聖夜(外伝三話)
本編と一切関係ない、アンジェリナの一人称によるお話です。
この人の一人称で話が進むと、大概話が暗い方向に行ってしまうのは設定上の仕様だと思って下さい。
「ねえ、シスター。天使様は本当に居るの」
「ええ。あなたが信じさえすれば、あなたの心の中に、いつでも天使様はいらっしゃるものよ」
幼い私に、いつもシスターはそう答えてくれたものだ。
記憶を失っていた私は、たまたま天使祭の日に教会の前で行き倒れ、保護されそこで育つ事になった。自分の名前さえ忘れていた私に「ANGELINA」と名付けてくれたのはそのシスターだった。
今日は天使祭の日だ。エルドラゴ王国の北の最果ての町に私は来ていた。曇天からは今にも雪が降り出しそうで、刺す様な寒さは私が育った頃と変わっていない。町は天使祭を迎える為に飾り付けされ、普段より煌びやかな印象を受けた。
この国を造ったとされる龍と、世界を造ったとされる姿を持たない唯一神に仕える存在の天使たち。今日はその天使たちがエルドラゴに初めて降臨した日とされ、毎年天使祭が催される。特に信心深い訳ではなかった私は、幼い頃は年中行事の一つとしてしか価値を見出していなかった。
でも、二十年前のあの日に拾われなかったら、私は寒空の下で間違いなく凍死していただろう。本当に神や天使は存在して、私を生かそうとしてくれたのか、自分の身の丈より大きな紅い大剣を担いでいる幼子がたまたま眼について拾われたのか、事実は判らない。
「ああ、アンジェリナ。今年も来てくれたんだね」
自分を呼ぶ声に振り返ると、私を拾ってくれたシスターが手を振って歩み寄ってくる。歳は三十一、赤みがかった首までの髪で蒼い瞳をしている。化粧をする事を禁じられている教会では、聖母の生き写しと噂される彼女の美しさは抜きん出ていた。今では彼女目当てに教会に礼拝にくる者もいるぐらいで、首都エルドラゴから遠く離れた辺境の地であるこの町に活気が齎されているのは、彼女の笑顔が原因なのかも知れないと私は感じていた。
彼女自身も孤児で、教会でシスターの見習いとして働き始めたばかりだった頃に私を拾ってくれたのだ。教会に併設された孤児院で剣ばかり振るっていた私はシスターにはならなかったが、彼女は私に本当の妹のように愛情を注いでくれた。
「シスター。ご無沙汰しております」
深々と頭を下げる私に、修道着を纏ったシスターは胸の前で十字を切り、祝福してくれた。
「いいのよ。そんなに頭を下げなくて。あなたやギルドが毎年援助をしてくれるから、今年もどうにか年を越せそうなんだから」
そう言われると照れくさいものだが、援助を必要としている孤児院や教会はこの国には山ほどある。国を通した寄付や援助は役所を通り抜ける間に、役人たちの財布の中に入ってしまうので、私は毎年直接教会に援助を申し込んでいるが、そういった善意が偽善であることくらいは解る歳にはなっていた。
天使祭は聖夜祭とも呼ばれ、教会から無償で村人たちに温かい食事が振舞われ、演劇や演奏が提供される。大戦が終了したとは言え、まだ魔物の存在に怯えながら生活しなければならない住民には、こう言った娯楽も不可欠な存在であった。
教会の広場では丁度演劇が始まり、天地の創造やエルドラゴ王国の成り立ちが上演されている。招待された子供たちは眼を輝かせて、神話の世界のスペクタクルに見入っている。シスターと私も一番後ろの席に腰を下ろし、子供たちと一緒に観劇を楽しむ事にした。
「あなたが冒険者になるって言い出した時はびっくりしたけど、あの時止めなくて良かったわ。なんだかあなた、ここに居る時よりずっと輝いている気がするもの」
暖かいスープを啜りながら隣に座ったシスターはしみじみと述懐した。
「私が……ですか」
手渡されたカップで冷めた手を温めながら、私はシスターに視線を送った。
確かに、教会を出てから私の生活は一変した。出逢う筈のない人たちと出逢い、多くの苦楽を共にし、いくつかの別れも経験した。五年前の大戦で自分の運命が大きな転機を迎えた事は間違いない。ただ、大戦が終結してから行く当てのなかった自分を受け入れて、仲間と呼んでくれるギルドの冒険者たちとの出逢いが無ければ、私はまたどこかで行き倒れていたに違いない。
「運命」なんて言葉で片付けるのは癪ではあるが、たまには数奇な自分の人生を、神が思し召した喜劇だと思って感謝してみようと思った。手にした紅い大剣「カラドボルグ」が織り成す運命の物語は、まだ終演を迎えそうに無い。もう少しだけ、神の気まぐれに付き合って行くのも悪くないかも知れない。自嘲交じりに私は嘆息を付いた。
「人の価値は生まれで決まるものではないわ。何を為そうとしたかで生きる価値は変わるもの。天使様は等しく人々に慈しみをくださるけれど、人間の歩む道はひとりずつ違う。あなたの歩む道に他の人より少しでも多く、天使様のご加護がある事を私はここで祈っているわ」
そう言って微笑むシスターの笑顔を見て、聖母の生き写しと言われるのが私には少し解った気がした。
共に戦う仲間だけでなく、ここにも私の守りたい人たちが居る。大事な人たちの生活を脅かすものを斬る。剣を抜く理由はそれだけで充分だ。
広場に一際大きな拍手が鳴り響き、私に演劇の終了を伝える。
「ねえ、お姉ちゃん。天使様は本当に居るの」
私の前の席に座っていた小さな女の子が、振り返って私に聞いてきた。あの頃の私もこんな風にシスターには見えたのだろうと思うと、少しだけ可笑しく思えた。
「ええ。あなたが信じさえすれば、いつでも心の中に……」
女の子の頭をそっと撫でて微笑むと私は立ち上がる。背負った剣が重さを伝え、私を現実に引き戻した。
空からは雪が舞い始め、聖なる夜を祝福しているように私には見えた。




