使命
「よいか、ユミ。この国はまた大いなる災厄に見舞われようとしている。人間同士の愚かな殺し合いにより、再び多くの血が流される事になろうだろう。それを阻止するためにお前の命はあるのだ」
蝋燭の小さな炎が揺れる薄暗い部屋。自分の前には「村長」と呼ばれる男がローブを目深に被って座っている。表情を読み取ることは出来ないが、鋭い視線をこちらに向けている事は容易に解った。
「承知しております。全ては龍と長の御心のままに」
恭しく頭を下げ、何百回も聞かされてきたお告げを確認する。一族の巫女の家系に生まれ、神託を賜るのは十七歳になってからだ。里を出るまでに、人間の為に働くのは愚かな事であると言う気持ちは払拭され、自らの命の結末を神の言葉に任せようとユミは固く決心していた。それで世界が救われるのであれば。
「全ては金色の獅子を従えるものが握っている。努々忘れることがないよう留意せよ。お前の末路も、世界の命運もその者と共にある」
部屋の中には相変われず小さな炎が揺らめいていた。
「ユミさん」
声を掛けられ我に返った。どうやら眠っていたようだと認識するまで、ユミには数秒の時間が必要だった。砂漠の夜、岩場の影に野営の場所を決めて仮眠していたのだ。日中の灼熱地獄から一変して、夜は霜が降りるほどの厳しい寒さになる。目の前には暖を取る為の焚き火の炎が揺れていた。
「申し訳ないが、見張りの交代の時間だ。二時間ほど私と一緒に起きていてくれ」
アンジェリナの声に無言で頷いて毛布を持って立ち上がる。昼間の戦闘による疲労は多少体に残っていたが、動けない程ではなかった。焚き火の前で薪をくべているアンジェリナの正面に座り毛布で体を包んだ。アンジェリナから差し出されたスープを入れた容器を受け取り「ありがとう」と礼を言ってから一口啜る。穀類の甘味と、魔力の回復の為に調合された薬草の香りが、疲れた体を巡って行く。
龍人の里を出て、人間と関わるようになってまだ数年。幾つかの選択の末、自分は今、砂漠の真ん中でスープを啜っている。明日はどうなるか知れない我が身を思うと溜息をつきたい気持ちにはなったが、不思議と里に帰りたいとは思っていなかった。
「一つ、聞いて良いかしら」
「なに」
唐突なユミの問いかけに、アンジェリナは炎から眼を逸らさずに短く答えた。
「その腰の刀、あなたのでしょう。でも、あなた以外の誰かの心を一緒に感じる気がする。どうして」
金色の獅子を従える者。初めは豊かな金髪の荒ぶる冒険者だと思い、マーサと行動を共にしていた。だが、その旅路でアンジェリナたちに出会った。一行のリーダーたるアンジェリナの腰の鞘には金色の獅子の意匠が施された刀が納められている。しかもそれは、持ち主以外の強い思念を感じる不思議な刀だった。マーサが去ってしまった事もあるが、ユミはアンジェリナとの同行を直に決めた。
「凄いな。ドラゴニュートにはそんな能力もあるのか」
感嘆の声を上げたアンジェリナは、立ち上がって静かに鞘から刀を抜いた。炎の揺らめきを反射して片刃の刀身が不規則な輝きを放つ。夜の闇の中、刀を持つアンジェリナの姿は俗世に塗れた冒険者の物ではなく、幼い頃に読み聞かされた絵本に出てくる天使の様な静謐さを湛えているようにユミの眼には映った。
「これはフィーナ女王から賜ったもの。出立の餞別にと直々に押し頂いた大事な業物だ。この剣に誓って、私は必ず国に仇為す者を討ってみせる」
エルドラゴでは龍は神の遣い、或いは神と同一視される神聖な存在である。そして獅子はその龍を守る存在として尊ばれている。一般に龍や獅子を意匠とする品物は王国の許可が必要であり、畢竟、手にする者は限られてくる。アンジェリナは女王直属の機関の長であり、獅子の意匠が施された武器を所持する資格は充分と言えた。
「刀を託してくれた、その人の為に強くありたい……」
どこか納得したようにユミが呟く。里に居た頃には生まれなかった利他の気持ち。元々一族で一つの意思を共有するドラゴニュートにとって自分や他人を「個」と意識することは皆無であった。だが人間は違う。同じ種族同士で殺し合ったり、助け合ったりもする。人間はどこまでも傲慢で利己的な部分と、「馬鹿」が付くほどお人好しの利他的な部分を持ち合わせている。里を出て、ユミはそれを知った。
粗雑なだけに思えたマーサと言う男が時折り見せた、見返りを求めない優しさに、同行する冒険者と言う以上の感情を持ってしまった自分を思い出し、ユミは頬を赤らめた。
「あなたにも、守りたい人が居るのね」
「そんな事は、ない……とも言えない」
淡い気持ちを見透かされた様なアンジェリナの言葉にユミは反発したくなった。
「でも、私は一族の決定に従う巫女。神託を負いそれを実行する身。私一人の思いや命など、一族の意思の前では何の価値も為さないの」
揺ぎ無い使命と断ち切れない想い。葛藤に苛まれるのは人間でもドラゴニュートでも変わらないのだ。その言葉を聞いたアンジェリナは刀を鞘に納めユミに歩み寄った。屈んで視線の高さを揃えるとユミの頬にそっと手を当てる。知らず流れ落ちていたユミの涙をアンジェリナが拭った。
「あなたの命より重い使命なんてない。使命にあなたの命を掛ける事と、あなたが使命の為に命を落とさなければならない事は別のもの。一緒に探しましょう。皆が笑って暮らせる未来に続く道を」
数日前まで、自分自身も与えられた使命に命を投げ出す覚悟でいたアンジェリナだが、宿場町での和美やケイの言葉でその考えを改めていた。五郎丸や女王のフィーナも自分が死んでまで依頼を達成する事を望んでいるとは思えない。危険は承知だが、それを乗り越えた先に自分たちの望む世界があると信じて進むとアンジェリナ決めた。だから、過去に拘るのは止めて、ブリギッドの武器屋に頼んでシーマの力も借りた。奇麗事だけでは片付かないのも承知の上だった。
自分の覚悟を確認するように、アンジェリナはユミに頷いてみせた。
静まり返った夜の砂漠で、炎が爆ぜる音だけが響く中、ユミはアンジェリナの言葉を何度も反芻していた。