揺れる想い
「好きな男でも出来たの?」
先ほど会ったスレイシアンに言われた言葉が、何度もスチュワートの脳裏をよぎる。そして考えれば考えるほど顔が赤くなってくる。
「そんな・・・好きな男なんて・・・」
強がって言ってみるが、確かに思い当たる節がないわけではない。頭に浮かぶのは、ここの所毎日あって話をする少尉の顔だ。
「そりゃ確かに、満はやさしくしてくれるし、話し合うと楽しいし・・・」
彼女がもし恋をするとすれば彼以外にはなかった。なにせ、彼女が生まれて初めて艦魂以外で話し合えたのは彼なのだから。
彼女はアメリカ時代、一度も彼女が見える人物と出会うことはなかった。だから、満は彼女にとって初めて話し合えて、共に笑いあう事の出来る人間であった。
女性だからであろうか、彼はスチュワートにやさしく接してくれていた。そして、彼女が見たこともない外の世界について色々と話してくれた。
艦から離れられない彼女にとって、海以外の世界は未知の世界であった。その世界を教えてくれるのが彼であった。
考えれば考えるほど、彼に惹かれている自分に気付く。しかし、それと同時にある考えも浮かんできた。それはもしこの気持ちが恋であったとしても、叶わない物であることだ。
彼女は艦魂。どんなにがんばっても、物に宿った魂でしかない。例え人間の形をしていても、人間ではない。だから恋が叶う可能性など、万に一つもない。
彼女は艦魂同士の話し合いの中で、そうした叶わない恋をして、苦しい思いをした者がいたという話を何度も聞いていた。
それが艦魂という存在である彼女たちの定めの一つなのだ。
「・・・もしこの気持ちが本当に恋でも・・・叶わない夢ね。」
自嘲気味に言うスチュワート。彼女が一筋の涙を流した事に気付いた者は誰もいなかった。
そして彼女は固く誓ったのであった。この気持ちを押し殺そうと。
それから数週間後、ついに哨戒艇102号は実戦に就くこととなった。最初の任務は日本へ向かう輸送船団の護衛であった。
改装が終わってからまだ一ヶ月半しか経っていなかった。平時だったらありえないことだが、予想以上の艦船の消耗が、前線に大きな皺寄せを生み出していた。戦争は彼女や、乗り込んだ兵士たちの都合を待ってはくれなかったのだ。
彼女の所属は、三川軍一中将率いる第二南遣艦隊であった。この時期、既に日本の敗色が濃くなってきていた。2月にガダルカナル島から日本軍は全面撤退し、4月には連合艦隊司令長官の山本大将がブーゲンビル島上空で戦死し、士気は急激に落ちつつあった。
それでも、最前線の兵にある選択肢は戦うだけであった。満もよくそれを心がけていた。
スラバヤを出港した102号は、一路シンガポールを目指した。そこで、他の護衛艦や物資を運ぶ輸送船と合流する予定であった。
これまでは貨物船は主に単独で行動していたが、米潜水艦の活動が活発になり始めていたので、船団を組んだり、護衛艦艇をつけたりするようになっていた。
シンガポールまでの航海は比較的安全であった。米潜水艦の活動はかなり活発に成り出してはいたが、この地域にはまだそんなに多くは投入されていないようだった。
この時期、米潜水艦が出没したのは本土からトラックなどの南洋諸島方面に向かう航路上であった。
そのおかげか、102号は何事もなくシンガポールに入港した。
シンガポールは前年に日本軍が占領して以来、昭南市と名を改めていた。かつてあの「プリンス・オブ・ウェールズ」も停泊したセレター軍港に102号は入港した。
セレター軍港には大型艦も入渠可能なキングジョージ5世ドッグや浮きドッグもあり、この方面の日本海軍の活動拠点であった。
ここで1日停泊した後、102号は他の2隻の護衛艦艇と共に、7隻の商船を守ってブルネイに向かう。しかし、満は同行する護衛艦を見て驚いた。
「艦長、本当にあんな船と一緒に護衛するんですか?」
満の視線の先にいるのは、小型貨物船に武装を備えただけの特設砲艦だった。
日本海軍は戦線を不必要な程まで広げていたため、深刻な艦艇不足に陥っていた。そのため、優速商船に軽く武装を施し、特設巡洋艦や特設砲艦にしたてていた。他にも特設水上機母艦や特設潜水母艦もあった。
一方、艦長の福井少佐もげんなりした顔で言う。
「俺だってあんな頼りない船と一緒に組みたくはないよ。しかし命令だ。」
軍隊は上意下達組織なのだ。上の命令に逆らう事は出来ない。
「それはわかっていますが、あんな特設艦船で大丈夫なんでしょうかね?」
特設艦船はそれなりの武装は施している。しかし、専門の射撃指揮装置を積んでいるわけではないし、武装も数はあっても大方旧式だ。おまけに動きも鈍い。
そういうわけで、生粋の海軍軍人からしてみればあんまり一緒に仕事はしたくなかった。
「文句は言うな。それにシンガポールやスマトラの航空部隊も支援してくれる。取りあえず安心しろ。」
「はあ。」
結局、2人の会話はそこまでであった。
そしてその夜、彼は自室で少女を待った。あることを聞くために。
この作品はフィクションではありますが、史実も交えています。例えば、101、102号はいずれも実在する船です。ただし、102号の活動開始は作中より3ヶ月遅い9月からです。