邂逅
強い意思が空気を伝播して肌に伝わってくる。
それは殺気や殺意とは異なる一種の使命感に駆られて剣を振るう、形振り構わない焦燥にも似ていた。数千と言う時間を戦いの中で過ごしてきた者のみが感じ得る第六感とも言うべき感覚で、男はそう遠くない場所で戦闘が行われている事を感知した。
「悪くない戦闘センスだ。いや、ひょっとすると俺と同じくらいの遣い手かもな。だが、そんなに感情を剥き出しにしていたら、勝てる戦も勝てなくなるぜ」
遥か東国の言語で「世界の終焉」と言う意味を冠する、大剣カリ・ユガを背負いミーミルの山道を駆ける男はまだ見ぬ好敵手に向かって不敵に笑った。その後ろを終始無言で追いかける若い女性冒険者は男の変化に敏感に気付いていた。
「まさか、この男も察知していると言うの……。こんな男が星に導かれし者なのか」
呟いてから女性は赤面した。神に最も近い種族とされるドラゴニュートである自分が、前を走る下賎な人間を「男」であると無意識の内に意識していたからだ。
「ユミ。もうじき戦闘になる。俺が飛び込んだらすぐに浄化魔法を発動できるようにしておけ」
赤らめていた顔を見られまいと、ユミと呼ばれた女性は男の声がした瞬間咄嗟に顔を伏せたが、男は相変わらず振り向きもせずに走り続けている。
「こんな無礼な男にどうして……」
それ以上を口に出すのを躊躇ったまま、女性も走り続けている。
その間にも、目的地は刻一刻と近づいている。山道とは言えないような雑木林の向こう、大地の隆起によって出来た五メートル程の断層の下から、明らかに自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
「来ますっ」
ユミが叫んだ時、前を走る男の姿は視界に無かった。鞘を投げ捨ててカリ・ユガを抜刀すると何の躊躇もなく五メートル下の広場へと飛び出した。
斬り捨てられ動かなくなった数体の魔物の死骸と、二体のアンデッドと一人の冒険者が男の視界に入ってくる。この位置なら丁度逃げようとしているアンデッドの背後を取れると確信した男は残りの一体には眼もくれずに、着地すると逃げていく一体に狙いを絞って必殺の斬撃を打ち込んだ。
逃走を確信していたアンデッドの両腕と首はほぼ同時に胴体から切り離された。両腕と頭部を失った身体は、慣性によって、或いは数瞬前まで繋がれていた脳からの命令によって、夥しい程の黒い血飛沫を上げながら、二、三歩走り続けたが、力無く前のめりに大地に倒れ込んだ。
同時にアンデッドの身体と切断された両手に浄化の魔法が掛けられ、呪われた身体を灰に変えていく。
ただ、クォーツを咥えたままの首だけは浄化魔法の範囲を外れ、地面を弾みミーミル山道を崖下に向けて転がっていく。下は雲海が広がる絶壁。落ちれば首を捜すどころか、自分の命もまずないだろう。
「まずいっ」
男は大剣を捨てて、崖下に吸い込まれるように落ちていく首を身を投げ出して掴んだ。空中で身を反転させてアンデッドの首を崖の上に向けて放り出す。
「いけない」
アンジェリナは羽交い絞めされたまま叫んだが、男の身体はアンジェリナの視界から消えていった。
次の瞬間、凄まじい爆風が崖下から吹き上げてきた。人間が立って居られない程の突風によりアンジェリナと組み付いていたアンデッドはもんどりうって大地に転がる事になった。爆発的に広がった空気の波がおさまるとアンジェリナを羽交い絞めしていたアンデッドと崖に投げ出された首は浄化され、後には四つのクォーツが残された。
「何が起こったんだ」
この数秒で起きた出来事の整理が出来ないままアンジェリナが崖下を覗き込むと、十メートルはある巨人が生き物のように三対六枚の翼をはためかせて絶壁を登ってくる。そのままアンジェリナの前に着地した巨人の手には気を失った男が乗せられている。
「ドラゴニア。……いや、龍の守護者か」
数年前に当時の仲間と同じ場所で同じ光景に出くわした不思議な既視感(デジャヴの事)に捕らわれながらアンジェリナは片膝を着いて変身を解除する白と黒の色調を主体とした、龍の守護者を見上げた。
竜の守護者とは、エンシェントドラゴンに認められた者がその生命力と引き換えに変身し、莫大な力を行使できる古代兵器の総称で、現代技術を超越した特別な兵器だ。先の大戦でも英雄王たちとは別の龍の守護者が数体活躍し、戦役の勝利に貢献した事が「エルドラゴ叙事詩」に綴られている。
変身解除の光がおさまると、そこには横たわる男の傍に、先刻に宿屋で見かけたパンダが片膝を着いていた。
「今回の分は貸しにしておくぞ」
呆気に取られているアンジェリナを一瞥するとパンダは獣道の奥へと消えていった。
「マーサっ」
竪琴の音色のような澄み切った美しい声が自失していたアンジェリナを我に返らせる。声のした方に視線を向けると、時の女神を信仰するもの者たちが好んで着用する翡翠の色で縁取りをされた白い法衣を纏った女性が断層を滑り降り、横たわる男に駆け寄って来るのが見えた。
地面に転がる四つのクォーツを拾い上げるとアンジェリナも倒れた男に歩み寄り、覚醒の魔法を詠唱する。
「アンジェリナ殿」
遠くから、今度は自分を呼ぶ声がする。振り返ると、見知った三人の冒険者が走りよって来るのが見えた。先程宿屋で別れた和美と若い男女の冒険者だ。
一人は以前のギルドで共闘した片手剣遣いのグングニル。そしてもう一人は精霊魔法使いのナオだ。武家の名門アルトアイゼン家の三姉弟の末子のグングニルは家長のミョルニルの依頼でアンジェリナが預かっている。ミョルニルと二人の姉は今もアンジェリナが以前所属していたギルドに籍を置いているが、若いグングニルには世間を知ってもらう良い機会とミョルニルが判断しアンジェリナの機関に入隊させた。先の大戦を冒険者として経験していない十九歳の若いグングニルは入隊当初は剣技に於いて二人の姉に遠く及ばなかったが、日々の鍛錬と実戦を経験する事によって目覚しい上達を遂げている。栗色の髪を綺麗に整え、姉譲りの秀麗な顔。蒼い瞳の正義感が強い青年だが、名声を得ている二人の姉の存在が本人の焦りを生ませている可能性があるため、敢えて家族から離して別の道を歩ませる事になった。
精霊魔法使いのナオも自身が所属していたギルドから移籍してきた冒険者だ。長引く戦時下の影響で冒険を続けられなくなる者が続出し、ナオの所属していたギルドもその機能を果たせなくなってきた折にアンジェリナと出逢い、数回共に依頼をこなしていくうちにお互い打ち解けてアンジェリナの機関へと入隊する事になった経緯を持つ。薄い緑色の長い髪に同じ色の瞳が少し垂れ気味な眼の奥で輝いている。歳は二十五歳だが、整った顔立ちの童顔により、実際より若く見られる事が多い。心優しい女性で魔力も高い。また自分が使う使わないに拘らず武具に深い造詣がある為、アンジェリナの組織の武具は全てナオが管理している。
ナオは「ゲンドゥル」と言われる魔力を秘めた紅い法衣を纏い、一神教の聖地で奉られている神の加護を得た杖を持っている。ゲンドゥルとは西国の言葉で「魔力を持つもの」の意。新月から満月に掛けての十五日間、処女の祈りを捧げた特殊な絹糸をマカと呼ばれる花から抽出される染料で染め上げ、精霊遣い自らが織る事によって魔力を増幅させた法衣を「ゲンドゥルクローク」とエルドラゴでは呼んでいる。
ナオは頭部に獣のような耳が生えている事から亜人種(ヒューマノイドの事)のドギニーである事が判る。エルドラゴには人間の他にラビニー、フロギー、ドラゴニュート、ドギニーなどの亜人種が存在する。そのうちのドラゴニュートは人間が立ち入る事ができない隠れ里を持ち、ラビニー、フロギーも自治する町や集落を持っているが、ドギニーにはそれが無い事から他の亜人種から「根無し草」と蔑まれる事もある。
「ご無事でしたか、隊長」
男の傍に片膝を着いているアンジェリナにグングニルが声を掛ける。
「ああ、危ないところだったが、私も宿場も無事だ。心配をかけて済まない」
アンジェリナは微笑んで答えたが、自分の身体から緊張感が抜けていくのが自覚できた。
「こちらの御仁たちは」
ナオが耳を畳んで、初対面の二人の男女に交互に視線を送りながら遠慮がちに質問する。
「今、私を助けてくれたのだ。このお二人が居なければクォーツを奪われていたよ」
アンジェリナが事の経緯を説明しようとするとユミが割って入る。
「わたくしはあなたを助けようと思った訳ではありません。星の瞬きに拠ってこの地に導かれ、自分の使命に従ったまでです」
先程、男の名前を叫んだ時とは大きく異なる落ち着いた口調だ。
「あなたの真意がどこに在れ、私が助けられた事実は変わりありません。御礼を申し上げます」
片膝を着いたままユミに頭を下げるアンジェリナの腕が下からいきなり掴まれた。
「なら、助けた礼として俺が倒したアンデッドのお宝は正当な報酬をして貰っていくぜ」
覚醒魔法を掛けられ昏倒状態から回復した男はアンジェリナの手からクォーツを一つ奪うと、素早く立ち上がり、落ちている自分の大剣を拾い上げると山道を一人で駆けて行こうとする。
「お待ちなさい」
和美が背負っていた黒曜石に特殊な魔力を宿した不気味な黒い輝きを放つハンマーを構えた所で、アンジェリナから制止の命が飛ぶ。
「いや、待て。追う必要は無い」
「ご命令とあらば従いますが、何故です。大切なクォーツを一つ持っていかれたのですよ」
渋々と言った表情で従った和美の声には不満が滲み出ている。
「さっきも言った。助けられたのは事実だ。礼をせねばならない道理はある」
アンジェリナにはいつもの冷静さが戻っていた。
「彼が持っていったのは私の生まれ月のジェミニのクォーツだ。彼もクォーツを求める者なら、またどこかで巡り合う事になるさ」
小さくなっていく男の影を見送りながらアンジェリナは自分に言い聞かせるように呟いた。
「喚んでいたのはクォーツではなく、この冒険者なの……」
アンジェリナたちのやり取りを眺めながら、マーサの剣の鞘を拾い上げたユミは自分の心に自問していた。
夕陽は既に雲海の彼方に落ち、その最後の残滓で地平線にある雲を下方から弱々しく染め、頭上の空には、天上の神々の物語を彩る星座の今夜最初の煌きが瞬き始めていた。