前にしたその心中は計り知れない。それでもあくまで冷静に。周囲に気を配って、怪我人が出れば即座に動けるように気を張っている。

 美里は戦闘には不向きだという。だからこそ、教師として生徒を守るには力が足りず、歯痒い思いをしながらも自分にできることに全力を注ぐ。

 それもまた、穂花にはできない。


 ――そして。


 視線は再び正面へ。

 最前線――一歩間違えば命を落としかねない最大の難所。

 先まで閉じ込められていたコドラを相手取り、飛びかかられる攻撃や突進、尾を振る打撃。そのすべてをすんでのところで躱すのは"落ちこぼれ"。一学年において――いや、東京魔術学園において最弱と認められた者。


 魔術の才能はない。真正面から戦えば、穂花が負けることはないだろう。それこそ百戦やったところで、百戦同じ結果となるだけだ。


 それなのに、響は。"落ちこぼれ"は、決して退くことなく抗い続けている。

 乏しい魔術力を、決して真正面からの力比べには応じないことで補って――それでも足りない分は他人に頼って無理矢理に埋めて。


 二対一など卑怯だ。

 団体戦では、自分が足を引っ張りたくはなかったから、渋々言う通りにしていたが、相手の裏をかこうとする戦術には虫唾が走る。

 無論、穂花とてこうした実戦で、小さなことにこだわることの無意味さは理解している。


 それでも、ルールがあり、審判のいる試合では、せめて真正面から正々堂々とした戦いにこだわった。ただ勝てばいいというような態度とは相入れなかった。


 だが、はたして。

 日頃の積み重ねなくして、あの魔獣を相手取ることができるだろうか――?


「……っ」


 唇を噛んで、何も出来ない自分を呪った。

 偉そうな高説を垂れるばかりで、何も考えてこなかった自分を恥じた。

 そうして認めてなお、恐怖で竦んだ足が恨めしかった。


 前方では、コドラの体当たりを躱した響が、カウンターに水元素を生成。相変わらずの弱々しさでコドラに放水するところだった。

 先ほどまでは躱すのが精いっぱいで、カウンターなどできもしなかったはずだ。


 戦いの中でも少しずつコツを掴み、なんとか対応しているのだと知り、余計、自分が惨めになった。



 * * *



 間一髪で体当たりを躱し、コドラに向かって放水する。鬱陶しそうに身を振ったコドラは、ほんの一瞬だけ挙動を止め、次の瞬間には響を八つ裂きにしようと牙をむいた。


 永沢から渡された薬は、無事コドラに飲み込ませることが出来た。噛みつこうと大口を開ける挙動さえ見逃さなければ、そう難しい作業ではなかったが、こうして戦う中で、本当にあの薬が効いているのかは疑問だ。

 攻防が始まってまだ一〇分程度。効果を実感するには、少し早いのかもしれない。


 だが、それでは困る。


 響の身体は、すでにそこかしこが切り裂かれ、血が滴っていた。


 跳躍からの鉤爪を回避しきれなかった際に負った、右肩の裂傷。

 体当たりを受け、吹っ飛んだことで痛み始めた胸。

 さらには、尾を叩きつけられ、今も鈍い痛みを訴えかけてくる左足の太ももだ。


 いずれも直撃ではなく、ある程度コドラの勢いを殺すことができたから、今も響は動けているわけだが、この状況がこれ以上続くと持たない。


 永沢の援護がなければ、響はとうに仕留められていただろう。なんとか生き延び、少しずつだがコドラの動きに対応できるようになっているのは、正反対ながらも同様のコンセプトで戦う者同士、波長が合っているからか。

 己を理解しているのが、あまり認めたくない相手だというのは複雑な心情だ。


 考察しつつ、距離を取る響を追って突撃を開始したコドラが、撒かれた水に足を取られて軽く滑った。

 薬――毒が効いてきているのか、それとも単純に足を取られたのか。

 いずれにせよ、響にとって都合がいいことには違いない。連続して突進されないのであれば、コドラの攻撃は決して躱せぬものではないのだから。


 逃げる響、追うコドラ。


 躱して水元素を撒きまくる。次第に通路には水たまりが出来上がり、地を蹴るコドラは鬱陶しそうだ。

 滑りやすくなった床には、スパイクの役割を果たしそうな鉤爪も無力なのか、脅威だった跳躍力には制限がかかっている。疾走力はもう目を見張るほどではない。

 それでも気を抜けば命を刈り取られるだけの殺傷能力を、コドラは保持している。


 だから、響は逃げ続ける。

 攻撃を躱し、牽制を繰り返し、危ない時は永沢の援護を受けながら。逃げて逃げて、逃げ続けて。機を待つ。


 そして、それはやってきた。


 追いすがるコドラが、滑る足場に踏みとどまることができずに派手に転倒したのだ。


 好機。これを逃すことはできない。



「瑠璃!」


「はいはい、分かってますよ」


 呼びかけ、指示を出す前に瑠璃は響のやろうとしていることに気付いている。幻影(phantom)をどのように操作したのかまでは分からないが、これまで仲間割れをして互いを傷つけあっていた魔獣二体は、唐突に体の向きを変えると響が撒きにまいた水たまり――攻撃範囲へと足を踏み入れた。


 そうして定石の中に引きずり込めば、意識外の部分から放たれるのは、響が誇る最高威力の魔術だ。


雷撃(tonitrui)ッ!」


 閃光、爆音。

 ほぼ同時に空気を震わしたそれは、媒介を介して刹那で標的に到達する。目に見えない衝撃に身体を固くした魔獣たちは、痛みに短い悲鳴を上げつつ、しかし倒されない。


 響の魔術が通った以上、永沢の薬はコドラに対して効いているようだ。

 大熊も、猪も、仲間割れで負ったダメージが、魔術に対する抵抗力を下げているらしい。そうでなければ、高い魔術的抵抗力は響の魔術を、いささかも通しはしない。

 だが、足りない。


 麻痺すらしない魔獣たちは、一斉に響に目を向けると、敵意を全開にしてうなりを上げる。即座に地面を蹴って響を蹂躙しようと思い思いに威嚇の構えを取り、即座に地を蹴ってわずかな距離を詰めにかかる。

 牙に貫かれ、爪に引き裂かれ、響の肉体のことごとくが人間としての形を失う――。


 事実、響の行動が数瞬遅ければそうなっていただろう。

 だが響とて、いくら弱っていようと、一撃で倒せないのは先刻承知。であれば、続けて攻撃する以外に選択肢はない。


「おぉ――ッ!」


 雄たけびを上げ、体内の魔力系を焼き切る勢いで魔術を展開する。立て続けに行う魔術行使は、響の構築速度ではたかが知れているが――それでも、限界を突破しかねない勢いで力を籠めれば、形にはなる。


 雷撃(tonitrui)――再び、魔獣たちが体を硬直させた。

 雷撃(tonitrui)――一歩踏み出した状態で体を震わせる魔獣たちの脚から、わずかに力が抜ける。

 雷撃(tonitrui)――ついに身体を支え切れなくなり、魔獣たちが横倒しになった。

 雷撃(tonitrui)――それでもまだ息のある魔獣たちは、強引に体を起こして響に襲い掛かろうとする。


「あぁぁぁあ――ッ!」


 負けてなるものか。ここで仕留めきれなければ、やられるのは響の方だ。


 雷撃(tonitrui)を放ち続ける。

 何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――!


「――は、はっ! はぁ――っ!」


 無呼吸運動に等しい、連続の魔術行使は、響の身体に大きな負荷を与えている。

 激しく息切れし、正面――討伐に成功した魔獣を見る。


 間一髪だった。彼我の距離は、一番近いところにいるコドラで五〇センチを切っている。力尽きるのがあと一歩遅ければ、響の命はなかった。

 自らの幸運を実感した響は、遅れてきた脱力感に尻餅をついた。


 魔力切れ――ではない。単に緊張の糸が切れただけのことだろう。

 陽介なしで魔獣三体と対峙。そのいずれも、あの時の大猿とは格が違う大物だ。一人で相手取ることはできなかったし、敵が一体増えればこの勝利はあり得なかっただろう。


「お手柄だよ、瑠璃は」


 魔獣同士をぶつけ、仲間割れをさせる作戦。幻影(phantom)を用いたこれは、敵が複数いて初めて機能する。

 咄嗟にそれを思いつき実行できたのは僥倖で、まんまと術中にはまってくれたのは幸福以外の何物でもない。


 素直な賛辞。感謝の念に、後衛で同じく力を抜いていたらしい瑠璃は、普段のひょうきんな笑顔を浮かべ、


「まあ、ルリさんですし? なんならもっと褒めてくれてもいいんですよ?」


「言うと思ったよ」


 瑠璃の軽さは、こういう時にありがたい。なんとなく救われた気がした響は、肩を叩かれ振り返る。


「俺の薬も役に立ったやろ? ほれ、褒めろや」


「俺に褒められても別に嬉しくないでしょ?」


「そらそやなァ。別にッて感じや」


 悪びれずにうそぶく永沢もまた軽いテンションだ。こちらは逆に神経を逆なでされる感があるから不思議だ。


「とりあえず、出入り口のバリケードの強化頼める? 連戦は辛い」


「人使いが荒いわァ。なんか貰わんと割りに合わんとちゃう?」


「やるの? やらないの?」


「やるて。死にたくはないし」


 肩をすくめて仕事に向かう永沢の背を見送り、視線を戻した響は、瑠璃の後ろに立ち尽くす影――穂花と目が合った。

 気まずそうに、悲しそうに揺らいだそれはすぐに逸らされてしまう。その理由にまでは思い至らない響は、は首を傾げつつ視線をスライドし、横たわる陽介を認めた。


「先生! 陽介は?」


「焦ることは何もない。止血はとうに完了している。今は傷をふさいでいるところだが、傷の大きさが大きさだし、私では一日で治すことはできない」


 立ち上がって駆け寄る響に、美里は極めて冷静に返す。

 陽介は訓練着が剥ぎ取られた上半身裸の状態だ。流れ出た血の跡は概ね拭き取られ、今は怪魚にやられた傷跡もはっきりと見える。

 美里の尽力により半ほどまで回復したそれらは、見ていてなんとも痛ましい。


 血も足りていないだろう。普段から白い肌からは余計に血の気が失せているが、静かに上下する胸が、生命維持に支障がないことを伝えてくれる。


「よかった……」


 「言っただろう、死ななければ私が助けると。そもそも、倉橋陽介の傷は致命傷というほどではなかった。確かに放置していれば出血の問題があるが、傷そのものが命に関わるものでなかったのも事実だ」


「心情の問題ですよ。大丈夫だって分かってても心配じゃないですか」


 目の前で怪魚に食われたのだ。しばらくはそのシーンが脳裏に焼き付いてトラウマになるに違いない。

 それは、そこで同じように胸をなで下ろしている瑠璃も同じだろう。

 明日からの数日、見るかもしれない悪夢に辟易とした響は、美里に呼びかけられて意識を戻した。


「ところで菖蒲響。君の怪我もなかなかのものだろう。治すから早くこっちへ来い」


「あ、いや、大したこと……なくないですね。お願いします」


 コドラに負わされた数々の傷。致命傷でも、意識を失うほどでもないそれらの怪我は、確かに陽介ほどではないが、日常生活では決して負わないようなモノばかりだ。

 アドレナリンのおかげか、今はそこまで痛みを意識しないでいられるが、完全に血が止まっていないあたり、早く治してもらった方がいいだろう。


 素直に頷いた響は、一歩踏み出し、




 ――轟音を聞いた。




 建物を震撼させる音の波は、踏ん張らなければ倒れてしまうほど。――地震と大差ない。


 その原因は、出入り口だ。

 今も、バリケードを強化していた。より堅牢になりつつあったその岩壁が、外側から一撃の元に破壊され。

 否、岩壁だけではない。塞いだ出入り口のさらに外側の壁に至るまで、邪魔だと言わんばかりに粉砕され、綺麗にくり抜かれている。

 未だ、微弱とはいえ結界が張られている部分までまとめてくっきりと。


 そして巻き起こった土煙の向こう。怪鳥と比してもなお巨大な影が、のそりと動いた。


 竜、竜だ。

 響の胴よりもなお太い手脚、叩きつける威力を想像しただけで死ねそうな尾。

 びっしりと皮膚を覆った鱗は光すら飲み込む漆黒で、触れただけで皮膚が裂けそうな気配がある。

 長く伸びた首をもたげた竜は、そこだけ真っ赤な瞳で倒れ伏した魔獣と響たちとを睥睨し、フンッと鼻を鳴らした。

 

「――入り込むなと、言っていたはずだがな」


 ――人語を発する竜の瞳に、慈悲の色はなかった。




次は日曜です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ