岐路
「えらく嫌われたものじゃな。救国の英雄様も、女心を思うままに操る事は出来ぬか」
いつの間にかカイラスの隣に腰を降ろしたパンダが笹の葉をかじりながら皮肉めいた声をかける。
「お師匠様。盗み聞きとは頂けませんな」
パンダの事を師匠と呼んだカイラスは口角を吊り上げた。
「ただ、思うままに操れないからこそ面白いと言う事もある。抵抗する女を自分の手で手篭めにする快感は、一度知ったら忘れられません」
人の悪い残忍な笑みを湛えながら、カイラスはアンジェリナたちの様子を見つめていた。
「龍の守護者全てが聖人君主ではないという訳か。お主を見ているとつくづくそう思うわい」
パンダは嘆息と共に苦言を呈するが、カイラスがその言葉を気にする事はなかった。
「俺は龍に選ばれた者。その生命力を供物に、己が正義を為す事を許された存在だ。その人生を楽しまなければ損でありましょう」
英雄と奉り上げられた己と言う存在に最大限に付加価値を付ける術を、この男は承知しているようだった。英雄の名を出せば、金、権力、女、あらゆる物が頼みもしないのに群がってくる。国からの監視の眼はあるにせよ、それはあくまで監視に過ぎず、自分を止める事は出来ない事もカイラスは充分解っていた。
「何故このような男が龍に選ばれ、英雄と呼ばれているのか……」
「ふん。全ては神の御心の儘さ」
失望に近いパンダの自問に、地上の英雄は責任を天上の神に押し付けて、鼻を鳴らした。
「それにしても、あの女の周りには人が集まる。放っておくには惜しい」
五年前も、自分を含めた英雄たちと同行して国を救い、即位した女王からの信頼も厚い。同じ成り上がりの自分と比べて、人を惹き付ける力をアンジェリナは確かに持っていた。それは恐らく自分には一生掛かっても備わらない力だと自覚しているカイラスは、苦々しく唇を噛んだ。結局は龍の威を借りなければ成らない自分と、一介の冒険者でしかないアンジェリナの間にある、決して埋まらない差を痛感し、羨望と呪詛が入り混じった視線をカイラスはアンジェリナに送った。
「彼女は運命の女神に魅入られたのだろうよ。もはや、ワシやお主の運命も彼女に握られているやも知れんな」
パンダは笹の葉を苦そうに噛みながら笑った。
「それに抗うのも一興か……。今度こそ、超えてみせる」
龍の力を形振り構わず使ってでも。そう言外に付け加えてカイラスは決心して拳を握り締めた。
「止めておけ。彼女には既にワシが付いている。龍の守護者同士が争って、戦乱を望む愚か者共を喜ばせてやる必要もあるまい」
「言ったでしょう。俺は俺の正義を為す事を許された存在。我が正義の前に立ちはだかるのであれば、師弟の縁を切ることも厭いません」
パンダの牽制もカイラスには無効だったようで、懐柔出来なければ無理やり手に入れれば良いと言う利己的な結論に達したカイラスの瞳に、もはや迷いはなかった。
「身に余る力は己を滅ぼす事もある。五年前の大戦で、お主はそれを学ばなかったと見える。師としてワシは教育を誤ったのかも知れん」
瞳を閉じて深く溜息を付いたパンダが再び眼を開けた時、カイラスの姿は無くなっていた。
アンジェリナたちが、宿場での怪我人の救助と手当て、死者の埋葬を終えると、夜が明けていた。大魔法を行使したユミは憔悴していたのであまり手を貸せなかったが、残りの五人の冒険者が率先して行動した結果と言えた。倒壊した家々の復旧にはまだ時間は掛かるが、後は残った町民たちでもどうにか解決できるだろう。そう判断し宿場を後にしようとしたアンジェリナの一行に、自警団の副団長と副町長がやってきた。
「先程は町長が失礼致しました。町を守ろうとしたあなたがたを疑い、自分たちの手で人死まで出してしまった。何とお詫びをして良いか」
町長と正反対の痩せ細った副町長は低頭してアンジェリナに詫びた。
「いえ、宿場が戦場になった責任は我々にもあります。私たちを追放しようとした町長の判断は正しかったと思います」
クォーツが無ければ、ワイバーンが襲ってこなかったのは恐らく事実だ。結果として宿場を救った事にはなったが、原因は自分たちに在るのは明白で、怪我人の救助をした程度で埋め合わせができるとアンジェリナは思っていなかった。
「龍の守護者が手助けしてくれたのです。あなたがたが間違っている筈はありません」
自警団の副団長は野太い声で言い切った。何も知らない一般人から見れば、龍の守護者は神の遣いであり、絶対的正義を象徴する存在だ。それは疑う余地の無い、この国の暗黙の了解だった。
「……過分なお心遣い、痛み入ります」
アンジェリナの表情は冴えない。結果的に龍の守護者であったカイラスの存在に助けられる事になってしまった。己の未熟さにアンジェリナは固く唇を噛んだ。
「この件は、わたくしどものほうでもギルド委員会に報告を出しておきます。お手数ですが、そちらからも提出をお願い致します。復興費用が下り易くなるでしょうから」
和美がアンジェリナに代わり説明をする。
「何から何まで、有難う御座います。微力では御座いますが、我が宿場町は今後あなた様がたご一行を支援させて頂きます。近くに立ち寄られた際は、どうぞお訪ね下さいませ」
副町長はアンジェリナの手を取ると、硬く握り何度も上下させた。
その日の太陽が南中に達する前に、アンジェリナたち一行は宿場町を後にした。目指す目的地が明確ではなかったが、これ以上宿場町に長居することがいたたまれなくなったからだ。副町長たちを騙している訳ではない。ただ、釈然としない想いが頭を擡げていた。
「あまり気を落とす事はなくてよ。アンジェリナ殿」
堪り兼ねたように和美が声を掛ける。そう言った所で、気休めにしかならない事を充分理解していたが、長い沈黙をどうにか破ろうと思い立ったのだ。
「思い知ったよ。色々とな」
自分の都合の良い正義では救いきれない物がある。剣の届く範囲の人間さえ、自分では救えない事もあるのだ。昨夜のワイバーンとの戦闘で入手したクォーツは、何人もの命の犠牲の上に手に入れた物だ。その重みを受け入れられるかはまだ定かではないが、救えなかった命に恥じぬよう歩いていかなければならない。止まることも、負けることも許されぬ旅路を。
そう決意したアンジェリナは顔を上げて、南の空に昇っていく太陽を見上げた。蒼い空に低い雲がたなびき、遥かな地平線は白く霞んでいた。
「隊長、次は何処に向かいますか」
血気盛んなグングニルが声を上げる。山道の分かれ道でアンジェリナは足を止めて暫し考えた。和美、ナオ、ケイが同じように立ち止まりアンジェリナの言葉を待った。少し離れてユミとパンダも従う。まだ自分には付いてきてくれる仲間がいる。その事実がアンジェリナの心に少しだけ活力を与えた。
「西へ。砂漠を抜けて、港町に向かうぞ」
「了解」
アンジェリナの言葉に四人の仲間が異口同音に声を上げ、ユミが無言で頷き、パンダがしたり顔で微笑む。
ミーミルの山道を西へ向かう六人と一匹の奇妙な一行に、南中を迎えた太陽が短い影を作って送り出しているように見えた。




