信頼
ミーミル山道の非常事態は解除された。避難していた住民もそれぞれ帰宅し、無事を確かめ合う光景が宿場のいたるところで確認できた。建物などへの物的被害も死傷者などの人的被害もなく、戦闘としては完勝と言っても過言ではない成果ではあるが、物事はそう簡単に片付くものでは無かった。
アンジェリナは仲間と先程の戦闘で自分を助けてくれたユミを連れて宿場に戻ってくると町長に呼び出された。ギルド管理委員への報告をケイに任せ、ナオとユミに町の周囲の警戒をさせて、アンジェリナは和美と共に、町の中心にある一際豪奢な町長の邸宅に向かう。嫌味な程に贅を尽くした執務室で待っていたのは宿場を救ってくれた礼や、率先して戦った事への労いではなく、絡みつくような懐疑の念だった。
「あなた方が来てから、魔物の襲来が続いている。どう言う事だ」
宿場の長であるマコトと言う男は元々ブリギッドのダウンタウン出身の鉱員であったが、大戦中に坑道で金の工具と古代遺跡の遺物を発掘し一攫千金を成した。鉱員を辞めてからは財力を生かして議会に進出し、鉱員の時からは考えられない敏腕を振るって、今は宿場町の町長に収まっている。
逞しかった腕や胸の筋肉は削げ落ち、贅を尽くした食生活で醜く突き出てしまった下腹部の肉を隠そうともせず、神経質そうに眼鏡を拭きながらマコトはアンジェリナに問い質した。
「魔物の襲来は我々の予測出来る物ではありません。想定外の事態であったと推測されます」
アンジェリナは自身の言葉に説得力が無い事を自覚しながらも、そう答えざるを得なかった。
「その想定外の出来事が連続しているから訊いている。考えてもみたまえ。今日だけで二件もの魔物の襲来があったのだぞ。それが偶然と片付けられるかね」
町長の厳しい口調は変わらない。非常事態の場合はゴンドラや町の防衛設備の使用に掛かった経費は国庫からの交付税で賄われる。町の住民に負担が掛かるわけではないが、交付税は使用しなければそのまま町の財源になる。自分の町の発展の為の資金を易々と使われたくないと言う町長の感情も判らないでもないアンジェリナの心境は複雑だ。
「お言葉ですが、わたくしどもが居なければ町は襲われていたかも知れません」
正義感の強い和美が耐えかねたように戦闘の正当性を主張する。
「では、この町が襲われる根拠がどこにあるのかね」
町長の質問は底意地が悪い。アンデッド相手の戦闘は相手を浄化してしまうため、戦利品が極めて少ない。機密事項である特殊なクォーツの存在を一般市民に明かす事も出来ない状況では、戦闘の記録は当事者の証言のみに頼らざるを得ない。
黙り込むアンジェリナと和美に町長が畳み掛ける。
「聞けば、そこのお嬢さんはギルドを追放されたそうではないか。辞めたのではなく、辞めさせられたと。優秀なプラチナの称号を持つ冒険者を普通のギルドでは追放する筈もない。問題を起こす人間だから摘み出された。違うかね」
マコトは卑屈な笑みを浮かべながら拭いていた眼鏡を置くと、アンジェリナを指差して詰め寄った。
「まかさ……。わたくしどもが魔物を呼び寄せているとでも」
黙っているアンジェリナの隣で和美が喘ぐように言った。
「違うと言い切れるのかね」
魔物から採取した油を燃料としたランプの下でマコトの顔が醜く歪んで見えた。
「一両日中に、荷物をまとめてこの宿場を出て行きなさい。この件に於いてはギルドの諮問委員に報告しておく。尚、正式な沙汰があるまで、この町への出入りを禁止させてもらう」
勝ち誇ったような声で一方的にそう告げると、マコトは事務室から出て行った。
「……何故、黙っているのです」
長い沈黙の後、和美が思い詰めたように口を開いた。
「町長の言う通りだからですよ。あのアンデッドがこの町を襲う理由は無い」
項垂れているアンジェリナは両手を握り締めたまま力無く答える。
「アンジェリナ殿。あなたは何を知っていて、何を隠しているの。そこまであなたの判断を鈍らせているのは、いったい何。わたくしたちにも言えない事なの。それともわたくしたちはあなたに信頼されていないと言う事なの」
こみ上げてくる感情を抑えることを出来ずにアンジェリナの左腕を掴みながら訴える和美の眼には溢れ出しそうな涙が溜まっていた。
「私は与えられた使命を果たす。それだけです。その為ならこの命がどうなろうと構いません」
突然高く乾いた音が執務室に鳴り響いた。左手で頬をおさえたアンジェリナは、そこで初めて自分が叩かれたのだと知った。
「勝手に命を投げ出さないで。あなたが死んだら、わたくしたちは何処に帰れば良いの。あなたを慕ってついてきたケイ殿や、上官として頼り信頼しているナオ殿やグングニル殿にも、今と同じことが言えて」
感情の爆発と共に関を切ったように和美の瞳から涙が溢れ出す。紅潮した頬を伝い落ちた涙が執務室の絨毯に染み込んでいく。和美はそれ以上何も言わずに執務室から走り去っていった。
アンジェリナが開かれたままの執務室の扉を見遣ると、扉の外で呆然と立ち尽くすケイの姿があった。
「ケイさん。聞いていたのか」
叩かれた頬に手を当てたまま、アンジェリナは口を開いた。
「も、申し訳ありません。ギルド委員への戦闘報告が済んだので、お迎えにあがったのですが……」
深々とケイは頭を下げる。
「いや、謝る必要はない。寧ろ皆に隠し事をしていたのは私だ。謝らなければならぬのは私の方かも知れぬ。ケイさん。どうして貴公は私のような人間についてきてくれるのだ。こんな理由も判らぬ旅に」
呟くように言ったアンジェリナは罪悪感からケイの顔を見れないでいた。
「失礼ながら申し上げます。アンジェリナ殿が何をお考えになっておられるか、どれだけの任務を背負われ、苦悩しておいでなのかも未熟な自分には想像もつきません。ただ、これだけは言えます。アンジェリナ殿は自分の命の恩人であり、大事な上官であり、守るべき仲間であります。他に理由など要りません。自分にとってはそれが全てであります」
愚直なケイが敬礼の姿勢を崩さずに一気に告げた。
人を守るために剣を振るう。アンジェリナはそう決めてここまで来た。その想いが結実して、今、自分を仲間と呼んでくれる冒険者が眼の前にいる。これまでの全ての選択が正しかったわけではない。ただ、こうやって少しずつ自分を取り巻く世界は変わっていくのだとアンジェリナは自覚できた。和美の流した涙の意味も理解できた。
「……ありがとう」
それ以上アンジェリナは何も言えなかった。何か口に出してしまえば、泣き出してしまう事を誰よりも知っていたから。