乱戦
デイモスが存在するという事は、必ずテイマーが近くに居る事を意味する。エルドラゴ王国には無い魔物を御する技術。入手したいのは山々だが、事態は急を要する。まずはデイモスを止める事を優先しなければならないのは明らかだった。
黒い鎧の巨人、シーマが変身したファフニ-ルが、広場でデイモスに組み付いて止めようとしているのがアンジェリナの視界に入った。体長はそれほど変わらないが、恐らく重量は四倍近く在る魔物を止めるのは容易な事ではない。正面から肩に組み付いたシーマを体を大きく揺さぶってデイモスが振り払おうとする。体勢を崩しながらもシーマは踏ん張って堪えている。重みで地面に亀裂が入り、両足の踵が地にめり込み砂埃が舞う。
「止まって」
シーマは歯を喰いしばって、デイモスを押さえる手に力を加える。負荷が大きくシーマの膝の関節が軋む音を上げたが、デイモスにこれ以上の前進を赦す訳には行かなかった。粘るシーマに根負けしたのか、デイモスは前進を諦めたかのように、大きく一声鳴いた。
町の半分までを蹂躙されたが、デイモスの巨体を止める事ができたのは僥倖だった。それでも、デイモスが通った後には破壊された建物が瓦礫と化し、逃げ遅れ、轢き殺された住民から流れる血がその瓦礫の間から流れているのが見える。
組み付いていたシーマは一旦デイモスと距離を取るため離れると、鞘から剣を抜き水平に薙ぎ払った。レアメタルで拵えられた手甲でデイモスが攻撃を弾き返す。耳を劈くような高い金属音が木霊して、火花を散らせる。
「あんなに素早く反応できるなんて、信じられない」
アンジェリナはデイモスとシーマが居る広場まで続く道を走りながら絶句していた。大型の魔物の弱点である素早さを、あのデイモスは克服しているように見えた。シーマを正面に見据えたデイモスの背に取り付けられた大筒が妖しく輝き、魔力を蓄えている事を知らせる。
「シーマ、離れろ。魔力砲が来るぞ」
叫んだ声が届いたか解らないが、アンジェリナは広場に躍り出ると、手にする槍に魔物を惹きつけるリモの実を振りかけた。瞬間、デイモスの注意がアンジェリナに注がれ、シーマはデイモスから離れる事ができた。しかし、魔力の放出を止められた訳ではない。赤みを帯びた閃光の奔流がアンジェリナに向かって放たれた。石造りの建物さえ融解させる光がアンジェリナを焼き殺そうとする。
「ナオ、頼む」
叫んでアンジェリナは盾を構えた。大気の保護膜程度では、デイモスの魔力砲を防ぐ事は出来ない。現行で冒険者がデイモスの魔力砲を防ぐ唯一の策は、魔法による偏向。つまり直進してくる魔力を空間を捻じ曲げて拡散させる方法だ。
「お任せ下さい、隊長」
ナオの緊張した声が響き渡り、アンジェリナの目の前の空間に魔法陣が組まれ、靄が掛かった様に歪む。赤みを帯びた光は、魔方陣まで到達すると大地を揺るがすような衝撃と共に霧散した。魔力は四方八方に飛び散るが、偏向される際に減殺されるため、さしたる被害を出さなくて済むのだ。衝撃が収まったのを確認するとアンジェリナは槍を扱いてデイモスに突進する。直径二メートルはあるデイモスの前足での攻撃をかわすと、氷の属性を宿した攻撃をデイモスの前足に取り付けられている稀少鉱物に叩き込んだ。物理攻撃で稀少鉱物を破壊するのは難しい。だが、機械仕掛けの大筒への魔力の供給が断ち切れれば良いのだ。過流電を起こした回路は火花を散らせて、稀少鉱物は作動を停止する。
「見事な連携ですわね。ユミさんではなくて、ナオを選んだのはそう言う理由でしたのね。わたくしたちの指導者も、少しずつ頼り甲斐が出てきましたわね」
アンジェリナとは別の道から広場に入った和美が感嘆の声を上げる。単に魔法の行使力だけで考えれば、ユミのほうがナオよりも上であるのは間違いない。だが、大型の魔物と対峙するには、パーティーの連携が優先される。機関設立当時から戦闘以外も含めて、多くの時間を共にしているナオが補助に回った方が良いのは理に適っている。アンジェリナは故意にデイモスの視界の中央に立ち注意を引き付けようとする。周りからの見晴らしの良い広場であれば、ナオの補助魔法も届きやすい。アンジェリナとナオが攻撃を凌いでいる間に、和美とシーマがデイモスを攻撃すれば良いのだ。
「もう止めちまった。本当に凄いな。うちの隊長は」
既に二十匹以上の魔物を切り伏せたグングニルは、遠くに見えるデイモスの姿を見て感心した。英雄王と戦った冒険者。自分には御伽噺の世界の住人のような存在の力を身近に感じ、グングニルは肌を粟立たせた。
「見習うべきじゃな、若者よ。あやつ自身の冒険者としての力はそれほど大したことは無いかも知れぬ。だが困難に立ち向かい、乗り越えようとする力、弱き者を助けようとする力は、もしかしたら王国でも随一かも知れん」
強靭な爪と顎で魔物を引き裂いているパンダがグングニルに声を掛ける。その声に含まれる感慨を、若いグングニルはまだ感じる事はできなかった。
「剣術の腕は確かだが、膂力で言えばお主と同じ程度、魔力で言えばナオよりも下かも知れん。そんなどっち着かずの半端者が、あれほどの魔物を前にして、全く怯む事無く挑んでおる。無謀や無知とは違う。あやつは自分の冒険者としての力量を見定めた上で、それでも勝てる方法を考えようとしている。そして、その力は常に弱い者のため、自分の身を自分の力で守れぬ者たちのために遣われている」
グングニルは赤面した。冒険者として功績をあげる事ばかりに執着しいていた自分を指摘されたように感じたからだ。名家の長男として生まれながらも大戦に参加できなかった事に焦るだけだった自分の日々にグングニルは嘆息した。
「あれが、本当の冒険者の姿……」
有名な冒険者は他に幾らでもいる。それでも父がアンジェリナを選んで自分を仕官させた理由が、グングニルには漸く解った気がした。
「まぁ、あやつのやり方が全て正しい訳ではない。もしワシがあやつと同じ力量だったら、絶対にデイモスの前になど躍り出ないからな。命がいくつあっても足りんて」
大きく笑い声を上げると、パンダは再び魔物の首に飛びついて頚骨を噛み砕いた。
「父上、姉上……。俺は自分の道を見つけられたのかも知れない」
小さく呟くと、グングニルは肺の空気を入れ替えて魔物に向かって切りかかった。デイモスの唸り声が響き渡り、広場での戦闘が激しさを増している事をグングニルに伝えた。