それぞれの想い
翌日、哨戒艇102号の艦橋には真剣な眼差しで任務に挑む満の姿があった。
「取り舵20度!」
「取り舵20度、ようそろう。」
福井艦長の命令を復唱し、満は舵輪を回した。
「後続船に異常ないか?」
「陣形に多少のバラツキがありますが、全船付いて来ます!!」
艦橋の両側に立つ見張り兵が報告してくる。
「そうか。まあ寄せ集めの輸送船団だから仕方あるまい。」
その言葉を引き継ぐように、満が言う。
「それに、商船は海軍の艦隊のように集団行動に関する訓練など全く行っていません。我々がしっかり護衛しなければ良い的です。責任重大です。」
「お前、随分今回の仕事に力入れているな。まあ、結構なことだ。こういう船団護衛任務を軽んじる人間が多くて困る。乗員の中にもかなりいる。お前みたいに率先してやってくれる人間がいれば、そう言う連中も少しはやる気になるだろう。」
福井は何かを思いつめたように言う。
「艦長は今回の任務にはどう思っているのですか?」
「もちろん重要な任務だ。独逸のUボートはイギリスの商船を片っ端から沈めているそうだが、前大戦ではそれでイギリスは干上がる寸前まで行ったそうだ。我が国も島国だから、もし通商路を破壊されたらお終いだ。俺に言わせれば、艦隊決戦よりも、こういった船団護衛のほうが遥かに重要な任務であると思うぞ。」
満はおやっと、思った。昨日はあまり乗り気でない様な発言をしていたはずだが。
「失礼ながら艦長は昨日、仕事には反対するような言葉を言われませんでしたが?」
「別に船団護衛に反対したわけではない。特設艦船と組む事に反対したんだ。お前はあんな船でまともな戦いが出来ると思うか?」
「いいえ。」
それが満の率直な感想だった。特設艦船で戦争が出来るのなら正規の艦艇など必要ない。
「だろう。輸送船や客船に武器を載せて特設巡洋艦とか、特設敷設艇なんて名前で呼んでも、所詮は商船に過ぎない。潜水艦相手でも戦うのは苦しかろう。ましてや相手が正規軍艦だったらどうしようもない。本来ああいう船は使うべきではないんだ。だいたい、本来は我が軍が自前で護衛艦を揃えるべきだったんだ。あんな「大和」なんて戦艦がなくても、本艦のような小型艦艇2000隻と充分な航空機を揃えさいすれば、戦争に負けることなど無い。」
この言葉に、満は少し怖くなった。彼自身としては、充分考慮する意見であるのはわかる。しかし、現在も海軍の主流な考えは艦隊決戦主義だ。この艦の乗員にもその考えを持っている者が多い。今の福井の意見は彼らに対する冒涜となりかねない。
「艦長、今の意見はそれなりに正しいとは自分も考えますが、他の乗員の前、いやそもそも我が海軍内で仰るのは少々危険では?」
満は警告の意味も含めてそう言った。しかし、福井は彼の言葉を笑い飛ばした。
「今更そんなの怖がるような俺じゃないよ。なにせ、俺はその意見を上官に言ったせいで閑職に回された人間なんだからな。」
「そうなんですか?」
「ああ。戦争が起きる前にな。俺は兵学校時代から水雷とか砲撃とか、そういう他の人間がやっている分野にはとんと興味が無かった。だから、潜水艦と機雷を専攻に選んだ。そして第一次大戦でのUボートの戦術に注目し、我が海軍でもシーレーン(通商路) 防衛にもっと力を入れるべきだと具申したんだ。ところが、それが元で上官と喧嘩しちまってな。卒業してからは退役寸前の船の艦長ばかりやらされたよ。」
「そうだったんですか・・・」
艦長の意外な経歴に、満はただ驚くしかなかった。
「まあ、この船は確かに古いが俺は好きだ。たとえ元がアメリカの船でも、今は俺が指揮する船だ。俺はこの船で働けることに愛着を持っている。」
「自分もです。自分も、この船が大好きです。」
そう言う彼の脳裏に浮かび上がるのは、この艇に宿る1人の少女の姿だった。
彼らが真剣に働いたおかげか、船団は敵潜水艦の襲撃を受ける事も無く、全船目的地のブルネイに入港する事が出来た。
船団はここで解散し、哨戒艇102号は単独でシンガポールへと戻った。そして、この船団で終戦まで生き長らえる事ができたのは、彼女だけだった。
各貨物船はその後の激戦の中で全て撃沈され、さらに護衛任務を共に行った特設敷設艇「柏丸」はこの直後、沖縄からほんどへ向かう少年少女たちを乗せた貨物船「湖南丸」の護衛任務中に、「湖南丸」ともども撃沈され、多くの若い命とともに東シナ海に没する事となる。
哨戒艇102号は、その後も南方資源地帯における船団護衛任務を行ったが、その頃から本土へ向かう輸送船団の犠牲がうなぎ上りで上昇した。
米軍は新型潜水艦「ガトー」級をマスプロし、その多くを日本と資源地帯との間を結ぶ通商路破壊に振り向けてきた。さらに、それまで問題多発であった魚雷の信管の不調も改善され、レーダなどの電波兵器面での優位もあいまって、日本輸送船団や海軍艦艇に猛威を振るい始めた。
日本海軍もようやく船団護衛の重要性に気付き、海上護衛総隊を設置した。さらに、船団護衛用の新型護衛艦である海防艦のマスプロ、新型聴音器の開発などを行ったが、もはや遅きに失していた。
数が足りなく、電探などもアメリカに比べて数年もの技術格差があり、さらに乗り込む乗員も一流の乗員が連合艦隊に取られてしまったために、主に2流や予備役からの復帰者が充てられたために、その戦力は米潜水艦に叶う物ではなかった。
ただそれでも、現場の人間たちは黙々と働いた。哨戒艇102号は船団護衛任務を続けながらも大きな損傷も被ることなく1年近くを日本海軍艦艇として過ごした。
満は航海士見習いから航海士に昇格し、102号で戦い続けた。そして昭和19年8月24日、仏印沖でそれはおきた。
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