哨戒艇101号
満が乗り組んでから一ヶ月ほどの間は出撃はなく、乗員の習熟訓練が行われた。いくら軍艦不足だからといって、全く訓練していない艦を出すほど帝国海軍も愚かではなかった。
航海士である満は艦橋で舵輪を握る操舵手をまかされた。そしてこの日も港外での訓練を終え、桟橋に横付けする所であった。
「ちょい取り舵。」
「ちょい取り舵、ようそろう。」
艦長の命令に従い、満は慎重に舵輪を回す。既に何回も行っている動作だが、緊張する。そして艦はそのまま無事に接岸できた。
「ふう。」
安堵の息をつく満。そんな彼に艦長の福井少佐が声をかけた。
「大分上手くなったな、長野少尉。」
「はい、ありがとうございます艦長。」
「次の訓練は3日後だ。それまでゆっくり休むと良い。」
艦は補給と修繕のために、しばらく港に停泊する。
「はい。」
その後全ての課業を終え、夕食を済ませると、彼は自室に向かった。1ヶ月もすれば艦内での生活には大分慣れる。彼はこの102号哨戒艇を色々な意味で気に入っていた。
まず艦内の余裕のある設計である。もちろん、駆逐艦であるから決して広い事は無い。あくまで日本の駆逐艦に比べてである。
アメリカの軍艦は居住環境に随分と気を使っているらしく、兵にも一応スチール製のベットが用意されていた。また、便所の数も多かった。
実際、戦後海上自衛隊に入った元海防艦の乗員が、乗り組んだアメリカ供与のPFの居住性や造りの良さに驚いたという話がある。またその分扱いやすい。
そして、もう一つ満にとって嬉しいのは、一人の少女の存在だった。
彼がスチュワートと呼ぶその少女は、この哨戒艇102号の艦魂である。乗艦して以来、彼は彼女とよく話す。
今の所彼女の存在が見えているのはこの艦で彼だけである。だから、彼女と二人きりで話せることも、彼にとっては少しばかり嬉しかった。
自室に戻ったが、扉の前に来ても今日はスチュワートの気配はなかった。
「あれ、今日は来てないのかな?」
夜間の当直や、艦から降りる日を除いて、彼女とはほぼ毎日会っていた。その彼女が今日はいなかった。
「めずらしいこともあるもんだな。いつも来てたのに。」
首をかしげつつ、彼は部屋の中へと入った。そして、少女と会えない事をちょっぴり残念に思ったのであった。
さて、彼が気にするスチュワートはどうしていたかというと、彼女はその時マストの先端に立っていた。その彼女の視線の先には、ある船がいた。
艦魂は艦から離れる事が出来ない。ただし、艦魂同士は話すことが出来る。一種のテレパシーみたいな物だった。
彼女はその船に向かって話し掛けた。
「お久しぶり、「スレイシアン」」
すると、相手の船も彼女に気付いた。
「あら、あなたは確かアメリカの「スチュワート」じゃない。あなたも今は日本海軍に?」
「スレイシアン」と呼ばれたのは、この日内地からの船団を護衛してやってきた、哨戒艇101号であった。
番号を見てわかるように、彼女は海外からの捕獲艦である。元々は英海軍の旧式駆逐艦だ。彼女は開戦直後に香港で日本軍によって捕獲され、その後改装と修理を終え、哨戒艇として竣工した。今は横須賀鎮守府所属である。
その彼女の艦魂は、スチュワートと同じく西洋人の少女だった。歳はスチュワートと同じくらい、整った顔立ちだが髪は金髪ではなく、綺麗なブルネットであった。そして可愛らしい丸い小さな眼鏡をかけていた。
二人は数年前に一度香港で顔を合わせていた。
「ええ。今は哨戒艇102号。」
「そうなの。けど本当に懐かしいわね。あの時はたしかアジア艦隊が訓練で寄港した時よね。「ヒューストン」に「マーブルヘッド」もいたわね。」
スレイシアンが懐かしい名前を上げる。
「ヒューストン」は米アジア艦隊旗艦だった重巡だ。昨年のバタビア沖海戦で日本軍によって沈められている。
「マーブルヘッド」は「オマハ」級の軽巡で、日本軍の攻撃で損傷し、その後オーストラリアに撤退している。
スチュワートにとっては懐かしい名前ばかりである。そして、その名前を出されると彼女の心中は複雑になる。
「ヒューストン」を沈め、「マーブルヘッド」を傷つけた日本軍に、今は奉公しているのだから。
「戦争が始まって2年だけど、敵も味方も随分沈んだみたいね。・・・けどそれが私たちの運命なのよね。」
スレイシアンの言葉が、彼女たちにとっての現実だった。自分の意志に関係なく戦い、そして艦が沈むとき、その生涯を終える。
「私たちも、いつ先に逝った仲間たちの所に行くかわからないわね。」
「そうね「スレイシアン」。だから生きているうちに色々と楽しまなきゃね。」
それが一番今自分を奮い立たせる言葉と彼女には思えた。
「あら。戦いに勝ち続けるとかじゃないの?」
「あ!?」
そこでスチュワートは自分がおかしなことを言っているのに気付いた。戦時下で戦う者が生き残る方法は、戦いに勝ち続ける事だ。それなのに。
「何でそんなこと言うのよ?」
「わ、わからない。自分でも・・・」
と、スレイシアンはあることを考えた。
「もしかして。誰か好きな男でも出来たの?」
「!!」
その言葉にスチュワートは顔を真っ赤にした。
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