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ふりちりすべる  作者: ぱじゃまくんくん男
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きらめき昇る


 尾張国から美濃国にかけて、稲穂は見渡す限りに青々とうちなびいていた。

 肥沃なこの土地において、朝日のようにきらめき昇り立った織田家。

 その家中に簗田という家があった。

 他の織田家臣団と同様、岐阜城のある稲葉山のふもとに、簗田家も屋敷を構えている。

 空は暮れなずんでいた。森のひぐらしが、過ぎ去りつつある夏をしのぶかのように、寂しげに鳴いている。

 しかし、簗田家の屋敷から飛び出してきた怒号に、ひぐらしの音はぴたりと止んだ。

「どうして、何も言わずに行方をくらますのじゃっ! わらわがどれほど心配したことか、わかっておるのかあっ!」

 この屋敷に住む女房の恐ろしさは、濃尾平野のはしにまで知れ渡っている。

「わかっておるのかと訊いておるのじゃっ!」

 普段は美しい。肩にかかるかかからないかの黒髪は齢三十を越えても艶やかで、吊り上がりぎみの目尻は生娘のように澄んでいる。

 実兄は重臣の柴田権六郎勝家。猛将の兄でさえ、この人の顔を真っ赤に染め上げての形相には震え上がる。

「は、はいっ。わ、わかっております」

 と、この夫は当然ながら肥えた顔を青くさせ、大きな体を縮こまらせていた。

 婚姻を上げてからどのくらいの歳月を経たであろう。いまだに頭が上がらない。いや、上がらないどころか、ときには踏み潰される。

 実際、妻はおもむろに立ち上がった。ばちん、と、夫の頬を一度平手で打ったあと、右足で頭を容赦なく踏みつける。

「わかっておるのなら、なぜ、文の一通も寄越さんのじゃ!」

 妻は梓という。夫は牛太郎という。

 いや、牛太郎は簗田家の主なのである。どころか、左衛門尉という官位を朝廷から賜ってさえいる。

 しかし、足の裏に屈している。

 そもそも、牛太郎に弁解の余地はなかった。

 二か月近く、誰に何を告げることもなく行方をくらまし、京にある相国寺で隠遁まがいの暮らしをひっそりと送っていたのだった。

 家出である。

「摂津や堺にかかりきりである亭主殿をわらわが咎めたことがあったか! わらわは亭主殿が文を送ってくれると信じておるから何も言わずにおったのだ! それなのに、なんなのじゃ、この仕打ちは!」

「い、いや、でも、あっしは梓殿にちゃんと香炉を贈り、それで、その、梓殿のために――」

「言い訳にもならんわっ!」

 顔面を思い切り蹴飛ばされた。

 ここまでされるとは思いもしなかった。新婚当時は、何度か梓の折檻を受けた牛太郎であったが、お互いに夫婦の間での忍耐を重ね、ようやく愛を理解し合っていたはずであった。

 だから、牛太郎は、養子の左衛門太郎に相国寺を突き止められても、のこのこと岐阜に帰ってきたのである。

「ううっ、太郎」

 唇から血を、瞼から涙を流しながら、息子の左衛門太郎に救いの手を伸ばしたが、齢二十一の息子はしらりと見つめてくるだけである。

「常に文を寄越すという約束であったではないか! しっかりと守られよ!」

「ふぁい」

 牛太郎は、女中のお貞とおかつに両脇を支えられながら自室へと退き、虫の息で布団の上に横になった。

 お貞もおかつも、梓の実家の柴田家から来た女中であるから、梓の暴力は勝手知るところでもあり、被害者の治療も手慣れている。むしろ、これが毎日の作業かのように淡々とこなした。

「旦那様、どうして行方を知らせなかったのです。こうなるとわかっていたことではないですか」

 年配のお貞が言うが、牛太郎は何も答えずにただ、うう、うう、と、牛のように呻く。

 言えない。堺の屋敷を飛び出し、誰にも連絡をせずに相国寺に籠っていた理由など言えない。女たちの衣服を盗んで、その香りを楽しんでいるところを配下の者に見られ逃げ出したなど言えない。

 女中たちが部屋を去り、ひぐらしが鳴き始めた。

 牛太郎は瞼の裏に焼きついている梓の形相に恐怖しながらも、開け放たれた戸からすべり落ちてくる夕風と、わびしい虫の声に包まれながら、ようやく、ぼんやりと、明日からのことを見据え始めた。

 きらめき昇る朝日のように進撃を続けていた織田家は、今、窮地を迎えている。

 織田家存亡の戦いは、浅井備前守の裏切りから始まり、雌雄を決するときが近づいている。

 織田家包囲網が組まれている。

 やがて、秋の収穫期が過ぎれば、富士のふもとから武田騎馬隊がやって来るであろう。

 織田は戦慄する。武田騎馬隊は日の本最強の武士団と言っていい。その強さは子供でも知っている。女でも知っている。

 それに引き換え、織田の兵は弱い。驚くほど弱い。織田家がここまで勢力を拡張できたのは、兵の強さではなく、全軍を統べる織田上総介という男の才覚一つだけであった。

 それでも、無類の智謀と創造性と強運を持つ上総介であっても、武田ばかりは恐れていた。武田を敵に回せばひとたまりもないことは重々承知していた。

 しかし、牛太郎は前々から上総介に進言していた。

 武田が西上を開始したそのとき、偉大なる戦国大名、徳栄軒信玄は死ぬと。

 実は、牛太郎は未来からやってきた男であった。

 この事実を知っている、あるいは信じている人間は、この世に一人、上総介だけである。

 武田はよいのだ。織田家の喉元に刃を突きつけているのは武田ではない。

「父上、入りますよ」

 左衛門太郎がやって来たので、牛太郎は考察をやめた。

「ひどいやられようですね」

 でこぼこに腫れた牛太郎の顔を眺めて、息子は口許をほころばせる。

「何を笑っていやがる。どうして、止めてくれなかったんだ」

 と、牛太郎は恨み節だが、息子は細い鼻をつんと突き上げた。

「何も言わずに家を出る父上が悪いのでは。母上がどれほど心配したのか考えもすれば、これぐらいで済んで良かったのではないですか」

 これ以上やられたら死ぬだろうと言いたい。ただ、梓を心配させてしまったことには心苦しくもあるから、牛太郎は素直に黙った。

「近々、北近江の浅井を攻めます。今度のいくさは姉川以来の大いくさになるという話ですから、父上も召集されましょう。その間に傷を癒しておいてください」

「そんなことよりだな、太郎」

 と、牛太郎は目玉だけを動かして、涼しげな顔つきの息子を見やった。

「赤ちゃんが産まれたんだろ。どこにいるんだ。連れてこい」

「それは無理です」

「どうして!」

 うっかり声を大きくしてしまって、牛太郎は痛みに唸るが、左衛門太郎はやはりしらりとした顔でさらりと言った。

「母上に見せるなと仰せつかっています」

「なんでだよ!」

 そうして、また、うう、と痛みに耐えかねる。

「母上の言葉をそのまま申しますと、どうせ、孫見たさに帰ってくるのであろう。だから、見せぬ。許さぬ。反省に反省を重ねてもらわなければならぬ」

 牛太郎は絶望的な悲しさに襲われた。血の繋がっていない初孫とはいえ、京から岐阜への帰路、それを楽しみにしていたのだ。玉のような男の子なのだろう。太郎や嫁のあいりに似て、利発そうな顔をしているのだろう。

 ああ、とうとうおれも、おじいちゃんと言われる日が来たのか。ふむふむ。

 などという淡い夢は梓の怒りの前に霧となった。

「そんなことないって言ってくれよ。別におれは赤ちゃん見たさに帰ってきたわけじゃないんだからよ。あずにゃんが心配しているだろうから帰ってきたんだからよ」

「だったら、別によいではないですか、赤子を見ずとも」

「いや、でも、せっかくだから見せてくれよ」

 左衛門太郎はすがりつく牛太郎に一瞬ためらいの表情を見せたが、すぐにぷいと顔を背けて、腰を上げてしまった。

「今回ばかりは拙者も母上の味方です。だいたい何度目のことか。拙者が小姓だったときも行方不明になりましたし、母上が嫁がれてまもないときも家を飛び出して、何度やれば気が済むのですか」

「もうしない」

「母上だけではありませんよ。あいりもお貞も、それに堺にいる早之介や四郎次郎だって、父上の身をどれだけ案じていたことか。それをおわかりなのですか。おわかりならば、せめてこの家の者たちに詫びの文でも書いてください。赤子はそれからです」

「わかった。わかったよ。そうするよ。そうするから、筆と紙を持ってきてくれ。今すぐに書くから、持ってきてくれ」

 初孫見たさに嘆願すると、一度部屋を出た左衛門太郎は筆と紙を用意してくれた。

 だが、梓から受けた暴力の限りのおかげで、腰を上げることも筆を手に取ることもできず、牛太郎は枕に突っ伏して泣いた。



 梓の折檻による傷も癒えた頃、岐阜城下には軍勢が集結しつつあった。

「長いいくさになる」

 岐阜城に召集された軍議にて、当主、織田上総介は居並ぶ諸将にそう睨みを与えた。

 彼の眼差しには激しさがある。瞳の奥が黒々と燃えるさまは、彼の信念をほとばしらせているかのようで、それだけでも織田上総介という男の凄まじさがわかる。

 彼をここまでさせたのは、天下布武への野心ではない。可愛がっていた妹を巻添えにしてまで裏切った、浅井備前守への怒り、憎しみ、そして悲しみ、それらの感情を超越した果ての激しさである。

「小谷攻めだ」

 静かに、唸るように、短くそう言った上総介に、諸将は息を呑み、やはり牛太郎も震えた。

 浅井備前守の裏切り以来、上総介のいくさは修羅道に徹している。

 比叡山延暦寺への焼き討ちが最たるものだった。死者は僧兵のみならず、学問に徹していた非武装の高僧から、老人、女子供まで、三千人超の虐殺劇であった。

 破壊と暴虐の限りを尽くした織田の兵卒たち。牛太郎の脳裏にあの地獄の光景がまざまざと蘇ってくる。

 あのときのようになってしまうのだろうか。

 戦国の世にやって来てから十年以上の時を経ているが、この間、牛太郎は一人の人間も殺めたことがなければ、平和な時代の感覚が抜けきれず、人の死を簡単には受け入れられない武将であった。

 比叡山は彼の心的外傷となっている。

 また、小谷城攻めともなると、彼には後ろめたさが湧いた。

 浅井備前守の妻、市のことである。この婚姻を上総介に進言したのは他でもない牛太郎であった。

 進言をしたころは、一人の女が戦国の掟に翻弄されることに何の感慨も覚えなかった。ただ、今の牛太郎には梓という妻がいて、起伏に富んだ梓との夫婦生活を送っているうちに、この時代の女の気丈さと、あわれさを知った。

――市は見ての通り幸せでございます。貴方が兄上に市の嫁ぎ先を浅井と進言したと聞いたときには、貴方を恨みはしましたが、しかし、浅井の家は、市を大切にしてくださいます。

 麗しき市の微笑みが思い出される。その幸福を与えたのは牛太郎であったけれど、それの破壊に参加しようとしている自分もいる。

「小谷城は堅牢だ。これまでの攻城のように、一日二日で終わらせる攻城じゃねえ。周囲に砦を築き、浅井の者どもを根絶やしにしてやる」

 上総介は家臣の女房を気遣うこともあれば、癇癪を起こしたりもする気難しい男なのだが、妹の市がいる小谷城を攻めなければならないという感傷を克服したと思われる。戦国の掟を貫く意志がはっきりと表明されており、だからこそ、織田の古くからの家臣は上総介のこの激しさに忠誠を誓っていた。

「出陣は明後日、横山にいるサル、五郎左と合流し、小谷城下を焼き払う。それと奇妙も連れていく。初陣だ」

 なるほど、と、牛太郎は思った。当初から上総介の隣には奇妙丸が座っていたが、軍議に顔を出したことはかつてなかった。

 つい先日に元服したばかりの勘九郎信忠の初陣と聞き、諸将は、おおっ、と歓声を上げる。

「ついに奇妙様の御出陣ですか!」

 筆頭家老の佐久間右衛門尉が細長く伸びた口髭を震わせると、隣に座っている柴田権六郎も口を大きく開けた。

「これは是が非でも負けられぬいくさでありますな!」

「うつけが」

 湧き上がった諸将に水を差すような睨みを、上総介は与えた。

「奇妙の出陣うんぬんで負けられぬいくさなのか。このいくさは当初から負けられぬいくさだ。今の我らに負けるいくさなど許されんわっ!」

 しんと静まり返った場をよそに、上総介は腰を上げて広間をあとにしていった。

「気にするでない」

 と、勘九郎は父親にまるで似ていない柔らかい微笑を浮かべた。

「父上は気が立っているだけだ。我はお主たちの意気を嬉しく思う。だが、我のためではなく、織田のために、この織田に住まう者どものために戦おうぞ」

 まだ、齢十五である。諸将は少年らしからぬこの言葉に感服するかのように一斉に頭を下げた。

 軍議は終わり、諸将はそれぞれ岐阜城を下りた。

「若様は見ない間にご立派になられましたね」

 涼やかな風が吹き抜ける稲葉山の山道を下っていきながら、肩を並べる左衛門太郎は牛太郎に言った。

「おやかた様に逆らってばかりだという噂を聞いたこともありますけれど、実は、うつけと言われていたおやかた様に似ているのかもしれませんね」

「まあ、似ているかもな」

 牛太郎は上総介の気難しさをよく知っている。嫡男の勘九郎とは一度しか面を合わせたことがないが、やはり気難しい少年だった。

「でも、初陣がこのいくさだとは、若様には酷ですね。姉川のような大きな野戦にはならないかもしれませんが、小谷城の抵抗は相当なもののはずです」

「馬鹿言うな」

 牛太郎は足を止めると、頭上を仰いだ。緑がほのかに褪せ始めた木々の葉のすきま、高く突き上がった空に白雲がゆるりとたなびいている。

「抵抗しない人間が今までいたか」

 稲葉山の裾野は、領内各地から集まって来た軍勢でひしめき合っている。圧倒的な数でもって勝利を目指す上総介のいくさは、いつもこうだ。城下は兵卒と馬でごった返す。しかし、この空はいつも穏やかである。

 なるべくなら、いくさは避けたい。

「左様でありました」

 と、左衛門太郎は、ひところの情けなさとはおもむきが変わりつつある養父の姿に口端を結び、同じ空を眺め上げた。

 だが、戦い続けなければならないのも、この親子の現実である。

 牛太郎と左衛門太郎は稲葉山を下りると、郊外の願福寺に足を運び、境内に駐屯している簗田家直属の軍団、尾張沓掛勢二百五十人と、尾張九之坪勢五十人に号令した。

「出陣は明後日だ。英気を養えよ」

 侍大将の役を持つ左衛門太郎にしては、抱えている軍勢が三百人とはひどく少ない。同じく侍大将の木下藤吉郎などは四千人以上の軍勢を持っている。

 ただ、沓掛勢は織田家でも類を見ない精強な兵卒集団だ。厳しい訓練が伝統的に行われており、数々の死闘をくぐり抜けてきてもいる。

 一目見て、他の織田方の兵卒との違いが読みとれるのは、出陣の日取りを左衛門太郎から告げられても兵卒たちは顔色一つ変えず、眼差しだけを屹と据える。出陣ともなれば、彼らの目の前にあるのは決戦地だけでしかない。

 牛太郎が沓掛城主となったころは、ごろつきの集団でしかなかった。それを思えば、牛太郎もなかなか感慨を深めた。

 まあ、牛太郎がここまでの集団に仕立て上げたわけではないのだが。

「太郎殿」

 と、牛太郎に匹敵する大男が甲冑を鳴らしながら歩み寄って来た。太い眉が鬼のように吊り上がっていて、分厚い唇はへの字に厳めしい。

「この日のために九之坪の者たちを鍛えて参りましたぞ。しかと御覧くだされ」

 佐久間玄蕃允盛政げんばのじょう もりまさという。柴田権六郎の姉の子、梓の甥であるが、堺や摂津にかかりきりであった牛太郎はこの若者をよく知らない。

 尾張九之坪は知行として簗田家に与えられたばかりの地であり、配下の与力が二人しかいない簗田家にとって、手が回らなかった。

 まして、この二人は摂津調略に奔走していて、岐阜にすら戻ってこられない状況である。

 そこで、左衛門太郎は沓掛の兵卒から誰か二三人を与力に上げようと考えていたのだが、適当な人材が見当たらず、見兼ねた梓が実家の柴田家に相談したところ、この若武者を貸し出してきた。

 玄蕃允はすでに戦場に何度も出ているが、十七歳とまだ若い。大した広さでもない九之坪で経験を積ませるのは打ってつけであろう。

 ただ、最近、岐阜に戻って来たばかりの牛太郎は事情すらよく知っていない。

 玄蕃允の堂々たる体躯に眺め入り、太郎にしてはなかなかの男を与力にしたものだと勘違いした。

「それじゃあ、ここで立ち話もなんだから、おれの家で夕飯を馳走になれ」

 と、牛太郎は居丈高に言い放ったが、玄蕃允は牛太郎に向けて眉根をしかめた。

「わしは兵どもと共におりまする」

 なんだ、この若僧。睨みつけてきやがって。

 いや、玄蕃允が睨みつけるのも無理はない。ぽっと出の簗田家とは違って、玄蕃允は佐久間一族である。


 牛太郎が屋敷の自室に戻ってくると、床の間に花が活けられてあった。

 誰のしわざだろう。瓶から細い茎がすうっと伸びていて、頭には小ぶりの黄色い花が無数に集まり、ぼんぼりのようだ。

 牛太郎は土色の素朴な花瓶を手に取り持ち上げてみて、花を嗅いでみた。

 くさい。まったくもって野暮ったく、むわっとあつかましい香りで、すぐに戻した。

 お貞だな、と、牛太郎は邪推した。こんなものを活けるとは、年寄りのお貞ぐらいしか考えられない。

 気分が悪くなったので、匂い狂いの牛太郎は久々に香木を燻そうかと思ったが、あいにく、香炉も香木も梓が持っている。

 あきらめて、机の前に座った。硯と紙を取り出し、筆を手に取る。

 堺に常駐している配下の者たちに近況を要求した。しかし、牛太郎は文面に悩んだ。着物を盗んでいたことを知られて以来、顔も合わせていなければ、文も届いていない。

 自分の家出中、心配はしてくれていたらしいが。

 こんこん、と、戸を叩く音がした。

「旦那様、よろしいですか」

 あいりである。顔を見なくなって一年近い。岐阜に戻って来てからも、同じ屋敷に住んでいるというのに、梓の命令でなのか、それとも子供を産んだばかりで安静が必要なのか、見かけていなかった。

 そもそも、牛太郎は食事をこの自室で一人きりで取らされている。主人も奉公人も身分に関わらず同じ部屋で食事を取るというのが、簗田家のいつからかの習わしであるのだが、反省を促されている今時分は、牢屋に閉じ込められたような日々であった。

 なので、牛太郎は目を輝かせて色めき立った。腰を上げると、自ら戸を開けた。

 そこには乳の身児を抱いたあいりが立っている。

「ああ、ああ」

 と、牛太郎は何を言っていいのかわからないまま、あいりの腕の中ですやすやと眠る赤子を覗きこんだ。

「太郎殿が見せに行きなさいって」

「そうか、そうか」

 牛太郎は何度も頷いた。

「可愛いなあ。可愛いなあ。まあ、入って入って」

 あいりと赤子を招き入れると、今までそんなことをやったことがないくせに、押入れから座布団を取り出して来て、あいりに勧め、自分は床の上に正座した。

「よかったよかった。母子ともども健康そうでよかったよかった」

「おかげさまで安産でした」

 あいりは腕の中の子をゆっくりと揺らしながら、母親の目で赤子を愛でる。

 そうか、そうか。あいりんもお母さんか。しかも、我が嫁、我が孫。女中として健気に働いてきた姿を見ているだけあって、牛太郎の感慨もひとしおであった。

「これで簗田家も安泰だ。太郎もいるし、その子もいる。そうだ、なんなら、おれが育てよう。もう少し大きくなったら、もっと広い世界、京や堺に連れていってあげよう。なにしろ、いずれは簗田家の当主となるんだからな」

「はい?」

 牛太郎の言葉に顔を上げると、あいりはぽかんと首を傾げた。

「ああ、いやいや、別にあいりんから奪い取ろうとかそんなんじゃなくて、一応、当主としてね、教育を施そうかとね、まあ、いずれの話だよ、うん」

「いえ、旦那様、当主と申されましても、この子はおなごですよ」

「えっ?」

「知らなかったのですか?」

 牛太郎は思わず視線を斜めに逸らした。ぐう。そういえば、この子が男児であるとは、誰からか聞いたわけではない。かといって、男か女か、訊ねてもいない。

 何を考えてか、早合点していただけである。

「申し訳ございません。男の子ではなくて」

「いやいやいやいや、そういうわけじゃなくてさ。いや、全然いいんだよ。男だろうが女だろうが。だって、女でも武将をやっている人間だって――」

 ごほん、と、牛太郎は自分で言っておいて咳払いする。

「とにかく、あいりんも子供も元気そうでよかった。きっと、あいりんに似て可愛い女の子になるに違いない。それで、名前はなんて言うんだい」

「駒と申します」

 コマだと......。

「誰が付けたんだ、その名前」

「おやかた様に頂戴しました。太郎殿がおやかた様に報告に上がったさい、おやかた様が下さったようです」

 牛太郎は溜め息をつきかけたが、さすがに子を産んだあいりの前では憚られて、息を呑み込んだ。しかし、顔つきはぶすくれていた。

 瓢箪から駒と言うが、それは子馬のことである。「牛太郎」の名も上総介に名付けられたのだ。由来は牛のような男だから。

 おそらく、自分を牛と呼んでいるのに掛けて、上総介は駒と思いついたに違いない。絶対に思いつきだ。

 もしくは、あだ名を好む上総介が、左衛門太郎をこましゃくれと呼んでいるから、「駒」なのかもしれない。

 いずれにしろ、可愛い初孫にコマなどとはおもしろくない。しかし、主君がくれた名前にけちをつける訳にもいかない。

「こ、駒ちゃんね」

 牛太郎は掌に乗りそうなほどに小さい顔を見つめた。か細い寝息。ふむ。その名を声に出してみると、不思議と小さなこの子にはコマという語感が合う。

 眺めているうちに、また、頬を緩めていく牛太郎の様子にあいりは笑った。

「旦那様、抱いてみますか」

 あわてて牛太郎は両手を振る。

「いやっ、いいっ。落としたら大変だ」

「大丈夫ですよ」

「いやいや。せっかく眠っているのに、おれなんかに抱っこされたらびっくりしちゃうじゃんか」

 牛太郎はあいりの前から逃げると、机の前に再び腰かけ、筆を手に取り、ごまかした。

「それはそうと、このくさい花はなんだ。お貞に言っておきなさい。こんなものを拾ってくるなって」

「その女郎花を積んだのは奥方様ですよ」

「あっ、そ、そうなんだ。ふーん、お、おみなえしって言うんだ。へえ。どおりで綺麗な花だと思ったよ」

「奥方様がお許しくだされたのでは」

「そ、そっかな」

 あいりが部屋をあとにしていくと、しばらくしたのち、牛太郎はこそこそと左衛門太郎の部屋を訪ねた。

「どうかされましたか」

 左衛門太郎もまた誰かしらに文を書いているところであった。牛太郎はそろりと戸を閉めると、梓が本当に許してくれているのか訊ねてみた。

「さあ」

 と、首を傾げられる。

「そんなことより、拙者に堺の早之介から文が届きましたよ。父上を早急に堺に戻すようにとの催促ですが、出陣の下知のため、無理だと返答しておきますよ」

「ああ、そうしろ。あいつは早急だの危急だの、すぐにせかすからな。本当は急ぎでもないんだ。放っておけ」

 すると、左衛門太郎は目をしらりとさせる。

「なにゆえ、堺を飛び出したのです」

「お、おいっ! 今さら、そんなのはどうでもいいだろっ! そんなことより、あずにゃんがまだ怒っているのかどうなのか確かめてこい!」

「拙者があらぬ詮索をすると、母上はまた怒りますよ」

 むう。言われてみればそうだ。牛太郎はあきらめて部屋をあとにしようとしたが、床の間に置かれてある女郎花に気付いた。

「あの花、どうしたんだ」

「母上が積んできたようです」

「なんだ、おれだけじゃないのか」

 牛太郎はぼそりと吐きながら戸を開いた。くさい匂いはともかく、自分のために積んできてくれたのだと一瞬でも思っていたから、なんだか寂しくなってしまった。

「父上の部屋にも活けられてあったのですか」

「まあな」

「それならば、お返しをすればよいではないですか。そうしたら、母上もきっと喜ばれますよ」

 ほう。牛太郎は戸を閉めて、息子の前に腰かけた。

「お返しってのはなんだ。そういう花の交換とかあるのか」

「そんなのは自分で考えてください。それが誠意ではないのですか」

「誠意ならあるだろ。ただ、その手段がわからないだけなんだから。花の交換とかしてみて、変な花とかあげちゃったら、どうすんだ。お前のせいだからな」

 牛太郎が一生懸命に唾を飛ばしてくるので、左衛門太郎は溜め息をつくと、億劫そうな声で言う。

「それならば、歌でも詠んで差し上げたらどうですか。女郎花の歌でも。堺や京の博識な人たちと仲の良い父上なら歌ぐらい作れるでしょう」

「和歌のことか? そんなのおれが作れるわけないだろ」

 堺や京の文化人との交流がある牛太郎だが、歌合わせをしたことはない。文化的交流をしているのではなく、堺や京の文化人とは政治的な付き合いをしているだけなのだ。

「お前が考えろ」

「拙者だって、和歌など気恥かしくて作れませぬ。だいたい、歌を詠むなど、いくさ人のたしなみではありませぬ」

「お前が言ったんだろ、作れって」

 突っ込まれた左衛門太郎は、しかめっ面で頭をかくと、机の下から書籍を取り出してきて、それを捲っていく。

「なんだよ、それ」

「万葉集です。文を書くときに参考にしているのです」

 やがて、左衛門太郎はあるところで捲っていた手を止めると、書籍を見やりつつ、机の上の紙に筆をすらすらと入れていった。

「フン。いくさ人のたしなみじゃないなんて言っていたくせに、ちゃっかりそういう本を持っているじゃんか」

 左衛門太郎は書き終えた紙を牛太郎にぐいと突き出してきて、むっとしていた。どうやら、左衛門太郎は万葉集を持っていたことが知られて恥ずかしいらしい。

 牛太郎は息子の手から紙を奪い取ると、文面をしげしげと眺めた。タイムスリップしてきてから何年もの間はこの時代の書体を理解できなかったが、梓や文化人たちと文のやり取りをしているうちに、読めるようになった。

 おみなへし 咲きたる野辺を 行きまわり 君を思ひ出 たもとほり来ぬ

「どういう意味だ」

「女郎花が咲いている野をめぐっているうちに、君を思い出して、回り道をしてやって来たのだという意です」

 ほほう。梓に送るにはなんてふさわしい和歌だろう。堺や京をめぐっているうちに、梓を思い出して、岐阜にやって来たのだと言えば、梓はきっと喜んでくれる。

 背中を向けてしまっている息子をよそに、牛太郎は早速梓の部屋を訪ね、刺々しく迎え入れた梓に、女郎花のお礼に和歌を作ってみたと言って、あたかも自分が作った歌のように披露した。

「なんて、素晴らしい歌じゃ。亭主殿はやはり京や堺でそれ相応の人々と仲を深めているのじゃな」

 梓が上機嫌になったところで、牛太郎は香木を燻そうと提案した。

 あわよくば、香りの染みついた衣服を梓から頂戴しようと企んだ。


 簗田親子は、それぞれ一頭の馬を所有している。

 牛太郎が跨るのは栗綱という栗毛が陽光に映える馬で、瞼を眠たげにさせながらおっとりと脚を進める。

 鍛錬をまったくしないでいる牛太郎は、この穏やかな性格の栗綱にしか跨れない。

 左衛門太郎が跨るのは、この栗綱の弟で、黒連雀と呼ばれている。光り輝く黒鹿毛の馬体もさることながら、兄とは対照的に凶暴であった。誰かが鞍の上に乗れば、鶴首になって常に頭を上下に振り乱し、疾走を乗り手に要求してくる。

 この二頭の兄弟を育て、世話をしているのが、栗綱の口輪を取る栗之介であった。

「奥方には許してもらったのか?」

 と、主人の牛太郎にこの口調である。人生の半分以上が馬のことばかりであるから、今さら、礼儀もへちまもないのだろう。

「許されるも何も、おれとあずにゃんは夫婦だ。喧嘩もするときだってあるんだ」

「喧嘩じゃないだろ。旦那が怒られていただけじゃねえか」

「お前は黙ってろ!」

 兵卒を従えている手前、栗之介の口を封じ込めたものの、喧嘩ではなかったことは牛太郎もわかってはいる。一方的に殴られ、牢人まがいに閉じ込められ、歌を詠んでなんとか許しを得、どさくさに紛れて香りの染みついた衣服をねだった。

 戦場にあっても、愛する妻の香りがする衣服を持ち歩いていたい、と、うまいこと言って。

「小袖など持ち歩いたらかさばるではないか」

 と、梓は眉をしかめたが、牛太郎は熱く説いた。香りが残る衣服なら、常に梓が近くにいると思える。愛するがゆえん、供にいたい。香りだけでも傍で感じていたい。

 梓は了承した。

 梓の匂いと香木の香りが染みついた小袖は、今、荷駄持ちの兵卒が担いでいる桐の箱にしまい込んである。

 無論、左衛門太郎にはそんなものを戦場に持っていっているとは口が裂けても言えない。

 昼過ぎに岐阜を出立した織田勢四万人余の大軍勢は、大垣に宿陣し、翌日、中山道を西上し、北近江の横山城に入った。

 横山城は一昨年の姉川の戦いで浅井方からもぎ取った前線の拠点である。浅井攻略の事業本部と言っていい。

 ここで横山城の守備と、浅井方の工作を任されていたのが、木下藤吉郎秀吉であった。

 藤吉郎はこの二年間のうち、数々の武功と調略成果を上げている。南近江で蜂起した六角氏の残党から戦線を食い止め、岐阜と京を結ぶ街路を遮っていた佐和山城を調略によって投降させ、北近江での復権に兵を出してきた浅井方をわずか五百の寡兵で追い払った。

 北近江戦線の指揮官が藤吉郎でなければ、今回の上総介の出陣は来年にも再来年にもなったであろう。

 事実、他の戦線、伊勢長島や摂津などは、事情は違うとはいえ、活路を見出せていない。

 摂津攻略を担当している牛太郎は、だいぶ水を開けられた。まあ、藤吉郎は四千の兵を常備しており、牛太郎は兵卒も従えず工作だけに従事しているので、仕方ない。事情もまるで違う。

 ただ、藤吉郎は構いもしなかった。

「ありゃあ? おみゃあは摂津の調略がどうにもならなくなって逃げ出したんじゃなかったきゃあ?」

 軍議が終わるやいなや、退出していく牛太郎に藤吉郎は早速絡んでくる。有頂天だな、クソが。牛太郎は耳を傾けずに廊下を行くが、藤吉郎は飛び跳ねるようにしてくっついてくる。

「どうして、おみゃあも来たんだぎゃあ? おみゃあは摂津に行っていればいいだぎゃあろお。おみゃあが来たところで何にもならにゃあ」

「藤吉郎殿、それはあんまりじゃないですか」

 見兼ねた左衛門太郎が睨みを与えた。

「父上は後ろ髪を引かれる思いでここに来たんですよ。そもそも、金ヶ崎の退却戦も姉川でのいくさも、父上あってこその藤吉郎殿ではなかったんじゃないですか」

「いんや、確かに沓掛勢あってこそだったけれど、おみゃあや沓掛勢あってこそで、牛殿あってこそじゃなきゃあ」

「沓掛勢の指揮官は父上です」

「にゃっはっは。沓掛勢の指揮官は太郎だぎゃあろう。牛殿はなーんもしてにゃあ」

「太郎」

 我慢の限界に達していた牛太郎は息子の肩を掴み、

「先に戻っていろ」

 と、左衛門太郎を立ち去らせた。姿が見えなくなったのを確かめると、牛太郎は藤吉郎の肩に腕を回し、耳元で囁く。

「お貸ししていた四百貫、いつ返してくれるんですかねえ」

「にゃっ?」

 興醒めした藤吉郎。牛太郎は金の襟が贅沢な藤吉郎の陣羽織をひらひらと振るい、にたにたと笑みを浮かべる。

「いやあ、藤吉郎殿のお召し物はいつ見ても豪華だなあ。それに比べてあっしは鎧も着れず、相変わらず甲冑代わりに綱を巻いている状態」

「そ、そんなのは、おみゃあが甲冑を着られない大男だからにゃあか」

「そんなことないですよ。調度、あっしは甲冑を作ろうと思っていたんですよ。そうしたら、藤吉郎殿が金を貸してくれって泣きついてきたんで、あっしは渋々甲冑をあきらめたんです。あーあ、早く甲冑作りたいなあ。四百貫あればいつでも作れるんだけどなあ」

「おみゃあっ、声がでかいだぎゃあっ」

「ま、別にいいんですけどねえ。甲冑なんて。四百貫なんて。いつだっていいんですけどねえ」

「わかった。わかったぎゃあ。このいくさが終わったら返すだぎゃあ。もう少し待っていりゃれえ」

 そう言い残し、藤吉郎は逃げていった。ざまあない。なんなら、一生、返してもらわなくてもいいぐらいだ。後の天下人を四百貫で手玉に取れるとは快活このうえない。牛太郎はほくそ笑みながら用意された部屋に戻り、梓の衣服を嗅いだ。

 翌日、木下勢、丹羽勢と合流した織田の大軍は、小谷城近辺まで進軍した。

 長いいくさになる。

 と、上総介が言ったように、小谷城は連なる山々と天然の尾根を利用した一大城郭であり、力任せに押し潰せるような代物ではない。

 昨夜の軍議で決定した通り、織田勢は小谷山南方に位置する標高二百米程度の低山、虎御前山と雲雀山に分かれて登り、それぞれ陣を張った。

「姉川のいくさのときはお見事でした」

 と、玄蕃允が親子に歩み寄ってきてそう言った。

 玄蕃允は姉川のとき柴田勢として参加していたが、大して活躍できなかった。

 姉川の決戦前夜、虎御前山まで軍勢を進めた織田軍は、陣替えのために虎御前山を下りたのだが、浅井勢はここを急襲してきた。

 このさい、しんがり役を務めたのが、黒母衣衆の佐々内蔵助と左衛門太郎である。軍勢を率いての本格的な野戦はこれが初めてであった左衛門太郎は、襲いくる浅井勢を虎御前山のふもとで食い止め、これを機に大いに名を上げた。

 再び虎御前山に上がり、二年前、さほど武功を上げられなかった玄蕃允は、左衛門太郎の決死のいくさ振る舞いをも思い出し、期するものが湧いたのかもしれない。

「あのときとは違うだろ」

 と、牛太郎は鼻の穴を膨らませている玄蕃允の若々しさに水を差す。

「あのときはもっとぎりぎりの戦いだった。今回は違う。余裕を持って戦えるだろ。そういういくさであんまりかっかすると、足元をすくわれるからな」

 玄蕃允は牛太郎の言葉には何も反応せず、この太った凡将を忌々しそうに見つめる。

「父上のおっしゃる通りですよ、玄蕃殿。ただ、攻めるに当たってはかっかしなければならないときもあるでしょうから、そのときは槍を振るいましょうぞ」

「かしこまりました」

 玄蕃允は左衛門太郎には素直に頭を下げたが、ずかずかと立ち去ろうとして、一度、牛太郎に振り返って睨みつけてきた。

「なんなんだ、あの野郎は。だいたい、なんで、おれの手下になる奴はどいつもこいつも、こう反抗的なんだ。腹立つな」

「仕方ありません。父上は年賀の挨拶に岐阜に戻っても来なければ、家出をしたりして、評判が悪いのですから」

「評判が悪いなんて、聞いたことねえぞ」

「岐阜にいない父上に代わって、拙者が叱られているからです」

 息子のしらりとした目が牛太郎に突き刺さり、牛太郎はその場からそそくさと逃げた。

 虎御前山には砦が築かれることになった。その間、北近江の工作に勤しんできた藤吉郎を筆頭に、小谷城近在の攻略が開始される。

「牛もサルに付いていけ」

 上総介の命が下り、精強な簗田勢は木下勢とともに戦野を駆けることとなった。


 小谷城の包囲。

 まず、周囲の砦や支城の陥落が目的である。

 だが、上総介は全軍を投入するわけにはいかない。

 包囲網を組まれている状況にあって、敵は浅井だけではなく、摂津の諸勢力、松永弾正、越前朝倉、武田、果ては越後の上杉と、織田は一時の猶予もなく飛びまわらなければならない。

 それを考慮すれば、一兵たりとも失いたくないのが本音であった。

 小谷城を大軍で圧迫しつつ、外堀を埋めていく。

 遊撃部隊にはいくさに巧みな者が求められた。

 虎御前山を下りた木下勢及び簗田勢は、琵琶湖の方角へ進軍する。

「山本山を落とせ」

 上総介はそう命じたが、日暮れまでには虎御前山に戻ってこいとも付け足した。

「半日で落とせるわけがないだろ」

 牛太郎は愚痴る。山本山は虎御前山と似たように、平地にぽこりと現れているなだらかな小山だが、柵や石垣、空堀などで城郭の様相を呈しているのが、虎御前山からでも見受けられた。

「本気でおやかた様が落とせと申していましょうか」

 玄蕃允はそう言ったあと、フンと鼻を突き上げる。

「まあ、それでも、わしは落とすつもりでいますがな」

「何を言っているんだ。まあ、お前みたいな猪武者が真っ先に死ぬんだけどな」

「なんだと?」

 びゅうっ、と、左衛門太郎の鞭がしなって、牛太郎と玄蕃允は鞍の上で体をのけ反らせた。

 音に反応してしまった黒連雀を手綱でなだめながら、左衛門太郎は二人を厳しい視線を送る。

「ここは戦場ですぞ」

 左衛門太郎の目が静かに鋭くなっていた。

 木下勢の後ろに付いていっていた簗田勢だったが、山本山ふもとの集落を前にして、脚を止められる。

「どうするつもりなんだ」

「城下を焼き払うのです」

 左衛門太郎が何でもないかのように言うので、牛太郎はあわてた。

「嘘だろ。信長様にそう命令されたのか」

「いえ、半兵衛様の案です」

「嘘だ」

 竹中半兵衛がそのような立案をするなど牛太郎には信じ難かった。半兵衛は作戦立案にかけては天才かつ狂人であるが、民衆に戦火が及ぶことは嫌っている。

「大丈夫です、父上。火を放つ直前に、小一郎様たちが山本の住人たちに避難するよう知らせる手筈となっております」

 偽りの焼き討ちを行うということらしかった。そうすれば、織田勢の残虐性を知っている山本山城の兵卒は、ふもとの織田勢を追い払うために山を下りてくる。

「四千の兵ではこの山城を落とせません。ならば、攻城せずに敵兵を討伐するというのが半兵衛様の案です」

 木下勢の精鋭と簗田勢は下山してきた浅井勢の急襲であった。

「回りくどいことを」

 玄蕃允が口端を歪めて笑う。

「どちらにせよ、ここを逃げのびた民衆たちは帰る場所もなくなるのだから、結託して一揆を起こすのが明白ではないでしょうかね」

「お前は何もわかっちゃいないな、イノシシ小僧」

「簗田殿こそいくさをわかっているとは思いませんがね」

「だったら、見せてみろ、このボンクラ。言っておくけどな、引き連れているのが五十人しかいなかったんでえ、なんてのは無しだからな」

「五十で結構。なんなら、わし一人でも十分ですが」

「言ったなっ! 泣きごとは許さねえからなっ!」

 年甲斐もない牛太郎と、無礼な玄蕃允とが散らす火花を、もはや左衛門太郎は無視していた。

 木下勢の放火が始まり、至る場所から煙が立ち昇る。

 いくさは避けたいと考えていたはずの牛太郎だが、玄蕃允にからかわれてむきになっていた。何もしないでいくさを眺めるだけの当初の予定を変えて、一番槍を上げるつもりで山本山の動きを注視した。

 ふざけやがって、若僧が。おれは摂津池田では一騎駆けをし、姉川ではカツオに銃弾を浴びせた男だぞ。

 牛太郎が講談になってもおかしくない武勇を要所々々に上げているのは事実だ。ただ、武勇を上げたぶんだけ、そのいくさでは失態もおかしている。

 摂津池田では一騎で敵本丸まで駆け上がったものの、独断で講和を結んでしまい、のち、上総介に折檻された。姉川では猛烈な突撃をかけてきていた磯野員昌に銃弾を撃ち込んだものの、弾は兜を割っただけであり、のち、勝手に軍勢を動かした軍紀違反により、勲功はかき消えた。

 上っ面しか見ることのできないガキが。

 牛太郎は栗綱の口輪を握る栗之介に顔を寄せると、声を小さくした。

「おい、例のやつやるぞ」

 栗之介は首を傾げたが、牛太郎が顎をくいくいと動かして、栗之介が肩に担いでいる火縄銃を差す。

「旦那」

 と、栗之介はしかめた眉で牛太郎を諌めるが、

「やるぞ」

 牛太郎は聞かない。

 悪い癖だった。臆病なくせに、興奮すると見境なく突っ込もうとする。猪はむしろ牛太郎である。

 それにこれまでの経験でずるくなっている。敵に突っ込み、命を失いかけても、城主の自分なら誰かが助けてくれると信じている。摂津池田でも姉川でも、敵兵にすんでのところまで殺されかけたが、息子の左衛門太郎に助けられた。

 いや、他のいくさでも豪傑たちに助けられている。

 だから、大丈夫。命を捨てるつもりで突っ込んでいっても大丈夫。名のある者を一撃で仕止める。

 半ば捨て身で半ば他力本願。それが牛太郎のいくさの仕方である。

 青々と抜けた空に黒煙がもうもうと上がる中、山本山の城郭を兵が蟻のようにあわただしく動き始めているのが確認できた。

「我らも動きましょう」

 左衛門太郎がいきり立つ黒連雀をなだめつつ並足で進ませ、簗田勢は炎と喚声が覆う集落の中に入っていき、前もって竹中半兵衛に指示されていた配置に着陣した。

 むう。

 牛太郎が考えていたのとは違う。

 周囲ではたいまつを手にした木下勢が散り散りに走り回り、家屋と家屋との間、簗田勢三百人がひしめき合う。

 どうやら、暴虐を働いている木下勢の追討に下山してきたところを急襲するという作戦のようだが、牛太郎のいくさはまず栗綱の疾風たる突撃から始まる。

 だが、このような狭い場所では栗綱が駆ける空間がない。

 左衛門太郎が鞭は左手に、右手で槍をくるくると翻す。玄蕃允も目玉を剥きながら長い槍を握り締める。

 まずい。これはおれの苦手な乱戦だ。

 栗之介が勝手に火打ち石で火縄を点火させてしまう。

「消せっ! 消せっ!」

 簗田勢の目の前を浅井勢がどっと横切っていった。

「者ども、行くぞ!」

 左衛門太郎が掛け声とともに鞭を振るい、黒連雀が前脚を高々と掻き上げながらいななくと、簗田勢三百は一斉に鬨の声を上げ、

「旦那っ!」

 と、栗之介が火縄銃を放り投げてくる。つい、火縄銃を両手に抱えてしまった牛太郎。

「く、くっそおっ!」

 牛太郎は銃口を浅井勢の白い旗指し物に向けると、引き金を引いた。


 山本山麓での戦いは、木下・簗田勢が百にのぼる首を討ち取り、浅井勢を山本山に押し返し、その弱体化に成功した。

「あっぱれであった」

 上総介にしては珍しい言葉だ。かがり火が闇を赤々と染める虎御前山の本陣にて、高笑いこそなかったが、その陰に笑みを浮かべた。

「恐れながら、おやかた様」

 しかし、藤吉郎もまた珍しかった。普段なら猿回しのようにはしゃぎ上がっているはずだが、その表情は貪欲に次を見据えている。

「山本山城を攻め続けても埒が開かにゃあと半兵衛が申しておりますぎゃあ。それよりは、小谷の北東の木ノ本と裏手の草野を押さえて三方を囲み、山本山城には調略をかけてみてはいかぎゃあと」

「なら、そうしろ」

「有難き幸せっ! ならば、早速、明日には木ノ本に出撃しますぎゃあ!」

「いや、待て」

 上総介は平伏する藤吉郎及び左衛門太郎、それと牛太郎をじっと眺めた。

「明日はいい。休め。木ノ本には又左と内蔵助を差し向ける。お前らは明後日、草野を攻め入れ」

「あいや、でも、おりゃあらは休まなくても――」

「逆らうか、サル」

 上総介に睨み下ろされた藤吉郎は、あわててかぶりを振って引き下がった。

「なんで、内蔵助なんだぎゃ。おりゃあはそういうつもりで言ったんじゃにゃあ」

 上総介に対する不満はまったく口にしない藤吉郎だが、こと佐々内蔵助に話が及ぶと、顔を赤らめてしまう。

「あいつを手助けしたようなもんだぎゃ。おもしろくにゃあ」

「まあ、おやかた様は我らをねぎらって休息を与えてくださったんでしょうから」

 左衛門太郎がなだめるが、

「おもしろくにゃあっ!」

 と、藤吉郎は持ち場へと消えていってしまった。

「いつまで続くんでしょうかね、藤吉郎殿と内蔵助殿の争いは」

 左衛門太郎が苦笑したが、牛太郎は何も答えず、持ち場に引き返す足取りは重い。

 おもしろくないのは牛太郎も同じである。結局、火縄銃を撃った反動で鞍から落ちてしまい、簗田勢が無類の強さを誇るのを前に、尻もちをついているだけであった。

 玄蕃允は自らの手で四つの首を討ち取っている。

「さすがは左衛門太郎殿ですな。黒連雀とともに立ち振る舞う無双ぶりは鮮やかでした。それに引き換え、オヤジ殿は――」

 分厚い唇をにたにたとさせる玄蕃允。

「どこにいたんでしょうか」

「おれは指揮官だし......」

 牛太郎がぼそっと呟くと、玄蕃允は虫の音をかき消してげらげらと笑った。

「そうでした! オヤジ殿は大将でしたな!」

 ぐぬぬ。

 ここまでの扱いを受けたのは久方ぶりである。十年近く織田の将として生き抜いてきて、かつては牛太郎をあなどっていた者たち――藤吉郎や柴田権六郎など――もそれなりに評価するようになった。

 ところが、このざまだ。とくに新しい世代からの蔑視がひどい。

 まあ、牛太郎は綺麗に言えば外政官である。そこが織田家中でそれなりに評価されているところである。ただ、牛太郎自身が自分の立場を把握していないから、身の丈合わない猪武者になってしまって案の定失態をおかし、いくさにはやる若い玄蕃允などに小馬鹿にされてしまう。

 ただし、牛太郎は自分をわかっていないのだ。いや、馬鹿だ。どうにかして、玄蕃允を見返してやろうと考え、眠れない夜を明かした次の日、ひそかに木下勢の陣に出向いて、竹中半兵衛を外に連れ出した。

「おれを活躍させてくれ」

 いくさから離れたときの半兵衛は晩秋の風のように優しげな表情を絶やさない。牛太郎の無理難題に呆れる様子もなく、ただただ頬を緩ませる。

「昨晩、殿にもそう言われましたよ」

「違う。藤吉郎殿は木下勢を活躍させろってことだろ。おれは違う。おれ個人を活躍させろ」

「何を言っているのですか。簗田殿の活躍というのは簗田殿の兵卒たちの活躍ではないですか。簗田殿は何もせずに、ただ、馬の上に跨っていればよいのです」

「事情が違う」

 牛太郎は、佐久間玄蕃允という若僧に小馬鹿にされていて、針の筵に座らされているような気持ちにさせられてしまっている。だから、玄蕃允を見返すために、何か策を立てろと一方的であった。

「物は考えようではございませんか。そうやって玄蕃允殿を奮い立たせて勝利をもたらせたと思えば、一軍を率いる将としてこれほどのことはないではありませんか」

 駄目だ、こいつは。

 牛太郎は半兵衛に背を向けて去った。

 竹中半兵衛の言うことは重々承知している。しかし、これは大将だとか戦略だとか、そういうものとは別次元の、男としての話なのだ。

 半兵衛は参謀としてそういうものを押し殺しているか、もしくは、消滅させてしまっている。そんな人間に打ち明けたところで無駄だということを牛太郎は気付いた。

 かといって、半兵衛の他に相談する相手も見当たらず、牛太郎は砦の建設にせわしい虎御前山をうろうろと行き交う。

 第二回戦は明日、草野である。

 一応、牛太郎にしては珍しく戦地を聞き調べている。草野とは、小谷山の裏手、谷であった。藤吉郎及び半兵衛はここで蜂起している一揆衆の殲滅と支配を目論んでいる。

 栗綱はあてにならない。牛太郎の「苦手」な乱戦である。

 無理だ。

 牛太郎はあきらめた。しかし、たたではあきらめないのもこの男であった。思い立って本陣に一人おもむき、上総介に目通りを願った。

「なんだ」

 肌寒くなってきているというのに、上総介は羽織から片半身をはだけさせていて、隆々とした筋肉を惜しげもなく披露している。

「いや、あの、ちょっとお話しがありまして」

「なんだ。早く言え」

 上総介は前線の情報収集に、砦の建設にと忙しい。まして、遠回しな発言は嫌う。平伏する牛太郎を前に、床几に腰かけた上総介は眉間に皺をたっぷりと寄せている。

「実は、その、摂津のほうが気掛かりでして......」

「だからなんだ」

「あ、いや、だから、その、ここは倅に任せて、あっしは摂津に行こうかなと」

 上総介はじっと牛太郎を睨む。

「ま、まあ、その、あっしがいてもいなくても変わらないようなんで、ここは倅に任せて――」

「俺をおちょくっているのかあっ!」

 おもむろに腰を上げた上総介は牛太郎の頬を殴りつけると、逃げる姿勢を見せた牛太郎をさんざんに足蹴にし、吠えた。

「雲隠れしておいて、ようやく出てきたと思ったらまた巣ごもりかっ! よくもそんなことを口にできるな、この鈍牛がっ!」

 牛太郎は丸まって亀になるしかない。ただ、梓のほうがひどかったので、頭を抱え込みながらも、この折檻がいつ終わるものかと、胸の内は呑気だ。

 暴力に慣れてしまっている牛太郎に、上総介は張り合いをなくしてしまったらしい。

 上総介は舌を打って床几に座り直し、震えもしないで丸まっている牛太郎の頭に一度脇差を投げつけたあと、周りを取り囲む小姓や従者を退かせ、二人きりにした。

「おおかた、恥をさらしたから、この場から逃げたいっていうのがテメーの思うところだろ。違うか。あ?」

「おっしゃる通りです」

「うつけがっ!」

 腰帯に差していた扇子を投げつけられて、頭を押さえる牛太郎。

「お前などにいくさ働きなど求めてねえ。恥をさらすことぐらい見通していたことだ」

「じゃあ、摂津に――」

「行かせるか!」

 牛太郎は子供のようにうなだれる。馬鹿だった。しかし、上総介は言った。

「浜松に行け」

 牛太郎は呑気に首を傾げる。

「ただでは摂津に向かわせん。お前はかつて武田のタヌキが上洛途上で死ぬとほざいたな。ならば、お前がタヌキ入道の首を討ち取ってきやがれ」



 言わずもがな、武田は浅井と連携している。

 秋は日々色を濃くさせていき、蹄が大地を鳴らす音が遠く甲斐から聞こえてきた。

 山県三郎兵衛尉昌景率いる赤備えの騎馬隊と五千の兵が信濃から南下してき、東三河の長篠城を攻めかかったという報が、織田に伝えられてきている。

 さらに、武田徳栄軒率いる本隊、二万人余が甲府を出た。

 小谷城攻めの上総介及び織田勢のほとんどが動けない。

 三河殿を見殺しか――。

 虎御前山の将たちにはそうした見方が固まりつつあり、また、今までさんざん織田のために身を粉にして働いてきた徳川三河守を哀れに思った。

 しかし、おやかた様はどうされるおつもりなのか――。

 誰がどう見たとしても、今、火急に立ち向かわなければならないのは浅井よりも武田である。まさか、自分たちの主君、上総介信長が事態を把握できないはずがない。

 だが、上総介は動かない。

 いや、たいがいの将たちにはわからなくなってきていた。動かないのか、動けないのか、判別できなかった。今や織田家臣団は、明日の敵に立ち向かうだけで精一杯なのだ。

 そんな、悲愴ささえ漂い始めた諸将の中で、牛太郎だけは痣だらけの顔をにこにことさせている。

「いやあ、浜松城に行くことになっちゃったよ」

 明日の草野攻めの準備に取り組んでいた左衛門太郎や玄蕃允の前で、牛太郎はなめらかな口調だった。

「ていうことで、おれは戦線離脱するわ。仕方ないね、信長様の命令だからさ」

 今までのいくさの中でもっとも簡単ないくさだと牛太郎は考えていた。なぜなら、武田信玄が死ぬ。それで終わりなのだ。浜松城で高見の見物をしていればよいだけである。

 だが、左衛門太郎は武田徳栄軒の死など夢にも思っていない。

「父上一人で行かせるわけにはいきません」

 第一に危険である。次に三河守に顔が立たない。せめてもの軍勢を連れて行かなければ了承できないと左衛門太郎は言った。

 だが、左衛門太郎は北近江の戦線から外れられない。

「ていうことで、一人で行くわ。あ、いや、ねじり鉢巻きと二人で」

「なりません」

 一人で気ままに旅をしたい牛太郎と、その身を案じる左衛門太郎でおおいに揉めた。

「そんなのどうせたかだか百人そこらを連れていったって何の役にも立たねえだろうが」

 と、牛太郎が言えば、

「じゃあ、もしも、決戦となったときに父上はどうするのですか。一人だから出陣しないなどと三河様におっしゃるつもりですか」

「そうだ」

「馬鹿げたことを!」

 と、左衛門太郎は目玉を剥き出す。

「話になりませぬ。もうよいです。玄蕃殿、九之坪勢を連れて父上に供してくだされ」

「ええっ?」

 あからさまに眉をしかめた玄蕃允。

「おいっ! 見ろ、この顔を! こんな奴なんかと一緒に行けるか!」

「頼みましたぞ、玄蕃殿。拙者が代わりに柴田の叔父上に申してくるゆえ、頼みましたぞ」

 左衛門太郎は両者の意見も聞かずに背中を返し、柴田権六郎のいる陣へと歩いていってしまった。

 睨み合う牛太郎と玄蕃允。

 誰がこんな奴なんかと。

 昼過ぎ、牛太郎は栗綱に跨り、栗之介の誘導のもと、虎御前山を立ち、ひとまず岐阜を目指した。

 牛太郎からやや距離を置いて、玄蕃允率いる九之坪勢があとを付いてくる。

 牛太郎は栗綱を止めて、後ろを振り返ると言った。

「別にいいんだぞ。無理して付いてこなくたって。お前なんかいないほうがせいせいするしな!」

「わしこそそうしたいわ。しかし、左衛門太郎殿の命とあらば、従う他なかろうが。たとえ、オヤジ殿みたいな愚将の護衛だとしてもな!」

 言葉はすっかり礼を失っている。牛太郎は腹に据えかねたが、ふと思った。どさくさに紛れて、玄蕃允を武田騎馬隊に葬らせよう、と。

 途中に宿をとればいいものを、牛太郎は玄蕃允と一言も口をききたくないがために、その日に岐阜に戻った。

 もう、夜は深くなっている。

 玄蕃允と九之坪勢はいつのまにか背後から姿を消しており、おそらく、願福寺に向かったのだろう、牛太郎はそれこそせいせいしながら稲葉山の自宅の門をくぐった。

 すでに簗田の屋敷は寝息を立てている。

 栗之介が栗綱の世話にかまけ出し、牛太郎は自ら台所に立つが、炊事などできもしないので、鉄製のやかんで湯を沸かすと栗之介を呼んで、二人で湯漬けをかき込んだ。

「何者じゃっ!」

 突如、梓の声が轟いてあわてて振り返ってみると、たすき掛けした梓が薙刀を振りかぶっている。

「あ、あ、あ、あっしです! う、牛太郎ですっ!」

 梓は構えを解いた。

「なぜに亭主殿がおるのじゃ」

 湯漬けを平らげたあと、自室に招いた梓に牛太郎は事情を説明した。

「武田入道を相手にするとは、亭主殿は相変わらず難儀なもんじゃ」

 梓は吐息をついた。

「もはや、ここでじっとしておるのも辛い。いつか亭主殿の悲報が寄越されるのではないかと思い、気が気ではない」

 梓は長い睫毛を伏せて、見ようによっては今にも泣き出しそうだった。

 すっかり寝ているはずの時間なのに、物音に気付いて薙刀を手にしてきたあたり、気が張っているのだろう。世間知らずの梓であっても、武田騎馬隊の出陣は耳にしているに違いない。この岐阜がいつ戦火に巻き込まれるか、織田は滅びてしまうのか、人一倍気性の強い梓だからこそ、張り詰めているのかもしれない。

「大丈夫です、梓殿」

 牛太郎は梓の華奢な両肩を掴むと、潤んだ瞳をしっかと見つめる。

「あっしは死にませんし、岐阜を守るためにあっしは行くのです」

 素晴らしい男気であった。頼れる者の顔であった。なにせ、武田徳栄軒の死を知っているからこそ、こんな顔つきをできる。普段の牛太郎だったら武田を恐れるあまり、家を出て逃亡だ。

 無論、梓は牛太郎の茶番の真実を知らないから、唇をつぼみのように小さく開いて、すがりつくように、うっとりと牛太郎を見つめる。

「なにゆえ、そのような自信があるのじゃ」

「ここで死ぬぐらいなら、あっしは梓殿と一緒に暮らせていません。あっしと梓殿の縁は天が与えてくださった運命でございます。天があっしを見放すようなら、最初から梓殿はあっしのもとにおりません」

 この時代の女性――、とくに武家の箱入り娘などは生と死のはかなさに日頃から直面しているせいで、散りゆく花のようなみやびさに一種の憧れを持っていた。

 梓も例外ではなく、気取った場面の気取った言葉ほど胸を動かされるのだった。

「しかし、天はかようにもわらわと亭主殿を見ていてくれているのか。ときに天は罪のない者を見殺しにするではないか」

 梓の声はすすり泣きのように震えている。

 もしも、最初の妻が梓でなかったら、牛太郎は見事な女たらしになっていたかもしれない。

「殺し合いは人がするんです。人と人とが出会い、殺し合いをし、恋愛をするんです。でも、あっしと梓殿の馴れ初めは運命じゃないですか」

 ただ、牛太郎も牛太郎で自分で言っているうちにその気になってくる。

「あっしは梓殿がいるかぎり死にません」

 と、肩を掴む両手に力がこもった。

 まあ、牛太郎も梓に惚れていた。梓と出会うまでは不遇な恋愛を辿ってきたため、たとえ殴られ蹴られようとも、自分をここまで愛してくれる人は初めてだったので、その有難さを無意識ながらも素直に幸福に思っていた。

「夢のようじゃ。亭主殿はまたずっと岐阜に戻られないかと思っていたというのに」

 梓は牛太郎の胸にそっと頭を寄せる。

 枕を一つにした月影の部屋で、梓は牛太郎の腕に甘えながら、いくさはどうだったのかと訊ねてきた。太郎は元気なのか、危ない目には合わなかったのか、牛太郎自身はどのような槍働きであったのか。

 美しい妻との睦事のあと、闇にたゆたうような心地であった牛太郎の気分は、梓のその質問により、すっかり冷めた。

「太郎は元気ですし、危ない目にも合っていませんし、あっしもそれなりに活躍しましたが――」

 おもしろくないことを思い出してしまった牛太郎は眉を八の字にして口を閉ざした。

 あのゲジゲジ眉毛野郎が。と、玄蕃允の高笑いが聞こえてくるようで、唸るような吐息をついた。

「どうしたのじゃ」

 さすがに、何度か寝夜を共にしているだけあって、梓は夫の胸の内がだいたい感ぜられるようになっている。

「何か、よからぬことがあったのか。何かあったなら、わらわに申してみよ。聞くことしかできぬかもしれぬが、わらわはいつでも亭主殿の味方じゃ」

 牛太郎は再度溜め息をついた。

「実は、玄蕃允とかいう馬鹿が――」

 と、牛太郎は愚痴った。ただの愚痴であって、これを言ったところで、どうにかなるとは思ってもいなかった。

 そういうつもりではなかった。そういうつもりでは。

「なんじゃと!」

 突如として梓は血相を変えて体を起こし、その細い眉は鬼のごとく吊り上がっていた。

「あやつがかような無礼を働いているというのかっ! なんていうことじゃ。なんていう柴田の恥さらし者じゃ。叔父御にかような無礼を働くとはなんていうことじゃ」

 あわわ......。

 梓が握り拳を作ってわなわなと震えている。



 梓の恐ろしさを知らないはずないのだが、玄蕃允は高をくくっていたのであろう。

「叔母上に言われる筋合いはございませぬ」

 とか、

「おなごに頼るとは、オヤジ殿も情けないですな」

 とか、

「そもそもわしは佐久間の人間であって柴田の家の者ではござらん。とやかく言いたいのであれば、わしの母上に申してくだされ」

 などと、若かった。

 梓は木刀を手に取り、まるで炎を背負っているかのような形相で腰を上げる。

「馬鹿っ! 逃げろ!」

 牛太郎が声を荒げたが、玄蕃允はすっくと立ち上がり、梓の前に仁王立ちした。

 いつ、そのような鍛錬をしているのか知れない見事な捌きで梓の木刀が玄蕃允目掛けて振り抜かれた。が、玄蕃允は木刀を片手で受け止める。

「所詮、女のすることですわ、叔母上」

 しかし、余裕を見せたのも束の間、「てやあっ!」という掛け声とともに梓の蹴りが玄蕃允の股間を打ち抜き、玄蕃允は目玉を剥き出しながら呻き上げ、腰を折った。

「そなたは何様じゃっ! 誰に物を言うておるんじゃっ!」

 ここからは梓の独壇場である。白い右拳が玄蕃允の太い眉の間を貫き、さらに放たれた左拳がこめかみに打ちこまれる。床に落とした木刀を拾い上げると、それを脳天に叩き込む。

 さすがの玄蕃允も表情を歪めながら膝をついた。

「生意気な口を叩けばどのようなことになるか思い知れいっ!」

 梓は木刀を玄蕃允の体に何度も振り落とす。玄蕃允は頭を抱えてよたよたと逃げようとするが、襟首を掴まれて引き戻され、さらに木刀の餌食となる。

「叔母上! 申し訳ございません! 申し訳ございません! 堪忍してくだされ!」

「許されるかあっ!」

 牛太郎は震える指先を噛みながら、鬼梓の所業を見ていることしかできない。やられているときよりも、見ているときのほうが恐ろしい。なぜ、自分の女房はこんなに喧嘩慣れしているのか。

 梓がいる限り、岐阜は平和だろう。

 息たえだえになるまで叩きのめされた玄蕃允は、例のように簗田家の女中、お貞とおかつに両脇を抱えられて運ばれていった。

「とんだ跳ねっ返りじゃ」

 そう呟いたあと、梓は牛太郎をぎろりと睨む。

「亭主殿も亭主殿じゃ。まだ若いからと言って、亭主殿は甘いのじゃ。今、躾なければいつ躾るのじゃ」

「は、はいっ」

 玄蕃允が重傷を負ったため、出立は三日伸びた。

 その間、玄蕃允は簗田家で傷を癒していたが、四六時中、梓にこんこんと説教された。哀れに思った牛太郎は、玄蕃允の母、梓の姉を連れてきて、いつまでも怒りをおさめない梓をなだめさせた。

「これでお前も世の中の怖さってものがわかっただろう」

 牛太郎はぐったりと横になる玄蕃允の枕元に座り、ちょっとした同情もこめてそう言った。

「嫁は、優しい子を貰うんだぞ」

 玄蕃允はこくりと頷いた。

 思わぬ休息を与えられた牛太郎は、京の相国寺の僧、承兌や、堺の茶人、田中宗易などに文をしたためた。

 この手紙をお前らが読んでいるときには、おれは浜松城にいるだろう。武田信玄の出陣は噂話の好きなお前らなら知っているだろうが、まあ、見ておけ。おれは生き残って、また、そっちに行くからよ。

 そうして、堺に常駐している配下の者たちにも文をしたためようとしたが、やめた。

 縁側に座り、赤い葉がひらひらと落ちる様子を眺めながら、いよいよ、武田との戦いかと牛太郎は感慨に耽った。

 山県三郎兵衛尉が長篠城を攻めかかっているらしい。

 彼は牛太郎が長年恨みを抱いてきた男である。

 一度だけ顔を合わせたことがある。奇妙丸、今の勘九郎信忠が武田家の松姫との婚姻の謝礼にと、甲府に赴いたときであった。

 三郎兵衛尉に殺されかけている。

 いや、牛太郎は三郎兵衛尉以外の人間からも、命を狙われたことがあるが、三郎兵衛尉だけを長年恨んでいるのは、甲府には悪い印象しかないからである。

 偉そうな奴等ばっかりだった。

 その代表が牛太郎の中では山県三郎兵衛尉になっている。

 牛太郎はほくそ笑った。ついにあの、真っ赤な鎧を着ている目立ちたがり屋の集団を殲滅するときがきた。今頃、あいつらは武田信玄の下で意気盛んに違いないだろうけれど、まさか、信玄が死んで、長篠で一網打尽にされるだなんて露とも思っていないだろうな。

 中でも、牛太郎は山県三郎兵衛尉だけは自分のこの手で殺してやりたいと考えていた。

 火縄銃だ。

 牛太郎は腰を上げると、馬屋で休んでいる栗綱のもとに顔を出し、鼻面を寄せてくる栗綱を腕で抱きながら考えた。

 栗綱から落ちてしまうから、発砲は一撃だけで終わってしまう。反対に、反動で落ちなければ、何発でも銃弾を放つことができる。一撃必中は難しいが、何発も撃てるようになれば、山県三郎兵衛尉を撃ち抜けるかもしれない。

 牛太郎は鞍から落ちないようにするにはどうしたらよいか、その工夫を必死に模索した。

「ははん。栗綱と言えば、鬼神のごとき軍馬かと聞いていましたけど、いくさを離れれば可愛いものですな」

 聞き覚えのない声がして、牛太郎は声の主に視線を向けた。

 筋骨隆々の若者、いや、つぶらな瞳を支える目元には、まだ幼さの面影が残っており、少年は女のもののような唇をにたにたとほころばせている。

「聞きましたよ、簗田殿。なんでも、浜松城に出かけるとか。ただ、引き連れる軍勢はたったの五十人」

「誰だ、キミは。勝手に入ってきやがって」

「なんだ、覚えていないんですか。残念だなあ、森三左衛門の倅、勝蔵ですよ」

 牛太郎はしばらく呆然とした。一度、目をこすって、再び顔を上げてみた。森三左衛門可成の息子のカツゾウなら知っている。しかし、目の前にいるのは、あの可愛らしい子供ではない。背が高く、肩はがっしりと盛り上がっていて、どことないふてぶてしさは、あのカツゾウではない。

「嘘だろ」

 と、牛太郎は苦笑しながら勝蔵に歩み寄る。

「見違えたじゃないか」

「そりゃあ、まあ。なにしろ、簗田殿と最後にお会いしてから三年ぐらいは経っておりますゆえ」

 たったそれだけで、こうも成長するものなのか。牛太郎は頬を緩ませながら、勝蔵の肩を叩き、

「そうかそうか。いやあ、立派になっちゃって。こんなところではなんだから、さあさあ、中に上がりなさい」

「いや、ここで良いです」

「そう、遠慮するなって」

「いや、実は簗田殿。頼みごとがあって参ったのです。ゆえ、簗田殿の家のお方に見られるわけにはいきませぬ」

「なんだよ。そんなさ、かしこまんなくたっていいんだから。おれが亡くなった三左衛門殿にえらい世話になったってことは、皆、知っていることなんだから」

「いや、誰にも知られたくないのです」

 そう言って頑固に口端を結ぶ勝蔵に、牛太郎は首を傾げた。何かの相談か。とはいえ、勝蔵とはそこまでの縁でもない。

「そこまで言うんなら、ここでいいけど。なんなの」

 不審がる牛太郎の足元に、突然、勝蔵は膝をついてひれ伏した。

「お、俺も、簗田殿と共に浜松に連れて行ってくだされ! お頼み申す!」


 父の三左衛門可成が戦死してからすぐに、森勝蔵長可は元服、家督を継いだのだが、それから二年、初陣はいまだ果たしていない。

「若様が御出陣されたというのに」

 俺は岐阜で燻っているだけなのだと言いたいらしい。

「だから、簗田殿、連れて行ってくだされ。名前も素性も伏せまするゆえ、俺をどうか男にさせてくだされ」

 勝蔵の真っすぐな眼差しに牛太郎は頭をぼりぼりと掻き、

「いやあ、気持ちはわかるけどさあ」

 と、なかなか辛いものがあった。

 わずか十五歳である。それでいて、勝蔵は織田家の重臣である。牛太郎が「いやあ、気持ちはわかるけどさ」などと年配者の顔をするとはもっての他だ。

 いにしえより続く源氏の系統であり、上総介の片腕として亡き三左衛門が盛り立てた森家。勝蔵は上総介の寵愛を受けているのもあって、そのすべてを受け継いだ。

 しかし、勝蔵は少年であった。森家の棟梁とは名ばかりで、今は、若輩の勝蔵を支えるようにして、三左衛門のかつての配下の者たちが奮闘している。

 勝蔵にとっては、それがいたたまれないのであろう。

 だが、その若気を受け入れて浜松に連れて行き、万が一、武田とのいくさになって勝蔵が戦死してしまった場合、牛太郎には帰る場所がないし、あの世の三左衛門にも申し訳が立たない。

「無理だ。今はじっと我慢していなよ。そう、焦ったって仕方ないだろ」

「焦りまする! だいたい、左衛門太郎殿は俺の年齢ぐらいのときにはすでにいくさ場に出ていたと言うじゃありませんか!」

「いや、太郎は馬廻衆だったから。それに、キミは信長様にも他の家臣の人たちにも大事にされているんだから」

「ならば」

 勝蔵は太刀をきらりと抜いて、切っ先を自らの腹に向けた。

「このような情けない日々を送っていても意味がありませぬ」

「ちょ、ちょっと!」

 牛太郎はあわてて勝蔵の手を握り押さえつけようとするが、勝蔵の力はなかなか立派で、跳ね飛ばされてしまう。

「どこに行こうと、何をしようと、いつだって俺は三左の息子だと言われる始末。織田の危機に何もできずに女子供と同じ扱いを受けようとは、この上ない恥に他なりませぬ」

「わ、わかった。わかったから、そんな真似はよしてくれ。連れていくから!」

 牛太郎が言うと、勝蔵は太刀を鞘におさめ、すっくと腰を上げた。

「かしこまりました。それでは支度をしてまいりまする」

 勝蔵はさっさと庭先から姿を消していき、どこか、してやられたようだった。

 まあいい。牛太郎は溜め息をつきながら縁側に腰かけた。武田信玄が死ぬまでは、万が一、そうなったとしてもいくさに出なければいい。信玄が死ねば、信長が大勢の鉄砲隊を引き連れてやって来る。そのとき、安全な戦いになったときに、勝蔵に華を持たせてやればいいことだ。

 それにしても、玄蕃允といい勝蔵といい、一言目には左衛門太郎の名前だから、牛太郎にはちとおもしろくない。

 左衛門太郎は若者たちにやたらと崇拝されているが、太郎を引き上げたのはおれだから。

 とにもかくにも、牛太郎は九之坪勢と玄蕃允、それに森勝蔵を従えて岐阜を立った。

「なんだか、見たことのある小僧っ子がいるんだがな、オヤジ殿」

 と、玄蕃允は岐阜を離れた途端、元の粗野な口調になったが、いまだ顔の腫れは引いていないので、牛太郎は大目に見てやった。

 ただ、軽口を叩いた玄蕃允と、叩かれた勝蔵がお互いに馬上で睨み合っている。

「玄蕃、なんなんだ、その口の聞き方は」

 勝蔵は森家の当主だけあって、つぶらな瞳にあどけなさを残しながらも、物言いはぴしゃりとしている。

 ただ、太もものはいだてに入った森家の家紋でもある鶴丸紋、金色の鶴が翼を大きく広げているさまがあまりにきらびやかすぎる。亡き父の三左衛門の重厚な武者構えには金鶴も実に映えていたのだが、この少年とも青年とも定まらない勝蔵は、たとえその体躯が大人顔負けだったとしても、どこか金鶴を着せられている感が否めない。

「物見遊山ですか、森殿」

 齢の近い玄蕃允だが、勝蔵と違うのはすでに数々の危うい戦場を経験している。少年の面影もなければ、実にふてぶてしい。

「貴様は何を言っているんだ? 俺は森なんかじゃない。簗田左衛門尉が配下、山田三郎だぞ」

「ならば、その足に飼っている鶴はなんでしょうかな」

「ただの飾りだ」

「なるほど。たいそうな飾りだ」

 柴田権六郎の甥にして、佐久間一族の男子とはいえ、筆頭家老の佐久間右衛門尉は従兄弟叔父である。玄蕃允は嫡流ではない。森三左衛門の功績だけで重臣扱いを受けている勝蔵にこめた皮肉であろう。

「玄蕃、貴様は昔からそうだ。意地が汚く口も悪ければ、腕っ節だけに頼って、頭の中身は空虚。貴様のような猪武者はいつか無謀ないくさをし、哀れに死んでいくだろうな」

「おお、おお。オヤジ殿の配下の山田某とやらは口の聞き方をまるで知らないようだな。まるで、酒に酔って醜態をさらすどこぞの若君のようだ」

 どうやら、玄蕃允と勝蔵は昔馴染みの知己で、相当な仲の悪さらしい。岐阜から尾張清州までの道中、牛太郎の背後で、終始、盛りの烏のように言い争っていた。

 かといって、玄蕃允としては、上席の森家の当主に手を出せるわけがなく、勝蔵としても正体を(建前として)忍んでいる以上、山田三郎に徹しているようで、どちらからも手は出なかった。

 その分、やかましい。

「オヤジ殿、この者に酒を飲ませてはならぬぞ。きっと、城下の女を食い漁り、挙げ句には殺してしまうであろう。おそらく、この者はどこぞの若君と一緒で、女を抱くときには相手の首を締めてしまうという悪癖があるだろうからな」

「簗田殿、この者などいくさ場に出してはなりませぬぞ。手柄ほしさに軍紀を無視してまでいくさ場に突っ込む猪武者ですからな。――だいたい、なんなんだ、その呼び方は。たいがいにしろ」

「何を言うか。オヤジ殿はオヤジ殿ではないか。勇名馳せる左衛門太郎殿のおかげで家中に重きを成し、稲葉山に戻れば美しき奥方に頭の上がらぬ簗田家のオヤジ殿ではない。それとも何か、お主はオヤジ殿という言葉を聞くと、感慨深いことでもあるのかな?」

「ずいぶん達者な口だな。貴様はそうだから佐久間の家でも相手にされないのだ。爪弾き者の世話をしてやっている柴田の家や簗田殿の気持ちにもなってみろ」

「いい加減、黙ってろっ!」

 子供の喧嘩に口を挟みたくない牛太郎であったが、さすがにうるさすぎた。

「だいたいな、おれはお前らなんか連れていきたくないんだからなっ! だったら、黙っていろっ!」

 二人の子供は、フン、と、鼻を背け合う。

 牛太郎は栗綱の馬上で吐息をついた。これじゃまるで、遠足の引率じゃんか。

 九之坪勢は清州に一泊する。明日は沓掛に滞在し、明後日には三河に入る予定であった。

 清州は懐かしい。何年振りだろうか。牛太郎はとある寺に九之坪勢を置いていくと、懐かしさに誘われて、栗之介と共に月夜の城下を回った。

「変わったな」

 と、牛太郎は呟いた。牛太郎が上総介に仕えたころというのは、もう少し貧相な町並みで、足軽兵卒が往来する物々しさに家臣団の女子供たちが慎ましく華を添える片田舎の城下町であった。

 上総介が居城を岐阜に移したことで、家臣団の家族も、大部分の軍勢もここから去った。ただ、日の出の勢いの織田家の領地だけあって、物々しさも晴れやかさもなくなったが、通りの軒先には行燈が並び、宿場として賑わっている。

 彼の第二の人生はここから始まった。いや、今では織田の侍大将として頭角を現している藤吉郎も、かつてはかぶき者として名を馳せていた前田又左衛門も、ここで泥の中を這いつくばっていた。

 懐かしい。月光の下をたゆたう晩秋の香りがはかとない寂しさを覚えさせる。あのころはあのころで苦労したが、今思えば、それなりに楽しい青春のひとときであったのかもしれない。

 牛太郎は足のおもむくままに、昔、住んでいた界隈へと進んだ。

「あっ」

 かつての住まいはなくなっていた。あの、つぎはぎだらけのぼろぼろの家は、跡かたもなく消えており、生い茂ったほうき草だけがゆるやかな風にたなびいている。

「まあな、旦那は今では岐阜の屋敷に奥方も孫もいるってことだろ。それだけやってきたってことだろ」

 栗之介が柄にもなく慰めてくるが、牛太郎はすすきを指先に触り、月の光をまぶした穂をいつまでも眺めた。



 滞在の寺に戻ってきて、借り受けた一室で眠りにつこうとしていた牛太郎だが、なにやら外が騒がしい。

 何事かと思って戸を開けてみると、調度、九之坪勢の足軽組長が甲冑を着込んだままの姿で駆けこんできた。

「殿様っ! 大変ですっ!」

 まさか、武田が清州に攻めてきたのか――。

「玄蕃允様と森さ、いや、山田三郎様が喧嘩をしておりますっ!」

 牛太郎は溜め息をついた。

「そんなの放っておけよ」

「しかしっ、山田三郎様はひどく泥酔しておりまして、お互いに抜き身をさらす始末で、どちらかが命を落とさない限り、喧嘩はおさまりそうもありません」

 ひどく狼狽している足軽組長の様子を前にして、牛太郎はさすがに部屋を出た。

 玄蕃允と勝蔵は境内で果たし合いをしているらしく、九之坪勢五十名がわらわらとしている中をかき分けていくと、羽織を剥いで上半身を裸にしている勝蔵と、胴鎧と兜だけを脱いで、着物の上に籠手だけを上半身に身につけている玄蕃允が、あろうことか鍔を競り合わせている。

 かがり火がぱちぱちと立てる音を聞きながら、二人とも眉を吊り上げさせ、押しつ引きつつ、互いの目を合わせながら一進一退であった。

「何をやってんだっ! この馬鹿どもっ!」

 牛太郎は駆け寄ると、まず玄蕃允を、次に勝蔵を突き飛ばして、倒れ込んだ二人に怒鳴り散らした。

「お前らは木下藤吉郎と佐々内蔵助かっ! 仲間割れをしているなんて、あの馬鹿ども以来だぞっ!」

「なんだとお?」

 と、左手に太刀を握り締めたまま、ゆらりと立ち上がった勝蔵。小首をかたむけ、鼻先を突き上げ、その目は据わっている。

「なら、俺はどちらだと言うのだ、あ? サルか、内蔵助か、どちらだと言うのだ、あ?」

 太刀の切っ先を牛太郎に向けてきて、炎を受け止める瞳はまったく狂気じみている。

「や、やめろっ。落ち着けって、落ち着けよ、な、カツゾウ君」

 牛太郎は両手をかかげながらじりじりと後ずさり。酒乱だと聞いてはいたが、ここまでとは思いもしなかった。

「何がそんなに気に入らないのかわからないけどさ、ぼ、暴力はよくないよ、暴力は」

「あーっ? 何を訳のわからねえことを言っているんだ、この鈍牛」

 途端、飛んできた玄蕃允の足が勝蔵の握る太刀を落とし、更に玄蕃允は勝蔵を地面に組み伏せると、そのまま滅多やたらに殴りつけた。

「身の程知らずのこのガキがっ!」

 しかし、覆い被さられていた勝蔵も負けじと玄蕃允を両の足で蹴り飛ばし、よろめいた玄蕃允に拳で襲いかかる。

「なめてんのかっ、オラァっ!」

 あわわ。互いの拳が両者の骨を軋ませて、二人の口や鼻から血が飛び散って、牛太郎はおろおろとうろたえた。

 太刀を捨てた二人に九之坪勢が止めにかかったが、理性の糸が切れてしまっている二人は間に割って邪魔をしてくる兵卒たちを殴り飛ばし、投げ飛ばし、十人以上に抑え込まれてもなお、腕に噛みついたりと、収拾がつかない。

「やってやろうじゃねえか、コラァ!」

「ぶっ殺してやるっ!」

「旦那、ほら」

 近寄ることもどうしようもできずにうろうろとしていた牛太郎のもとに、栗之介が点火された火縄銃を持ってきた。

 ふむ。いいアイデアだ。

 牛太郎は夜空に向けて銃声を放った。境内に轟音が鳴り響き、連中の動きが止まった。

「いい加減にしろっ! お前らは何をしに来たんだっ! この馬鹿垂れっ! 喧嘩をするなら帰れっ! 岐阜に帰れっ!」

 言うだけ言うと、火縄銃を栗之介に渡し、火の粉がこちらに飛び火する前に牛太郎はさっさと立ち去った。


 牛太郎率いる九之坪勢は東海道をひたすら東進した。沓掛から三河へと入り、三日をかけてようやく遠江国浜松城に到着した。

「簗田殿!」

 徳川三河守自らが大手門まで牛太郎を出迎えにやって来た。胴長短足、下膨れの頬を揺らしながらどたどたと歩み寄って来ると、物腰も低く牛太郎の手を取る。

「お久しぶりですなあ。お久しぶりですなあ。簗田殿が浜松までやって来てくれるとは、心強いことこの上ありません」

 そうして、三河守は牛太郎の肩越しにちらりと九之坪勢を見やり、一瞬のうちだけ固まったあと、また、牛太郎に人懐っこい笑みを見せてきて、

「ささ、こんなところではなんですから、城内にてゆるりとメシでも食いましょう」

 と、牛太郎を導いた。

 浜松城は武田勢西進の防衛に徳川三河守自らが三方ケ原台地に二年前に築いた城で、曲輪と石垣が堅固に構えられている中に、屈強な徳川兵たちが詰めている。

 キモブタめ、と、牛太郎は自分だけの三河守の蔑称を胸の内で呟きながら、胴長短足、ぎょろ目の男をやっかんだ。

 大した男でもないくせに、こんな城に住んでやがったのか。

 しかし、同時に牛太郎は、べらべらと城郭の造りを説明している三河守の横顔を見つめながら、この男こそがのちの征夷大将軍なのだから、世の中わからないものだとも思った。

 ゆるりとメシでも、という話だったが、牛太郎の到着を聞きつけた諸将が本丸御殿にぞろぞろと集まってき、配下の者たちに詰め寄られた三河守は、渋々、軍議を開いた。

「上総介殿の援軍はいつ来られるのですか!」

 開口一番、徳川家の重臣酒井左衛門尉忠次がなじるように浴びせかけてくると、

「上総介殿は徳川を見殺しにされるおつもりか!」

「簗田殿はたかだか五十の兵を連れて一体何をしに来たのだ!」

 などと、軍議というより牛太郎を吊るし上げる場と化してしまい、よもや、このような非難を浴びるとは思ってもいなかった牛太郎は面食らい、さらにいかつい三河武者たちに詰め寄られてうろたえた。

 三河守も三河守で、飛び交う罵倒に目をきょろきょろとさせて、何度か家臣団を止めようという姿勢を見せるが、諸将の圧力に手を引っ込めてしまう。

「長篠城は落城し、山県三郎兵衛尉の軍は青崩峠を越えた武田本隊と合流の姿勢を見せております。簗田殿、一刻の猶予もござらん。至急、上総介殿の援軍を連れてきてくだされ」

 無類の猛者である本多平八郎忠勝でさえ、口調は落ち着いているものの訴えてきた。

 徳川は切迫している。それもそうだろう、織田の人間でさえ武田徳栄軒の出陣に戦々恐々としているのだ。前線の浜松がのんびりと構えているはずがない。

「ま、まあ、援軍を呼びたいのは山々ですが、なにしろ、信長様も動くに動けない状況で」

 牛太郎は徳川がここで武田に滅ぼされるとは万に一つも思っていない。だから、危機感がまったくなく、その様子がこの切迫している雰囲気には非常に浮ついていた。

「動くに動けないとはなんなのですか!」

 と、酒井左衛門尉が片膝を立てて起き上がり、火に油を注いでしまう。

「我ら徳川はこれまでどれだけ上総介殿に尽くしてきたとお思いか! 南近江、金ヶ崎、姉川! 金ヶ崎ではおやかた様を見捨てられたというではないか!」

「左様! それでも我らが上総介殿に不平不満を申し立てたことがあったか! それなのに、上総介殿は我らの義理に見て見ぬ振りをし、見殺しにされるというのか!」

「いや、いや、まあ、まだ、負けるって決まったことではないですし」

 どこまでも呑気な牛太郎に、諸将もあきらめてしまったらしい。溜め息をつくと、がっかりと肩を落とし、悲愴な顔色で黙りこむ。

「簗田殿の言う通りではござらんか」

 沈黙が続いた中、ふいにとある老人が頬を緩めながらそう言った。

「簗田殿が来て下さったということは、いずれ上総介殿も援軍を寄越してくれるのでは。そもそも、簗田殿を責め立てて始まることでもありますまい」

 ジジイ......。牛太郎は救われた思いで老人に熱い眼差しを送る。

「左様、左様」

 と、三河守がこくりこくりと首を縦に振る。

「夏目の言う通り、やる前から負けいくさではいかん。ゆえに腹ごしらえをせねばな。腹が減ってはいくさはできぬ」

 どうして、このような男に三河武者は付いてきているのだろうか牛太郎はますます不思議になったが、まあ、三河守のおかげで責め立てられずに済んだからよしとしよう。



 三河守は牛太郎以下九之坪勢を浜松城内に留めさせようとしていたが、徳川諸将に責め立てられた肩身の狭さもあって、牛太郎は城下の寺を借り受けることとした。

 牛太郎は書斎に入ると、ただちに書状をしたためる。上総介宛てだ。

 三河武者が不満を増大させているから、せめてもの軍勢を派遣してくれ。たとえ、このいくさを凌いだとしても、徳川が織田に向ける意識が軽薄となってしまう。という内容である。

「天下に名だたる三河勢も、武田騎馬隊の前ではひよっこだな」

「ひよっこは貴様だろうが。よくも言えたものだな」

 なぜ、玄蕃允と勝蔵はこの部屋にいるのだろうか。呼んでもいないのに、筆をすすめる牛太郎の背後で飽きずに言い争っている。

「しかし、どうするのだ、オヤジ殿。武田の本隊が浜松城まで迫ったさい、我らはたった五十の兵で加勢するつもりなのか」

「ははっ、臆しているのか、玄蕃」

「よく言うわ。お主はいくさ場に出たことがないからな。いくさのなんたるを知らない小僧っ子は気が楽であろう」

「もういい。黙れ」

 牛太郎は玄蕃允に書状を突き出し、

「あとで早馬を出しておけ。それと、お前ら、どうしてここにいるんだ。ここは溜まり場じゃねえぞ」

「いざというときのことを決めておかなければならないだろ」

「戦術を立てておかなければなりますまい」

 それぞれが言うと、玄蕃允と勝蔵は睨み合い、フン、と、鼻先を背ける。

 清州での大喧嘩のあとも、懲りずに悪態を放ち合っているが、どうやら、勝蔵が酒さえ飲まなければ大ごとにはならないことに気付き、牛太郎は勝蔵に禁酒を課した。

 勝蔵は十五の小僧のくせにのんべえらしい。

「だいたい、進軍の途中で酒を飲む馬鹿がいるか」

 と、沓掛でたしなめた。

「木下藤吉郎は二日酔いで信長様の前に姿を出して、ぼこぼこにされたんだぞ。せめて、いくさのときぐらいはやめろ」

 以来、夜はおとなしくなっている。勝蔵はわりかし素直で、その辺りは幼いころと変わっていない。

 とはいえ、これではそれこそオヤジ代わりだと頭が痛い。

 息子の左衛門太郎は、彼が八歳のころから小姓、のちに養子として傍に置いているが、太郎がどれだけ出来の良い子供だったか、勝蔵と玄蕃允のお守りをしているうち、牛太郎は気付かされた。

 左衛門太郎は養父の牛太郎のあまりの情けなさに耐えかねて出しゃばる傾向があり、一時はその生意気さに腹を立てたりもしたが、この荒くれ者たちと比べてみると可愛いものだ。

「だいたい、オヤジ殿はおやかた様に何を命じられて浜松までやって来たのだ。まさか、加勢をするためじゃないだろう」

「おいおい、玄蕃」

 勝蔵は笑った。

「貴様、浜松に入って以来、ずっとその調子だな。貴様はどうやら勝ち戦に乗じることしかできぬつまらぬ将なのだろう」

「勝ち戦に跨ってきたのはどっちか。お主のような七光りに言われたくないわ」

「もうやめろ。うるさい。とっとと自分の部屋に帰れ」

 牛太郎はうんざりして寝転がり、背中を向けたが、玄蕃允も勝蔵も、今後どうするのか、作戦を立てないのか、と、食い下がってくる。

「今後も作戦もあるか。決めるのは家康殿だ」

 そういうことでもないはずだが、牛太郎は武田徳栄軒の死だけにぶら下がっているので、何も考えていない。いくさがあろうがなかろうが、信玄は死ぬ。自分は信長に言われて来ただけ。おわり。

「お前らがうだうだと考えたって何もならねえだろ。だったら、おとなしく従っていろ」

 だいたい、と、牛太郎は言いながら体を起こした。

「なんで、お前らが二人揃って仲良くここにいるんだ。喧嘩しているんじゃねえのか。喧嘩するんなら、顔を合わせないで寝てろよ」

 すると、玄蕃允も勝蔵も、大きな態度に似合わず頬を膨らませて、なぜかふてくされる。

「ははあ」

 牛太郎はにやりと笑んだ。

「お前ら、武田騎馬隊を恐れているんだな」

「な、何をっ!」

「お、恐れているのは玄蕃ではないですか!」

 指摘にあわてふためく二人をよそに、牛太郎はうんうんと頷く。

「しょうがないしょうがない。お前らはまだ子供だからな。まあな、百戦練磨のおれに頼りたいっていう気持ちもわかるけど、もうちょっと、男らしくどしっと構えていろや」

 玄蕃允が顔を真っ赤にしながら立ち上がった。

「お、オヤジ殿などに言われたくないわ!」

 と、部屋を出て行ってしまい、勝蔵も、

「玄蕃などと一緒にしないでくだされ!」

 と、戸をばちんと閉めていった。

 くくっ。なかなか可愛げのある奴等じゃないか。牛太郎はにたにたと一人笑いながら荷駄の紐を解いていく。

 百戦錬磨とは過大すぎるか、確かに牛太郎は数々の死地をくぐり抜けてきている。その点、若い玄蕃允と勝蔵は鼻息を荒くしてやって来たものの、切迫した浜松のこの雰囲気に飲まれてしまったのかもしれない。

 桶狭間の戦いのときにはまだ幼かった十代の織田の将にとって、武田の進軍はかつてない経験だろう。

 まして、織田のいくさは大軍を持って制する常勝戦略であり、寡兵で挑んだことは桶狭間だけである。戦場を知っているとのたまうほど、玄蕃允はいくさを知らない。

 牛太郎は活躍こそしていないが、織田勢の決戦のほとんどに参加しているし、織田家の危機が始まった金ヶ崎のしんがり戦では、死に直面している。

 戦場だけではない。調略工作に明け暮れる日々の中で、常に緊迫感の伴った生活をしているから、前線の気配に怖じ気づくこともない。

「人生経験の差だな」

 一人呟くほど、上機嫌であった。まあ、結局は武田の敗北を予見しているからこそであって、それがなかったら真っ先に震え上がっているのは牛太郎だろう。

 ようやく一人きりになれた牛太郎は桐の箱を開けると、梓から貰い受けた花散らしの小袖を手に取り、匂いを嗅いだ。


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