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七夕(外伝二話)

本編と全く関係ない、一話読みきりのお話です。七夕に間に合わなかったと言うのはご愛嬌で。

 空には厚い雲がかかり、時折り顔を覗かせる月が、湿り気を含んだ大気に覆われた地上を冷たく照らしている。内海を渡ってくる南風は停滞前線を形成させ、エルドラゴに雨季の訪れを伝えていた。この二週間ほどで、平年降水量の四分の一以上の雨を齎す雨雲は、動物にも植物にも等しく天の恵みを降り注がせる。


 エルドラゴ城下町の城壁から西に数キロ離れた、遥か西国の古代様式の邸宅の一室。顔をしかめて筆を握り締めキャンパスに向かう一人の女性と、その女性の眼の前に立ち、剣を構える美しい冒険者の姿があった。

 部屋には東国の奥地に繁殖する笹と呼ばれる植物が飾られている。

「女帝」

 剣を構える女性冒険者の口から、明らかに疲弊した声が漏れる。

「いい加減、あなたの創作活動に私を巻き込むのは止めにして頂きたいのだが……」

 アンジェリナは手にした愛剣カラドボルグを鞘に戻し、腰に手を当て背筋を伸ばした。硬直しかけた筋肉と関節に新鮮な血液が送り込まれるのが判る。

「誰が構えを解いて良いと言うたのじゃ。折角良いところまで描き進んだと言うに」

 筆を置いて激昂する青白い顔の赤い髪の女性ーーエンプレスの声は不機嫌を具象化させたような旋律で室内に響いた。

 エンプレスは冒険者となる前、流浪の絵描きであったとアンジェリナは聞かされていた。芸術に関する知識はほとんど持ち合わせていないアンジェリナは、エンプレスの腕前がどれほどであるか見当も付かないが、本人によれば「国が傾くほど」の才能らしい。どうも五郎丸のギルドに所属する冒険者たちは、話を大きく見積もるのが趣味のようであると付き合って行くうちに学習したアンジェリナは、エンプレスの芸術の腕前についても例外ではないだろうと考えていた。


「その木と草の中間のような植物はなんですか」

 アンジェリナはエンプレスの抗議を無視して再び伸びをすると、部屋の隅に飾られた植物について質問した。細長い葉と一緒に五色の短冊が飾られている。

「お主、刀を遣う冒険者のクセにの国の風習を知らんのか。今日は七夕と言うてな、奴や祁の国の説話で一年に一度、離れ離れになった夫婦めおとが遭う事を許された日なんじゃ。普段はベガ、アルタイルと呼ばれている星が今日だけ、織姫、彦星と名を変えて呼ばれるのじゃ。この笹と言う植物と一緒に陰陽五行を司る五色の短冊に願いを書いて飾ると、その願いが叶うと信じられておるのじゃよ」

 油性の絵の具を専用の油で洗浄しながらエンプレスは説明する。

「星に願いを込めるのは、古今東西どの文化でも変わらんらしい。手を伸ばせば届きそうな星さえ、今の人間の技術では辿り着く事すら叶わん。人が作り出した欺瞞の天上に全ての星は張り付かせられているが、星々の光は幾万年もの時間を超えてやってくる。遥か遠い過去に発せられた光に、たった数十年の人生の願いを込めると言う矛盾は、滑稽としか言いようがないわい」

 エンプレスは皮肉と共に苦笑いした。

「相変わらずの毒舌ですね」

 身も蓋も無いと言う感情を存分に含んだ声で、アンジェリナは嘆息した。

「現実的と言って欲しいの。人の願いなど儚いもの。形など残さず、いつかは消え去ってしまう。だが、芸術は違う。作者が死してもその作品は語り継がれ、後世の人の心に宿り続ける事ができる」

 自分の言葉に酔いしれるようにエンプレスは語る。エンプレスの言葉は人生を達観しているのではなく、自分の命の儚さを自覚しているからこそ吐き出されるものなのだろうと思うと、アンジェリナの心情は複雑なものになった。

「って、ここは盛大に突っ込む所なのじゃが、生真面目なアンジェにそれを期待しても詮無き事か」

 わざとらしく肩を竦めて、エンプレスはアンジェリナから視線を外し、窓の外に目を遣り頭を掻いた。


「生きてくださいよ」

 アンジェリナが背中に言葉を投げかける。瞬間、凍りついたようにエンプレスが動かなくなった。

「私はあなたの死後、あなたの作品について語りたくなど無い。私は生きている内に、もっとあなたと分かり合いたい。きっと、ギルドの皆もそう思ってます」

 雪の中の神殿で見せたエンプレスの涙を思い出しながら、アンジェリナは言葉を選んでいた。何を言っても、エンプレスの心を代弁する事は出来ない。ならば病に対する同情などせずに、自分の気持ちをぶつけたほうが、お互い楽になるのではないか。

「……まさかアンジェに説教されるとは思わなかったわい」

 声を震わせながら、振り向かずにエンプレスは小さく笑った。


「女帝。星が……」

 アンジェリナが指差す窓の外の空の果てには、先程までの曇天が嘘のような星空が広がり始めていた。天の川と呼ばれる星雲を挟んで、二つの一際明るい星が瞬き、お互いを引き寄せているようにアンジェリナには見えた。きっと、人の願いや想いもこうやって幾星霜の時を超えるものなのだろうとアンジェリナには感じられた。そして多分それは、先程正反対の事を言っていたエンプレスの望みでもあるような気がしてならなかった。


 共に過ごした日々を、皆が忘れないように。


 そう綴られた短冊を書いた部屋の主は、自慢の毒舌を封印し空を見上げたまま暫く無言であったが、アンジェリナは同じ空を見上げ、共に戦った日々に想いを馳せた。


 光の尾を引いて、一筋の星が空を駆けるのが見えた。

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