座敷童の花
お読みくださりありがとうございます。
一、
今日も私は、あの方を天井裏から眺める。
この家に住む、男の人だ。
あの方は今、晩御飯を食べていた。
あー、おいしそうだな。
私は満足に食べることができなかったから、どんなものでもおいしそうに見えてしまう。
私が涎を垂らしながら見ていると、あの方が天井をーー私のいる方を見る。
「ええと、こんばんはーーって、答えてくれるわけないか」
あ、また悲しそうな顔。
ねえ、そんな顔しないで。そんな顔されたら、あなたの前に姿を現れたくなっちゃうから。
私は、座敷童子だから見せられないの。
私の姿を見られたら、私はここを出ていくことになるから。
そんな私の願いも虚しく、あの方はさらに言葉を続ける。
「いつか君と会話してみたいな。君の顔を見て、君の声を聞いて、君という存在に会ってーーなんて。いるかも分からないのに。これじゃあ独り言だな」
あの方は笑う。
泣きそうな、笑い。
ダメだ。我慢しないと。
だって、今までだって我慢してきたんだから。
我慢が繰り返されて、今があるんだから。
そうしないと、私の中のあなたは、あなたの中の私は、消えてしまうのだからーー。
私は今日も、あの方から逃げるようにして、天井裏を移動する。
私自身の想いからも、逃げるようにして。
二、
次の日の昼。
たくさん寝た。寝すぎたかな。
「んぅ……あれ?」
あの方がいない。
出かけてるのか。
あの方がいない家は退屈だ。
あの方の声を聞くのが好きで、あの方をじっと眺めるのが好きで、あの方のーー。
ーーガチャ
「ただいま……ってまた、挨拶してしまった」
お帰りなさい。
帰ってきてくれて、嬉しいな。
あれ? 何か握られてる。
あれはーー花だ! 青紫色の鐘型のお花。
「いないのかな、やっぱり。君のために花を買ってきたんだけど。カンパニュラっていうんだって。いつもいてくれるから、その感謝を込めてさーーって、これじゃあ自己満足か」
カンパニュラ。
へえ、面白い名前。綺麗な花だな。
どうしよう。
どうやって取りに行こうかな?
「ここに置いとくから、取っていって。夕方には回収するから、よろしくね。ここには立ち寄らないようにするから」
あの方はそう言うと、玄関に花束を置いて部屋に戻っていってしまった。
うーん。
せっかく買ってきてくれたんだから取りに行こうか。
私は小さな穴が空いているところから天井裏を下りて、花束まで近寄る。
わあ、本当に綺麗だ。
ありがとう、言いたいな。
どうすれば……あ! ペンがある。
私はペンを取ると、感謝を綴る。
胸が苦しい。感謝を書くだけなのに。
本当はーー本当は会って言いたいのに。
そんな気持ちに反して、私の手は震えながらペンを走らせた。
「あれ? これって……やっぱり、いたんだ。ありがとう、か」
僕は、まだ見たことないその人にさらなる興味を持った。
ありがとう、か。
知ってるかい?
カンパニュラの花言葉を。
僕は心の中で話しかけながら、天井をしばらく眺めた。
三、
えへへ。
いいな、花は。
綺麗で、素直で、強くてーー。
私とはーー大違いだ。
「おーい! いるかい? 話を聞いてくれるかい?」
お話?
一体なんのだろう?
「実はーーこの家にはもう住めなくなったんだ」
えっ?
「引越しは来週なんだ。出張なんだ」
何を、言ってるの?
さよなら、なの?
私はここでずっと待ってるのに?
「今まで、僕の家にいてくれてありがとう」
そんな。
私はただ勝手に住み着いていただけなのに、お礼なんて。
「ちょっとだけ、気が楽だったんだ。誰かいてくれる、それだけでさ」
それが本当なら、どこにも行ってしまわないで。
寂しさで、私はーー
「話はそれだけ。本当にありがとうね」
それだけ告げると、その方は部屋に戻った。
嘘、だよね?
花は咲いている。
本当に素直に、幸せそうに。
それはまるで、私とは正反対にーー。
花の一本を引き抜くと、私は昔習った花占いを始めた。
ある決意を固めるために。
本当は決意なんて固まってるくせに、私は最後まで臆病だから。
花びらは一枚、二枚と減ってゆきーー最後の二枚になった。
あー、このままでは私の決意が、幸せが消えちゃう。
いや、そもそも、それ自体間違ってるのか。
私は元々、幸せを呼ぶものなんだから、幸せになってはダメなんだ。
なら、サヨナラなんて今さらいらないか。
私の目は、生き生きと咲く花を捉えながら、私の心は枯れた花になっていく。
最後まで残っていた花びらはーーしかし、臆病風に吹かれ飛ばされた。
四、
決断があやふやなまま、時は過ぎ、とうとうあの方の引越しが明日に迫っていた。
それまで私はどう過ごしていたか覚えていない。
ははは、私ってやっぱり弱虫だ。お別れも言えないなんて。
そういえば、あの方は何をしているだろう?
久しぶりに見に行ってみよう。
ーーあ、ご飯食べてる。
相変わらず、おいしそうだな。
「あ、来てくれたんだ。君も下りきなよ。最後くらいさ、僕にも幸福を与えさせくれよ」
幸福を与える?
この私に? いやそもそも、今、僕にも、ってーー。
そういうことか。バカだな、私って。
気づいてたんだ。
なら、答えてあげなくちゃ。
「うん、今下りるよ」
私の声が、初めてあの方に届く。
今まで届くことのないものだと思ってたのに。
「ありがとう。ほら、早くしないと全部食べるぞ」
「ま、待ってよ」
あ、笑ってる。
私、今笑ってるよ。
足が、軽い。
天井を駆けて、天井を下りて、廊下をまた駆けてーー。
そして、あの方の前に出る。
鼓動が早い。
顔が熱い。
「やっぱり、可愛らしい子だ。想像したよりも可愛いね」
「そんなことーー」
体が言うことを聞かない。
なんでこんなに鼓動が早いの? なんでこんなに顔が熱いの?
いや、分かってる。
そうかーー好きだったんだね。私、この方が好きだったんだ。
私は確信しながら、手を合わせていただきますをする。
「たくさん食べていいよ。これまでの分、いっぱい、いっぱいーー」
あの方の目に、涙が。
痛いのかな? 寂しく思ってくれてるの?
こんなにおいしいご飯、初めて。
幸せって、こういうことなのかな?
「あ、そういえば、あの花気に入ってくれた?」
「はい! 綺麗でした!」
力むな私!
あの方は満面の笑みを浮かべる。
「良かった。あれは、本当の僕の気持ち」
「へっ?」
気持ち?
「カンパニュラの花言葉ーー『幸せへの感謝』だよ」
「幸せへの……感謝」
幸せって思っててくれたんだ。
「君がいてくれて良かった。それが一番の幸せーー」
私の体は本当に我が儘だ。
だって、だってーーあの方に抱きついてしまったから。
「君……」
「最後に……言わせてください……」
いつか再開するまでに、あの花に負けないくらい綺麗なってやる。
いつか再開するまでに、もっと愛おしく想っててあげる。
だから、最後に一言ーー
「またね」
「ーーっ! ああ、またな」
花は咲く。
私の中にはもう、消える幸福なんてない。
この人に会って、今までよりも、もっと綺麗で、もっと気高くて、もっと私らしい花が咲いたから。
だから、色褪せたりしない。
何回でも咲かせるから。あなたの記憶の花を。
数え切れない程にーー。
五、
なんだか、昨日の記憶が曖昧だ。
僕は昨日一日眠ってでもいたのだろうか?
でも、なんだか色濃いものが残ってる気がする。
残り香、とでも言おうか。
ひとひらの、花びら。
確か、これはーー
「ーーあっ。そっか」
花びらには、一言。
上手とは言えない字でーー
ありがとう
〜Fin〜