終戦
戦局は日本にとって、もはや最悪としか言えないレベルにまで陥っていた。8月9日には広島に続いて長崎に2発目の原子爆弾が投下され、さらにアメリカのトルーマン大統領はさらなる投下を仄めかした。(実際17日に3発目の小倉への投下が予定されていたとされる。)
そして、アメリカの原子爆弾投下に刺激されるかのように、日本が最後の和平交渉の頼みとしていたソ連が中立条約を破って一方的に、満州、南樺太、千島方面への攻撃を開始した。
既に日本軍にその赤い津波をとどめる力などなく、それどころか守るべき一般市民をほったらかしにして、自分たちが逃げるのが精一杯という体たらくであった。
ことここに至り、日本政府には最早ポツダム宣言の受託以外の道を選ぶことなど出来なかった。
しかしながら、こうした現実にも関わらず、陸海軍は戦いを止める気など毛頭なく、結局ポツダム宣言の受託について政府の方針が一致しなかったため、天皇に聖断を仰ぐことと成った。
なおも最後の勝利を信じ、いや面子に拘って本土決戦に持ち込もうとする陸海軍の強硬派の反対を退ける形で、昭和天皇は和平派の意見を受け入れてポツダム宣言の受託を決定した。
その後連合軍から送られてきた占領に関する方針を巡ってのドタバタや、降伏を良しとしない陸海軍の妨害があったものの、ポツダム宣言は正式に受託された。そして運命の昭和20年8月15日を迎えた。
「・・・・時運の赴くとこ・・・耐えがたきを耐え・・・忍びがたき・・・忍び・・・」
呉に停泊する哨戒艇102号。その後部甲板の上には乗員が整列し、正午から始まった天皇陛下直々の特別放送を拝聴していた。
電波状況が悪いのか、ラジオの性能が悪いのか、放送は途切れ途切れにしか聞こえてこない。だが、例え良く聞き取れなくても、乗員たちは放送の意味を良くわかっていた。これは日本が戦争に負けたことを報せる放送なのだと。
兵士の1人が泣き崩れた。それに釣られる形で、他にも数人の兵士が泣き崩れた。
あの昭和16年12月8日の真珠湾奇襲から3年8ヶ月。ついに戦争が終わったのだ。日本の負けという形で。多くの人命を犠牲にしながら、多くのものを失いながら、多くの苦労に堪えながら戦ったのにである。
昨日までは勇ましく本土決戦へ向けての準備と心構えをしていたにもかかわらず、たった数分の放送によって、それも全て壊されてしまった。
兵士にとって、この放送はこれまでの全てを無に帰してしまうに等しかった。
一方で、戦争が終わり危険な日々から解放されるという意味で、安堵の息をついた人間が多かったのも事実である。特にこれまで貧しい生活を強いられ、堪えに堪えてきた国民たちがそうであった。また、兵士の中にも同じような感想を抱く人間もいた。
放送終了後、難読の玉音放送に代わって、通常のNHKのアナウンサーが日本の降伏を通常の言葉で語った。
それが終わると、艇長の福井少佐が全乗員の前に立った。
「諸君!ただ今陛下の言葉にあったように、大日本帝国政府はポツダム宣言を受託し降伏した。日本はこの戦争に敗れたのである!!」
強い夏の日差しが照りつける中、福井は一端言葉を切った。そして再び話し始めた。
「しかしながら、あくまで宣言を受託したのみであり、正式な講和はこれからである。今後連合軍が進駐してくるにしても、しないにしても、我々は腐っても帝国海軍軍人である。だから、上からの命令にしっかり従い、軽挙妄動を慎まねばならない。諸君らが最後まで任務を全うすることを期待する!!・・・話は以上、全員解散!!通常の配置へと戻れ!!」
解散命令が出され、整列していた将兵たちは各々の持ち場へと戻っていった。満もいつもの配置である艦橋へと戻った。
「戦争が終わったか・・・長かった。本当に長かった。」
艦橋から海を見つめながら、彼は1人呟いた。現在艦橋には彼しかいない。艦長や幹部たちは鎮守府に行ってしまったし、艇は停泊しているから他の兵士たちもいない。
彼の心の中は比較的穏やかだった。既に日本の敗戦を予見していた分、今日の降伏という事態は、来るべきものが来たかという想いであった。
これから一体どうなるか分からない。恐らく日本軍は解体されるだろう、そうなれば生粋の海軍士官である彼は失業することとなる。また、進駐してくる連合軍が自分たちに一体どのようなことを要求するのかもわからない。
しかしながら、それらはいずれもまだ先の事である。満にとっては、今戦争が終わったことの方が重要だった。
「これでもう戦う必要もなくなったんだ。これでもう死ぬこともなくなったんだ。」
機能までは常に死を意識してきたが、その必要もなくなった。どこか空虚感が残るが、彼は素直にそれを喜んでいた。
そしてその日の夜、彼はいつもどおり甲板上を歩いていた。艇の上から陸の方を見ると、ポツポツと民家の明かりが見える。昨日までは灯火管制のために真っ暗であったが、すでにその必要もなくなったために、久しぶりに思う存分点けているのだろう。
そんな事を考えながら、彼は煙突の下に、顔を俯かせて座る金髪でワンピース姿の少女を見つけた。彼はその少女に声を掛ける。
「スチュワート!」
「ああ、満。」
声に反応して、少女、この艇の魂であるスチュワートは俯いた顔を上げて言った。満は彼女の隣に座った。
「戦争終わったな。」
「ええ。・・・満は悔しくないの?戦争に負けたこと。」
彼女は不思議そうな顔をして言った。
「確かに悔しい気もしないことはない。けど、これでもう人が死ぬことがなくなった分、気が楽だよ。」
「そう。」
「それに・・・」
満は口ごもった。その顔は心なしか赤い。そんな彼の顔をスチュワートが覗き込んだ。
「それに?何?」
「・・・お前が死ぬ姿を見なくて良くなったからな。そして俺自身も死ぬ覚悟を決める必要もないから、心の底から好きな人に想いを伝えられる。」
その言葉に、スチュワートが驚く。そして彼女も顔を赤くした。
「え!?それって・・・」
彼女の驚きを他所に、彼はポケットから何かを取り出した。そしてスチュワートに差し出す。
「新品じゃないけど、我慢してくれな。これを手に入れるのだって苦労したんだから。」
スチュワートはその箱を受け取る。
「開けてみなよ。」
満の言葉に従って、彼女は箱を開けた。箱の中には、古びてはいたが、指輪が1つ入っていた。
「これっ・・・」
彼女は言い切れなかった。何故なら満が彼女を抱きしめていたからである。彼は強く彼女を抱きしめると、一言こう言った。
「お前が好きだ。この世で一番。」
「!!」
それからしばらく沈黙が続いた。スチュワートはいきなりのことに驚き、何も言えなかったのだ。
しばらくして、彼女はようやく言葉を紡いだ。その目に涙を浮かべながら。
「あなたはバカよ。オオバカ者よ。」