城壁
王都エルドラゴの城壁に向けて、無数とも言える魔物の群れが大地を揺るがせるような轟音と共に押し寄せる。エルドラゴ城は街道が伸びる平原に向かっている南門が特に丈夫に造られている。道幅の狭い緩い上り坂に深い堀と二重の門扉。大群が押し寄せても、その地形ゆえ一度に城門に取り付くことが難しい。そして、緩やかな坂の上にある南門からは平原に展開する相手の動きが読み取りやすい特性を持つ、守りやすく攻め難い理想の城壁である。五年前の大戦でも、この城門が外から破られる事はなかった。南の城門を守るのはフィーナに忠誠を誓う正規兵と城門の外に住まう冒険者だ。正規兵は実戦経験が乏しく、乱戦の経験は少ない。心許ない兵ではあるが、共に戦う冒険者はその逆だ。乱戦になればなるほど、個の力がものを言う戦闘に冒険者は慣れている。詰まるところ、城門を守れるか否かは冒険者の働きに掛かっている。南の城門を守る兵力は正規兵と冒険者を合わせて一万弱。数字の上では、二万から三万程の兵力の攻撃に耐えられる筈だ。
最前列の冒険者は、物理防御に最大限特化した全身重鎧を着込んで間を作らず並び、剣や槍を連ねて突進してくる魔物を串刺しにする。大挙して押し寄せる魔物は止まる事が出来ずに次々とされるがままに突き殺される。その屍を踏み越えて、魔物たちは冒険者の後ろを取るが、次に待ち構えた軽装の冒険者が魔物を一刀で叩き伏せる。体力が続く限りこれを繰り返し、疲弊した者から交代する。
また、城門まで辿り着けずに狭い上り坂で足が止まった者は城壁の上にいる弓使いからの良い獲物でしかない。矢を放てば必ず当たる。魔物は次々と数を減らしていく。
「さて、南門の奴等巧く守り通せるかな」
既に戦端が開き、怒号と剣戟と血の匂いが南の城門前に満ちる。殺到する魔物と黒い鎧の冒険者は狭い坂道と堀に阻まれ進軍の足が止まることになる。溢れた魔物は城壁に沿って、自然ともう一つの東の城門に流れてくる事になる。守り難いのは逆にこの東門であると言えた。こちらは堀があるだけで、高低差による優位がほとんどない地形である。押し寄せてくる軍勢を見遣り、リキュールは懐から酒の入った瓶を取り出し一口煽った。
「南門のやつらも俺たち程ではないが、大戦を生き抜いた手練だ。あのような雑兵に遅れを取る事もあるまい」
リキュールの隣で、剣を抜いた優磨が不敵な笑みを浮かべている。五郎丸の指示で「牧場ギルド」の面々は防御が難しい東門に集まっていた。ギルドの登録者の半数程は五郎丸と共に出払っている。有志の冒険者を掻き集めて防衛に回るが、出撃に際して女王であるフィーナの指示も、軍事を司る元老院のシュウの許しを貰える訳も無く、兵力が乏しいのはやむを得ない状況だった。
東門の兵力は五千に満たない。それでも一騎当千の「プラチナランク」の冒険者のほとんどが東門に配置されている。
「魔物は約五万と言う報告です。恐らく平原の奥に異界の門を開いたのでしょう。あれほどの大群を呼び寄せるには、それしか方法がありません」
緊張した声でオルエンが軍の斥候からの報告を伝える。異界の門とは、その名の通り魔界と人間界を繋ぐ門であり、最高位の魔物は任意の場所に異界の門を開くことが出来ると言われている。嘗て暗黒王スルトはエルドラゴ王国全土に異界の門を開き、先の大戦の宣戦布告をした。
「五万か。ちと多いな。三万までなら俺一人でも打ち負かせると言うのに」
酒臭い息と大言壮語を同時に吐き出し、リキュールは笑った。大戦終結以来の大戦だ。冒険者の血が騒がない訳が無い。王都エルドラゴ城の周辺には、王国のギルドに登録している約半数の冒険者が住まいを構えている。この戦闘にはその中の多くが参加している。食い扶持たるエルドラゴ王国を守るため、また自らの名声を上げるため、冒険者は剣を振るう。先日のヴァナクでの遭遇戦は冒険者たちの出世欲に火を点けていた。
デイモスの魔力砲は城壁に昇った術士たちが悉く防いでくれている。魔物と言えど、突進で仲間を轢き殺すこともまずないだろう。要は力の限り、迫り来る小型の魔物を狩れば良いのだ。
「ようするに我等がギルド長たちが王都に戻るまで生き残り、可能な限り魔物を狩れと言うことか。解りやすくて良いことだ」
優磨がそう結論付けると、周りの冒険者が等しく頷く。国を掛けた戦いの筈であるが、「牧場ギルド」の冒険者たちに焦りや気負いはなかった。
「各人、魔力砲の射線に入らぬよう散開。孤立するのを避けながら武勲を立てよ。との五郎丸からの連絡だ。数にまかせて押してくるような雑兵に我等の力を思い知らせてやれ」
オベリスクストーンに入電された、五郎丸からの言葉で冒険者を鼓舞して、リキュールが愛剣カーリーを高く掲げる。大きな歓声が上がり、東の城門前の冒険者の士気は満ちた。
「弓戦兵、手持ちの矢を撃ちつくせ。後は堀の奥まで戻り補助と負傷者の手当てを。近接武器を持つものは矢の雨が止んだら、俺に続け。野蛮な魔物を一匹たりとも城門の中に入れるなよ」
再び歓声が上がり、自然と女王フィーナとエルドラゴ王国を讃える唱和が木霊する。
「この国と女王様はまだ捨てたモノじゃないみたいね。これだけの冒険者が味方に付けば、腐った大人に喰い荒らされた国を立て直すことも出来るかも知れないわ」
城門に溢れる声を聞いて、城壁の上でデイモスの魔力砲を防いでいるラングレーが嘯いた。化け猫として百年間見てきた王国の趨勢を反芻して、感慨深気に大きく溜息をついた。平原を吹き渡る風が城壁に届いて、ラングレーの長い髪を靡かせる。
「さあ、舞台は整ったわ。あとは役者が揃うのを待つだけ。あなたたちに相応しい王国の行く末を、自分たちの手で切り拓いて御覧なさい」
眼下では、矢の一斉射が終わり、冒険者たちが雄叫びを上げて我先に魔物の群れへ突進していくのが見えた。