第二話 トイレの花子さん
東急田園都市線、池尻大橋駅から徒歩10分。
なんの変哲もないビルの4階に、不思議なメンタルクリニックがあるという。
看板も無ければ表札も無い、営業時間も分からなければ電話番号も分からない。 そもそも名前を誰も知らない。
何故か誰も知らないのに噂になる、そんな不思議なメンタルクリニックのお医者さんはこう呼ばれているそうな。
「都市伝説のカウンセラー」と。
ある晴れた日の朝、とあるメンタルクリニック。さて、今日も仕事を始めるぞ、と診察室で白衣の男がパソコンをつけると、すぐにドアがノックされた。
「先生、先生、朝第一号の患者さんです!」
おや珍しい、と男は首をかしげる。
普段、一日に一人か二人、誰も来ない日だって珍しくないこのクリニックに開始早々に患者が来ることは極めて珍しいことなのである。
「あー、入ってもらって」
しばらくすると、バタン! と勢いよくドアを開けて、一人の女の子が入ってきた。
「せんせー、話を聞いてちょうだい!」
朝っぱらから大きな声を出しているのは、おかっぱ頭に赤いスカートを履いた女の子だ。
「おやおや、トイレの花子さんですね、珍しい」
「せんせーに話を聞いてもらいたくって、朝から来ちゃったの!」
カウンセラーに悩み相談をしてもらう、というよりはお父さんに学校の話を聞かせようとする娘のようなこの女の子こそ、みんな大好きトイレの花子さんである。
トイレの花子さんは、学校の女子トイレに現れるとされる都市伝説であり、3階の3番目のトイレをノックして「花子さん、遊びましょ」というと出てくるなどと言われている。バリエーションも豊富で、映画やマンガでは主人公に抜擢されるほどの人気者だ。
そんなトイレの花子さんがカウンセリングに来たことなんて今まで無かったものだから、どんな内容なのか興味がある。
「ええ、ええ、聞いてあげますよ。どういったことですか?」
ニッコリと微笑みかけ、話を促す。
その姿を見て、トイレの花子さんも興奮気にフンフンと鼻を鳴らすようにして、続ける。
「んっとね、えっとね、口裂け女が最近やけにイケイケになっちゃっててさ! どうしたのかしら? って聞いてみたら、先生のおかげで人気者になれたのよ~、なんて自慢してくるものだから頭にきちゃって! そのとき思いついたのよ、あたしももっと人気者になれたら口裂け女に自慢し返せるんじゃないかしらってね。それで、どうすればいいのか聞きに来たってわけ!」
なるほどな、と男はうなずく。たしかに先日カウンセリングを受けた口裂け女は、ウェブ実況で大人気だという噂を聞く。話によると今度、大規模なイベントにおいて実況者枠で出場するのだとか。彼女はどこに向かっているのであろうか。
そんなことを考えながら、男はふと思った疑問を口にする。
「でも、トイレの花子さんは映画やマンガ、アニメにも出演してて随分な人気者じゃありませんか。それを今からさらに人気者になる必要があるんですか?」
すると、トイレの花子さんは呆れたようにため息を吐く。
「せんせー、分かってないわね~。アニメになったのなんて、もう20年も前の話よ。それに最近の映画はホラーばっかりじゃない。あたしはね、みんなと遊びたいのよ。怖がられちゃったら遊べないじゃない」
ウンウンと自分で納得するようにうなずきながら、トイレの花子さんは話を続ける。
「それに、最近はトイレの改修工事が行われるところも多くって、随分学校のトイレも快適になったじゃない。おかげで誰も怪談や都市伝説みたいなことやってくれないのよ。それどころか、お昼になるとトイレで食事までする人がいるから困ってるのよね~」
いわゆる「便所飯」というヤツであろう。人間社会の闇は深い……。
むしろ便所飯してる子のほうがカウンセリングが必要じゃなかろうか、ここに連れてきたほうがいいんじゃないかな、と男が思っていることなんてお構いなしにトイレの花子さんの話はまだ続く。
「そこでせんせーの出番ってわけよ。口裂け女を人気にした方法を教えてもらえばちょちょいのちょいで人気者ってこと、分かる?」
「はぁ、そういうことでしたか。別に構いませんが、アレはあくまで口裂け女さんが悩んでいたから解消のために提案したものであって、トイレの花子さんに合うかどうかは分かりませんよ?」
「そんなのはどうでもいいのよ! あたしが口裂け女よりも人気になればそれでいいんだから! さっさと教えてちょうだいな!」
少女の姿をして随分強引なものである。こういう女が大きくなると、少女マンガに出てくるような悪役に育つのであろう。まぁ、都市伝説だから育ったりはしないのであろうが。
困ったぞ。と男は頭を抱えた。カウンセリングならびに治療薬は各患者の症状に合わせて出されるものであり、他の人に効き目があったからといって別の人に効くとは限らないのだ。
ましてやトイレの花子さんは見た目どうみても健康そのものであり、ただただ他より目立ちたいというわがままを言っているだけなのだ。
しかし、このまま帰そうとしたところで帰ってくれるはずがない。目の前で目をキラキラしている姿を見れば、心理学者じゃなくたってその内心を読み解くことが出来るだろう。
しばし悩んだ結果、男はトイレの花子さんを見ながら答える。
「しかたないですね、じゃあ口裂け女さんの人気になった方法を教えてあげましょう。ただし、それで何か問題が起きても責任は取りませんよ?」
「分かってるわ、教えてくれればそれでいいんだから! まぁ見てなさい。今に日本中のテレビであたしがお目に掛かれる日だって近いわよ!」
フンス! と鼻息を鳴らすトイレの花子さん。都市伝説がテレビデビューって大丈夫なのか? という疑問を残しつつ、ネット実況について詳しく聞いたトイレの花子さんは意気揚々と帰っていった。
一人残された男は、台風のように過ぎ去った跡を見ながらつぶやく。
「はぁ、なんだか疲れた……。今日はもう営業終了しても良いかな……?」
作る必要あるかな? と思いつつカルテに内容を書き込み、グッタリとする男であった。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
それから一週間。
朗らかな昼過ぎ、診療室でまったりしながら男がコーヒーを飲んでいると、診療室の扉がバタン! とものすごい勢いで開かれる。
「せんせー助けて!」
トイレの花子さんである。泣きながら男に駆け寄ると、足元に縋りついてくる。
「とりあえず、深呼吸して落ち着いてください。いったいどうしたんです?」
「な、なんだかあたしの実況がすごいことになっちゃってて! そ、そそれで、テレビとかもすっごい出ちゃってて! もう、あたしどうしたらいいのかわかんないのよ!」
しどろもどろで話すトイレの花子さん。
男は、気持ちを落ち着かせるためにあえてゆっくりとした口調で話しを合わせる。
「ほう、ほう。実況が人気になってテレビにも出れたんですね。希望通りに行ったんですね、おめでとうございます」
「お、お、お、おめでとうじゃないの! 違うの! ああもう、どう言えばいいかわかんない!! とりあえずテレビつけて! ニュース見て!!」
興奮しっぱなしのトイレの花子さんに促された男は、診療室にはテレビが無いので待合室のテレビに移動する。
するとそこには、たしかにトイレの花子さんが映っていた。ただし、モザイク付きボイスチェンジ付きで。そしてテロップにはこんな言葉が。
「衝撃! 学校のトイレで盗撮生実況! 問われる学校での倫理教育!!」
テレビ画面に映る、ネット実況の様子の映像では、たしかにトイレの花子さんがトイレの中で実況している姿が映し出されており、画面内のコメントは「通報しました」で埋め尽くされている。
「ほら、なんでか分からないけど、なんかあたしすっごい悪者にされちゃってるの! アカウントも停止されちゃうし、ネット上に名前とか個人情報出されちゃうし、もう外に出られないわ!」
うわあああん! と大声をあげて泣き始めるトイレの花子さん。
自業自得だろ、と思いつつも、この前作ったカルテが早速役に立つかもしれないな、と溢しながら慰める男であった。
なお、拡散した動画の削除依頼に苦労した模様。
盗撮ダメ、ゼッタイ。