天使(外伝七話)
本編に関係のない、完全一話読みきりです。まさかのナオによる一人称の二話目。前のリンカもそうだったけど、外伝書くと、どうしても感情移入しちゃうよねぇ。
今日は天使祭。
このエルドラゴに天使様が初めてやって来た日とされ、新年の準備をする忙しい時期であっても、毎年町や村で催しが行われる。その風習が、いつの間にか愛する者たちが互いの想いを確かめ合う日となって、大陸の都市部を中心に浸透した。だからこの時期、窓の外の町には幸せそうな男女が仲睦まじく歩く様子が多く見られる。
「こんな大事な日に倉庫の片付けをしないといけないなんて……」
自分の身を呪い、深く溜息を付いたけど、逆に考えれば恋人だらけの街中を一人で出歩くよりかはマシかと負け犬根性で考えてみる。
エルドラゴ城から少し離れた、アンジェリナ様の邸宅に程近い集落の一画にある、調査機関エンジェル・ハイロゥの事務所の二階。この機関の武具担当のわたしナオは、長たるアンジェリナ様から武具倉庫の掃除を仰せつかっていたのだ。
「天使様の意地悪」
やっぱり悔しくて数百年前にこの地に降り立ったとされる神の遣いに八つ当たりしたけど、それで心が晴れる訳じゃなかった。
「あ~あ、アンジェリナ様は毎年恒例の村の慰問かぁ。わたしみたいのが一緒に行って良い訳ないもんなぁ」
耳をはためかせながら呟いて、ウィリアムさんから貰った奴国の叩き(はたき)と呼ばれる掃除道具で倉庫に置かれた武具の埃を払う。舞い上がった埃が窓から入る陽光を乱反射させ、幻想的な光を無機質な武具が整然と置かれた室内に放った。
「あ、これ……。初めて逢った時にお召しになってた鎧だ」
つい数ヶ月前のことなのに、もう随分昔のことのように感じる。唯一神の祭壇がある神殿。通い慣れたあの場所でわたしはあの人に出逢う事ができた。今まで逢った事がない不思議な魅力をもつ冒険者。オベリスクストーン内に設置された匿名の掲示板には、心無い冒険者から「偽善者」なんて書かれることもあるけど、あの人の優しさは一緒に戦ってみなければ解らない。杖を貰った恩返しをしたくて、無理を言って機関に入隊させてもらって、わたしはそれをより強く実感できた。
わたしのアンジェリナ様への忠誠の証と勝手に決めている、肌身離さず持ち歩いているこの杖。祭壇で一緒に手に入れた時の感情を何度脳内で反芻したことか。
「こんな薄い鎧で身を守ってらっしゃったんだ……」
エルドラゴの技術の進歩は日進月歩で、ついこの前まで主力武器だった剣が一夜にして鈍扱いされることなんて日常茶飯事。鎧だってそう。今こんな鎧で出撃して魔物の攻撃を受けたら、一撃で破壊されてしまう。手に取った鎧の脆さにわたしは悪寒がした。
見ると所々鎧に歪な亀裂が走り、裏打ちされた板金には、アンジェリナ様のものと思われる血液が乾いてこびり付いている。アンジェリナ様一人ならきっと鎧にこんな風な傷は付かない。わたしたちを守るために付いた傷。戦えない人たちを守るために流した血。あの人は、いつでも、どんなときでも周りを優先する。
前のギルドでは生傷が絶えなかったわたし。でもこの機関に入ってからは掠り傷一つ負ってないかも……。アンジェリナ様だけでなく、和美さんやケイさんが、武器が好きってことしかとりえのない、術士としてはまだまだ半人前のわたしを守ってくれる。
確かに術士の絶対数は少ない。だからどんなパーティーでも術士は魔法を練成するまで優先的に守られる事が多い。でもわたしが守られたら、その代わりに誰かが傷つくことになる。
そんな単純だけど大切な事。どうしてわたし、忘れてしまっていたの……。
アンジェリナ様は不要になった武具は売って構わないと仰るけど、ここにあるのは嘗てアンジェリナ様を守ってくれた大事な武器や防具たち。そんな恩人たるアンジェリナ様を守ってくれた代物を売るなんて、わたしには到底出来ない。
手に取った鎧をそっと抱きしめてみる。無機質なはずの鎧は少しだけ暖かかった気がした。流れ出た涙が頬から落ちて、鎧の表面で弾けた。
「ありがとう」
知らず零れた言葉は誰に発したものなのか、わたし自身でも解らなかった。
「鎧に話しかけるなんて、よっぽどナオは武具が好きなんだな」
突然、後ろから掛けられた声に全身の毛が逆立つのを自覚して、あたしは振り返った。刀だけ佩いて部屋着になったアンジェリナ様が訝しげな視線をあたしに向けている。
「きき、きょ、今日は村の慰問に行くと仰ってませんでしたっけ。って言うか、いつからそちらに……」
「ああ、行ってきたが、今年は思った以上に盛大でな。大いに盛り上がっていたので私のような血生臭い冒険者が居ては無粋だろ。邪魔しては悪いと思い、挨拶だけ述べて早々にひき上げてきたのだ。先程帰ってきたところだが、家に居たらアイリスに掃除の邪魔だと言って追い出されてな。ナオの手伝いでもしようと思ってやって来たのだ。邪魔だったか」
手伝ってくれると言う言葉に感動し、咄嗟に声がでない。わたしは涙と鼻水をクロークで拭って力いっぱい首を振って応える。アンジェリナ様はお優しい。いつでも、誰に対しても。その優しさを独り占めしたいとは思わない。だけど……。
「アンジェリナ様はいつもお優しいんですね」
あ、話し始めちゃった。まだ心の準備が出来てないぞ。大丈夫か、わたし。
「そんな事はないさ。剣を振るうものとして、時には非情に徹せねばならない事もある。優しいだけでは人も世界も救えはしない」
憂いを帯びた声。何がそこまであなたを追い立てているの。その優しい心に覆いを被せてまで戦わなければいけないなんて……。
「いいえ。わたしには解ります。アンジェリナ様はお優しいです。だからみんなアンジェリナ様についていくんです。でも、誰かを守るために傷ついたアンジェリナ様の身体や心は、誰が癒してくれるのですか」
さっき色々思い出してたから、感情が昂ぶっちゃった。ほら、アンジェリナ様、困った顔してるし……。
「掃除を手伝うという話から、だいぶ飛躍していないか。何かあったのか、ナオ。……うわっ」
もうどうなっても良いやと思い、アンジェリナ様の腰に抱きついた。アンジェリナ様が体制を崩して、二人一緒になって床に転がった。鎧をお召しになってないから、アンジェリナ様の呼吸と体温を直に感じられる。
「ごめんなさい。わたし、弱いから守られてばっかりで。それなのに、碌に魔法でお役にも立てなくて。それでも、わたしも皆を守りたい。アンジェリナ様の優しさに応えられるようになりたい」
そこまで叫んだら、また涙が出てきた。わたし、こんなに泣き虫だったっけ……。溢れた涙がアンジェリナ様のお召し物に染みを作っていく。
「ナオ」
上体を起こしたアンジェリナ様が、ご自分より先にわたしの髪やクロークに付いた埃を払って微笑んだ。みんなが言う「天使の微笑み」だ。
「私だって、ナオに助けられている。ナオだけじゃない。和美殿やケイさん。グングニルやシーマにも。皆が協力してくれるから、傷ついたとしても、私はまた立ち上がることができるのだ」
その言葉、何度も聞いた。でも、実際傷ついているのはアンジェリナ様ばっかりで。
「でも、でも……」
駄々っ子のように私は繰り返し、鼻を啜った。アンジェリナさまの白い指がわたしの頬の涙を掬った。
「ありがとう。お前の優しさ、確かに受け取ったよ。その言葉だけで充分だ。こんなにも大事に想ってくれる仲間が居るのだ。私はまた、強くなれる」
「……あ、アンジェリナ様」
誰の眼も憚らずにわたしは泣いた。膝の上で泣きじゃくるわたしの髪を、アンジェリナ様はいつまでも撫でてくれていた。
わたしの天使様に、わたしの想いは届いたかな……。




