亡者
「リチャード。……どうして」
重い扉を開いて姿を表した想い人を眼にして、フィーナは絶句した。最後に会った時より老け込んでしまった嘗ての英雄は、感情を隠した相貌で真っ直ぐに若い女王を見つめている。
「観念しなさい、逆賊共。先王の墓を暴いて神剣ファルシオンを持ち出したうえに、王家から賜る門外不出の獅子の鎧を不正に複製し、国家の転覆を目論んだ罪。赦す訳にはいきませんわ」
和美が高らかに宣言しハンマーを掲げる。女王の謁見の間に剣を帯びて押し入っただけで、重罪であることには変わりないが、そこに王墓を暴く罪が重なれば、まず極刑は免れない。
更に違法な練成に使われたクォーツとその練成の履歴が残されたオベリスクストーンの記録。五郎丸のギルド、アンジェリナの調査機関、エルドラゴ城下町に住むラングレー、ブリギッドの武器商人。各方面から集められた証拠を一つの携帯型オベリスクストーンに記録したものをアンジェリナがフィーナに恭しく渡す。情報を読み取ったフィーナは一瞬だが哀しい眼をすると、深呼吸をして肺の空気を入れ替えた。
「女王フィーナの名に於いて命じる。ギリアムとシュウ以下元老院全員の官位をこの場で剥奪する。大人しく投降すれば裁判を受ける権利は与えよう。さもなくば……」
それ以上は言わず、フィーナは静かに剣を構えなおした。自分の夫であるギリアムと、自分が採用した元老院、その全てに裏切られ、フィーナは己の不甲斐なさを笑った。結局若い自分は利用されていただけだったのだ。
「ふん、黙って傀儡となっていれば、不自由ない生活が送れた筈であるのに、とんだじゃじゃ馬だな。投降しなければどうすると言うのだ」
語尾に鞘走りの音が重なり、ギリアムの剣がフィーナを襲う。危険を察知し身構えたフィーナの前で乾いた音が鳴り響き、ギリアムの刀は弾き返された。
「女王に剣を向けるまで堕ちたのか、貴様は」
ギリアムの斬撃からフィーナを守ったリチャードは旧知の元将軍を叱責した。老いた身体になったとは言え、英雄と謳われた冒険者の眼光を向けられたギリアムは肌を粟立たせた。
「リチャード、ギリアムを頼む。和美殿、女帝、ナオ、ケイさん、グレイプニルとスレイプニル。元老院を一人ずつ相手にして。ユミさんとアイリはフィーナ陛下をお守りする事を最優先に、他の者の援護をお願い」
アンジェリナが指示を出すとその場に居る冒険者全員が戦闘体勢に移り、各々の得物を構える。相手の七人の元老院は武官ではない。だが、エルドラゴで一番固いと言われる獅子の鎧を身に付け、複製された神剣を携えているため油断はできない。プラチナランクの近接武器を持つアンジェリナ、和美、エンプレス、グレイプニルとスレイプニルは、どのような相手であれ遅れを取ることは少ない。心配なのは経験が浅く、接近戦を得手としないナオとケイだ。
ユミがリチャードの脇をすり抜けてギリアムの傍からフィーナの手を引き離れる。同時にアイリが大気の防護幕を練成しフィーナの安全を確保する。幸い相手に間接武器遣いは居ない。間合いを取ればフィーナも自分で身を守る事ができる。
「愚かな。この鎧と武器を持つものを倒すことが出来ると思うな」
シュウが剣を振りかざしてアンジェリナに切り込む。冒険者から見れば酷く緩慢な動きで襲い掛かる剣をアンジェリナは受け止めた。だが、その瞬間、信じられない程の衝撃がアンジェリナの身体を突き抜けた。身体の骨が軋む音を立てるのを自覚しながら、アンジェリナは素早く身を回転させシュウから離れる。違法に複製された神刀はその刀身に、通常の練成では不可能なほどの強化魔法を宿されていたのだ。
「これは、憑依魔法どころの強化じゃないぞ」
アンジェリナは唾を飲み込むと剣を構え直した。同じファルシオンの複製品を持つ相手でも、謁見の間に来るまでに戦った相手とは明らかに異なる斬撃の重さだった。先程のギリアムの攻撃を受け止めたリチャードも同じ衝撃を受けたに違いない。剣技では間違いなくギリアムよりリチャードの方が上だが、老化の進んだ身体で何処まで耐えうる事が出来るのか、アンジェリナには予想できなかった。
続くシュウの攻撃を難なくかわすと、アンジェリナはがら空きになった脇腹に剣を打ち込む。だが、刃が届く一瞬前に鎧は剣を跳ね返し、アンジェリナの攻撃は傷一つ付けることも出来なかった。
「けけ。まだ抵抗するのか。大陸で一番強いのは冒険者ではない。この武具を纏った我々だ」
口角に泡を溜めながらシュウは叫んだが、その眼からもはや生気を感じる事はできなかった。
違法に練成されたファルシオンと獅子の鎧を身に着ければ、確かに無敵だ。近隣諸国からの侵攻される脅威もなくなるだろう。だが、それと引き換えに亡者になることを要求されるのでは釣り合わないと、目の前で剣を構えるシュウを見てアンジェリナは感じた。人である事を捨ててまで得られる強さに、どんな意味があるのだろうか。他人を傷付け、屈服させる事だけが強さである筈がない。
そんな事も解らない人間にエルドラゴの政を委ねる訳にはいかなかった。
「お前たちが求めた強さとは儚いものだな。所詮は、戦場に出たことが無い者が夢見た、無双の武具がお前たち亡者の強さの拠り所か」
哀れみを含んだ声でアンジェリナが呟く。英雄と謳われたリチャード、不敗のギルドマスター五郎丸。そして国の新たな礎を築こうとする女王フィーナ。人を惹きつける彼等の強さは腕力や武力ではない。
「綺麗事をぬかすな。まさか人の心や絆が強さの証だとでも言うつもりか。金や権力で買えない強さなど存在しない。金と権力だけが人を屈服させられる。それこそが強さであり正義だ」
醜悪な思想を振りかざしてシュウが再び迫る。ここまで価値観が異なると、逆に清々しいくらいだと思い苦笑しつつ、アンジェリナは刀を鞘に戻して腰に下げている麻の袋から消毒に使う液体が入った瓶を取り出した。
アンジェリナの眼から見れば、まるで止まっているかのような動きで振り下ろされたファルシオンの攻撃を身を翻してかわすと、アンジェリナはシュウの肩に背後から跳び乗った。自分の両足をシュウの脇に入れて膝を曲げ、肩と腕の自由を奪う。どれだけ強い剣を持っていても振るうことが出来なければ相手を斬れない。アンジェリナはありったけの力でシュウの頭蓋目掛けて手にした瓶を振り下ろした。瓶を割って流れ出た液体が、シュウの髪の毛と鎧の内側の衣服に染み込んでいく。アンジェリナは指を鳴らして炎の魔法を練成すると、その指を液体で濡れているシュウの髪の毛に近づける。着火と同時にアンジェリナはシュウの肩から飛び降りた。
「ぎゃぁぁぁ」
染み込んだ可燃性の液体は、鎧の中からシュウの身体を焼こうとする。鎧の隙間から煙を出しながら、シュウは剣を握ったまま振り回し、悶絶している。肉や毛を焼く焦げ臭い匂いが充満していくなか、もう一つの匂いが立ち込める。それは腐った肉のような匂いであり、不死者が発する特有の匂いだった。
「まさか、自分自身もアンデッドになっていたのか」
ウンディーネの町の町長がアンデッドになっていた事を思い出しアンジェリナは眉を顰めた。このアンデッドは炎の耐性を持っている。相手がこのまま焼け死んではくれそうにない事を悟ったアンジェリナは、鞘に納まる刀の柄に手をかける。空気中を漂う氷のマナがアンジェリナの魔法によって刀に宿り淡い光が鞘から溢れた。
一閃。
氷の魔力を宿したアンジェリナの抜刀術はシュウの身体を鎧ごと氷付けにした。身体を焼く炎からは解放されたが全身を氷が覆い声も上げられなくなったシュウは、音を立ててその場に倒れこんだ。
渾身の力を込めてアンジェリナは虎鉄を振り下ろしてシュウの頭蓋を打ち砕き、取り出した聖水を振り掛けて呪われたアンデッドとなった身体を浄化した。
残されたクォーツが静謐な光を放ち、床を転がった。