天啓の巫女
立ったまま気を失っているマーサに駆け寄ったユミは、身体を横たえさせると自分の耳をマーサの胸に押し当てた。確かな心臓の鼓動がマーサの体温をユミに伝えた。
「マーサ。……良かった」
澄んだ竪琴の音色の様な声でユミはそう囁くと、頬を伝った涙がマーサの胸に溜まっていく。涙と共に堰を切ったように溢れてくる感情をユミは抑えることが出来ずにマーサの身体を抱く腕に力を込めた。互いが生きている事を実感したユミは、剣に供物として捧げるのではなく、この国の為に命を遣って欲しいと言うアンジェリナの言葉に感謝した。
「ナオ。カラドボルグを荷物から出してくれ」
アンジェリナは折れてしまった虎徹の代わりに、武具担当のナオに愛剣を渡すよう指示を出した。
「はい。しかし、隊長。今はファルシオンをお持ちですが……」
アンジェリナの真意を計りかねたナオがカラドボルグを差し出しながら遠慮がちに言う。この国を治める象徴とも言うべき剣を持つ今、他の剣を持つことの必要性をナオは感じなかった。
「これは私の物ではない。陛下が持たれて初めて意味を持つ剣だ」
腰に挿したファルシオンの柄に手を置き、アンジェリナは宙に浮かぶ光の塊となったフィーナを見上げた。悪いがまだフィーナに退いてもらっては困る。これからの国には必ず彼女の様な、若く寛大で公平な王が必要だ。ユミから受け取ったケツアルコアトルの守護者の証を握り締めてアンジェリナは覚悟を決めた。
「あなた、その顔。まさかご自分が犠牲になってでもフィーナ陛下を救おうと思ってるのじゃなくて」
目聡くアンジェリナの表情を読み取った和美が詰め寄る。その言葉を聞いて宝物庫にいる全員の視線がアンジェリナに注がれた。
「城門で言われたでしょう。自ら命を投げ出さないようにって。あなたが居なくなったら、困る人がたくさん居るのよ」
人外の力を発しているフィーナを止める方法は解らない。果たして救う手段があるかどうかも定かではない。ただ、カラドボルグは邪神を封印している剣だ。その力を上手く遣えば、暴走してしまったフィーナの力を抑えることが出来るかも知れない。それが唯一の望みだった。
「犠牲になるつもりは無いよ。ただ、私がやらなければと思っただけさ」
「この正直者。下手な嘘なのが見え見えですわ」
和美はそっとアンジェリナの身体に手を回し抱きしめた。その光景を見たナオが小さく悲鳴を上げたが、誰も気には留めなかった。
「ごめんなさい。わたくしたちは余りにも無力ですわ。こんな大事な事をあなた一人に託すしか出来ないなんて……。仲間として失格ですわね」
囁いた和美の声が震えていた。アンジェリナは和美の肩に手を置くと首を横に振った。
「そんな事はないさ。和美殿や皆に、どれだけ助けられたか解らない。私一人ではとてもここまで辿り着けなかったよ。ありがとう。だけど、まだ終わっていない。最後にもう一度だけ、私に力を貸してくれ」
言葉を切って、アンジェリナは空を見上げた。救うべき君主の姿が、そこにはあった。
「わたくしたちは、何をすればよろしいの」
「フィーナ様が無事に帰ってくる事を、心から望んでくれ」
和美の質問に短く答えると、アンジェリナは優しく笑った。人間の心の力は計り知る事が出来ない。自分が最後に縋るのが、人の想いの力であったとしてもアンジェリナには不思議は無かった。
その時、アンジェリナに握られていた龍の意匠の施された腕輪が光を放ち、アンジェリナの身体を包み込んだ。その光は猛る龍の形をしており、アンジェリナが龍の守護者と認められた事を証明するものだった。
「おまえの望み、聞き届けた。我は大いなる龍の王ケツアルコアトル。一時おまえに力を貸そう」
宝物庫にそう声が響くとアンジェリナを包む光が眩さを増し、空に駆け上がって行った。
光は次第に大きくなり、既に上空に漂うフィーナが発する光と溶け合うように混ざり合うと、一際大きな輝きを発して消えた。
その後に起こった奇跡を、この国の人間が忘れる事はないだろう。
数ヵ月後。
エルドラゴ城王宮、謁見の間。
魔物の襲来による城門、城壁、王宮の復旧は滞りなく進み、各地から支援物資の搬入も絶え間無く続いている。平原に現れた異界の門はデイモスの魔力砲により焼失し、大規模な魔物の発生の危機はひとまず去ったと言って良い状態になった。
フィーナの力により金属に変えられていた冒険者や市民も元に戻り、その力の制御や威力についてドラゴニュートとの意見交換の会議も開かれることになっていた。
今後はギリアムに加担した錬金術士を捜索する部隊を設立し、真相の究明をしなければならない。
さらに元老院の廃止、ギリアムとの婚礼の破棄。奴隷制度や冒険者法の見直しなど、エルドラゴには内政面での政治不安の払拭が必要であり、それには有能な人材の発掘と育成が不可欠であった。
それらの報告書を龍の意匠の施された玉座に座る国王に渡した大柄な男は、膝を着いて恭しく頭を垂れた。
「解った。復旧の予算は最優先で立ててくれ。他国に侵略されない程度であれば騎士団の予算から掻き集めても良い」
フィーナは長い金髪を靡かせて、王たる資格を示すファルシオンを手に玉座から立ち上がると、窓際の柱に凭れ掛かった。
新しい国政に期待する民の声は日に日に高まり、エルドラゴ王国は古い王制を捨てる時が来ていた。
光の呪縛から解放されたフィーナはあの日以来、力を暴走させる事はなかった。どのような原理で力が暴走し、どう抑制するかは今後の課題である。
今日、エルドラゴ王国ではフィーナの誕生日を祝して新しい詔が示される事になっており、城下町では無料で食事が振舞われ王宮の広場は市民でごったがえしていた。このような施しは人気取りのばら撒きだとの反対もあったが、「市民を飢えさせる王には王たる資格は無い」と言うのがフィーナの前に跪く男の方針であった。
「それとな、これは私からの命令であるのだが……。五郎丸よ、諦めて王宮に仕えよ」
五郎丸のギルドの活躍が無ければ、城門を守ることも、異界の門を焼失させることも出来なかったのは万人の認めるところであり、王宮でその力を発揮して欲しいと言うのが王や側近の総意であり、異を唱えているのは本人だけであった。
「しかし、我等のようなならず者を王宮に入れるなど御名に傷が付きます」
「はたらきに対する正統な評価だ。それに、お主のような功労者に報いる事をしないでは、余計に王としての名が傷つくと思うが」
フィーナに正論で返され、五郎丸は黙り込むしかなかった。勝ち誇ったフィーナは明るい声で五郎丸に更に告げる。
「安心しろ。今まで通りお主のギルド長としての仕事は認める。それとは別に私の名に於いてやって欲しい事があるだけだ」
観念した五郎丸がどんな無理難題を突きつけられるか冷や汗を流していると、フィーナは特別なオベリスクストーンを五郎丸に手渡した。
「勅撰の歴史書を創ってほしい」
歴史書は国の存在意義を揺るがしかねない大きな力を持つ事もある。その意味を知っている五郎丸は事の重大さに唾を飲み下した。
「わたくしが、でございますか」
「この国は必要の無い血を多く流しすぎた。争いは時に技術の進歩を産むが、より多くの悲しみを産む。権力に群がる有象無象を戒める良い機会だ。五年前の大戦、ドラゴニアの一件、そして今回の争乱……。国の人間が書いたのでは信用が置けぬからな。こう言う仕事は年がら年中部屋のオベリスクストーンに向かっているお主が適任だと思うのだが。……そうだな、歴史書の名前は『エルドラゴ叙事詩』とでもしておこう」
皮肉交じりにフィーナは笑い、露台に続く大きな窓を開けた。その姿を見た群集が一斉に歓声を上げる。
露台に出たフィーナは歓声に片手を上げて応える。露台には既に一人の男と小さな龍の姿があった。男は王族のみに着用が許される龍の意匠が施されたマントを羽織っている。ギリアムとの婚礼が撤廃されたことにより新しく王配となった男である。既に初老と言える顔立ちであり、年齢は若いフィーナとは明らかに不釣合いであるが、人目も憚らずにフィーナは男の腕に自らの腕を絡ませた。
「二度も未亡人になりたくは無いわ。一日でも長く生きていてね」
屈託の無いフィーナの笑顔を見せられ、リチャードも微笑んだ。その光景を見た群衆から一層の歓声が沸きあがる。
リチャードと共に居た小さな龍は金色の鬣を持つ不思議な龍だった。上空で漂っていたフィーナと共に空から降りてきたこの龍は天使の名前をつけられ、王宮で飼われることになったのだ。金属に変えられていた冒険者や市民、建物を元に戻したのはこの小さな龍の力であった。
ただ、数ヶ月前の争乱を治めたと言っても過言ではない冒険者の行方は未だに解らないままだった。
「聞こえている、アンジェリナ。新しい国を待つこんなにも大きな声が……。この国はきっと変われる。その日まで、わたしたちを見守っていてちょうだい」
そのフィーナの声を聞いて、金色の龍が一声啼いた。
「そう、天使。あなたにも聞こえたのね」
一陣の風が吹き渡り、若い女王の金髪を靡かせた。髪を掻きあげたフィーナは雲のたなびく、どこまでも続く蒼い空を見つめていた。
かくて永きに渡りし争乱、多くの血を代価として此処に終結す。
人はえ忘れず
偉大なる英雄達の冒険譚を。
人はえ忘れず
本意を遂げずして来む世(あの世のこと)と去りし幾らとも無き英霊達を。
されどいざ謳え。
天啓の巫女たる王の詔を承りて寝ねらるべしや。
今宵は新しきエルドラゴ王国「ギルド王朝」が誕生なれば。
<エルドラゴ叙事詩 跋文より抜粋>
自己満で書いてきた3作目もやっと終わりました。更新が滞った事をお詫び致します。
大人が読む古き良きファンタジーを目指して書いてきました。ご意見ご感想などありましたらお気軽にお寄せ下さい。
拙い文章に最後までお付き合い頂き、心より感謝致します。
またどこかで、皆様とお会いできれば幸いです。
ありがとうございました。