君主
フィーナから発せられる光の波動はエルドラゴ城の床と天井を突き破り、さらに輝きを増していく。もはや直視できないほどの眩しさを放つ光の塊となったフィーナは城の上空に浮遊している。
「ここは、地価宝物庫か……」
崩れた床から地下まで落とされたアンジェリナは上空を見上げてから、仲間の安否を確認する。幸い突き破られた天井の下敷きになった仲間はいないようだ。
だが、リチャードの様態は深刻だ。天井の崩落時にアイリが庇ったのでリチャードは大量の血を流しながらもまだ息をしている。だが、危険な状態であるのは誰の目にも明らかだった。冒険者の行使する回復魔法程度では到底治せる傷ではない。
「アイリ様。龍の力でリチャード卿をお救い下さい」
和美が駆け寄りアイリに懇願する。先程城門前で見せたあの回復魔法であれば、リチャードの傷を癒せるはずであったが、アイリは哀しげに首を振るだけだった。
「無理だ。先の変身から、まだ時間が経っていない。今龍の力を解放すればアイリ自身の命に関わるかもしれない」
五年前に共に旅をしたアンジェリナは、龍の力の解放についてある程度の知識があった。少なくとも半日以上は時間が経過しなければ龍の力を解放できない。万能と思われていた龍の守護者の、それが限界だった。
冒険者たちは其々回復魔法を練成し、少しでもリチャードの傷を癒そうとするが、失われた血液を生み出すことは不可能である。
「無益だ……」
回復魔法を練成するために自分の胸に置かれたアイリの手をそっと握り、リチャードが声を絞り出す。声と共に口角から血が溢れ出し、秒単位でリチャードの生命が失われていく。
「喋らないで。あと数時間我慢すれば、もう一度乙姫を呼び出せるから……」
幼馴染の手を握り返すアイリ声は涙で掠れていた。
「ふふ、全てはこの宝物庫から始まった。五年前のあの日、私がこの宝物庫に立ち入らなければ、この茶番が幕を開ける事もなかったのか……」
懐かしむように言うとリチャードはアンジェリナに視線を向ける。それに気付いたアンジェリナがリチャードの顔を覗きこむように身を屈めた。
「アンジェリナ。最期に一つ頼みがある。私の龍の守護者の証をお前に託す。私の龍、ケツアルコァトルの力とお前の持つクォーツの力、そしてお前の心でフィーナとこの国を救ってくれ」
「救うと言ってもあれは何なのだ。守護者でもない私がフィーナ陛下や国を救えるとは思えない」
瀕死の英雄からの突然の指名にアンジェリナは思わず叫んだ。一介の冒険者でしかない自分に刀を振るう以外で人を助けることが出来るとはアンジェリナには到底思えなかった。
「相変わらず、自己評価が低いな。もっと己に自信を持て。俺より早くお前がケツアルコァトルに逢っていれば、間違いなくお前が守護者になっていたよ」
苦笑いをしながらもリチャードは真摯な視線をアンジェリナに投げかけ続けた。
「あれは、王家の者だけが持つ龍を撃ち滅ぼす力。天地開闢以来、この地は龍と人が交わって出来たドラゴニュートによって支配されてきた。だが、永すぎる生命を持つドラゴニュートは感情が先に死に絶え、いつしか冷酷な君主として君臨していた」
ドラゴニュートであるユミが宝物庫の隅から金色の龍の腕飾りを手に取り、歩み寄ってきた。それは五年前にリチャードがエルドアゴ王国に返納した龍の守護者の証だった。
「そのドラゴニュートによる支配を終わらせた人間の王の力を、エルドラゴ王家の人間は受け継いでいる。それは血統ではなく、資質によって継承される。王となった誰でもが手に入れることが出来る力ではない」
龍は魔物の頂点に立つ存在。故にドラゴニュートの統治していた時代には魔物にも権利が与えられ、無闇に討伐されることは無かった。逆に人間は龍と交わりドラゴニュートを作り出す媒体として、また魔物の餌として存在していた。その支配体制を断ち切ったのが人間である初代エルドラゴ王国の国王であるとされる。「エル」は神や神の遣いを意味し「ドラゴ」は龍を表す。奴隷から統治者になった人間は、永く畏怖と畏敬の念を抱いていた龍の名を自らの国の名に冠したのだ。そして国の象徴として龍を、その守人として獅子を奉った。言うまでも無く獅子は人を表し、その龍を守ると同時に監視する存在でもある。だから王に意見できる元老院は獅子の鎧を着て居るのだ。
「人間は龍と交わり受け入れる力と、龍を打ち滅ぼす力を手に入れる事ができた。だから今でもこの国の君主でいられるのだ」
自身が隠れ里で聞かされてきた伝承をユミはその場にいる全員に語った。
「金色の獅子を従える者よ。あなたにはその資格がある。自らの意思と力でこの国を導け」
仲間と共にこの国とフィーナを救う。それがアンジェリナの祈願だった。それが叶うのであれば龍の守護者の証を受け取るのに何の躊躇もなかった。差し出されたユミの手から龍の腕飾りを受け取ろうとした刹那。宝物庫に声が響いた。
「待て、王家の者でなければ、フィーナの力を打破することは叶わぬ。それは唯一我にしか出来ぬこと。渡せ。その腕飾りを。人による支配を終わらせ再び龍と魔物が統治する理想郷の正統な王となるのは我を置いて他にない」
黒い血を流しながら先王の霊を降ろされたギリアムが瓦礫の中から立ち上がる。天井の下敷きになったギリアムは右腕を失い、顔面の半分も原型が解らぬほどに潰れていた。
「その為にこのクォーツがあるのだろう。お前等の出番は、ここで終わりだ」
宝物庫に入ってきた新たな人物によりギリアムの首は斬り飛ばされた。黒い血が噴水のように噴き出し宝物この床に染みを作る。その穢れたアンデッドの身体を聖水によって浄化させクォーツを拾い上げて不敵に笑みを浮かべたのはマーサだった。
「俺には王家に何の義理もない。先王だろうが王配だろうが斬り捨てるまでだ」
大剣カリ・ユガを背中の鞘に納めて、マーサはアンジェリナに向き合う。
「これでクォーツは全部だ。お前が持つ七つと、俺が持つ五つ。数の上では俺のが不利だが、お前が集め切れなった残りを俺が手に入れてやった事を考えれば、条件は五分五分だろ」
マーサはウンディーネの町を統治してから、各地に遣いを出し、行方が知れなかった残りのクォーツを探し当てていたのだ。マーサは己が持つ五つのクォーツを床に投げ落とした。紛れも無くそれは中に不可思議な文様を宿した特別なクォーツだった。アンジェリナも腰の麻袋から七つのクォーツをそっと床に置いた。十二個のクォーツは共鳴しあい、蒼白い光を発しながら一つに固まっていく。そこへマーサがギリアムが持っていたファルシオンを無造作に投げ入れると、光はいっそう輝きを増した。
「これで練成される剣が、新たな王の証だ。俺とお前、どちらが剣の持ち手に相応しいか勝負しろ」
マーサは背中に手を伸ばすと、再びカリ・ユガを抜刀した。黒い刀身の大剣が、破られた天井から差し込む陽光を反射して怪しく輝いた。その剣を持つ冒険者の瞳には野心の炎が揺らめいていた。