突撃
エルドラゴ王国、第二の都市ブリギッドへ向かう街道を殊更ゆっくりと進む、一つの影がある。首都を出発して四日。本来ならとうに目的地に到着しても良い頃だが、バルドルの村やムスペル山の麓の村などに、これと言った用事もないのに立ち寄り特産物を堪能してから出立していく男の姿は、お世辞にもギルド長から密命を受けている冒険者の姿とは言えなかった。
「さてさて、路銀も残り少なくなってきたし、本来の目的に戻るとするか」
ウルフは布の袋を開けると、中の金貨の数を確認し呟いた。わざわざ倍近い時間を掛けて街道を進むには訳があった。リンカの邸宅が襲撃されたとのオベリスクストーンへの思念の書き込みを一日前に宿屋で確認したウルフはそろそろ動きがあると考えていた。
街道の先に夏の日差しが作る陽炎越しに次の村が見え、ウルフはその日の宿を取ることに決めたが、陽炎の向こうに幾筋かの黒煙が上がっているのに気がついた。炊事の為に昇る煙ではないのは明らかだった。続いてきな臭い匂いが風に運ばれて嗅覚を突く。
「襲われているのか」
確認するより早く、ウルフは馬を疾走させる。剣戟の響きと怒号が入り混じる村に接近し、村に滞在している冒険者を襲う黒い鎧の一団と魔物の群れを確認した。魔物と人間が同時に村を襲う。それは大戦時に数多く報告された事案である。
「ヴァナクや補佐官殿を襲った連中か。何故村を襲う」
馬を走らせながら抜刀し、向かってくる魔物を一刀で切り伏せる。ウルフは馬から飛び降りると、続けざまにヒヒイロカネの短剣を薙ぎ払い、周りの魔物を一掃する。十匹ほどの魔物を討伐した所で、辺りを見回したウルフは絶望した。生き残って魔物たちと戦っているのは冒険者のみで、村民は全滅しているようだった。村を襲った黒い鎧を纏う男たちは、元の形が解らなくなった村民をさらに切り刻み、肉を切裂き、骨を砕く感覚に酔い知れているように見えた。
「狂人どもめ。奴等どこから湧いてきたのだ」
ウルフの声に答える者は居らず、男たちは無抵抗な死体に武器を振り下ろし続ける。
「これはこれは、簒奪者フィーナの飼い犬のギルドの冒険者。やっと到着か。お前が来るのが遅いから部下たちの破壊欲求を抑えられなくてな。到着を待たずに祭りを始めさせてもらったぞ。偽りの王を崇める愚民どもに相応しい罰を与えて、血を捧げて貰うと言う祭りをな」
不気味な声が響くと、建物の影から一つの影が現れた。他の者と同じ黒い鎧を纏い、身の丈がウルフより拳一つ分ほど大きな冒険者には見覚えがあった。
「お前、少し前に五郎丸をつけてきた冒険者か。命を取らずに返してやったのに、性懲りも無くまた俺たちの前に現れるとは、よほど暇なのだな。麗しい美女にならともかく、お前のような男に付き纏われる趣味は持ち合わせていないぜ」
ウルフの皮肉は黒い鎧に阻まれ男に動揺を与える事は出来なかった。
「あの時とは違う、この武具さえあればお前らに遅れを取る俺ではないわ」
男は優越感に浸った笑みを浮かべ、少しずつ間合いを詰めてくる。その手には鎧と同じ光沢を放つ黒い斧が握られている。既に多くの血を吸っている様で、刃先から紅い血が滴り落ちている。
「武器や鎧で冒険者の強さが決まると思っている時点で、お前の負けなのだがな。愚かな奴等にはそれが生きている間には解らんらしい。宜しい、俺がその事を人生最期の一瞬で解らせてやろう」
「舐めた口を利くな、この老いぼれが」
結局ウルフの策に乗ってしまった男は斧を振りかざし突進してくる。大振りの横薙ぎをウルフの短剣の残像が受け止める。火花が散り甲高い金属音が耳を打った。軽い痺れが右手に伝わる。ウルフは左手の盾で相手の体を押し返して間合いを取る。続く攻撃を余裕を持ってかわすと空いている男の左手に斬撃を打ち込んだ。必殺の一撃により男の肘から先が両断される筈だったが、ウルフの短剣はまるで見えない壁にでも弾かれるように跳ね返された。
「お前の攻撃など効かぬわ」
男は笑い声を上げて斧を振り下ろす。舌打ちをしてウルフは飛びのいた。間違いなく入ったと思われた一撃だったが、男の腕は繋がったままだ。稀少鉱物で拵えられた武器を弾く鎧など、ウルフは聞いた事も無かった。
「これがお前たちの自信の正体か。随分と手の込んだ練成だが、村一つを殲滅させるには、ちと豪華すぎるな」
ウルフは素直に武具の性能は称賛したが、技量で自分が劣るとは到底思えない。実際、何度打ち合っても、男の斧での攻撃はウルフに掠る事すら無かった。
「この鎧があれば、不敗の騎士団が出来る。ギルドの冒険者など滅ばしてくれるわ」
男が手を翳すと、村の南の丘から新たな冒険者が現れた。数は数百と言った所であり、砦一つを攻め落とせる数である。皆一様に黒い鎧を身に付け、陣頭の旗には黒い獅子の意匠が施されている。
「真正エルドラゴ帝国、宰相シュウ閣下直属の騎士団、ナイトメア隊。突撃」
馬に乗った黒い鎧の一団が坂を駆け下りてくる。ウルフは肌を粟立たせた。それは数に恐れをなした訳ではない。男から発せられた言葉が信じられなかった。現在エルドラゴには宰相の地位は存在しない。元よりシュウは元老院の人物であり、しかも、真正エルドラゴ帝国などと言う国名は聞いたことが無かった。
「新たな国を興す為の私兵とでも言うのか。これほどの兵を用意しているとはな。五郎丸でも驚くかもしれん」
その独り言を聞いて、男から更に大きな笑い声が上がった。
「愚かな。五郎丸は昨日反逆罪で他のギルドの一味共々エルドラゴ城に収監されたわ。今頃城門に首を晒している頃だろうよ」
勝利を確信した男は、味方の増援の馬蹄の響きに酔いしれ、更に続ける。
「緘口令が敷かれていたからな、オベリスクストーンにその情報は書き込まれない。お前等が知る訳が無いのだ。この国は我等のもの。返してもらうぞ」
そこまで聞いた所で、ウルフは嘆息をついた。所詮、この程度の男の策で五郎丸に勝てる訳はないのだ。
馬蹄の響きを遮り、空気を切りさく音が連鎖して木霊する。
丘を駆け降りるために長く伸びた黒い鎧の隊列の側面から、空を覆いつくすほどの矢が襲い掛かった。鎧は矢を弾き返すが、馬はそうは行かない。落馬した冒険者を後続の馬の馬蹄が踏みにじる。いくら鎧が頑丈でも、鎧で覆われていない関節や顔面を踏み砕かれ、冒険者は次々と数を減らしていく。悲鳴と血飛沫が巻き上がり、戦いもせずに黒い鎧の冒険者たちは戦意を削がれていく。
更に丘の後方から現れた数百の騎馬隊が突撃をかけた。
「ばかな。後方からだと。やつらムスペル山から来たとでも言うのか」
男は絶句したが、その通りだった。陣頭に猛る金色の龍の意匠を施した旗を掲げる一団は、エルドラゴ城からムスペル山に聳える古城ギンヌンガに通じる秘密の通路を使い、相手の側面と後方に回り込んで陣を敷いていたのだ。エルドラゴ城に収監された振りをして、五郎丸は仲間を引き連れて城を後にしていた。城の脱出に際して、女王フィーナの手引きがあったのは言うまでもない。
「叩き潰せっ」
金色の斧を掲げて五郎丸が声を張り上げる。五郎丸が指揮するギルドの冒険者と、フィーナに忠誠を誓う近衛騎士団の連合軍は、逃げ惑う黒い鎧の一団を後ろから馬蹄で踏みにじり、槍で突き刺し、魔法で焼いた。運良く矢の雨と馬蹄から逃れた兵も、五郎丸率いる冒険者の卓越した剣技に太刀打ち出来ず、鎧に覆われていない関節を突かれ倒されていく。ほぼ同数の兵力であったが、結果は圧倒的な戦いだった。五郎丸の軍はほぼ無傷で、黒い鎧の一団を打ち負かしていく。
「国を裏切ったのはどちらであるか、はっきりさせてもらうぞ。欲に溺れたシュウの手先よ」
よく通る声で先頭で馬を駆る五郎丸の声が男に届く。それに呼応して後に続く兵からも雄叫びが上がった。勝敗は決していたが、ここで逃がせば陣を敷きなおして再び攻めてくる可能性がある。徹底的に数を減らし、逃げ延びた者に恐怖を与える程の敗北感を刷り込む。それが五郎丸の部隊の狙いだった。
この場所、この時を正に狙っていたかのように現れた五郎丸に、味方である筈のウルフでさえ恐ろしさを覚えずに居られなかった。どうやってこの状況を作り上げたのかを問い質すのは後にして、まずはナイトメア隊と名乗る冒険者と魔物の群れを討伐するために、ウルフは改めて剣を構え直した。
目の前で自失している部隊の隊長と思われる男の首を刎ねるのはウルフには簡単なことであった。
確かな手応えと共に、血の尾を引いて黒い鎧の男の首は重力に従って大地に落ちた。