透写
「力を借りに来ました」
重い足取りで辿り着いた、薄暗い店内のカウンターの向こうに座る恰幅の良い金髪の男にむけ、アンジェリナは声を掛けた。
ブリギッドのダウンタウン、薄紫色の排煙が充満する工業都市の中心に、その商店はあった。東への進路を執る前に、仲間たちを街の中で待たせて、ブリギッドのダウンタウンに一人アンジェリナはやって来た。声を掛けられるより早く来客に気が付いていた男は、商品を磨く手を敢えて止めずに、蛇の様な鋭い眼光をアンジェリナに向けた。
「何をお求めかな」
答えを聞かずとも、男にはアンジェリナが欲するものが解っていた。そして、自分が欲するものをアンジェリナが持っている事も承知していた。
「救国の英雄の一人が動き出しました。彼と袂を分かって五年。きっと私たちと異なる正義に依って立つことになるでしょう。白き龍に対抗するため、あなたのホムンクルスの力をお借りしたい」
アンジェリナの言うホムンクルスとは、ここに住む救国の英雄である裏切りの騎士シーマの写し身、お手伝いの花ちゃんの事だ。
「五郎丸の判断かな」
「私の独断です」
男からの短い質問に毅然とした態度で答え、表情の読めない顔を見つめる。
「雪国の姫君よ。何故お前は戦うのか」
アンジェリナはいつもと様子が異なる店の主人の雰囲気に圧倒されそうになる。誰も好き好んで戦うわけではない。そう叫びたかったが、咄嗟に声が出ない。唇を噛み締めて押し黙るアンジェリナに向けて、店主は尚も続ける。
「五年前の大戦で魔物との戦を経験し、あれほどの犠牲を払ってまで国土を守ったにも関わらず、人は戦う事を止めようとしない。お前が仲間と共に戦い、守りたかった世界は、こんなものだったのか」
五年間、ずっと己の心の中に内在していた疑問を店主に言い当てられ、アンジェリナは困惑した。大戦で勝利したにも関わらず、結局何一つ国も世界も変わっていないのだ。
「それでも。……それでも私たちは前に進まなければならない。託された想いや、これまでの犠牲に報いる為にも」
王都で待つ美しく優しい女王。自分を信じて単独行動を任せてくれた嘗てのマスター。共に戦う仲間。五年前の大戦。救えなかったいくつもの命。今ここで、戦う事をやめたら、それら全てを否定する事になると言う事をアンジェリナは知っていた。
「理想や奇麗事で戦は勝てん。今戦えば、お前の軟い心は痛み、お前の弱き仲間は傷つく事になるぞ」
人智を超えた予言めいた店主の言葉にアンジェリナは悪寒を憶えた。緊張で首元に汗が溜まっていく。
「龍の力に対し龍の力で抗うか。所詮、人間は利己の為に龍の力を遣うと言う業を背負っていかなければならぬのか」
店主の言葉にはアンジェリナには測り知れない寂寥とした感慨が込められていた。
「ならばあなたは何故、戦う人間に力を貸してきたのです。人間同士が殺し合って滅んで行く様を高見の見物でもするつもりですか」
思わず荒げてしまった声で我に返り、アンジェリナは顔を伏せて再び黙り込む。
「可能性を見たかったのだ。龍の力を御し、世界の秩序を作り直すかも知れない、お前たち人間の可能性を。その為に、私は独りでは永すぎる刻を眺めてきた」
「永すぎる刻。あなたはいったい……」
嘆息と共に発せられた店主の言葉の真意を計りかねて、アンジェリナは聞かずには居られなかった。
その問いに答える事無く、店主はアンジェリナに向き直り、神経質に磨いていた商品をカウンターに置いた。それは龍の意匠が施された腕輪、つまり龍の契約者の証だった。忘れもしない。黒い龍が舞うこの腕輪は、自分と命を掛けて剣を交えた裏切りの騎士、シーマが身に着けていた物に違いなかった。記憶と共に背筋を冷たいものが通り抜け、アンジェリナは肌を粟立たせた。
「お前に、国を背負う覚悟はあるか。数百万と言う民の命をその手に預かる気概が無ければ、あの女王やお前のマスターと肩を並べて立つ事は出来ん」
アンジェリナは息を呑んだ。店主の言葉はこれから起こる事を予見しているのではないか。またこの国が戦乱に見舞われ、自分たちの選択が、多くの民の命運を決めるのではないかと。
自分は逃げてきたのだ。選択を下し、その責任を取る立場から。だが、もう有象無象に選択を任せてはおけない。仲間と共に女王とこの国を救う。それが今のアンジェリナの望みだった。
「例えこの手を汚してでも、私たちの選択の果てに、待ち望む世界があるのなら……」
アンジェリナの言葉に、店主は満足げに頷いた。能面のように表情が読み取れない顔が、ほんの少しほころんだ気がした。
「だ、そうだ。お前等の隊長はこう言っているが、異存は無いか」
突然店主はカウンターの奥の引き戸を開けて、声をかける。そこには和美、ナオ、ケイ、グングニル、ユミ、パンダの五人と一匹が窮屈そうに肩を寄せて立っていた。どうやらアンジェリナが来るより早く、店主に呼ばれここに押し込められていたようだ。
「隊長。俺、感動しました」
グングニルが真っ先に声を上げる。
「また、わたくしたちを差し置いて自分一人で背負い込むつもりでしたわね。油断も隙もありませんわ。少しは手伝わさせてくださいな」
長い黒髪をかき上げて苦笑いしながら、和美は腰に手を当てた。
「アンジェリナ殿の判断なら、自分は異存などありません。どこまでもお供致します」
ケイは敬礼の姿勢を崩さずに言い放った。
「あ、あの。……わたしの力でお役に立てるか判りませんが、ご一緒させて下さい」
ナオは自信なさげにアンジェリナを見つめている。
「このワシが付いているのだ。そんなに意気込む事もあるまい。もっと気楽に振舞え」
パンダは大きく伸びをしながら欠伸をして笑った。
「お前の周りには、相変わらず物好きが集まるな。お前という人間が作り出す縁によって紡がれる世界が、どのような結末を迎えるか、見てみたくなったよ」
店主はアンジェリナを一瞥して立ち上がると、カウンターの奥の地下に繋がるもう一つの扉を開けた。
「この世で裏切りの騎士シーマと剣を交わらせて生き残っているのはお前だけだ。そして、その最期を看取ったのもお前。お前の記憶があれば、シーマの剣技と魂は甦る。記憶を透写させてくれ」
それだけ言うと、店主は地下へ続く階段を一歩一歩下っていった。アンジェリナは意を決してその後を追い、同じように地下の闇に消えていった。




