異名
「雪國の姫君が戦場にいるぞ」
「デイモスを止めただと。我々も続け」
「龍の守護者まで一緒なのか。これで勝てる。攻勢に転じろ」
煙と血に塗れた町に、歓声に近い声が幾重にも木霊する。
防戦一方であったヴァナク駐在の冒険者たちは士気を取り戻しつつあった。公式文書から名前を抹消されたとは言え、女王直轄の調査機関の長であり、プラチナランクを戴くアンジェリナの冒険者としての名声は広く知れ渡っており、戦意を失いかけていた冒険者たちの闘争心に再び火をつけた。有名な冒険者が最前線に立って槍を振るう。その姿は、港町ヴァナクで戦う全ての者に勇気を与えていた。
大戦が終結してから五年間、これほど多くの魔物との戦闘は記録に残されていない。それでも冒険者は戦いの記憶を忘れた訳ではない。明確な指導者が戦場に居らずとも、隊列を組み直し不利な状況を打破するため互いに連携を取ろうとする。
突然の襲来で多少浮き足立ってはいたが、魔物の脅威を排除すると言う行動指針が決まれば、エルドラゴ王国の冒険者は大陸随一の強さを誇るのだ。
「ふふ……。アンジェリナ殿の二つ名も、世に浸透してきたようですわね」
その様子を見て和美は顔を綻ばせた。迷ったり、悩んだりしても、結局こうやって人の心を惹き付けているアンジェリナを仲間として誇らしく思えた。そして、その異名は戦場を伝播し、戦況を変えようとしていた。
「黒髪の吸血鬼、和美殿もいるぞ」
「我等に祝福を。突撃」
冒険者たちは剣を構え直し、魔物に向かって挑んでいく。
「え。わたくしまで。で、どうして吸血鬼なのかしら……」
アンジェリナと行動を共にする事で、自分まで世に名前が知れてしまって居る事を和美は知らなかった。その美貌は言うに及ばず、ハンマーを振り回す勇猛な戦闘様式から、和美の名もすっかり冒険者の間で有名になっていたのだ。不本意な二つ名に和美はハンマーを握る手に力を込めた。
「でも、こんなに早く大っぴらになってしまっては、わたくしたちの今後の行動が制約されないか心配ですわ。……いや、あの大男が故意に拡散させている可能性はありますわね」
狭い部屋で、オベリスクストーンに冒険者を煽る思念を書き込んでいる氷菓子が好きな策士の姿が眼に浮かび、和美は眉を顰めた。どの道、知れてしまった事を今更否定する事も、隠し立てすることも出来ない。「ならばこの場を乗り切る手段に変えるまで」と、和美は思考を切り替えて、黒曜石で造られた黒いハンマーを翳した。
「広場のデイモスはわたくしどもにお任せ下さい。皆様は路地を守り、魔物の侵入を防いで下さいませ」
奴国美女から指示を賜った幸運な冒険者たちは歓声を上げ、武器を掲げると路地に向かっていく。和美は魔物の返り血を浴びた顔に柔和な笑みを浮かべて彼等を見送り、肌を粟立たせた。
「あら、この全能感。クセになってしまいそうですわ」
身悶えしながら誰の耳にも届かない冗談を言うと、和美はハンマーを構えてデイモスに向かっていく。
シーマが龍の守護者に変身していられるのは数分間でしかない。アンジェリナを補助しているナオの魔力も無尽蔵ではない。増援が来る当てが有る訳でもない。見事なばかりに無い事ずくめで現状維持で精一杯と思われる戦況を考えると、普通の冒険者であれば逃げ出す可能性もある。だが、このヴァナクの町から逃亡する冒険者は誰一人居なかった。
「アンジェリナ殿、信じてるわよ。これだけ多くの人の前で、通りすがりの冒険者の一行がデイモスを倒すと言う奇跡を見せて」
願いを込めた和美の一撃は、デイモスの後ろ足の稀少鉱物を砕き飛散させた。
「手の空いている方は住民の避難と消火を。魔法を遣える方は建物の屋上に登って前線の冒険者に補助をお願いします」
ケイは弓で魔物を仕留めながら、周りの冒険者に指示を出していた。通常、この規模の港町なら掻き集めれば二百人程度の冒険者が居るはずだ。魔物の数がどの程度か明確ではないが、大型の魔物が相手でなければ、充分防衛できる数である。周りの冒険者の話によると、大型の魔物はデイモス一体のみらしく、既に三十人近くの冒険者がデイモスのために戦死、或いは戦闘不能の重傷だと言う。
やはり勝敗の鍵はデイモスを止められるか否かに掛かっている。自分も広場へ飛び出したい衝動を抑え、ケイは弓弦を引き続けた。広場に向かったとしても、自分では足手まといになることは解っていた。徒にアンジェリナや和美の戦闘を邪魔する訳にはいかず、ケイは己の無力さを噛み締めながら信じて待つしかなかった。
「ケイ。屋上を渡り、テイマーを探せ。お前の眼の良さが役に立つぞ」
唇を噛み締めていたケイにパンダが声を掛ける。返り血を大量に浴びて、もはやパンダの白い毛の部分は悉く紅く染まっていた。テイマーとは、デイモスの魔力砲を操る者の事であり、テイマーを倒せば魔力砲の放射は止める事が出来る。アンジェリナたちも魔力砲にマナを供給する稀少鉱物の撃破を優先しているが、成功しなかった時の備えは必要だ。
「しかし、我々の任務は小型の魔物を倒し、負傷者の救護をすることです」
生真面目なケイはアンジェリナに与えられた役割を違える事を良しと出来なかった。その実直さがケイの何よりの美徳でもあり、最大の弱点でもある事をパンダは知っていた。
「大丈夫じゃ。町の冒険者も立て直した。小型の魔物が相手なら、後は何とかなるじゃろう。何ともならんのはデイモスの方じゃ。少しでもお主の大事な機関長の役に立ってやれ。それとも、そんな事も解ってくれないほど、あの女の器量は狭いのか」
「アンジェリナ殿をあの女呼ばわりする事は、例えあなたと言えど赦しませんぞ」
一言多いパンダに向かってケイは怒鳴ったが、パンダの言葉の真意をすぐに汲み取った。感情的になってしまった自分を省みて頭を下げる。
「それだけ元気なら心配ない。怒鳴るのはそれだけお主が心配しておる証拠じゃろう。行って少しでも広場で戦う仲間の助けになってやれ」
パンダは笑い声を上げるとグングニルと共に魔物に向かって行く。二人は見事な連携で次々と魔物の数を減らしている。グングニルの剣技は冴え、パンダの突進を止められる魔物は居なかった。
その姿を見送ったケイは唾を飲み下し深呼吸すると静かに眼を閉じた。長から課せられた命令と、仲間のために自分が今為せる事を心の天秤に掛ける。
決心して再び眼を開けて走り出したケイの心に、もう迷いは無かった。