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下の下には俺(した)がいる  作者: サクラソウ
3章『落ちこぼれ魔術師の魔術大会』
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49『死ぬな』

「――陽介!」


 間に合わなかった。


 サッと血の気が引くのを全身で味わいながら、駆け寄った響は怪魚の口元、咥えられた陽介を認めた。

 刃のように鋭い牙は、中途まで肉に刺さっており、その箇所から溢れた血が訓練着を濡らしている。幸いにして首と頭は無事だが、胸の辺りから太ももまでを噛みつかれたこれは、間違いなく大怪我だ。


「――っ」


 思考が混乱する。

 死ぬ、死んでしまう? 響が間に合わなかったせいで陽介が命を落としてしまう――?


「――き」


 思考が勝手に記憶を辿る。

 あの炎の夜を想起させる。

 目から光をなくした、数分前まで人だったモノ。濃密な血の臭い。焼かれ焦がされていく人肉の臭気が。

 どれもが濃すぎるほどに”死”を孕んでいた、文字通りの地獄が、今も眼前で起ころうとしている――。


「――しっかりしろ、菖蒲響!」


「――っ!?」


 すぐ近くで発せられた叱咤に、強制的に意識を引き戻された響は、自分が呼吸を忘れていたことに気づいた。

 息が詰まったような音を出しつつ空気を吸い込んだ響は、声の主が、今は後衛でサポートに準じているはずの美里であると認識。


「なんで……」


「何を突っ立っている! 早くしなければ助けられるものも助けられない。――幸い、お前の電撃でこの怪魚は始末できたらしい。気を失ってはいるが、私に治せないレベルの怪我ではない」


「…………」


「分かったらとっとと、この大口をこじ開ける手伝いをしたらどうだ!」


「……ぁ」


 今更のように、美里が怪魚の死骸の口をこじ開け、陽介を救出しようとしていることに気づいた響は、状況を理解した。


 響と陽介の代わりに、前線には永沢が出張り魔獣の足止めを。後衛では瑠璃が幻影(phantom)を用いて、こちらに注意が向かないよう手を尽くしている。


 そして今、目の前で、美里は陽介を救おうとしているのだ。

 惚けて立ち尽くしていた自分の無能さに腹が立ち、同時に危機感を抱いた。――早くしなければ。


 かがみ、怪魚の口を掴んで引っ張る。

 女性とはいえ、大の大人が奮闘して開かなかった顎の力は凄まじいもので、響が加勢してもすぐには効果がないが、


「よし、開いたぞ!」


 命を失い、これ以上の力を加えることのできない口は、多少の時間はかかれど開かないことはない。

 開いた口から陽介を引きずり出し、血の跡が引くのを視認して、改めてその傷の深さに歯噛みする。


「先生、陽介は……」


「ここまでくれば、死ぬことはない。そうでなくとも死なせないさ。出血が多いが……充分なんとかなる」


 己に言い聞かせるように呟き、詠唱した美里は癒しの力を全力で陽介へと注ぎ込む。

 流れ出していた血が少しずつ止まっていくのを見、響はホッと一息つき、


「――ただ、今からの戦闘復帰は不可能だ」


「…………」


 苦渋をすすったような表情で言い放つ美里に沈黙した。

 なるほど、この傷の深さだ。

 響が隼人にいたぶられた際も、目覚めるまでに相当な時間がかかったことを鑑みると、治療したからといってすぐに戦闘復帰出来るわけではない。どうしたって完全に回扶育するには時間がかかる。


「つまり……」


「ああ、倉橋陽介抜きで、魔獣の群れと相対することになる。出来るか?」


「…………」


 無茶だ。出来るわけがない。先までも、ほとんど陽介の独力で押しとどめていたようなものなのだ。

 響がしたことといえば、意味があるかも分からない牽制をしただけ。いてもいなくても構わない程度の活躍だ。

 陽介抜きで戦うなど、"落ちこぼれ"が可能とは思えない。


 いつまでたっても響は”落ちこぼれ”で、人より優れたところなんて存在しない。ただひたすらに、がむしゃらに突き進むだけが唯一できることで。それも、今この場で役に立つかは未知数もいいところだ。

 はっきり言って、分が悪すぎる。


 だが、


「できないかもしれません。でも、やります」


 怪我をさせてしまったのは響だ。間に合うかもしれなかったのに間に合わなかった。友達を助けられなかった。

 そして今、響がやらなければ友達は助からないかもしれない。後退しながらでは、美里も治療はできないだろうから。


 だから、無理でもなんでもやるしかない。


「すまないな……」


 謝罪を口にする養護教諭に、はたと顔を上げる響は、美里にしては珍しい、視線を逸らした自信のない表情を目にした。


「私が、治癒以外にも魔術を扱えれば苦労はかけなかっただろう。君たち生徒を危険な目に遭わせることもなかったはずだ。すまなかった」


「…………」


 確かに、そうかもしれない。

 ここにいたのが他の教師であれば、魔獣との戦闘ももっと難易度の低いものになっていただろう。

 回復特化の後方支援型と言えば聞こえはいいが、それは回復しか能がないとも取れてしまうのだ。


 否定することができずに押し黙る響。そこに、美里は逸らしていた視線を前へと向けた。


「すまないが、今回は、無茶をするなと言ってやれない」


「…………」


「今回は。今回はギリギリまで無茶をしろ。――ただ、死ぬな」


「…………」


「死ななければ、どうなっていようと私が助ける。だから、死ぬな。死なないでくれ」


 普通に生活していれば、一生聞かないような忠告だ。

 だが、美里の目は真剣で。あまりにまっすぐと見つめてくるものだから。

 気恥ずかしさを感じることもなく、響もまた見つめ返すことができた。


「はい」


 頷く響に迷いはない。

 先の動揺は強引に捨てきって。


 戦いへの一歩を踏み出した。



 * * *



「どやったん? 倉橋の具合は」


「助かるって。ただ、この戦いでの戦線復帰は無理そう」


「まあ、そやろなァ」


 前衛に戻ると、新たに進入してきた巨大な熊に対峙する永沢は一瞬だけ振り返り問うた。

 瑠璃によってかく乱されているらしい大熊を確認した猿顔は、響の答えに嘆息し、それから表情からふざけた色を消して、


「で、どうすんねん。実際ィ、俺は今すぐ逃げ出したいんやけど」


「それは困るって。現状、魔獣に攻撃が通るのは君だけなんだから」


「分かっとるがな。気持ちの上でのハナシや。俺もここまでやって逃げ出そうとまでは思えんて。逃げたせいで誰かが怪我するくらいならともかく、死ぬかもしれんとなると、さすがになァ」


 大熊――装甲をまとったような両腕と、甲羅を張り付けたような背中を持つ青色の魔獣が突進してくるのを、瑠璃の幻影(phantom)で違う位置に誘導してやり過ごす。

 すぐ眼前を通り過ぎて行った脅威に顔を引きつらせながら、永沢は逃げるつもりはないと断言した。


「だから、負けるわけにはいかんってなァ。俺の秘密一つだけ教えたるわ」


「秘密……?」


 妙なドS心や、反則すら躊躇わない性格に至るまで、響はかなりの秘密を知っている気がするのだが、この期に及んでまだ隠し事があると永沢は言う。

 さして親しい間柄ではないし、知らないことがいくらあっても不思議ではないとはいえ、またかと辟易した表情を作る響に、永沢もまた嫌な顔をし、


「そないな顔されんの、心外やわァ。別に教えたから言うてジブンの秘密を喋れなんて言わんでェ? 今生き残るんに必要やァ思うたから――」


 そこから先の言葉は、嗅覚によるものか、魔獣特有の超感覚で二人の正確な居場所を把握した大熊が、その装甲をまとった腕を振りかぶったことで中断した。


 陽介のように防壁を張ることはできない。岩壁では防ぎきれないであろう一撃には、回避以外に取るべき手段はない。


 二人して横っとび攻撃から逃れた次の瞬間、大熊の腕が、先まで二人のいた空間をさらっていった。

 食らっていたら、頭と体が離れていてもおかしくない。ヒヤリとしつつ、数度ステップを踏んで距離をとった響は、魔獣の顔面目掛けてタロットを叩きつける。


 土元素、目潰し。

 警戒の隙間をすり抜けた、攻撃とも言えない攻撃は、大熊の目をしっかりと捉えていた。眼球に異物が入り込む痛みに、さしもの魔獣も悲鳴をあげて後退する。


「アホ! 横や横!」


 だが、魔獣は青い大熊だけではない。

 永沢の怒鳴り声に即応し、目で見て確認するよりも早くバック転。大きく身を回して移動した瞬間、眼前を黒い塊が通過した。


 四足歩行のずんぐりとした体は大熊と同等以上の大きさ。口元から二本の牙を生やし、瞳は紅く爛々と輝いている。

 カリュドンの猪。そんな単語が頭に浮かび、消える頃には猪は体を反転させている。


 突進。

 迷わず響に直進し、轢き殺そうとする嵐。それもやはり、一撃食らえば即死しかねない致死の猛威だ。

 その代わり、動きが単調なのが助かった。地面を蹴って転がれば、回避すること自体はそう難しいことではない。


 躱した挙動で猪の横合に出た響は、お返しとばかりにタロットを投擲。期せずして怪魚を仕留める役目を果たした電撃を、その横っ面に浴びせかけるが、


「――、効果なし?」


 閃光をまとって確かな破壊を浴びせたはずの雷撃(tonitrui)を、猪は鬱陶し気に顔を振るだけで耐えてみせる。というより、最初からほとんど影響を受けていないように思えた。

 それはつまり、あの怪魚よりもこの猪の方が格上ということで。


「いや……」


 あの時、怪魚はすでに陽介の魔術で相当なダメージを負っていた。体内に蓄えられていた魔力を、莫大な魔力をその身に浴びることで押し流されていたのだ。

 響の魔術が効いたのも、その影響だと考えれば納得がいく。


 ならば、まずは弱らせるところから始めなければならない。だが、遅々としたペースとはいえ次々とドーム内に魔獣が侵入してくる現状、それすら難しいのも事実。

 ならば――、


「永沢! 俺との試合でやったみたいに、あの入り口を岩壁で封鎖するのってできない?」


「できんことはないけど、そんなに長くは持たんで」


「それでもいい。頼んだ!」


 現状、中まで侵入しているのは大熊と猪、それにたった今出入り口を突破した爬虫類型のものだけだ。

 ヴェロキラプトルそのものといった体躯は二メートル強。コドラと呼ばれるそれは、身軽な動作で響たちを睥睨している。


 後続が来るまではもう少し余裕がありそうで――その余裕をさらに拡張する。


 響の指示に、永沢は特有の用心深さで納得し、数歩後退し魔術を構築する。

 塞いでいる間は響に魔獣の相手を任せようという魂胆なのだろうが、それはさすがに重荷だ。


 "落ちこぼれ"が、魔獣を三体同時に相手取る。聞いただけで及び腰になるその状況に、


「ヒビキさん、とりあえずそのイノシシさんとクマさんは、私がなんとかします!」


 嗅覚の鋭そうなコドラには幻影(phantom)が通じづらい。視覚情報のみを頼りに脳死で突っ込んでくる猪を瑠璃が受け持つのは納得だが、大熊は先ほど、超感覚で響と永沢の位置を特定してみせていた。

 ではどうして瑠璃は、二体も受け持つと言ってきたのか。


 その理由は次の瞬間に明らかになる。

 瑠璃は幻影(phantom)を、猪だけを対象に発動。大熊の実像を消し去り、代わりにその位置へ響の像を作り出す。


 猪は首を巡らしそれを視界に入れると、前足で数度地面を蹴る動作。それから超加速し、数歩で最高速度まで至った黒い弾丸は、瑠璃の目論見通り大熊へ直進する。

 そして、視界を潰された大熊は、その攻撃に対応しきれない。


 巨体同士が手加減なしでぶつかる。遠く離れているはずなのに、衝撃波が伝わってきそうな衝突が眼前で繰り広げられた。

 想像外の標的の大きさと重さに目をむいた猪は、弾かれるとたたらを踏む。対する大熊は怒り心頭だ。突然の味方からの攻撃にバランスを崩し転がった魔獣は身体を起こし牙を剥いて威嚇した。


 ――グガァルァァァアッ!


 そんな肉食獣特有の唸り声に、猪もまた相対さないわけにはいかない。

 魔獣たちは互いに互いを牽制し合うと、そのまま仲間割れをし始めた。


「おおっ、でかした、瑠璃!」


「そうですルリさんです。もっと褒めてください!」


「それは後でで!」


 お手柄には違いないが、この場にはまだ一体残っている。

 瑠璃の要求に応えている余裕はなかった。

次は月曜日です。

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